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ガラス珠の少女  作者: Sin権現坂昇神
第二章 因堕応報-いんだおうほう-(仮題)
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壱拾弐の噂 ~流れるもの~

髀皚雅。一世一代の大勝負。その口から吐き出された空前絶後の一声に、褐色少女が紡ぐ答えとは…

「あたしの相棒になれ、風鈴寺(ふうりんじ)景織花(きょうか)


 迷いなき(かく)(がん)を向ける少女、髀皚(ももしろ)(みやび)の額からは汗が幾つも浮かんでいた。己の行為に対して、多少の戸惑いと驚きがあることの証明であった。何故被害者である私が加害者に手を差し伸べ、相棒になれ、などと(おろ)かな言葉を言い放ったのか。…いや。それ以上に、先ほど自分の目で見た(いじ)めの発端と部外者に言われた言葉の数々に、少なからず共感を抱いてしまっている己がいた。

例喰笑(れくいえむ)】。あの女のせいで雅と景織花は最悪の関係を築くこととなった。でもだからといって、景織花が振るってきた暴力を許すことなど…出来るわけがない。例えそれが例喰笑の差し金だったとしても、だ。…だからこそなのかもしれない。このまま笑の思惑にズルズルと落ちていく己の未来を思い浮かべた時、雅は(すさ)まじい大きさの(あせ)りが走った。いち早くこの未来を変えなければならない。そのためには自分がいの一番に変わらなければ――と。それがこの行為に(つな)がったのだ。そうだ。これで笑の思惑を変える一筋の光明が出来た。…後は景織花だk――


「おぼぉおおおええ!??」

「髀皚さん!」

「!?」


 突然の事態が起こった。雅が急に(ひざ)を付いたかと思えば、地面に勢いよく吐瀉物(としゃぶつ)を吐き出したのだ。景織花は思わず雅の名を叫び、雅の背後にいた攣ヶ(つがやま)鸑門(がくと)は急いで雅の元へ駆け寄った。そして鸑門は雅の背中を(さす)りながら、動揺を落ち着かせるように(うなが)した。


「だっ大丈夫!? 一体何が…」

「…ま…だ…」

 

 雅は廊下に()き散らした吐瀉物を眺めながら、己の状態を少しずつ明らかにするように口を動かし続けた。だが吐いたばかりなので、口の中が残った吐瀉物がとても気持ち悪い。雅は胃と口から(ただよ)う鼻を刺すほどの吐瀉物を感じながら、何故己が嘔吐(おうと)したかを考えた。


(まだ…景織花のことが憎くてたまらない。そんな相手に相棒になれなんて…あたしってなんて馬鹿なんだろう……でも、例喰笑の言うとおりになりたくない――)


景織花への憎しみと例喰笑への反逆心。両立できない二つの想いを前に、ついに雅の体が耐え切らなくなったのだろう。どちらも雅の純粋なる想いであり、反発し合う磁石はいつしか雅の体に大きな負荷を掛けた。と考えれば予想がつく。…体が重い。頭が重い。二つの想いが激しくぶつかり合い続け、雅の肉体と精神をじわじわと疲弊(ひへい)させていく。

鸑門は雅の体を看ながら、雅の体の異変にどう動けばいいかを考えた。…だが、呻吟(しんぎん)する雅の背を摩るだけで、結局何一つ考えつかない己に少しずつ(いきどお)りを抱き始めた。


(早く! 早く考えろ! 俺の父は考古学兼医者だろうが! 俺はその父の背を見続けたんじゃないのか!)


 だが、時は淡々と過ぎていく。鸑門の焦りは頭の回転を鈍らせ、焦れば焦るほど回転力は失われていく。こういう時こそ冷静になるんだ。そう言い聞かせても、やはり焦りの波にのまれていく…


――トン。虚空に音が響いた。鸑門の思考はそこで止まり、目線を音にした前方に向ける。そこに立っていたのは、逼迫(ひっぱく)した景織花の姿であった。


「早くこっちに来て! 手洗い場で(くち)(ゆす)がなきゃ!」


 景織花は有無を言わせず雅の左腕を強引に()ると、速足で近くの手洗い場に向かった。各教室に必ずある石造りの手洗い場。景織花はずんずんと手洗い場の前に向かって進んでいく。鸑門と雅は景織花の歩幅に必死に合わせて連れられていく。

だが、手洗い場の前まで来たところで、景織花は足を止めた。いや止めざるを得なくなった。後ろを向き容易に知れた。雅の容態はいよいよ限界を迎えたのだ。雅の足はガクガク震え、手から発疹(ほっしん)が現れ、顔色は益々悪くなっていく。そんな雅を視て、鸑門は(ようや)く理解した。何故雅が吐いたのか。何故容態が悪くなっていくのかを…


「景織花さん。手をこっちへ」

「え…。!」


 景織花はハッと状況を理解すると、すぐさま自分の手を離した。最初から分かっていたはずなのに…雅は景織花が大嫌いという大前提を。その景織花と触れ合うことが雅にとってどれだけ悪影響かを…。それは雅が一番理解していた。だがもし景織花を相棒にするのなら、克服しなければならない最大の壁でもあるのだ。

雅は景織花の手が離れたことで、少し気分は落ち着いたものの、己の体がどれほど景織花を(こば)んでいるのか、これから先この症状と何度も戦っていかなくてはいけない大変さを予想したながら、雅は苦笑いを浮かべた。


(なんで…こんな難しい選択をしたんだろう…こんなに苦しいなんてあの頃以来だ。ずっと虐められ続けてきた小学生時代とおんなじだ…)


 ちらりと景織花に目を向ける。景織花は雅の容態を心配の眼差しで見ていた。横を見ると、鸑門が雅の一回り大きな体を小柄な体で必死に抱えている。会って間もない少年と、長年苦しめられた相手に見つめられるのは、どこか痛くて恥ずかしい。…けれど、そうだ。雅はふと薄笑いを浮かべると、止める鸑門を視線で理解させ、手洗い場に向かって一人で歩き出した。

 銀色の栓を握って(ひね)る。勢いよく透明な水道水が流れ出す。雅はそれを両の手で(すく)い取ると、勢いよく顔いっぱいに被った。冷たい水が顔を湿らせると同時に、今まで(わだかま)っていた二つの想いのぶつかり合いが段々と止んでいく。

 今度は蛇口を上に向け、水量を更に上げる。湧き上がる水道水に雅は口を大きく開けて(うがい)をした。飲むこともできたが、その前に口に入っている吐瀉物を綺麗に洗い流してからだ。雅はひとしきり水浴びすると、栓を閉めてから顔を上げた。ふうっと一息つくと、ゆっくりと一部始終を呆然と眺めていた鸑門と景織花に向けた。そして恥ずかしそうにはにかむと、二人に聞こえるくらいの小さな声で言った。


「…ごめん。迷惑かけて」


 景織花は雅の精神をこれ以上壊さない為に、自然に鸑門の背中に身を預けていた。雅の視線から己が少しでも見えなくなれば、雅の精神も落ち着くだろう。そう思っての行動だった。鸑門は背後で肩に手を置き、顔を自分と同じ高さまで低くさせる景織花にドキドキしながらも、雅の異変が漸く収まったことに大きく胸を()で下ろした。

でも問題はここから。雅と景織花はこれからどうしていくのか。説得に当たった鸑門でも、その先の未来は全くの未知数だった。まさに他人任せ。ここまで説得しておきながら、結局最後はただこうして立ち尽くすだけ。問題を途中で放棄しているも同然の行為だ。鸑門は雅の異変から何一つ対処できなかった己に悔しさを(にじ)ませた。無責任さに胸が押しつぶされそうになる。


「くんくん…くんくん…」


 と、その時。背後にいた景織花に異変が起きた。鸑門の首筋から後ろ髪に渡って、必要に臭いを()ぎ始めたのである。だが鸑門は自責の念に囚われ、背後の景織花に気づいていない。景織花はそれをいいことに、鸑門の体中を(くま)なく嗅ぎ始めた。目や至る所の穴を閉じ、鼻だけに意識を集中させ、景織花は鸑門の肩から手先、お尻から足先、背中全体を嗅いでいった。


「何してんの? …あんたたち」


 明らかに異様な光景に(いぶか)しげな顔を作る雅であったが、後悔の念に囚われる鸑門、匂いに全集中を使っている景織花の耳には全く聞こえていなかった。景織花は最終地点である首筋に戻ってくると、嗅ぐのを止め腕組みの体勢で何かを考え始めた。

時間にして三十秒後。景織花は手をグーとパーにして、その二つをポンっと叩いて何かを(ひらめ)いたようである。そのままギュッと鸑門の背後から手を伸ばして、鸑門の首から上を優しく抱き締めると、呟くようにこう言った。


「会いたかったよ…ポッチー」


 景織花は感激のあまり一筋の涙を流した。そこで漸く我に返った鸑門と、ずっと眉を(しか)め眺めていた雅は同時に発した。


「「…は?」」


 だが、二人の声は届くことなく、景織花は鸑門の(ほお)をスリスリと己の頬で(こす)りながら、愛情豊かな褐色(かっしょく)(かお)でにんまりと笑っていた。

 ポッチー。誰が付けたのかは、次で解るであろう。雅の異変に景織花の異変。鸑門は二人の先輩に翻弄されながら、一体どうなっていくのか。

 その前に囗清水晶(いしみずあきら)、鸑門をパパと呼ぶ長身長髪・透明少女は何をしているのだろうか。第二章もいよいよ佳境に入る中、第三章はまだ途中(泊里スピンオフは何か出来た)。晶の髪色はどれだけ増えるのか、鸑門が禿げる前にこの物語は終わることが出来るのか…とりあえず第二章は早めに終わらせたいと思います。まあまだ終わりませんけど…では次回。


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