迂闊
「赤い看板が出てきたな。どうやらここからはブライザ組のテリトリーのようだ」
アムも気が付きそう口にしたところで、近くの座席に座っていたおじさんがゆっくりと振り向いた。
「あんたらは旅の人ではないのかい?」
「イーステンドからだ。今日の昼に着いたばかりさ」
おじさんは少しだけ驚いた表情をした。
「馴染みない顔なのにブライザ組と口にしたからな。なんでここに来たばかりの君たちがそんなこと知ってるんだ」
ブライザの名をだしてしまったのは不用意だったか。
「さっきリリサ組の人たちに教えてもらったんだ。ここは街が東と西で二分しているってことをな」
(おい、ちょっと正直過ぎだろ)
内心焦ったが、おじさんはゆっくりとした口調で話を続けた。
「普通は旅の者にリリサ組だのブライザ組だの言わないもんだがな」
「秘密なのか?」
「そうじゃないが、特に話す意味もないだろ?」
ニシシシシと横のしわを増やして笑った。
「おじさんはブライザ組の人なんですか?」
警戒しつつ恐る恐る聞いてみる。
「おれは東の街に住んでいるからな。どっちと言われりゃブライザ組ってことになる」
俺が警戒を強めると、
「リリサ組になにを聞いたか知らないが、そんなに警戒するなよ。まるでおれたちが身ぐるみ剥いで街の外にほっぽり出すような野蛮な奴みたいじゃないか」
そう言ってニカリと笑ったが、俺の反応を見て、
「そんなふうに聞いたのか?」
と目を丸くした。
「そうか、奴らがそんなことを言ってたか」
リリサ組とは犬猿の仲かと思ったが、そんなことを言われているのに大笑いしている。
「なんだ、根も葉もない嘘だったのか」
アムもやれやれと言った表情で苦笑いを見せると、
「いやぁ、本当のことだ」
今度は俺たちの目が丸くなった。
「悪質な旅の集団が来たときにそんなようなことがあったのは間違いない。俺たちは組が掲げる信念をモットーに、曲がったことを許さない規律の厳しい集団だ。その旅の集団の度が過ぎる羽目の外し方に、ちょっとした制裁をしたことがあったんだ。リリサ組はおれたちがこらしめたそいつらに手を差し伸べて接待をしたらしい。とうぜん俺たちがやったことにグチグチ言う奴らに共感して文句を言っていたんだろう」
「リリサ組はよくそんな奴らを助けてまでもてなしたな」
「リリサ組にとってはその程度は無礼講ってことなんだろ。せっかくの金づるだって気にもせん。ただ、そいつらはいいカモになってぼったくられただろうがな」
「「あぁ」」
手を組んだ俺たちでさえぼったくりの対象とするほどの商魂を持った奴らだ。それくらいはするだろうと納得した。
「それで、あんたらはなにしにこの街に? なんでリリサ組から悪評を聞いているのにブライザ組の島にやってきたんだ?」
「ただの観光さ。この国を治める聖闘女が作った街を見て回りたかったんだよ」
ガタンと馬車が揺れた。
「今、なんて?」
おじさんは驚き顔で右の眉毛を持ち上げる。
聖闘女のことはこの国でも一部しか知り得ない極秘情報。それを外から来た俺たちが知っているとなれば大問題である。アムもしまったと言った顔で俺を見た。
「聞き違いじゃなさそうだな。こいつは困った」
そう言うと、他の座席に座るふたりの男性が振り向き俺たちを見た。
「俺たちだけで良かったぜ」
「で、おまえたちはその情報をどこで手に入れたんだ?」
「情報の出どころがわかったらその原因となった者は罰せられたりするのか?」
「質問してるのはこっちだぜ」
一番先頭に座っている強面の男が椅子から立ち上がる。
「まぁ待て」
おじさんは男をなだめて座らせた。
「まさかハーバンが漏らすとは考えられないが、力尽くでしゃべらせたのか?」
「力尽くか。そうだな、確かにわたしが勝負に勝って話させたのだから、そういうことになるか」
(本当のことだけどちょっと誤解をまねく言い方だぞ!)
俺は心で叫んだ。
「あのハーバンを負かすとは。それが本当なら警戒しないとならないな」
「待ってくれ、確かに勝負をして彼女が勝った。だけど話をしたのは同意の上だ。決して力尽くで聞き出したとかそういうわけじゃない」
「同意の上? 考えられん。なにをどう同意したっていうんだ」
「話しをする代わりに俺たちの協力を得たいと。戦争せずに聖闘女を倒すために」
「馬鹿正直にペラペラと教えてくれるんだな。それともそれは俺たちを騙すための嘘か?」
嘘は通じないだろうし本当のことを言っても信じて貰えなさそうだ。また面倒なことになる前に、馬車から飛び出して逃げた方がいいかもしれない。その意向をアムに訴えるために目で合図する。
アムはそれを見て唇を薄っすらと動かし合図を返した、ように思った。
「わたしが聖闘女だからだ。聖闘女との争いをなんとかしてくれと頼まれた」
だが、まったく意図が伝わっておらず、俺は椅子から少し浮かせた腰が砕けてしまう。
この返答におじさんらは口をあんぐりさせて固まった。逃げ出すには絶好のチャンスだったのだが、俺も一緒に固まっていた。
数秒の硬直の果てにおじさんは額に手を当てて表情を戻すと、その手で額を叩いて言った。
「ハーバンは生きているのか?」
「両手はずいぶん腫れあがってしまったがすこぶる元気だ。しばらくは彼の家に泊めてもらうことになっている。風呂も付いた豪華な部屋だぞ」
少し自慢気にアムがそういうと、
「そいつは良かったな。だが、うちらのアジトも負けてはいないぜ」
その言葉で馬車は止まる。ゆっくり立ち上がったおじさんは馬車の扉を開けて二段ある段差を使って外に出た。
「終点だ」
ふたりの男もそれに続いて降りていく。
街を周回する馬車なのだから終点などないはずなのだが、馬車は止まったまま一向に動かない。仕方なく俺とアムが馬車を降りると、目の前には大きな門。そして、おじさんらと一緒に十人を超える武装した兵士が並んでいた。
「ちょうどおやつの時間だ。お茶を飲みながら詳しい話を聞かせてもらおうか」
「かまわないが……。リリサ組で出されたお茶は極上だったぞ」
アムの挑発じみた言葉に対して、
「ブライザ組の茶と茶菓子は客の質によって大きく変わるんだ」
「そいつは楽しみだ」
この国に来てからの俺は、こういったやりとりに冷汗を流しっぱなしだ。