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ガラス珠の少女  作者: Sin権現坂昇神
第二章 因堕応報-いんだおうほう-(仮題)
21/29

壱拾壱の噂 ~両天秤のレクイエム~

衝撃的な光景を見せられた三人は、各々の想いを廻らせながらぶつかりあう。

 静寂が空気を重くする。夕日に照らされた子供たちの通う室内は、二十数名分の椅子と机が未だ乱雑に並べられ、正面にある黒板に至ってはチョークで書かれた白い箇所が所々に残っている。適当な生徒が消していったのだろう。

三年一組の看板を掲げたその教室は今、夕日に照らされた三人の少女の時間を止めていた。新しく三年一組メンバーとなった【髀皚(ももしろ)(みやび)】、当時の虐めのリーダー的存在【例喰笑(れくいえむ)】とそのターゲット【風鈴寺景織花(ふうりんじきょうか)】。さっきまで動いていたはずの三人は、電池の切れた機械人形の如く、観客席に鎮座する三人の人間を待っていた。


息を飲む音、吐息、空気の揺れる感触が肌を伝う。停止した三人の少女のいる教室後部から近い出入り戸に、中学生三人が観客として立たされていた。今三人が招かれた世界は、ある人間の二人の記憶が融合した世界。友達になるはずだった二人の少女を、一人の強い力を持った少女によって加害者と被害者へと変えさせられた過去の映像。その現場を垣間見た加害者・風鈴寺景織花と被害者・髀皚雅は何を思うのだろうか…

 未だ二人の骨身に()みついた快楽と恐怖、痛みと憎しみの半分も知らない少年・攣ヶ山鸑門(つがやまがくと)は、チラリと双方の顔を相中から覗いてみた。


「「…」」


 長い髪を後ろで一つ結びにした黒髪少女・雅と元の中学校の制服を着ている長い金髪、褐色(かっしょく)(はだ)の少女・景織花。そこに映ったのは見開かれた瞳と震える口と手。極めつけは怪訝(けげん)な顔で頭を抱える二人の少女である。鸑門は彼女たちの身に一体何が起こっているのか。不思議に思った鸑門は自然と口が開いた。


「これって本当にあった話?」


 鸑門の問いに、景織花が両手に頭を(おお)って震える口を動かした。


「うん。…でも例喰笑のことは知らない…それは――」


 チラリと雅に視線を寄せる景織花。雅はキッと受けた視線をすぐに(にら)み返すと、ヒィーっと景織花が悲鳴に似た(うめ)き声を発し視線を()らした。だが景織花は憎き加害者の意見に賛同せざるを得ないことを悔やみながらも…コクリと(うなづ)いた。


「私も知らない。…例喰笑の記憶は例喰笑だけのもの。いったい何がどうしてこうなっているのか、こっちが聞きたい…」


 景織花は最後の言葉の後に、片足を勢いよく地面に叩きつけた。思い出す気もなかった己の記憶を、よりにもよって加害者と知らない奴に見られるという屈辱(くつじょく)は、景織花の苛立(いらだ)ちを加速させた。鸑門はこの世界に来る前のことを思い出した。確か景織花の三つの記憶が入った三つの珠を、雅にぶん投げた。そしてその珠は雅の体に吸い込まれるように入っていき…何故か景織花と鸑門の意識がそこで途絶えた。

 理解が追い付かない。分からないことが多すぎて、何をどう理解したらいいのか、判断材料が少なすぎる。鸑門は「う~む」と(うな)り声をあげ腕を組んでいると、景織花が止まった三人の方を見て小さく(つぶや)いた。


「もし私があの時…髀皚さんの手を取って逃げていれば…今はなかったのかな」


 それは羨望(せんぼう)にも似た眼差しで、景織花は今の自分を叱るように下唇(したくちびる)を噛み締めた。雅はすかさず続ける。


「今のあんたじゃ絶対無理ね」

「!」


 冷たい声に景織花がまたも悲鳴を上げる。鸑門は二人の相中に居ながらも、何一つとして役に立っていない事に(あせ)っていた。このままでは自分はおろか景織花の中にいるこの三人と、景織花の核石(かごのいし)(心の世界)にいる(あきら)、四人全員の命が危ういというのに…いったい自分はどうしたらいい? 鸑門は必死に皆が生き残る術をじっと考えた。

 すると鸑門はふと雅に三つの珠を投げる前のことを思い出した。


「(…やってみる価値はあるかもしれない) …髀皚さん」

「…何?」


 冷たい視線が鸑門を通して景織花に突き刺さる。鸑門は一応返す言葉があるsことに安堵(あんど)しながら先を続けた。


「さっきの事なんだけど…」

「さっきの? ……あ」


 雅の顔が一瞬で真っ赤に染まる。それを見た鸑門が確信した。雅の気を引くために鸑門がとった大博打。「お前を世界一愛している」というまっかな嘘のお陰で、雅は景織花を殴るのを止め、今に至るわけだが――雅はまだ覚えていたらしい。鸑門は熱い眼差しを雅に向ける中、雅は生まれて初めて告白されたことに、(ようや)く冷静に恥ずかしい素振りを見せは始めた。


「あ…いや、その――」

(よかった。しっかり届いてた)


 鸑門はホッと安堵の顔に変わると、今度は雅の顔が(まゆ)を寄せた鬼に変わった。


「嘘…じゃないよな」

――ゾクッ

「ウン。ウソジャナイデスヨ」

「…そうか。…ポッ」


 明らかに片言になった鸑門であったが、雅は鸑門の顔を少し見ただけで顔を赤らめ目を逸らした。そのお陰で鸑門の鼻血がほんの少し垂れていることに、鸑門が嘘を付いているということに気づかなかった。鸑門は己が鼻血を出していることに気づくと、目を逸らしている間に手で(ぬぐ)い取った。

 だが問題はここからだ。鸑門は雅の憎しみを和らげることが不可能なら、どう憎しみを雅から逸らすことが出来るのかを考えた。雅にとっては酷だが、このままじっと死を待つなんて出来ない。今景織花は(うつむ)いて謝罪し続け、こちらの話を聞いていない様子。つまり…鸑門は今揃っている情報から雅を誘い込むことにした。


「二人をこんな関係にさせたのは…あの人ってことになる。さっきの映像を見る限りじゃ…」

「まあ…そうなる――けど、この女がやったことがそれでチャラになってたまるかっ!」


 雅は震える(のど)のまま、眉根を寄せて答えた。例喰笑(れくいえむ)。この女がいなければ、今の景織花と雅はいなかったのだろうか…雅の言い分も勿論分かる。真犯人が分かったから、今まで自分を傷つけていた実行犯の罪を許そう…など虫がいいにも程がある。

 だが鸑門は鋭い声音を続けた。


「でも本当にいいの? このままあの人の思い通りに動かされて」

「!」

「今の髀皚さんと風鈴寺さんの姿をあの人が今もどこかで見ているとしたら…まだあの人の呪縛(じゅばく)は解けちゃいない」

「!!」

「まだどこかで笑って見ているのかも…」

「!!!」

「あああああああ!」

「「!?」」


 鸑門の力押しの説得に雅の心が揺らぎかけた。――その時、景織花が絶叫を上げ、尻餅(しりもち)を付いて崩れ落ちた。すぐさま景織花の方を見ると、景織花の顔は天を見上げ、目から涙を、鼻から水を、口から(よだれ)を垂らしてへたり込んでいた。今の景織花はまさに放心状態に(おちい)っていた。雅はさきほどの鸑門の言葉と景織花の異変を前に、心の中がぐちゃりと氾濫(はんらん)したかと思えば――


「うっるせーよ!」

「!?」


 いつの間にか景織花の胸倉を掴んで叫んでいた。鸑門は終わったと思った。また雅が景織花を殴り続ける過去の映像が思い出されていく。ああ…どうしよう。…そう項垂(うなだ)れ目を(つむ)って現実逃避した。…だが、耳から聴こえてくるはずの(にぶ)い音は全く聞こえてこない。殴る音、殴られる人の(うめ)き声、殴る人の罵声(ばせい)。そのどれも聞こえることはなかった。

 シンと静まり返る廊下。それを破ったのは雅の、悔しさに似た震え声だった。


「いいのかよ…このままずっと――」

「…え?」


 眉間に(しわ)を極限まで寄せた雅の悲痛な声に、景織花は思わず(ほう)けた声を上げた。だが雅はじっと景織花の顔を睨むでもない泣き顔を見せて続けた。


「こいつの言うとおりだ。…例喰笑。あの女が私達をこうさせた…だとしたら、まだ今のあたしらのさまを見て笑っているかもしれない。今もどこかで…。あたしとお前。これで、このままで本当いいのか? ずっと憎んでばっかで、ずっと謝ってばっかで――!」

「…」


 雅が(むせ)ぶ。歯を食いしばって、涙をこらえる。景織花はそんな雅を見せつけられ、いつの間にか目と鼻と口から出ていた水が止まった。胸倉を掴まれているのに不思議と苦しくない。いやそれよりも…もっと胸の奥からこみ上げてくる何か。言葉としてどう表せばいいその何かを、景織花は少しずつ考えた。

 ――そして不意に言葉が()れた。


「悔しい…」

「ああ」


 雅は答えた。ただ真っすぐ景織花の視線を合わせて。これ以上の暴力はない。そう思った景織花は、今まで心の奥に閉まっていた想いの丈を少しずつ吐き出した。


「私…あなたと友達になりたかった。…でもぉ、怖か…った。例喰笑が怖くて痛くて…もう死んじゃいたいって思ってた」

「…」

「だから逃げたんだ。逃げちゃダメだったのに…例喰笑から…髀皚さんから逃げたんだ」


 景織花はもう泣いてはいない。その代わり震える声をより一層震わせて、言葉を続けた。忘れていた幸せと、忘れる筈のない痛みと苦しみを交互に思い出しながら(つむ)き続けた。雅は景織花の目をじっと見つめながら、拳を作った手をいきなり振り(かざ)す。


「だったら――」

「ひぃ!」


 殴られる。景織花は本能で察知し、頭を手で覆い隠し身を縮ませた。

 だが、雅の拳は景織花にぶつかることなく、雅の(ひだり)(ほお)に思い切りぶつかった。空前絶後、前代未聞の事態に景織花は目を大きく見開いて雅を凝視する。と、雅は鼻血を出しながら笑って言った。


「もう…逃げるな」

「…え?」

「あたしと一緒に戦え。今度例喰笑に会ったら、二人で思いっきりぶん殴るんだ。すっきりするぜ?」


 自分で自分を殴ったことで、左の頬は赤い(あざ)が出来ていた。…にも関わらず雅は大きく笑みを作って、景織花の掴んでいた胸倉を解いた。そしてその手をそっと景織花の前に差し伸べた。景織花はそのまま足を崩して再びへたり込む。

 だが雅はそんな景織花をお構いなしとばかりに、こう告げた。


「あたしの相棒になれ、景織花」


 そこに今まで憎しみを(さら)け出していた雅はいなかった。

 静寂が空気を重くする。夕日に照らされた子供たちの通う室内は、二十数名分の椅子と机が未だ乱雑に並べられ、正面にある黒板に至ってはチョークで書かれた白い箇所が所々に残っている。適当な生徒が消していったのだろう。

三年一組の看板を掲げたその教室は今、夕日に照らされた三人の少女の時間を止めていた。新しく三年一組メンバーとなった【髀皚(ももしろ)(みやび)】、当時の虐めのリーダー的存在【例喰笑(れくいえむ)】とそのターゲット【風鈴寺景織花(ふうりんじきょうか)】。さっきまで動いていたはずの三人は、電池の切れた機械人形の如く、観客席に鎮座する三人の人間を待っていた。


息を飲む音、吐息、空気の揺れる感触が肌を伝う。停止した三人の少女のいる教室後部から近い出入り戸に、中学生三人が観客として立たされていた。今三人が招かれた世界は、ある人間の二人の記憶が融合した世界。友達になるはずだった二人の少女を、一人の強い力を持った少女によって加害者と被害者へと変えさせられた過去の映像。その現場を垣間見た加害者・風鈴寺景織花と被害者・髀皚雅は何を思うのだろうか…

 未だ二人の骨身に()みついた快楽と恐怖、痛みと憎しみの半分も知らない少年・攣ヶ山鸑門(つがやまがくと)は、チラリと双方の顔を相中から覗いてみた。


「「…」」


 長い髪を後ろで一つ結びにした黒髪少女・雅と元の中学校の制服を着ている長い金髪、褐色(かっしょく)(はだ)の少女・景織花。そこに映ったのは見開かれた瞳と震える口と手。極めつけは怪訝(けげん)な顔で頭を抱える二人の少女である。鸑門は彼女たちの身に一体何が起こっているのか。不思議に思った鸑門は自然と口が開いた。


「これって本当にあった話?」


 鸑門の問いに、景織花が両手に頭を(おお)って震える口を動かした。


「うん。…でも例喰笑のことは知らない…それは――」


 チラリと雅に視線を寄せる景織花。雅はキッと受けた視線をすぐに(にら)み返すと、ヒィーっと景織花が悲鳴に似た(うめ)き声を発し視線を()らした。だが景織花は憎き加害者の意見に賛同せざるを得ないことを悔やみながらも…コクリと(うなづ)いた。


「私も知らない。…例喰笑の記憶は例喰笑だけのもの。いったい何がどうしてこうなっているのか、こっちが聞きたい…」


 景織花は最後の言葉の後に、片足を勢いよく地面に叩きつけた。思い出す気もなかった己の記憶を、よりにもよって加害者と知らない奴に見られるという屈辱(くつじょく)は、景織花の苛立(いらだ)ちを加速させた。鸑門はこの世界に来る前のことを思い出した。確か景織花の三つの記憶が入った三つの珠を、雅にぶん投げた。そしてその珠は雅の体に吸い込まれるように入っていき…何故か景織花と鸑門の意識がそこで途絶えた。

 理解が追い付かない。分からないことが多すぎて、何をどう理解したらいいのか、判断材料が少なすぎる。鸑門は「う~む」と(うな)り声をあげ腕を組んでいると、景織花が止まった三人の方を見て小さく(つぶや)いた。


「もし私があの時…髀皚さんの手を取って逃げていれば…今はなかったのかな」


 それは羨望(せんぼう)にも似た眼差しで、景織花は今の自分を叱るように下唇(したくちびる)を噛み締めた。雅はすかさず続ける。


「今のあんたじゃ絶対無理ね」

「!」


 冷たい声に景織花がまたも悲鳴を上げる。鸑門は二人の相中に居ながらも、何一つとして役に立っていない事に(あせ)っていた。このままでは自分はおろか景織花の中にいるこの三人と、景織花の核石(かごのいし)(心の世界)にいる(あきら)、四人全員の命が危ういというのに…いったい自分はどうしたらいい? 鸑門は必死に皆が生き残る術をじっと考えた。

 すると鸑門はふと雅に三つの珠を投げる前のことを思い出した。


「(…やってみる価値はあるかもしれない) …髀皚さん」

「…何?」


 冷たい視線が鸑門を通して景織花に突き刺さる。鸑門は一応返す言葉があるsことに安堵(あんど)しながら先を続けた。


「さっきの事なんだけど…」

「さっきの? ……あ」


 雅の顔が一瞬で真っ赤に染まる。それを見た鸑門が確信した。雅の気を引くために鸑門がとった大博打。「お前を世界一愛している」というまっかな嘘のお陰で、雅は景織花を殴るのを止め、今に至るわけだが――雅はまだ覚えていたらしい。鸑門は熱い眼差しを雅に向ける中、雅は生まれて初めて告白されたことに、(ようや)く冷静に恥ずかしい素振りを見せは始めた。


「あ…いや、その――」

(よかった。しっかり届いてた)


 鸑門はホッと安堵の顔に変わると、今度は雅の顔が(まゆ)を寄せた鬼に変わった。


「嘘…じゃないよな」

――ゾクッ

「ウン。ウソジャナイデスヨ」

「…そうか。…ポッ」


 明らかに片言になった鸑門であったが、雅は鸑門の顔を少し見ただけで顔を赤らめ目を逸らした。そのお陰で鸑門の鼻血がほんの少し垂れていることに、鸑門が嘘を付いているということに気づかなかった。鸑門は己が鼻血を出していることに気づくと、目を逸らしている間に手で(ぬぐ)い取った。

 だが問題はここからだ。鸑門は雅の憎しみを和らげることが不可能なら、どう憎しみを雅から逸らすことが出来るのかを考えた。雅にとっては酷だが、このままじっと死を待つなんて出来ない。今景織花は(うつむ)いて謝罪し続け、こちらの話を聞いていない様子。つまり…鸑門は今揃っている情報から雅を誘い込むことにした。


「二人をこんな関係にさせたのは…あの人ってことになる。さっきの映像を見る限りじゃ…」

「まあ…そうなる――けど、この女がやったことがそれでチャラになってたまるかっ!」


 雅は震える(のど)のまま、眉根を寄せて答えた。例喰笑(れくいえむ)。この女がいなければ、今の景織花と雅はいなかったのだろうか…雅の言い分も勿論分かる。真犯人が分かったから、今まで自分を傷つけていた実行犯の罪を許そう…など虫がいいにも程がある。

 だが鸑門は鋭い声音を続けた。


「でも本当にいいの? このままあの人の思い通りに動かされて」

「!」

「今の髀皚さんと風鈴寺さんの姿をあの人が今もどこかで見ているとしたら…まだあの人の呪縛(じゅばく)は解けちゃいない」

「!!」

「まだどこかで笑って見ているのかも…」

「!!!」

「あああああああ!」

「「!?」」


 鸑門の力押しの説得に雅の心が揺らぎかけた。――その時、景織花が絶叫を上げ、尻餅(しりもち)を付いて崩れ落ちた。すぐさま景織花の方を見ると、景織花の顔は天を見上げ、目から涙を、鼻から水を、口から(よだれ)を垂らしてへたり込んでいた。今の景織花はまさに放心状態に(おちい)っていた。雅はさきほどの鸑門の言葉と景織花の異変を前に、心の中がぐちゃりと氾濫(はんらん)したかと思えば――


「うっるせーよ!」

「!?」


 いつの間にか景織花の胸倉を掴んで叫んでいた。鸑門は終わったと思った。また雅が景織花を殴り続ける過去の映像が思い出されていく。ああ…どうしよう。…そう項垂(うなだ)れ目を(つむ)って現実逃避した。…だが、耳から聴こえてくるはずの(にぶ)い音は全く聞こえてこない。殴る音、殴られる人の(うめ)き声、殴る人の罵声(ばせい)。そのどれも聞こえることはなかった。

 シンと静まり返る廊下。それを破ったのは雅の、悔しさに似た震え声だった。


「いいのかよ…このままずっと――」

「…え?」


 眉間に(しわ)を極限まで寄せた雅の悲痛な声に、景織花は思わず(ほう)けた声を上げた。だが雅はじっと景織花の顔を睨むでもない泣き顔を見せて続けた。


「こいつの言うとおりだ。…例喰笑。あの女が私達をこうさせた…だとしたら、まだ今のあたしらのさまを見て笑っているかもしれない。今もどこかで…。あたしとお前。これで、このままで本当いいのか? ずっと憎んでばっかで、ずっと謝ってばっかで――!」

「…」


 雅が(むせ)ぶ。歯を食いしばって、涙をこらえる。景織花はそんな雅を見せつけられ、いつの間にか目と鼻と口から出ていた水が止まった。胸倉を掴まれているのに不思議と苦しくない。いやそれよりも…もっと胸の奥からこみ上げてくる何か。言葉としてどう表せばいいその何かを、景織花は少しずつ考えた。

 ――そして不意に言葉が()れた。


「悔しい…」

「ああ」


 雅は答えた。ただ真っすぐ景織花の視線を合わせて。これ以上の暴力はない。そう思った景織花は、今まで心の奥に閉まっていた想いの丈を少しずつ吐き出した。


「私…あなたと友達になりたかった。…でもぉ、怖か…った。例喰笑が怖くて痛くて…もう死んじゃいたいって思ってた」

「…」

「だから逃げたんだ。逃げちゃダメだったのに…例喰笑から…髀皚さんから逃げたんだ」


 景織花はもう泣いてはいない。その代わり震える声をより一層震わせて、言葉を続けた。忘れていた幸せと、忘れる筈のない痛みと苦しみを交互に思い出しながら(つむ)き続けた。雅は景織花の目をじっと見つめながら、拳を作った手をいきなり振り(かざ)す。


「だったら――」

「ひぃ!」


 殴られる。景織花は本能で察知し、頭を手で覆い隠し身を縮ませた。

 だが、雅の拳は景織花にぶつかることなく、雅の(ひだり)(ほお)に思い切りぶつかった。空前絶後、前代未聞の事態に景織花は目を大きく見開いて雅を凝視する。と、雅は鼻血を出しながら笑って言った。


「もう…逃げるな」

「…え?」

「あたしと一緒に戦え。今度例喰笑に会ったら、二人で思いっきりぶん殴るんだ。すっきりするぜ?」


 自分で自分を殴ったことで、左の頬は赤い(あざ)が出来ていた。…にも関わらず雅は大きく笑みを作って、景織花の掴んでいた胸倉を解いた。そしてその手をそっと景織花の前に差し伸べた。景織花はそのまま足を崩して再びへたり込む。

 だが雅はそんな景織花をお構いなしとばかりに、こう告げた。


「あたしの相棒になれ、景織花」


 そこに今まで憎しみを(さら)け出していた雅はいなかった。

 前編の次は後編か中編かにしようかと思っていましたが、…まあ何故こうなったのか。話的にもこの題名がマッチしていたとしか言えません。そして物語は雅の変化と共に、いよいよ佳境を迎えます。この流れは賛否両論あるでしょうが、私はこのまま突っ走ります。それが私の一つの答えであり、皆様の待ち望む答え出ないにしろ、私の答えを提示したいと思います。いじめという言葉で全てが分かるなんておこがましいにもほどがあり、今すぐにでもこの問題は周知されなければなりません。…と長い話はここまで。

 鸑門の説得、雅の変化、景織花の本心。三人の想いが錯綜する中、次回に続きます。最後までお付き合いいただければ、感無量の雨霰でございます。

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