弐の噂 ~保健室の門番、大関宗満(おおぜきむねみつ)~
階段から転げ落ちた男女を助けるため、ガングロ女子・泊里とガラス珠の少女・晶が走り出す。そして向かった先は保健室。その保健室の先生が元不良であった。
「晶!私に付いてきて!」
「うん」
ガングロ女子【大黒泊里】は同級生【攣ヶ(が)山鸑門】を背負い、ガラス珠から生まれた高身長の少女【囗清水晶】は眼鏡の【髀皚雅】を背負って、駆け足で一階下の保健室に向かっていた。泊里は鸑門が振り落とさないように慎重に走る中、晶は親鳥の後ろを付いて来る小鳥のように、ただ泊里について行くことだけに集中して走った。そのせいで雅の眼鏡が激しく振動して取れそうになったが、辛うじて止まった。
そうして二人が走ること約三分。景織花も漸く、雅が向かったとされる保健室に辿り着いた。だが保健室の入口の前には、白衣を着た短髪女教師が仁王立ちしていた。しかも口に棒か何かを加えている。
景織花は自分を目にしても尚不動を貫く教師に対し、大げさに睨みつけて怒号を飛ばした。
「そこをどきな!」
景織花は自分にしてはいい脅しだと感心した。だが目の前の女教師は不動のまま、顔色一つ変える気配がない。景織花は忽ち余裕と威勢が消え、そこには眼前の敵に佇む牙を抜かれた小娘が立っていた。そしてそんな中、ただじっと相手を睨みつけていた女教師は、景織花よりも何倍も強い眼光で睨み返して、口を開いた。
「嫌だねえ。どういう理由かは知らないけど、あそこまでやられちゃあたしも黙っちゃいないよ」
ドスの利いた女娘教師の声から漂う覇気。景織花の体が一瞬で縛り付けられるほど冷たい声。これは真似程度で出来るドスではない。何年、何十年も使い続けた、プロのドスである。景織花は段々(だんだん)と冷静さを取り戻していくうちに、記憶の奥底から母の言葉を思い出し、そして確信した。
「お前は・・・ママ、いや【風鈴寺丗織里】の永遠のライバル・・【閻魔蟋蟀宗満】!?」
久しぶりに昔の渾名を耳にした女教師は、ニヤリとほくそ笑んだ。昔に暴れまわった思い出が沸々(ふつふつ)と蘇る中、女教師は「おうよ!」と返して続けた。
「・・・まあ今となっちゃあ、ただの【大関宗満】だがな・・・」
「てことは・・結婚してるってこと?」
「まあな。しかも子供一人授かった」
「―!・・(あの閻魔蟋蟀宗満の子供ってことは・・!?)」
「どうした?ちびったか?」
景織花は幼少期、母に当時の宗満との死闘を何度も聞かされ、恐怖で夜も眠れなかったことを思い出した。そして今の自分でさえ、宗満に勝てるのか分からない。息もできないほどの脅威を前に、景織花は一秒でもここを離れなければいけないと、本能で察知した。逃げる一択。景織花はそうと解れば、忍者の如く踵を返した。
「覚えてろよ!」
そして景織花は忍者のごとく、保健室の前から逃げかえった。景織花の体は怯える子犬のように震えていた。景織花の母は昔こう言っていた。
〝閻魔蟋蟀宗満・・・あの女だけはもう戦いたくはない・・・あいつの力は絶大だ。景織花も気をつけな。怒らせれば生きたものは・・・あたしくらいだ。〟
母は宗満の話になると一瞬だけ身震いしていた。それほどまでに母にとって、閻魔蟋蟀宗満はトラウマを植え付けるほど恐ろしく、さっきまでの体の震えから、あの女教師が本物の閻魔蟋蟀宗満であることは確かなのだ。景織花は未だに震える手を握り締めながら、より一層強くなろうと決意した。弱い者いじめをしている暇なんかない・・・と。
さっさと逃げて行った景織花を見送った宗満は、大きな溜息を付いた後、最後にこう付け足した。
「あ~あ、逃げちゃった。娘っていっても、引きこもりなんだけどねって言おうとしたんだけど・・・」
まさかあの風鈴寺丗織里の娘と会えるなんて・・。宗満は少しだけこの学校に来たことを嬉しく思った。もし自分の娘と合わせたらどんな顔をするだろう。ちょっと面白そうに思った宗満であった。
そして宗満は踵を返すと、保健室の戸を引いた。
―ガラ・・・
「初仕事早々、何て大怪我してくれるのカシラ?」
閻魔蟋蟀宗満から保健室に入ると、ただの保健の先生大関宗満に戻った。そして宗満は未だに慣れない女言葉を使って、四台のベッドの中央に近づいた。ベッドは右左に二台ずつあり、四台中三台は鸑門、雅、そして体力がすぐに切れてしまう難病に罹って休んでいる男子が眠っていた。三人の患者を一人で診るのはとても辛い。というより、そもそも好きで保健の先生をやっているわけではなかった。
「難病の雷万君ならまだしも、階段から二人仲良く転んで落っこちるなんて・・・」
宗満はまだ意識を取り戻さない二人を見て、ぶつぶつ独り言を呟いた。宗満には見えないが、鸑門のすぐ横には、晶が鸑門を我が子のように抱き締め、気持ちよさそうに眠っている。晶は現在鸑門しか見えない(泊里とは晶が触れれば見える)。泊里はもうすぐ昼食の時間が終わり、次の四時間目のために準備をしなくてはいけない。泊里は怪我もないため、鸑門と雅を心配しつつも、自分の教室に戻るように宗満に促される形で退室したのだった。
「あの子の肌・・日焼けサロンも凄くなったな~あんなにテカテカしてて・・・」
泊里を見送っていた宗満は、昔と今の変わりようをしみじみと感じながらも、一応は保健の先生の仕事を着々と熟していった。
そして何故宗満が保健室の先生になったのか・・・それは彼女もまた校長の名前うっかりミスの被害者の一名なのであった。
「今日から君の担当は・・・」
校長から直々(じきじき)に教師の担当を決めるシステムは当たり前なのだろうか。今まで見てきた教師という仕事の大変さは、私自身も痛いほど胸に沁みていた。だがそれでも人生の後輩に、勉学以外も色々教えていることを私もしてみたい。最初はそんな気持ちだった。学生の頃は派手に暴れては、当時の教師に思い切り引っぱたかれては叱られた。だが教師が怒れば怒るほど、私の闘争心や反抗心は限りなく燃え上がっていた。そして遂に私が殺人まで手を伸ばそうとした寸での所で、教師は本気で私を殴り飛ばした。あれは痛かった。でも正気に戻るには丁度良いパンチだった。
あのパンチは今でも頬に、時折ヒリヒリと伝わってくる。この痛みはただの暴力じゃない。親から受けた虐待のそれではない。しっかりとした「戻ってこい」という想いだった。だからこそ私は、あの教師のように暴力じゃないちゃんとした指導をしたい、という気持ちに変わっていったのだった。そんな私がやりたい担当はもちろん体育。体を動かすことが今でも止められない。止まらずにはいられない。
「君は今日から保健教師ね」
校長の言葉で一瞬頭が真っ白になった。もう一度聞き返すが、答えは変わらなかった。その上抵抗する間もなく、流れるように私は保健教師になった。保健教師とは動き続けられるものなのだろうか?確かに保健の科目も苦手ではない。だが体が丈夫だった私にとって、保健室など無縁の無縁。ある意味今日初めて学校の保健室に入って思った感想は、「白・・・真っ白じゃん」の一言だった。
そんなこんなで保健の先生になってしまった宗満は、もう後ろを向いている暇などない。なってしまったなら、もうどうにでもなれ!とすっかり気持ちを切り替えた宗満は、ふと入口にある姿鏡の前に立った。そしてゆっくりと一回転して襟を整えてみる。白衣を脱げば、忽ち半袖半ズボンの体育会系教師に早変わり。広く開け放たれた首筋から胸元を流し見した結果、私も結構エロカッコいいんじゃない?と、少しだけ自信がついた宗満であった。だがもう一度白衣を着ると・・
「ん~・・・やっぱしあたしじゃないみたい・・てか、あたしは赤が好きなんだって」
宗満の半袖半ズボンは真っ赤染め上がっているが、白衣によって全く違う容姿になっている。自分が自分じゃないみたい。この言葉が本当になるとは、宗満も思いもしなかった。額の上にある眼鏡は、宗満が近眼であることを表している。前は動きすぎる為コンタクトをしていたが、テレビでコンタクトの怖い話を聞いて、急遽眼鏡に変えた次第である。
「眼鏡も・・・ん~・・あたしにしてはまあイケるのか?」
そうして宗満は、どれくらいの間鏡を向き合ったのだろう。既に二人とも治療は完了しているようで(骨折やその他諸々(もろもろ)の打撲痕、擦り傷が数か所あったが、晶が宗満に気づかれないように『赤』の力を使って治しておいた)、後はしっかり安静にしていれば、一週間程度で元気になるだろうと宗満は判断した。
「ん・・んん――ここは―――」
「おー、起きたみたい・・・カシラね」
厳重な瞼が、天井に輝く電灯に起こされるようにして、鸑門は意識を取り戻した。意識が鮮明になっていくにつれ、自身の体に重い何かが覆い被さっていることに気が付いた。鸑門はゆっくりと顔を横に向けると、晶が鸑門を抱き締めながらぐっすりと眠っていた。晶の豊満な胸は鸑門の上半身の殆どを包み込み、晶の大きな体は鸑門の体をいとも簡単に覆い隠していた。更には晶の手が鸑門の首筋を通り過ぎ、もう片方の手は鸑門の手を握っていた。
――!・・!!・・・!!!
鸑門は自分が今置かれている現状を再確認した。だがそれよりも鸑門が不思議の思ったのは、晶の体から伝わるひんやりとした冷たい何かが、鸑門の体に浸透していくと一気に蒸発し、ほわっとした温もりに変わっていったことだ。この言葉をどう言えばいいか分からない。だが晶の頬が赤く火照っているのを見るに、鸑門の体温に中てられたのかもしれない、と思った鸑門であった。
「って無視かい?」
「!」
突然ヌッと眉を顰めた何者かが、鸑門の鼻と鼻をくっつけてきた。鸑門は自分と相手の鼻の感触に驚き、更に相手の顔の近さに二度驚いた。鸑門が漸く自分を注目したところで、宗満はスッと顔を離して、ニコリと微笑んだ。
「どーも。あたしは大関宗満。名前は男っぽいけど、ちゃんと女だから女扱いしなさいよ?男子中学生」
と、宗満はボタンを閉めていない白衣を開かせて言った。白衣の中の薄い半袖の服は、明らかに谷間が見えており、それを見た鸑門は頬を真っ赤に高揚し、宗満の胸を凝視した。鸑門の反応を見た宗満は「え?何よ・・」と思って、鸑門の目線の方を見た。すると堂々と男子の前で谷間を見せる保健教師ということに気が付くと、暫く考えた後、宗満は自慢げに笑って見せた。
「あたしもエロくなったもんだぜ・・フフフッ」
「って、笑ってないで服を着てください!」
久しぶりに女扱いしてくれたことに喜ぶ宗満に、鸑門は恥じらいながら注意した。宗満は仕方なく白衣のボタンをしっかりと締めると、再度喜んだ。
「よっし!まず一人の男子の心を奪ったワヨ!」
「えぇ・・」
鸑門は宗満の服を見るに、一応保健の先生であると推測したが、本当に先生なのだろうかと疑問に思った。だが宗満の喜びは更に続いた。
「BカップっていってもほぼCと言ってもいいし、今からでも学校の男子の注目の的になれるかも・・ウィッヒッヒヒヒッヒ」
宗満は学生の間戦いのみに身を投じていたせいか、学校に勤め始めてからというもの、恋愛や部活をしてこなかったことを非常に悔いていた。だからこそ人生一度もモテていないことが宗満人生一の後悔であり、折角学校で働くんだったらモテモテになりたいと、心底思っているのである。
鸑門は宗満の気味の悪い笑みを見て、本能からこいつとは絶対に関わってはいけないと思った。そしてとりあえず晶の頭を優しく撫でながら、自分が何故ここにいるのかを思い出していくのであった。
長くなっちゃった・・まあもともとも長かったから仕方がないです。すみません。その分絵で誤魔化せたらいいですが、まだ絵も滞ってまして・・・早いとこ続きを書きたいと思いますので、しばしお待ちを・・・
大関宗満、二十代後半短髪眼鏡女性、元不良、目標メチャメチャモテたい!




