壱拾四の噂 ~急展開~
晶の記憶、雅の異変、協力プレイ
――晶…お前は凄い子だ。きっとこの研究も成功するだろう。
誰? 晶の頭の中に入ってくるこれは…どうして名前を知っているの? 背の高い…おじい…さん?
――だが常々思うことがある。これが成功すれば一体人間の世界はどう移り変わっていくのだろうかを。…怖いのだ。私の願いが世界をどう動かすのかを…
白い髭を生やした…皺だらけの…耳朶の長い…だめ。その先が靄で隠れて見えない。けれど…声はとても優しくて温かくて…晶の体をぽかぽかさせる。この人は晶のことをとても大切に想っているみたいだ。辺りを見渡そうとしても、おじさんの視線に固定化されていて動けない。
――我が娘、晶よ。私は間違っているのだろうか…。
不安が詰まった声で晶に問いかけてくる。彼は一体何を思い悩んでいるのだろうか…。
おじいさんの言葉を理解できずに晶は頭を傾げると、おじいさんは優しく晶を撫でてくれた。その手はしわだらけだったが、やっぱり優しい温もりをしていた。晶は目を閉じて、その手を気持ちよさそうに感じていた。
「! …ここは――」
優しい温もりが煙のように消えたのを感じて、晶は目を見開いた。そして辺りをきょろきょろと見渡すと、目の前には石と化したパパと年上少女二人が変わらず佇んでいた。それだけではない。そこから湧き上がる赤い液体が、パパの小さな体を丸々と飲み込みかけていた。変わることのない絶望的状況。今何分経った? 何故自分は今まで眠っていたのだろう。寸前の記憶を思い出そうとしても、頭の中が靄で霞んで全く思い出せない。
ならばと、急ぎ今までの戦いの道程を少しずつ思い出していく。パパのやった決死行により三人とも石化してしまい、あのおかっぱ少女が薄気味悪い笑みを浮かべて、石化した少女の一人・髀皚雅の中に入りこんだところまでを思い出した。石化した人間の中に入るなど、あの少女は一体…
「そう…でも、どうしたら…」
晶の不安は未だ限界値。今までパパを助けることを最優先に動いていたが、何故か雅ともう一人の石化した景織花の心配もするようになっていった。三人分の心配が晶の頭をかき乱す。どうか生きていてほしい。晶に生まれた三倍の気持ちが体中を瞬く間に埋め尽くしていく。
――その時。晶の右手は動いた。足はひたすらに前に進み、右手は抵抗なく前に伸びていった。
「何!? …勝手に手が…動いて」
驚く晶を他所に晶の右手はいつしか、まだ赤の液体に飲み込まれていない景織花の頭の上に優しく置かれた。晶は何が何だかと言った表情で、勝手に動いた己の体を半疑の目で見つめる。
すると、晶の意識がそこで途絶えた。
「髀さん上!」
景織花と雅の深い因果のある三年一組の廊下にて。一年下の鸑門は今眼前で起きている光景に、思わず敬語を捨て叫んだ。だが髀さんこと・髀皚雅は鸑門の声を聴き終わる前に、頭上から天井すり抜け降ってきたゴツゴツした手に頭ごと掴まれた。いや、摘ままれたと言った方がいいだろう。
「あれ? え? …何?」
雅は激しく動揺していると、雅の脳内から聞いたことのない少女の声が聞こえた。
「ねえ…もっと私を楽しませてよ…私だけのお気に入りになって?」
少女の声が雅の脳内に染み渡っていく。雅はすぐに辺りを見渡すが、鸑門と景織花以外の姿は見当たらない。
(この声…私じゃない…どうしたっていうの?)
そうこうしているうちに雅の足が浮いた。跳んだのかと思ったが、違う。真上を見ると、ゴツゴツした大きな手は雅の体を天井のタイルの方まで引きあげているようだ。雅は必死に抵抗するが、大きな手は元のもせずに速度をそのままに上げていく。
鸑門と景織花は異常事態を理解すると、すぐさま雅のすぐ傍へ駆け寄った。だが雅の足先は景織花の顔の位置にまで引き上げられていた。雅の顔はゴツゴツした手に強く握られ続けているためか、苦しそうに呻き声を漏らす。
「雅さん!?」
「景織花…さん…」
呼び合う二人。まるで昔に戻ったような不思議な感覚。けれど今はそれどころではない。すぐにでも雅を助けなければ…あの手は雅を一体どうしてしまうのか…景織花と鸑門は不安と絶望を綯い交ぜにさせながら救出方法を考えた。
――だが考える間もなく、雅の苦痛は頂点に達した。
「ぎあああ!」
「髀さん!?」
「雅!」
雅の一番大きな悲鳴に、鸑門と景織花は驚きつつも、必死で雅の足を片方ずつ掴んだ。…が、掴んだ瞬間、雅の足首に強い反発力が働いたのか、鸑門と景織花は同時に後方一メートルまで吹っ飛んだ。全てを拒絶するような強い圧力が、二人の手をがくがくと痙攣させる。二人は尻に手を当てながら苦悶していると、雅の悲鳴はより一層強い嘆きとなって廊下中に響き渡った。
「あ゛ああああああ!!!」
ついに景織花と鸑門は言葉を失った。雅の大きな嘆き声に耳を奪われたわけではない。今目の前に行われている状況に対し、思考と口が同時に止まったからだ。
突如正体不明の力で鸑門と景織花をはじき出したすぐ後、雅の周辺、天井や地面や空中から透明なガラス片が生まれた。かと思えば、ガラス片はまるで磁石のS極とN極のように雅に向かって引き寄せられていく。そして雅の体を包み込むようにして、人型大のガラスの瓢箪が完成した。
それだけではない。瓢箪の口から何本もの蛸のような足が出現した。その足は景織花と鸑門めがけて尖った足先で攻撃してきたのだ。二人は命の危機に一旦思考を止めて、避けることに集中した。景織花は素早く反復横跳びで避け、鸑門もそれに倣うように景織花と反対側、教室側に向かって飛び上がった。
だが…
(やばい!)
鸑門が避けた先に、もう一本の蛸の足が降ってきた。鸑門は思わず目を瞑った。それで死を回避できるわけがないと知っていても、残った思考を搾り取るしか…
「ぽっちー!」
だが間一髪のところで景織花が鸑門をキャッチすると、一回転しながら後方へ跳び退けた。鸑門は回転する際、自分が小学生の時に逆上がりを成功した記憶を思い出した。
…………
………
……
――おお! よくやったな鸑門。
――眼ノ前先生!
小学二年生の頃、クラスのみんなは既に逆上がりをマスターしていたが、鸑門一人が放課後学校に残されて、担任の眼ノ前とマンツーマンで特訓していた。眼ノ前乙成先生はローポニーテールをしていて男言葉を使うが、時折可愛らしい一面を見せるとても素晴らしい先生だ(鸑門談)。当時の鸑門の初恋の相手であり、眼ノ前先生の前では絶対にカッコいいところを見せるんだ! と、鸑門は二年後に寿退社するまで必死に青春を燃やしてきた。
結果恋は実らなかったが、諦めない心を伸ばすきっかけを作ってくれたいい経験だと、今は思う。好きだと伝えられなくても、登校中偶然遭遇する際、特別に一緒に車に乗らせてもらったことも、先生の顧問の部活に入って頑張って先生にかっこ良いところを魅せようとして――結局補欠に終わったこと(バケツ部)、一生忘れられない思い出――
「…ぃー!」
「先生…」
「ぽにー! …じゃなかったぽっちー!」
「はっ!」
耳に突然入ってきた金切り声に、鸑門の意識は漸く戻った。…と言っても、三秒ほどだったが、鸑門はあの思い出を今も忘れることはない。景織花は鸑門が気絶している間、十回以上もの蛸の足攻撃を避けていた。もちろん鸑門をお姫様抱っこして何度も翻しては、美しき蝶のように踊る姫のごとく鸑門を待っていた。
鸑門が起きるや、景織花は感動して目に涙を滲ませながら抱き着いた。鸑門は異性との抱擁に照れながらも、すぐ後ろで苦しみ続ける雅の方を向け、すぐに顔を強張らせた。
「景織花さん…俺、ぽっちーじゃなくて鸑門なんで…」
「へ?」
「俺達で髀さんを助けたい…」
「…うん」
鸑門の真剣な眼差しに、景織花もまた真剣に頷いた。そして鸑門をお姫様抱っこから解くと、二人並んで臨戦態勢に入る。いつ蛸の足が飛んできてもいいように、鸑門はもう失敗しないようにと気を引き締めながら前を見る。眼前に映るは大きな瓢箪の中で苦しみ藻掻き続ける雅と、瓢箪の口から現れた何本もの蛸足がにょろにょろと蠢いている、歪且つ不気味な異形。助けたいと言った反面、今の鸑門に雅を助ける手立ては皆無。
…そう思った矢先、
「パパ…」
景織花のいた方からあの少女の声が聞こえた。鸑門は驚きを隠せぬまま隣を振り向くと…
「助けよう…みんな、一緒に」
決意の眼差しに変わった、金髪から黒髪に変わった景織花…の体をしたガラス珠の少女・囗清水晶の声が、鸑門の五感を瞬く間に支配した。
次からいっぱい戦闘描くぞーでは次回。




