伍の噂 ~黒水晶の抵抗~
景織花は静かにその手を振り下ろす。カーテンを真横に破り、己を切ろうとする褐色少女に、鸑門はそのままの顔で言った。
「承ったぜ、風鈴寺景織花」
―ザンッ
鸑門の体が斜めに裂いた。
着実に雅のベッドに近づいてくる褐色マッチョガール【風鈴寺景織花】。景織花は野球で使用するバットを自分の肩に当て、ベッドで眠っている【髀皚雅】を睨みつけながら向かってくる。これは明らかに雅と景織花に何かしらの繋がりがあると、ガラス珠の少女【囗清水晶】は思った。さっきのガラスの割れる音以来、凍てつく静寂が保健室を支配した。その根源は明らかだ。
一メートルほど離れていたはずの距離が、じりじりと縮まっていく中、雅の隣のベッドで安静にしている【攣ヶ(つが)山鸑門】がカーテン越しから声を上げた。
「何が起こったんだ? 晶」
「! 今喋るのダメ!」
「え」
晶のどうみても冷静ではない鬼気迫る声に、鸑門は怯んだ。だが鸑門の声を耳にした景織花は、ギロリと鸑門のベッドに目を向けた。晶の声も空しく、景織花は声のした方へ歩きだす。パパの命が危ない。晶はそう思った。そして目の前の敵の殺気が『黒』となって、晶の髪と瞳の色を黒色に染め上げている。つまり――
「パパを…守る…絶対に…死なせない!」
景織花は未だ晶の姿を目視できていない。今この瞬間、晶だけが景織花の穴をつくことができる絶好のチャンス。晶は静かに景織花を睨んだ。倒さなければならない相手を、そして黒色の晶の能力は――
「パパの敵=(イコール)褐色筋肉女子と断定。排除を開始する」
晶の髪が異常な成長と共に伸び始めると、景織花目がけてドリルのように高速回転を加えた八本の槍が、抵抗する間も与えず攻撃した。――だが、
「この程度か…」
「!」
直撃したはずの髪の槍。その尖っている髪の部分だけが音もなく綺麗に切り取られていた。晶はまさかの事態に、すぐさま景織花を見た。すると景織花の前方に一筋の光が見えた。
「…刀…」
晶が思わず呟いた。先ほど握られていた木刀はいつの間にか、眩く光る鉄の刀身となって姿を現したのだ。晶は思った。景織花は殺気と相まって本物の侍に見える。だが逆に己の方が化け物のように異様だ。だがはっきり判ることがある。景織花は明らかに雅を狙っていたが、鸑門のことも狙っているということだ。
景織花は突如自分に襲いかかってきた何かを確認しようと地面を見るが、そこには何もない木の床だった。切って落としたはずのものはない。これは絶対にありえない。だが実際は晶の黒髪の槍は地面に落ちる前に、星屑のようにガラス片となって地面に散乱した。もちろん人間には目視できないほど細かくなっていたので、晶しかその姿を見ることはない。丁度今の時間、雲が太陽を覆い隠しているため、たとえ反射しても光ることもない。景織花の異常に膨れ上がった筋肉と血管は、ビクンッ―ビクンッーと強弱をつけて振動している。悲鳴を上げるかのように――。
(これ以上、褐色筋肉女子が力を籠めれば中から一気に破裂してしまう…)
晶は破裂した景織花の姿を嫌でも想像し、悲しくなった。だが未だに体が保たれているということは、何者かに外側から何かの力によって抑えられているからなのだろうか。だがそれも時間の問題である。いつ彼女の体の部位のどこからか綻び、そこから爆発すれば――保健室が血で染まるのは間違いない。
「…」
晶は景織花の自滅を待つか、自分の手で始末するかを考えた。だが結論はどう考えても後者しかなかった。そうしなければ、すぐ隣にいるパパを悲しませるかもしれないと、晶は鸑門の方を見て思った。
その時、隣の席から鸑門の声がした。
「おい晶。何が起こったんだ?」
心配する鸑門に晶が必死な声で言った。
「大丈夫だから…パパはカーテンから絶対出ないで」
「出ないでって…どういう――」
晶が鸑門の方に気を取られている隙を、景織花は見逃さなかった。景織花は見えない敵を無視し、鸑門の方をもう一度睨みつけて言った。
「雅の前にお前から切る!」
景織花は鸑門に狙いを定め、一気に距離を詰め始めた。晶は「待って!」と焦りつつも、すぐさま次の行動に打って出た。晶は肩から胸の方に垂れた自分の黒髪を強引に掴むと、掴んだ髪の数本が十ミリの麻酔針となって分裂した。すぐにそれを景織花めがけて投げつけた。晶は景織花を始末せず、動けなくすることに決めたのだ。
だが景織花はそれを読んでいたかのように、麻酔針をいとも簡単に躱し切った。そして麻酔針を躱したことで、更に鸑門との距離が縮まってしまった。晶の焦りが更に大きくなった。
「? …晶か」
鸑門は右側に映るカーテンの影が人型であり、大きな身長を鑑みて晶であると思った。だが晶らしき人影の左側から無数のナイフが無作為に向かってくる『殺気』に、鸑門は漸く気が付いた。鸑門は前方のカーテンを振り向いた。そこには人間の体を成しているが、全体の外枠が異常な音を立てて鼓動しているのがよく解る。しかも殺気は自分に向けられている。
…怖い。早くここから逃げたい。でも体が全く動かない。今動くのは首と目だけだ。何で逃げたい時に限って、動かせないんだ! 鸑門は心の中で悔やんだ。
だが本当にこのままでいいのか? このまま悔やみ続けるだけでなんとかなるわけがない。鸑門の思考は途端に蠢いた。なら先ずどうする? 体が動かせないなら――鸑門の口は動いた。そして幸いにも声が出た。
「君は誰?」
鸑門の決しの質問に景織花の体がピタリと止まった。一刻の静寂が始まったかと思えば、景織花の口が静かに開いた。
「きょう…か。ふう…りんじ…きょ…か……たす…けて…もう…だめ――」
鸑門に透視能力はない。だが今にも消えそうで、それでも必死に誰かに助けを求めながら涙を流す褐色少女の姿を、カーテン越しからでも鸑門には見えた。そして鸑門はニコリと笑うと、声を出して頷いた。
景織花の体はまた動き出した。晶は即座に鸑門の前に駆け込む。景織花は大きく刀を持つ手を振り翳す。晶は必死に手を伸ばした。景織花は静かにその手を振り下ろす。カーテンを真横に破り、己を切ろうとする褐色少女に、鸑門はそのままの顔で言った。
「承ったぜ、風鈴寺景織花。この十円禿に懸けて、僕が絶対に助けて見せる!」
―ザンッ
鸑門の体が斜めに裂いた。景織花の刀は綺麗な線を描いて鸑門を切った。
「いや――パパ……いやぁあああああああ!」
晶の絶叫が儚く室内に響く中、その光景を中庭側から割れたガラス窓越しから、一人の少女が見ていた。おかっぱの髪に白シャツ、赤い吊りスカートの少女はニヤリと笑って呟いた。
「これでガラス珠はオラのもの…がっぎっぐっげっごっ――」
と不気味な笑い声を上げながら勝利を確信したおかっぱ少女は、くるりとスカートを翻し、そのままどこかへ消えていった。
遅れてすみません。一月でカミラギ・ゼロの第三章が終わるかな~とか思ってましたが、色々ごたついた結果、無理だなと思いました。なのでこの第二章もぼちぼち書きあげながらゼロも書くということにします。
今回の前書きは、初めて文章内のシーンを一部抜粋して見ましたがどうだったでしょうか? 見る気失せたなら次から気を付けますが、もしよかったら私は嬉しい限りです。ではまた。




