(8)
蜘蛛に追い立てることもなく、ようやく地上に出られた。あちこちのビルの正面のシャッターが降りているのを見て、下手すれば地下鉄出口もしまっていて、外に出られない可能性があったことを思ってゾッとした。終電後だったら、おそらく地下鉄の出入り口も閉鎖されていたに違いない。
あたりをみると、車道に車が走っていない。いくつか、道路脇に停めている車両はあるが、走行している車がない。深夜はこんなもんなのだろうか。
「ここからじゃ、さすがに家には帰れないしな……」
行く場所もないし会社に戻るしかないか、といったところだ。バグもあるし。
街路灯はついている。しかし、ビルのフロアの明かりがついていない。何か変だ。
「働き方改革で皆帰宅した…… ってわけじゃないよな」
しかし、かなり時間は遅いはずだ。これだけ暗くても普通なのかもしれない。
俺はビルを眺めながら、自分の会社の方向を確かめた。
少し歩きはじめると、遠くからサイレンの音や、爆竹のような破裂音が聞こえた。
音のする方向を見るが、何が見えるわけでもない。
確かめに行く暇はない。
蜘蛛の恐怖を伝えないといけない。
違う…… 水沢さんを助けないと。いや…… それは、ダメだ。
暗い通りに、さっきのことが思い出される。
電車のドアが開き、そこか沢山の腕が出てきて…… 吸い込まれるように消えた水沢さん。
思い出しただけで、鳥肌がたった。
助けたい、が死にに行くようなものだ。
「寒い。外も寒いのか」
通りを歩いていると、スッと、夜空に動くものがあった。
なんだろう、と思った時には、轟音がビルの谷間に響いた。
「なんだ? 戦闘機?」
この音だったかは分からないが、似たようなものを映像で見たことがった。
なんでこんな都心のしかもビルすれすれの低空で飛行する必要がある。なにかあったら大問題になるぞ、と俺は思った。いやいや、そんなことの前に、あの騒音でクレームの電話がかかっているに違いない。
俺はそんなことを思いながら、街を歩いた。
一人としてすれ違う者がいないことに、少しずつ違和感を感じながら。
自社の入っているビルに着くと、ビルを見上げてフロアの明かりを見た。
「……点いてないないな」
外から見えない部分だけ、明かりをつけることはありうる。しかし、ビル全体が真っ暗だった。何か訳があるに違いない。俺はシャッターの降りている正面を迂回して、守衛室のある裏口に回った。そして、呼び出しを押す。
「はい」
「トウショウグウ・ゲームの佐古田です」
カチャリ、と鍵が開く音がした。
挨拶をしながら中に入る。
警備員の人が小さいまどからこっちを見て、言った。
「君も帰れなくなったのかな?」
あまり警備の人と話したことはないが、俺は答えが見つかるかもしれないと思ってたずねた。
「……ええ。なんか、帰れなくなるようなことがあったんですか?」
「詳しくはしらないけど、封鎖されたって」
「封鎖? 地下鉄とかが?」
小さい窓から、のぞき込むような姿勢でこっちを見ている。
「いや、戻ってきた何人かが言うには、車道が封鎖されてるらしいよ」
「そうですか」
俺はエレベータで自社のフロアに行こうとすると、呼び止められた。
「あ、あの、指示があって」
「指示?」
立ち止まって振り返る。
相変わらずその小窓からのぞき込むようにこっちを見ている。
「ビルの外側の明かりは、元を切っているので、点きませんから。だからと言って、明かりを持ってきて、外に灯りが漏れないようにしてくださいね」
「外に灯りが漏れないように?」
「ビル管理会社からの指示です」
「ビル管理会社が? なぜ?」
小窓の中で、警備員は小さく手を広げて見せる。
「さあ?」
「……」
俺はエレベータ・ホールに入り、呼び出しを押した。
エレベータ・ホールもギリギリまで照明を落としていて、暗い。
不可解だ。蜘蛛のことを国を上げて対処している、ようにも思える。
戦闘機が飛び、都心を封鎖し、蜘蛛をやっつける???
エレベータに乗り込み、自社のフロアのボタンを押す。
サイレンの音や、爆竹のような音は、蜘蛛にやられた人を救助し、蜘蛛と戦う為銃を発砲した音、だろうか。
いや、何か全体的に大げさすぎる。確かに、地下鉄の乗客が全員蜘蛛にやられて、ゾンビ化したなら、それくらいのことはしそうではある。しかし……
考えている内、自社のフロアについた。
そこもやはり薄暗かった。
こんなに照明を絞る意味は何なのか。
「ビル管理会社から、って言ったが……」
いつものようにエレベータ・フロアの角を曲がって、社に入ろうとIDカードを取り出した。
その時。
ミシュミシュミシュ……
「えっ?」
ミシュミシュミシュ……
これは、あの、大きな蜘蛛が近づいてくる時の音。
バン、と肩に何かが触れた。
蜘蛛がっ…… 俺は振り落そうと、激しくからだをひねった。
「いてっ」
俺の手が、他人に触った。
振り返った先にいたのは、『蜘蛛』ではなかった。
会社の同僚だった。
「痛いな……」
「さ、佐東かよ。び、びっくりさせるなよ」
腰を抜かすほど驚いたが、佐東と分かって長い間の緊張感が、一気に解けた。
「暗いから驚くだろうと思ったけど、こんなにビビってるとは思ってなかったよ」
「それより、い、今の音は何だよ?」
「何言ってるんだ、例のゲームの蜘蛛系クリーチャーが近づいてくる音だろ」
俺がここへ来る経路とは違って、佐東は蜘蛛に出会っていないかもしれない。だとすれば、この音がもつ危険度を知らないだろう。
「違う。どこから音がしたんだ、ってことだよ」
「俺のスマフォだよ」
「……」
「どうした?」
「……あのさ。俺」
蜘蛛の話をすべきか悩んだ。佐東が信じてくれかも、確かじゃない。
「?」
佐東の表情を見ながら、とりあえず黙っておこう、と思った。
「ちょっと中に入ろうか」
「ああ」
佐東が俺を飛び越して、扉のカードリーダーにIDカードをかざすと、鍵がカチャリ、と開く音がした。
俺はそのままドアのレバーを下げて、二人はオフィスへ入った。
「どうしてビルがこんなに暗くなっているか知ってるか?」
「警備の人は、ビル管理会社からの連絡だって言ってたけど」
佐東は笑った。
「そりゃ結果的にはそうかもしれないけど、ビル管理会社にそういう指示をしたのはどこか、ってことさ」
「お前、なんか知ってんのか?」
暗いオフィスの中で、佐東が手招きした。
そこにはノートパソコンが置いてあって、いくつかブラウザのタブが開かれていた。




