切り札
「おれを信じてありったけの心力を込めろ!」
さきほどまでとは違う気合の入った声に促されて心力を奮うと、その増幅に反応したエイザーグもこちらに向き直る。でもなぜか、致命的なこの時間を突いて襲ってこない。
「おぉぉぉぉぉ」
リンカーを左肩に担ぎ、心の奥底にチロリと燃えた闘志に油を注ぐ。
「突撃だ!」
その言葉に後押しされて、様子がおかしいエイザーグにわたしは突進した。通常なら無謀な行為だがエイザーグは変わらず動かない。
「額の角に重い一撃をぶちかませ!」
ラディアを沈黙させた強靭な角を狙えと叫ぶリンカーの言葉を信じ、ラディアを傷つけられたことと、それをさせてしまった自分への憤りを込めて剣を握りしめた。
動きの悪いエイザーグの鼻先五メートルで体を捻りながら沈み込んで跳躍する。
「バスター・ストライク」
衝撃力、打撃力を強化した法技がエイザーグの象徴的な額の角を側面から強打すると、わたしの予想に反して勢いよく砕けた。
法技の勢いで転げながら着地したわたしは、角を砕かれ暴れるエイザーグの姿を見上げて一瞬呆けてしまう。
「今だ、出口に走れ!」
その状況を楽しむように叫ぶリンカーの声によって我に返り、普段よりもズッシリとした鎧の重さを感じながら、全力で出口に向かって走った。そして、走りながら思う。恐怖に駆られた脆弱な心力を振り絞った法技に、あの角を砕くほどの力があっただろうかと。
その疑問にリンカーが答えた。
「今のがもう切られていた札だ」
「どういうことだ?」
「寝んねしちまったラディアの特殊能力だろうな。すべての輝力を解放することで、受けた攻撃の倍返しって感じだろう。それによってあの角は大きく傷ついていたってわけだ」
ラディアが見せた最後の足掻きのおかげでこの場から逃げる大きな一手になった。
「だが、わたしの攻撃があっさりと当たったことは幸運だった」
「それはな……」
「うわっ」
追いかけて来たエイザーグの爪が、頭の上を勢いよく通過した。続いて大きく開かれた口が眼前で閉じられた。次々に繰り出される攻撃を蛇行しながら飛び退き、転げ回ってしのいでいくが、あきらかに攻撃が雑である。
「ぐるぁぁぁぁ」
エイザーグは苛立ちの叫びと思われる声を漏らしているようだ。
「これもラディアの能力の副産物なんだろう」
さきほどの続きをリンカーが話し出した。
「今のエイザーグは視覚や聴覚や感覚が麻痺している。そのおかげで狙いが定まらずこのありさまだ」
出口まで半分、このまま行けばなんとかなるかも知れない。
「それで、すでに仕込まれている札というのはなんなんだ?!」
「それはアム、おまえ自身だよ」
「それはどういうことだ?」
「どんな窮地におちいろうが、心を挫かれ闘志を失おうが、おまえは必ず立ち上がる。それがアムの心だ!」
リンカーお得意のわたしを奮い立たせるための言葉だ。だが、必至で逃げることができているのは、確かにわたしの心に力が戻りつつあるからなのかもしれないと、リンカーの言葉を素直に受け止めた。
「三枚の札の最後の一枚はいったいなんだ?」
心の力が戻り始めたところでそんな質問をリンカーに投げかけたとき、途轍もない衝撃を背後から受けたわたしは前方に吹き飛びうつ伏せに倒れ込んだ。
「咆哮……か」
何度も窮地に追い込んだ怨念の咆哮だ。ラディアの護りがなくまともに受けたその威力に、戻り始めた心の力も消し飛んだ。エイザーグとの距離があったので体のダメージはそれほどでもないが、好機は一発の咆哮で潰えてしまった。
待ったなしのエイザーグの追撃を振り向きざまにリンカーで迎撃する。斬り払った剣は速度も力もなかったが、どうにかその牙を受け止めた。いや、受け止められたというべきだろうか。
ギリ…ミシ、と剣が軋む。いくら強固で強靭な闘刃リンカーでも側面から高圧の力を受け続ければ危ない。即座に法術を撃ちたいところだが、錬成に必要な心力も集中力も圧倒的に足りなかった。
「リンカー!」
叫びながら法術の錬成を急ぐわたしの耳に「好都合だ」というリンカーの言葉が聞こえた。
「切り札を切るぜ」
軋む刃にパリッと電光が走って、リンカーがわたしの手を弾いた。
「プラズハ・ルード」
バリバリッと空気を切り裂く音と電光がほとばしる。リンカーを咥えたエイザーグは電撃を帯び、体を震わせて動きを止めた。
「これが最後の一枚だ。おれの特殊能力プラズハ・ルード。法術でも法技でもないから名前はおれが考えた。叫んだ方がカッコイイだろ?」
その状況を見上げるわたしにリンカーは言った。
「よし、今のうちにラディアと一緒に帰れ」
今なんと言った? またしても言葉の真意が理解できずにいるわたしにリンカーはもう一度、今度は強い口調で叫んだ。
「おれが食い止めるから今のうちにここを離れろって言ってるんだ!」
「そんなことできるか! おまえも一緒にここを出るぞ」
「状況を見ろ、おれがここを離れられるわけがないだろ。それに長く持たないことはアムにもわかるはずだ」
エイザーグを抑える電撃の中でもリンカーの剣身が軋み苦しんでいるのがわかる。わたしたちは繋がっているのだ。
「力が尽きるか、剣身が砕かれるか。そうなればもう切るべき札はない。だから早く!」
動きは悪いがエイザーグはゆっくりと迫ってくる。こんな状態でも破壊衝動は消えていない。
「置いていけるわけがないだろ。再戦するにしても、おまえがいなくてはエイザーグと闘えるものか」
「おれが身を挺して作った時間をおしゃべりで終わらせる気か? 泣いてる暇があったらとっととここから立ち去れ」
いつの間にか溢れ出ていた涙が頬を流れ落ちる。足が動かない。逃げる最後の好機なのはわかっているが、置いて行くという選択肢を選べない。
「このままだとラディアも死ぬぞ。全員で共倒れするつもりか? おまえが死んだら仲間も友人も、この国すべての人間も死ぬ」
色々な理由を並べてわたしを逃がそうとするが、リンカーを置いていけるはずもなく時間だけが過ぎていく。わたしは手放してしまった右手をリンカーに向けて伸ばすことしかできなかった。
とめどない涙と時間だけが流れ、リンカーは決断できないわたしに、今度は優しい声で言った。
「このおれがこのまま死ぬと思ってるのか? それは大きな間違いだ。おれは死なねぇよ。だから、もっと心技体を高めてここに迎えに来てくれ。最終決戦のとき、おれはアムのその手に握られて、また一緒に闘うと約束する。今のおまえじゃおれの能力を最大限に使えないみたいだからな」
そう言うと電撃はさらに強くなり、目前まで迫ったエイザーグの動きを止めた。
「アム……行こう」
力のない声でラディアが言う。わたしは伸ばした右手を握りしめ、不可能な約束をするリンカーの想いに応えた。
「わかった、必ず……必ず迎えに来る。ラディアと一緒に迎えに来るから。だから、絶対に死ぬんじゃないぞ!」
「おう、待ってるぜ」
静かに返された言葉にいっそう涙があふれ出るが、その涙を拭わずにエイザーグを拘束するリンカーを睨むように見据えた。
握った腕を下ろして身を翻すと、そのあとはいっさい振り返らず全力で走った。
大聖堂の扉を抜けて真っ直ぐに続く回廊をひたすら走る。教会の外に出てもリンカーの想いが伝わってくる。そして、途切れないでくれとわたしは願った。
その想いは水面に広がる波紋のように静かに伝わっていたのだが、
「死にたくない、死んでたまるか! おれはアムと一緒に、ずっと一緒に闘いたいんだぁぁぁぁぁぁぁ……」
激情がその波紋を乱し、それを最後にリンカーとの繋がりが消えた……。
***
大聖堂での闘いの様子を映していた景色は真っ白な空間に戻っていた。
「リンカーの身を挺した行動によってどうにか逃げ出すことに成功した。わたしはそのまま力を失ったラディアを連れて泣きながら山を下り林道を抜けたが、それから先はよく覚えていない。街に続く道の途中で倒れていたところを様子を見に来た教団の巫女たちに発見されて保護されたらしい」
聖闘女アムサリアは過去にエイザーグに恐怖し、大切な相棒を失っていた。にもかかわらずその恐怖を克服し、相棒を失った悲しみを乗り越えて最終決戦に挑み、相討ちとはいえ宿敵を倒した。
「アムサリアは恐怖をどうやって克服したんだ?」
俺は直球で聞いてみた。
「克服……したかどうかは正直わからない。ただ、真の恐怖を知ってその恐怖に負けまいと挑む心に本当の強さがあるのではないかと思う。死ぬ覚悟を持つことと、恐怖を克服することは同じではない。ラグナ、あいつに恐怖を感じたら負けだなんて思うな。その恐怖と向き合い、どう対処するか考えることが大事なんじゃないのか?」
少し考えさせられる言い回しだ。あの豪胆な父さんも恐怖を感じながら闘っていたのか疑わしいが、聖闘女であるアムサリアでさえ一度は恐怖に負けたというのだ。恐怖に負けたからと言って、それで闘士たりえないと決めつけるな! ということなのは理解した。だからと言ってこの手の震えを止めることはできやしないのだが。
「止まらない震えを止めようとしても無駄だ。これはわたしの場合だが、自分がなすべき目的や使命に集中していたら、それらが恐怖や不安をおのずと包み込んでくれていた」
そう言ったアムサリアは厳しい表情でどこか遠くを見ているようだった。
「わかったよ、このまま震えていたらリナさんを護れない。例え震えながらでも闘ってやるさ。格好悪いけどな」
「ラグナは自分を格好良いと思っているのか?」
「…………」
そんなことを話していると空間が明滅を始めて景色が歪みだした。
「どうやら目覚めの時間のようだ」
アムサリアがそういうと立っていた場所もグニャグニャと揺れて彼女が離れていく。上も下もわからなくなって俺たちはそれぞれどこかへと吸い込まれていった。





