壱拾五の噂 ~謎の少女、出現~
ひょっこり現れしは、おかっぱ髪に、白ブラウス・吊りスカートを着こなす謎の少女。敵か味方か、景織花と鸑門は静かに態勢を整えるのであった…
――お前のせいだ…お前のせいで!
もう慣れてる。
――あんたのせいで私のたった一人の――ッ!
私のせいで誰かが不幸になるのなら、私が全て背負えばいい。酷い目に遭ったのなら、全ての責任は私が背負おう。私が消えれば、それで全てが丸く収まる。こんな目をした私が生きていいはずがないんだ。見たものを石に変える目を持つ私は…死んでしまえばいいんだ…。
でも、やっぱり死ぬのは怖い。…だったら誰かに殺してもらえば…私は生きる地獄から…違う。髀皚雅という名の地獄を終わらせることが出来るんだ。
――このぉ…化物!
――悪魔!
――×××!
「ぐおおおお!」
耳を塞ぎたくなるような鼓膜震わす咆哮が、学校の廊下全体を瞬く間に轟き渡る。ここは二人の記憶の世界であり、因縁深き三年一組の教室…の廊下である。化物と化した髀皚雅を前に相対するは二人の少年少女。少年・鸑門と少女・景織花。景織花と雅は小学三年生の恰好に変わっていて、雅の叫び声に驚愕の顔を上げていた。先ほどの雅の声とは明らかに違う、何人もの声が混ざり合ったような重奏音。そして巨大な瓢箪は雅を完全に覆い隠し、上の口から何本もの蛸の足がうねり、巻き付き、槍となって鸑門たちを攻撃し続ける。
明らかな異常事態。…だが、景織花は一瞬にして冷静さを取り戻したかと思えば、鸑門を一瞥してこう言った。
「パパ…助けたい。景織花も、雅も、パパもみんな一緒に助けたい…」
鸑門は景織花が言うはずのない「パパ」の言葉に、ふと景織花の顔を覗き見た。すると、景織花の頬から一筋の光る透明な何かが零れ落ちていた。涙。それは紛れもない、心を持った涙であった。鸑門は今目の前にいるのが景織花であれ、誰であれ、再度雅に顔を向けると、不敵に笑ってこう言った。
「ああ。絶対に助けるんだ。そんでもう一回、二人が友達になれるチャンスを作る!」
「うん!」
景織花は鸑門の言葉に合わせるように強く頷いた。二人が見据えるは、化物とかした友達・雅。未だに掴めない状況の中からどうやって雅を助け出すのか。二人は一緒になって考え始めた。
だがその時、どこからかくすくすと鸑門たちを嘲笑うような笑い声が聞こえてきた。耳を擽るその声に鸑門はすぐさま周りを見渡す中、晶は迷いなくある一点を凝視した。瓢箪の括れ部分をまっすぐと見据えた晶は、静かに、しかし怒りを含んだ声音で言い放つ。
「そこにいるのは…誰?」
鸑門は一体何を言っているんだと、晶を怪訝な目を向けようとした。その時、まさに晶が向く視線の先から、小柄なおかっぱ少女がひょっこり顔を出した。可愛らしいおかっぱヘアーは、態と聞こえるような声で呟く。
「フフ…バレちゃったか…あ~あ。バレちゃったぁ」
口元を手で覆い隠しながら大きな目でこちらを一瞥する。その装いは白いブラウスに赤い吊りスカートを見事に着こなし、後頭部には帯の長い赤リボンを留めてある。笑い声はそのままに、ゆっくりと瓢箪の正面に移動した少女は、両端のスカートを摘まみ上げ膝を微かに曲げ、礼儀正しいお辞儀をしてこう言い述べた。
「お忍びのまま傍観者を決め込もうか思いましたが、残念ながら暴かれてしまいましたので、ここらで一旦自己紹介と参りましょうか。…トイレの花子さん。それがこの学校においての通り名となりますわ」
あまりに畏まった自己紹介に鸑門はアホみたいな顔に変わった。だが晶は未だに無表情のまま、追及を始めた。
「どうして髀皚雅に酷いことをするの?」
「う~ん。…その質問は野暮の野暮。っていうか野暮ね。あなたも解ってるんじゃない? 二人はもうどうにもならないってこと」
「!」
晶は花子さんの言葉に息を詰まらせ押し黙った。正しく芯を突かれたような、言い返せるはずのない言葉が晶の体を張り詰めるのだった。
――ここは…
景織花は今まで意識が飛んでいたのだろうか。重い頭を抑えながら意識がはっきりするのを待った。視界はくっきりはっきりと景織花に情報として脳に伝達していく。真っ暗闇の世界。自分の体すら見えないほどに黒に支配された世界に、一点。間の世界を照らす縦長の発行体が、既に景織花の前に立っていた。
――…誰っスか?
景織花は眩いばかりに光る目の前の光に、恐る恐る声を掛けた。景織花は語尾に「ス」を付ける癖があるが、理由は最近人気のお笑い芸人にドはまりしたからである。が、発光体に反応はない。…すると数秒置いて、光の上部がゆっくりと景織花の方を振り返るや、落ち着いた声でこう言った。
「? …景織花…?」
声と体からして、確か…晶と言ったのだろうか。霧状の記憶から名前を見つけ出した景織花は、汗を一筋流しながら晶を見上げた。晶は、さも不思議そうに景織花を見下ろしている。景織花と晶は互いに見つめ合い、そして同時に言葉を漏らした。
「「ここはどこで、どうして居るの?」」
――ぐおおおお! お! お! おお!
「パパ!」
「大丈夫だ、晶! 何度が見てたからイケる!」
トイレの花子さんとの会話の途中で、いきなり蛸足が割り込んできた。鸑門と景織花は、突如襲い掛かる蛸足攻撃を前に苦戦を強いられていた。そもそも鸑門の運動神経は抜群とは言えず、だからこそ万年補欠だったのだが…それでも体を鍛えておいてよかったと心底思うのであった。景織花は、いとも簡単に鸑門より多くの蛸足攻撃を避け続けている。汗一つ流さないことから、未だ疲れ知らずといったところか。以前の避け方よりもさらに鋭さや、俊敏さが増し、華麗なスケートダンサーさえ思えてくる。
「すっごぉい! やっぱりあなたはそっちの方が向いてるね♪」
花子さんは感心したように拍手する中、晶は何故かその言葉に違和感を覚えた。だが、鸑門は集中が出来なくなっていた。何度もパパというから、思わずこっちも「晶」と口走ってしまったわけで…鸑門は、ふと恥ずかし気に景織花を再度覗き見た。
晶は、花子さんに先ほどの言葉の意味を訊こうとした。瞬間、今までよりも巨大な蛸足が鸑門の方へ伸びていった。
「パパ? どうしたの…じっとしていたら――」
「そうそう、よそ見は駄目絶対。クスクスッ」
――ぐおっ!
「うわあ!」
花子さんと景織花が忠告を受ける前に、蛸足の二本が鸑門の両肩ギリギリを通過した。鸑門は頭真っ白で固まったままだったが、寧ろ避けていればどちらかの肩が吹っ飛んでいただろう。…鸑門はすぐさま集中すべき対象を景織花から雅のみに移し、それ以外を全て排除することにした。もう次はない。絶対に油断しないように、と自責の念を込めて…
その頃、景織花と晶は…
「今のは…」
「これは景織花の視界に映る映像。何故だか分からないけれど、今晶は景織花の中に入っている状態…」
二人は今、少し離れた場所でスクリーンのような、大きな四角形の画面から映し出される映像に見入っていた。瓢箪蛸足怪人と戦う金髪褐色肌少女とチビ小僧の構図は、さきほど景織花が戦っていた場所そのものであった。だが前と違うのは、謎の少女が瓢箪の前に立っていることだ。…にも関わらず、蛸足が一度も少女を狙ってこない。このことから少女と瓢箪は総じて敵とみなしていいのだろうか。
すぐさま助けたいところだが、残念ながら今景織花は闇の世界で晶と一緒にいる。…つまりこれはどういうこと? 景織花の頭は徐々に混乱の一途を辿っていた。
「頭ぐるぐるで…何が何だか…」
「落ち着いて…景織花」
眩暈を起こしそうになる景織花に、晶は優しく頭を撫でる。背の高い景織花でさえも軽々と超える晶の高さが、真っ暗闇の世界を優しく照らしてくる。そんな中、景織花は自分が理解できる範囲のことをどうにか絞ると、半信半疑の眼で晶に質問した。
「あたしは…あたしの体は…どうなってるっスか?」
「今は晶が動かしてるっぽい」
「っ! そう…すか」
景織花は晶の答えにざわ…っと心に蟠る何かを覚えた。それはどこか刺々しく、景織花の気分を少しずつ蝕むように感じた。そしてそれは景織花の意志を変えるほどの大きな違和感でもあった。
「どうしたの?」
「いや…何かその――晶」
「何」
景織花はむず痒くなり始めた胸の中の何かを抑えながら、意を決して真っすぐと晶の方を向いて語り始めた。
「あたしに任せてほしいっス。あたしの手で助けたい…んや。助けなきゃいけないんだ。あたしが壊した…壊させた髀皚さんの楽しいはずの未来の償いを…したいっス」
景織花の奥底から湧き上がる気持ちを前に、晶は何かを感じたような不思議な気持ちに襲われた。そして言うが早いか、景織花ぎゅっと抱き締めると、耳元で何かを伝えたのだった。
「ぽに…じゃなくて、攣ヶ山鸑門君!」
景織花は二度喋り方を変わった。…だがこの喋り方は前の景織花と合致する。鸑門はホッと安堵の息を漏らしながら、息巻くように頬を綻ばせた。
「鸑門でいいです!」
「鸑門…君! 晶から聞いたっス。髀皚さんを助ける方法」
景織花は鸑門に説明しながら、蛸足攻撃を素早く避ける。晶が動かしていた時より動きが鈍い。鸑門は景織花の口から出た衝撃発言に思わずジャンプした。良い所でジャンプした下方から蛸足が伸びてくる。
「! それ本当ですか」
「押忍! 景織花に任せるっス。…ちょっと耳貸して!」
「! …はい」
異性相手に顔を急接近させることは恥ずかしさマックスではあるが、こればかりは仕方がない。鸑門は恥じらいながらそっと耳を傾けると、景織花は瞬く間に鸑門の耳元まで近づくと、晶から言われたことを掻い摘んで伝えた。
「いける?」
「…不安だけど…晶の勘を信じる!」
「ならいくっス!」
「はい!」
鸑門と景織花は再度雅の前に臨戦態勢を取る。今度は晶によって導き出された唯一の方法を信じて。景織花と鸑門は、今の今まで溜まっていた迷いを全て捨て去り、敵ではない、大切な友人を見る目で走り出していった。
だが花子さんはそんな二人を前に、未だに笑みを崩すことなく顎を上げて二人を見下す。晶がどんな方法でかかってこようとも、花子さんの自信は破れることはない。
そう。雅が死にたがっている限り…永遠に――
雅と景織花、二人の想いと覚悟は交錯する中、それをかき乱すように花子が笑みを浮かべてやってきた。晶と鸑門は二人を救うことが出来るのか。景織花の中にいる晶は、どうなるのか…では次回。




