壱拾九の噂 ~慾動琳解(よくどうりんど)~
倒れない。不動の男、攣ヶ山鸑門にトイレの花子さんは激しく動揺する。
同時刻。瓢箪の中に閉じ込められている雅を助けるため、景織花が奮闘するのだった。
ありえない…
ありえるはずない……
こんなことは今まで見たことがない………
心臓を貫かれた人間が、貫く前よりも力を増して、私の両腕をホールドしているなんて…こいつ本当に人間なの? ありえない、怖い…! 今、花子の目の前に立っているのは何? 私幽霊よ? 何で幽霊の手をこうも容易く握れるの? 何でこいつは笑ってるの? ねえ、教えてよ――
「ねえ!」
「――お? 何や話したいことでもあるっちゅう顔しとるな…?」
その男は私より少しだけ背が高いだけのチビだ。そんなチビが下手な大阪弁で血反吐も吐かずにへらへら笑って言いやがる。腹に蛸の足を貫かれたままだっていうのに…
「何で…生きてるの? 心臓は潰したはず…」
「そう…見えるんか?」
「え…?」
なぜかチビは花子の質問に質問で返した。花子が一番癪に障るやり方で、チビは自分の腹を貫いた蛸足の方に私の腕を強引に引っ張った。「あ…」私は引き寄せられるように、男の心臓と蛸足の貫通部分に近づいた。すると…貫いたと思われた蛸足は、私が数センチチビに近づいただけで落っこちた。男の心臓の方は…
「無傷…!?」
「そうや――ほれ? 解るやろ?」
「!?」
引力は止まることなく、私はチビの丁度心臓の位置で停止した。幾年久しぶりに触れる人の感触と臭いに一瞬眩暈がした。が、それよりもチビの腹と密着した右耳から何かが聞こえてくる。「どくんっどくん」と、チビの心臓が一定のリズムで唸っているのが分かった。今まさにチビは生きている。芯の臓は今も元気に蠢動しているのだ。私の両腕は未だに男に拘束されているが、私はチビが何故生きているのかを突き止めるため、チビを睨みつけて言った。
「教えてよ…悔しいけど花子じゃ分かんないから…」
「そか? まあ今までの俺を視とったら解るやろ。俺はそっちの蛸やんの足をいっぱい食べまくった。やから…こんなに元気になってもうたっちゅーわけや。食べて回復やか・い・ふ・く。分かるか? チビガール」
ムカ! 自分の顔が今まさに怒りに満ち満ちていることが解る。相手の挑発に乗るな花子。今花子がこいつにしてやれること…それは――
「だったら…これならどう?」
「? 何やるつもりや?」
ゴチンッ
「!????」
「お返しよ…ドチビ助」
花子は力強く膝でチビの股間をぶつけてやった。
「髀皚さん!」
その頃、髀皚雅の救出に向かった景織花は、今まさに天井いっぱいの瓢箪内部にいる雅と合流を果たしたのだった。だが現状は…
「起きて…起きてよ!」
雅の反応はない。瓢箪に侵入したはいいが、中はいっぱいの水で満たされ、雅はその中で息もせずただじっと浮いていた。体を丸くして、耳を手で塞いで、顔を足の中へ埋めたまま、雅はただそこにいた。景織花は雅の抱きとめ、雅の耳元で必死に訴える。溺れながらも息を口の中でセーブしながら「起きて」と。だが何度訴えても雅はピクリともしない。
――一体どうしたら…どうしたら助けられるの? やっとここまで来たのに、こんなに近くにいるのに……何で私は何もできないの!
己の無力さと酸素不足からの焦りでまともに考えることが出来ない。
(駄目!)
景織花は酸素の限界から一度瓢箪の入口まで顔を上げ、酸素をたっぷり吸いこんでからもう一度雅の元へ潜った。だがしかし、位置を把握したはずの場所に、雅はいない。景織花はさらに焦った。だが考えても仕方がない。探そう。そう決めた景織花は雅の捜索を開始した。
だが、驚くほどに見つからない。そもそも瓢箪の内部はこんなにも大きかったっけ? どんなに潜っても底がない、壁も見当たらない。途方もなく、当てもなく探し回るが、当然見つかるはずもない。また限界だ。もう一度外に出よう…………あれ? 入り口が分からない。
(どこ? 早くしないと……おぼっ!?)
一度零れた景織花の酸素は瞬く間に、外へ外へと逃げていく。やばい。このままだと自分が溺れてしまう。雅を助けるどころではない。私が死んでしまう。景織花は必死に逃げ出した呼吸をもう一度吸いこもうと手でかき集めようとした。だがそれも叶わず、手で掬い取ろうとした酸素のボールは更に小さな泡の軍団となって散るか、いち早く外へ逃げられてしまう。これでは酸素を取り戻すことが出来ない。
景織花の意識は段々と重くなっていく。まるで今の景織花のように、水の底へ底へと誘われるように……息が出来ないことがここまで苦しく、寂しいなんて。今初めて景織花は己の孤独に絶望の色を見せた。
その時――
「分かる?」
ずっと蹲っていたはずの雅は、ただじっと景織花の方を見つめて更に言った。
「これが…雅。髀皚雅の全て。…あんたにはわからない。一生」
その冷たい言葉は、雅の口を介さず聴こえてきた。瓢箪や水全体が雅に言葉となって景織花にぶつけているようにも感じとれる。だが景織花は雅の棘だらけの言葉を前に、溺れ死にそうになりながらも、にっこりと笑いかけ、残り少ない酸素の中、こう言った。
「分からないよ…今まで逃げてきたんだ。私。お母さんからも、髀皚さんからも、例喰笑からも…でも、もう駄目なんだ」
「駄目?」
「うん。このままじゃ私は、風鈴寺景織花は終わっちゃうんだ。…だから行こ? 私は離さないよ。もう二度と、あなたの目から、あなたの感情から逃げない。全部全部受け止めるから…もう一度、友達になってくれませんか? 髀皚さん」
景織花はその言葉を最後に、ぶわっと口から残り少ない酸素を放った。そしてそのまま景織花の意識はなくなった。海に誘われるかのように景織花の体は深い深い水の底へ落ちていった。
「…」
雅は沈んでいく景織花をただ見ていた。己を助けにここまで来てくれた? だから何だというんだ。今までの業がそれでチャラになるわけがない。もし許してほしければ、そこで一生沈んでろ。そう、雅は心の中で吐き捨てた。そしてそのまま雅は瓢箪の入口に向かって泳ぎ始めた。もう、景織花から酸素の泡は上がってこない。
「…」
「どう? ドチビ助?」
自分より年下相手に膝蹴りを食らわされた攣ヶ山鸑門は、立ったまま固まっていた。綺麗に決まった股間蹴りは、鸑門の思考と行動を同時に停止させたのだ。トイレの花子は自由になった両腕をすぐさま抜き取ると、トドメと言わんばかりに鸑門の頭上から踵落としを食らわせた。これまた見事に決まったのだが、鸑門は動かない。股間蹴りから一向に動こうとしないのだ。
「あれ? …死んではないだろうけど…倒れないっておかしくない?」
と、花子は怪訝な顔で、鸑門の顔を覗き込んだ。瞬間、花子の顔面から鸑門の額が降ってきた。
ゴチンッ
「??!!!」
今度は花子の方が驚きと激痛に打ちのめされた。花子の鼻は綺麗に凹み、血が噴き出した。思わず倒れそうになるが、負けじと頑張って踏みとどまると、じっと鸑門を睨み返した。
「一体何なのよ! あんたはー!?」
「あんただと?」
「え――?」
気絶したはずの鸑門の口が動いた。そしてそのまま花子の方へずんずんと近づいていく。花子はいつまでも倒れない鸑門に、一種の恐怖心が生まれ、おずおずと後方へ後ずさる。訳が分からない。こいつは本当に何者なの? 花子の謎は深まるばかりだ。だがついに壁が花
子の背中にピタリと当たる。もう逃げ場はない。花子は鸑門の言いようのない顔を前に、恐怖で顔が膠着してしまった。
鸑門は不意に左手を上げる。その手は花子の頭のすぐ右の壁にバシっと手の平を叩いた。壁ドンした鸑門は、グイっと花子に顔と顔を近づけ、低い声で叫んだ。
「俺はチビじゃねえ! それと…寂しいんなら友達になってくださいって言えよ! ウルトラチビが!」
花子の思考は跡形もなく吹っ飛んだ。この男の言っている意味が分からない。理解の壁を越えている。理解するな――と誰かが私の心をたたくようなきもする。
だが、花子の一パーセントの思考が鸑門の言葉に共感した。その瞬間、たった一パーセントの思考が、瞬く間に花子の体に染み渡ると、花子が忘れていたある事を思い出したのだった。
――私は友達が欲しかったんだ…。
何で忘れていたんだろう…。一番最初に思ったはずなのに…どうして…。
同時刻。雅は入り口に手を伸ばそうとした瞬間、身体はそこで動きを止めた。瓢箪の外から聴こえた声。その声を聞いた瞬間、雅の忘れていた記憶が呼び起こされたのだ。それはまるで走馬灯のように、今から昔へ、猛スピードへ遡っていった。
――友達が欲しいな…一人でもいいから……神様、私のお願い、かなえてくれますか?
それが一番初めに願った望みだと、十四年の時を経てやっと気づいた雅であった。
題名が訳わかんなくなっちゃいました。まあいいか。鸑門VS花子に続いて、景織花VS?景織花回でした。景織花の言葉に見向きもしなかった雅が、鸑門の言葉でどう変わるのか…次回も必見です。しかも次回はついに二十話。話も終盤です(第二章ですが)。景織花と雅、この二人は一体どうなってしまうのか…。
というわけで私事ですが、今週の土曜日いよいよシャドールストラク発売です。遊戯王のアニメもどうなっていくか気になるところですが、とりあえず鬼滅の刃18巻を買って満足したのでよしとしましょう。髪結い3巻はここだとまだですね…鬼滅が速いのは…人気ゆえのジャンプ本社の本気度が窺えますね…。まあランダム商法は興味ないので一冊で十分です。あ、火ノ丸相撲の最終巻も買わなきゃ…




