地下施設の主
「グラチェ、もしものことがあったらブライザのところに戻るんだ」
グラチェはアムの言い付けに寂し気に鳴いて頷いた。
古い遺跡であり崩れかけてはいるが、未知の技術は機能している。淡く光るランプがいくつも遺跡内を照らすが、やはりここは薄暗い。通路を抜けて降り立った先も同じような状況であれば戦闘条件はこちらが不利だ。なので部屋に降り立つ前に発光法術を配置することになった。
「ってことで、俺が先頭を行く」
ドヤ顔で瓦礫を上っていくグラド。発光法術はわりと高度な法術であり、俺とハーバンは使えない。グラドが先頭になったのはそのためだ。
俺たちは順番に通気口に入って四つん這いで進んで行く。
行きは崩れた瓦礫を上って通気口に入れるが、戻るときは足場が無いので、垂らしたロープをよじ登る必要がある。つまり、一度降りると簡単に撤退できない。
これから相対するグレイモンキールは、一般の闘士が手を出してはならない野生獣の上位に位置する厄介な相手だ。一般のという言葉から考えれば俺たちはきっと一般には当たらないだろう。少なくともアムは一般の野生獣が手を出してはならない人族に部類されるのは間違いない。
そんなアムとその一行であっても妖魔化したグレイモンキールは相当の難易度のはず。しかし、破壊魔獣エイザーグを倒したことを思えば負けることは想像できない。だが、負傷することはあり得る。最悪の場合は俺たちの中で死者が出る可能性は十分に考えられる。もちろんそれはアム以外の誰かだが。
「出口だ」
グラドが小声で伝え、腰に下げた法剣の柄を握り、ゆっくりと鞘から抜く。
「ファイム・イルミネート」
剣先に灯った小さな光の玉が飛び出し、浮遊したまま部屋を照らした。
「妖魔獣は居ないようだ。今なら安全に降りられる」
グラドは通気口から身を乗り出して警戒しながら飛び降りた。それに続いて俺が、さらにハーバン。最後にアムが降り立つ。
その部屋は高さ五メートル強、幅と奥行きはその倍程度で、倒れた柱と積み上がった瓦礫、剥がれ落ちた天井とむき出しになった金属の骨組みという状態だった。
五感を研ぎ澄ませて最大限の警戒をしている俺たちだったが、ハーバンは部屋の隅っこに向かって歩き出す。
「おい、ハーバン。どうした?! 警戒しろ!」
俺の忠告を聞かず振り向きもしない。その先で立ち止まったハーバンは静かに手を合わせた。
それは、積まれた白骨に対しての行動だった。おそらく、ここを偵察に来た部下の成れの果てなのだろう。
「こいつらの犠牲によってグレイモンキールの妖魔獣が居ることがわかった。それによってこの遺跡ルートは断たれたが、もし妖魔獣を倒して先に進めれば、少しは浮かばれるってもんだ」
「『もし』じゃない。必ず進む」
アムの応えにハーバンはうなずいた。
だが、その意気込みをぶつける相手が見当たらない。戦争という危機を回避する障害になるはずの妖魔獣は留守のようだ。
「妖魔獣がいない今のうちに先に進んじまおうぜ。闘いはしないにこしたことはない」
「貴様の言うことは最もだが、グレイモンキールを倒さなければここを使って人員を送り込めないぞ。それに、先に進むとなると、たったの四人でフォーレス城に乗り込むということだ。その覚悟があるのか?」
最善は妖魔獣を倒した後にブライザのところに戻り、精鋭部隊を連れてフォーレス城に突入。戦闘を最小限に聖闘女の居るであろう上階に殴り込み、聖闘女を討ちとって王を降伏させること。だが、それを実行するにはさすがに人数が少なすぎる。
「判断が遅い!」
あれこれ思考している俺に切っ先を向けたグラドが言った。
「もたもたと考え過ぎだ。その判断の遅さがいつか危機を招くぞ。主の側近ならば瞬時に最善の判断をして行動に移せ」
「余計なお世話だ。言われなくてもアムは俺が護る」
自分でも薄々感じている点を指摘され、ついムキになった俺の肩をアムが抑えた。
「もたもたしているあいだに家主が帰ってきたようだぞ」
このやり取りの最中もアムはずっと辺りを観察していたらしく、いち早くその気配に気が付いた。
アムの言葉を受けて俺も意識を向けると、崩れかけた小さな出入り口の向こうに危険な気配を察知する。
「これはちょっと役に立てないかもしれん」
後ろでハーバンがそうぼやくと、グラドは構えながらじりじりと下がってきた。
「どうしたグラド。ビビったのか?」と、からかわない。それは、俺もその気持ちを共感しているからだ。
「冗談じゃないぜ」
出入り口のフチに手を掛けて入ってきた妖魔獣グレイモンキールの威圧感は、以前クレイバーおじさんの研究所で闘った邪影獣の強さを大きく超えている。
猿型の野生獣はたくましいを通り越した手足を持ち、牙獣類を思わせる牙を剥き出して二メートル半ほどの体を少し屈めた。
「散開!」
アムのひと声に皆が四方に弾けると、空圧を伴う突進から振り下ろした狂気をはらむ右腕が地面を叩く。
ハーバンは包帯の巻かれた両腕を腰に下げた手甲型の法具に突っ込んで守りを固めた。
「ランド・メイラ」
グラドは身を縮め防御法術を展開する。アムのわまりに黒い霧が吹き出して黒い鎧を身に纏った。しかし、俺の体には奇跡の鎧は現れない。
「ラグナっ」
この状況下で武装されない俺に気を取られたアムに向かってグレイモンキールが襲い掛かる。
地面すれすれを薙ぐ腕をアムは危なげなくバックステップで回避したが、俺はその攻撃の鋭さを見て冷や汗が噴き出した。他のふたりも同じだったようで、表情を歪ませている。
妖魔獣は攻撃後すぐに跳躍して出入り口の前に戻り距離を取った。
グラドの法術によってある程度の照度はあるが動きの速いこの妖魔獣が相手では目がついていかない。
「ファイム・ウォーラル」
上に向けたアムの左手から広がった炎の障壁が天井に広がる。通常は防御障壁として使う法術によって部屋が強く照らされ、肌寒かった室温を少し上昇させた。





