1の噂 ~入口~
少年は噂の教室で、光り輝く机を触った。それはまるでガラス珠で作られたような、綺麗な石が嵌めこまれていた机であった。
〝神螺儀中学校の二年四組の窓際一番奥の席に、時々人の形をしたガラス珠がチカチカ光る〟
二年四組の教室は未だに使われることなく、ずっと立ち入り禁止になっている。この噂は僕が入学してから、既に新入生の間で広まっていた。
『神螺儀中学校』とは、最近になって神螺儀町という町に建てた学校らしく、一か月前は神螺儀小学校校舎の後ろがだだっ広い空き地だった。その空き地を中学校に変えたのが現校長であり、たった一人で校舎を一から作り上げ、たった一週間で神螺儀中学校校舎を完成させたのだった。その後すぐに入学希望者を募り、僕を含めた総勢三十人の生徒が入学するに至ったわけである。
校長は自分の突発的な思い付きで作り上げた中学校に、まさか三十人もの生徒が来てくれるとは思わなかったのだろう。入学式の『校長先生の話』の時間、校長は元気に体育館をスキップしながら壇上に上がったわけだが、まだ新品同然だった階段はとても滑りやすく、校長は思いっきりすっ転んで生徒の皆に笑われたのだった。今年で九十九歳、あだ名は『チビダヌキ』の神螺儀小・中学校校長による、神螺儀中学校の創設秘話である。
そして僕は新築の校舎を歩きながら、木ならではの独特の匂いに鼻を凹ませながら、これから始まる新生活に想いを馳せていた。
僕は小学生までずっと都会っ子であった。が、小学校の卒業を機に、父の考古学魂の勘により、神螺儀町をターゲットに定めてしまったのだ。母も父と同じ考古学好きで、僕の意見を一切聞くことなく、家族全員で神螺儀町まで引っ越すことになったのだ。
考古学をやっていると、よく怪我をする人が出てくる。考古学の仕事をやっていくうちに、父はただ助けたいという気持ちが芽生えていった。そういう訳で父はすぐに医学免許を取り、考古学の仕事をしながら怪我人の治療も始めたのだった。忙しそうな二つの仕事を笑って熟す父を見て、僕は「良く両立できるな」と毎日感心させられる。
父は車の免許を持っていなかったが、神螺儀町までの道のりの険しさから鑑みても、山に囲まれた盆地である神螺儀町までの距離を、車一台で渡るのは到底不可能であった。
神螺儀町は都会とは別次元の世界だ。神螺儀町の周りには三、四つの山の山脈が連なり大きな壁となっている。唯一の移動手段は、一日一往復二百メートル級の飛行船。僕はあまりにも神螺儀町と自分の住んでいた町が違い過ぎて、神螺儀町に着いてから中学校に入学するまでの一週間、この神螺儀町をどこか別次元の世界に迷い込んでしまったのだと、勉強机の中に閉じこもっていたのを覚えている。前の学校の親友とはしっかりとSNSで連絡を取り合っているため、離れていてもそこまで絶望することはなかった。だが神螺儀町に来てから連絡してはいない。
この町の家は全部木で出来ている。町の視界はいつも霧が立っていて、五十メートル先は霞がかっていて殆ど見えない。こんな光景は今まで見たことない。
そして僕は入学式が終わった今でも、この世界に慣れることが出来ないでいた…
…だから…
…だからこそ…
友達がほしい…少しでも多くこの町の友達を作って、この町に慣れなければ…!
そう決意した僕であった。
僕の名前は【攣ヶ(が)山鸑門】十三歳。身長百四十五センチで、イメージチェンジに伊達眼鏡を付けてみた。少しはかっこよく見えるだろうかと思って、最初の関門『クラスの自己紹介』を気合入れて声を出した。
「ひゃあい!」
―ハハハハハ
まさか最初の一言目で気合入れ過ぎて音が外れるとは…
―あー! こいつ十円禿がある~! まじウケるんですけど…クスクス
終いには、後頭部に隠れてあったコンプレックスの一つが暴かれてしまった。クラス中が大ウケし、挙句の果てには『ハゲえもん』というあだ名をつけられることで、この学校での人生が決定された。碌に自分の自己紹介が出来ないまま他の生徒にもあだ名が広まり、晴れてこの学校内で『ハゲえもん』を名乗ることになったのだった。
体育館の入学式が終わり、新教室での自己紹介も終わり、後は教科書を受け取るために再び体育館に行かなくてはならなかった。この間に繋がりを求める生徒達が続々(ぞくぞく)と友達の輪を広げていく。そんな中僕は…
「あ…あの!」
―あ、ごめんね? 禿は御免なの~じゃあね~
「ともだ!」
ーどけハゲえもん!ちっせえから、踏んじまうとこだっただろうが!
「ぼくと!」
―あたし、音楽教師だけどいいのぉ?いいなら後で音楽室…来・て(からの投げキッス)?
できる筈もなかった。
「はあ…」
無事教科書を受け取った僕は、人があまりいない一年の一番奥の廊下で、ひっそりと昼食をとっていた。この学校では入学式でも昼の三時まで色々あるらしく、今日に限って給食のおばあちゃんが手軽な『お手製コッペパン(税抜き118円)』を最大五個(僕は小食なので一個)くれた。今日は給食のおばちゃん達にとって大切な日らしい。年に一度のアイドルコンサートを見に行くため、給食はコンビニで買ったコッペパン変更された。アイドルのことは全くの無知な僕にはどうでもいい話だったが、給食は楽しみにしていた中の一つなので少し寂しかった。
「おいし」
まだ温かい。一人寂しい僕の心を食べている間だけでも温めてくれるこのコッペパンは、まるで僕にとってのヒーローのようだった。
―ザワ…
そんな時だった。
―お…おい見ろよ!
―なんだよ? 友蔵? 一句思いついたのか?
―違うってほら早く!
ふと、ある男子生徒二人の会話が耳に入った。多分この声の遠さからして、彼らは隣の小学生の校舎にいるのだろう。小学生の校舎とこちらの校舎の間は、二十メートルくらい離れているため、この距離でも小学生の声がよく聞こえた。
―きゃあ!
男子生徒の会話からの飛び切りの女子の悲鳴に、僕は疑問に思って階段を駆け降りると、丁度行き止まりにある校舎の窓を開け放った。
―眩しい! なんだあれ?
―ほらあれだよ! 『突然光る新校舎三階の中学二年の教室に出るサンライズ』!
―サンライズ?…わぁ!本当だ!
更に驚く男子生徒二人。
(サンライズ?何なんだよ一体…!?)
彼らが見ている自分側の校舎に、僕は窓を開けると、顔を突き出して視線を上方に向けた。上の階の教室を見た瞬間、その教室の窓から眩い光が僕の目を、思考を瞬く間に支配した。
「うっ! 目が――!」
僕は眩い光に負け、思いきり目を瞑った。目を閉じる瞬間、その光から輪郭のような何かが見えた。
まるで人の形をしたような…そんな光の輪郭が…
補足:攣ヶ山鸑門…身長145センチ。頭に小さな禿がある。