(7)
「……どういうこと? 停電終わったってこと?」
「どうだろう。それは分からないけど、この音、線路から聞こえてくる気がする」
とりあえず、線路わきに退いて後ろに注意しながら歩く。
カタンカタン、といった具体的な音も聞こえてくる。
俺は後ろを振り返って、水沢さんをトンネルの端に寄るように言った。
対して時間もかからず大きな音が聞こえてきて、ライトを付けて電車が走ってきた。
ガタンガタン、とレールを踏む音轟音が聞こえて、電車が通りすぎていく。
電車に向かって水沢さんは叫ぶ。
「何よ! 停電はどうなったの!」
「下り側は問題ないってことだよ。蜘蛛にも、漏水にもやられていないってことさ」
電車が通りすぎ、テールランプが赤く下って行った。車両は見えなくなり、線路を伝わる音も聞こえなくなった。
しかし、この先には正常な人類が、通常の生活をしている。蜘蛛に怯えている異常な状態から解放される、水沢さんもそう思ったのか線路を移動するスピードも早くなっていた。
水平な場所を過ぎ、線路の下りを下りきると、再び隣の車線と横ならびになった。もうすぐ駅だ、と俺は思った。
視線の先に、電車のテールランプが点いている。
俺たちを追い抜いていった電車は一本だった。
その電車が止まっている、ということになる。
しかしテールランプは赤く光っていて、停電は発生していない。
なんらかの事情で電車が止まっているのだ。
「なんだと思う?」
「どうしたのよ。ほら、もう電車が見えてるわよ。助かるのよ」
「俺たちを抜かしていった電車なら、もうずっと先にいってなきゃいけない。走って追いつくわけないんだ」
水沢さんは何か考えているようだった。
そして言った。
「……結局、上り方向が止まっているんだから、下り方向も止まらざるをえないってことじゃないの?」
「そ、そうだよね」
俺は向かう先が間違いでないことを確認したかったに違いない。
「きっと駅には普通な人しかいないよ」
そうだ。そういう答えを想像しながら、何か俺は疑っていた。大丈夫。問題ない。
そう話してから、電車に近づくと奇妙なことが分かった。
電車は駅に停車しているのではないこと。電車の光がトンネルに反射していて、遠くからみた時はそれが駅に見えたようだ。
つまり、電車は駅でもないところで、停電でもないのに止まっている。
電車まで十数メートルの距離に来てから、俺は不安で足がとまった。
「……」
「どうしたの?」
「のぼりが停車していれば、下りも停車する、それだけのことだよね?」
「?」
「水沢さん。そうだよね」
俺はどうしても同意を得たかった。
「ね、そうじゃない?」
水沢さんは電車の方へ歩き出そうとする。
「待って」
俺は腕を引っ張って引き止めた。
「一つ決めよう。この電車に乗るかい?」
「どういうこと?」
「駅を徒歩で目指すか、この電車に乗って動き出すのを待つのか、どっちにする?」
「電車には乗れないわ。上りが正常化するとは思えないもの」
「……」
俺はまだ水沢さんの腕を引っ張っていた。
「まだ何かあるの?」
「絶対だよね。絶対そうしよう」
「めんどくさいわね」
水沢さんは吐き捨てるような感じで言った。
俺は何も言い返さなかった。
確かにめんどくさい。
が、生きる為に重要だと思うからだ。
電車に近づいた。テールランプが赤くついている。
車内の照明もバッチリついている。しかし、下から見ているせいか、車両内に人影は見えない。
俺たちは車両の横に回り、歩き続ける。
足元は照らされていないが、間接的に光がある為、今までより歩きやすい。
何度か扉を見上げてみるが、扉に寄り掛かっている人もいない。座席の窓から頭も見えない。
この時間の下り電車が空っぽ? 明るくて安心できるはずの車両に恐怖を感じていた。
前にも増して寒く感じた。一体何が起こっているのだろう。
と、前方の車両の扉が開いた。
俺は足を止めた。
「君たち……」
扉すれすれに立っている人影。
「大丈夫か。食われてないだろうな」
どこか人影とは違う方から声が聞こえてくる。
俺は慌てて水沢さんを引き留めた。
「食われてないだろうな」
「食われてないわよ」
水沢さんがそう答える。
「では早く電車に乗れ。外は危険だ」
電車の明かりでそいつの口が動いているか確認がとれない。が、どう考えてもそいつがしゃべっている訳ではなさそうだ。
ミシュミシュミシュ…… と音がする。
「ほら、聞こえただろう。早く上がってこい」
水沢さんはその人影の方に走った。
「乗せてください!」
「水沢さん、ダメだ!」
水沢さんが手を伸ばした瞬間、扉からたくさんの人間の手が出てくるのが見えた。
「水沢さん!」
たくさんの腕で引っ張られ、吸い込まれるように引き上げられ、扉が閉まっていた。
「水沢さん! 水沢さん! 水沢さん!」
どうすることも出来ず、俺は車両を叩いた。
無力感と、吸い込まれるように引き上げられた水沢さんの状況を想像して怖くなった。
俺は扉を警戒しながら、ゆっくりと近づく。
だめだ、近づいたら…… あちこちに鳥肌が立ち、まるで体中の細胞が警報を鳴らしているようだった。
ミシュミシュミシュ……
と、また音が聞こえてくる。音は外。電車の外だ。
だが、電車のなかももっと信用できない。俺は水沢さんが引き上げられた扉の下を全力で駆け抜けた。
そして、扉の前でスピードを出すようにして、車両脇を駆け抜ける。
車両から離れた後、俺はコンクリートの隙間に隠れ、電車の様子を見ていた。
先頭の車両の扉が開き、光が漏れる。
顔を出した人影が、きょろきょろと左右を見て、ポン、と扉から車両を降りる。
すると、車両を降りた人影の頭に、車両からスッと、何ががかぶさった乗り込んだ。
俺はまた鳥肌がたった。
蜘蛛だ。
蜘蛛が人を乗っ取っている。
蜘蛛に乗り込まれた人影は、スマフォの明かりをつけてこっちへ歩いてくる。
都合よく武器があるわけでもない。
俺は気づかれないうちに駅方向へ走った。