(3)
『痴漢し放題だな』
「ばか、いまスピーカーでやってんだぞ、周りに筒抜けだ。そう言うのやめろ」
と、そんなやり取りがあって、
『停電がホントか写真とれよ』
とスピーカーから声がする。
「わかったよ」
と言って、真っ暗な車両の先頭側に向けてスマフォを向けて写真を撮った。
パッ、と明るくなる車内。
俺には、そこに、なにかが…… なにかが見えた。
産毛の生えた体と、あ…… 足…… 複数の目……
「ほら、おく…… えっ? 何これ……」
「ミシュミシュミシュ……」
そこで俺は背筋が寒くなった。
室内の冷気のせい? いや、違う。
俺は何かが見えた。さっきのフラッシュで照らされた何か、あれは、あの大きさはヤバイ……
「ちょっと待てよ、マジかよ」
通話している男が、そう言いながら写真を確認している。
「ほんとか? ちょっと、確かめ……」
男はまた先頭方向にスマフォを向け、スマフォのライトをつけた。
パッ、と灯りが点いた。
何も…… 何もいない。
何だ、勘違いだ、と俺は思う。しかし、スマフォで照らしている男は、興味深げに下、左右…… そして立ち上がって、もっ と前方の車両方向へ、と進んでいく。
それにつられるように、俺たちも男を追いかける。
次の連結器のところから、先の車内を覗く。
前の方の車内も、ぼんやりとスマフォの画面の光で、両脇の座席に、ぼぅっと顔が浮かび上がっている。
と、急に前方が暗くなった。男はスマフォを操作する。
するとパッと、前方が、明るく、なって、誰か、誰かいる!
いや、何か、ではなく、誰か、だった。スマフォの光は、誰かのお腹のあたりを照らしている。
「えっ?」
「ミシュミシュミシュ……」
蜘蛛が出現する時の音…… えっ? なんでまた、今?
俺が勝手に混乱していると、男はスマフォの明かりを少し後ろに引き、そして上を照らしていく。何故、この高さで腹が見えているのか……
後ろにいる俺は先に気づいてしまった。
「キャァァァ」
俺が気づくのと同時に、イヤ、俺より早かったかも知れない。
水沢さんも、それに気づいた。
天井から吊り下げられた男の体。恐らく死んだとすれば、電車が停止した後だろう。死体がある状態で電車が走り続けるわけがないからだ。しかし、こんなに早く体から血が抜けるのか、と思うくらい顔が青かった。青い、という表現では足りない。毒々しいと言うべきだろうか。
動かないから死体と思うのか、毒々しい色だからなのか、それとも首元に白い、真白い綱が首に巻きついているからだろうか。
俺はそのまま、ブルっと震えた。
「し、死んでる?」
先頭を歩いていた男は、先に驚かれてしまって、騒ぐに騒げないような様子で、そう言った。
「死んでる、でしょう?」
「触ってみてよ」
水沢さんが俺に、なのか、先頭の男子に、なのか、そう言った。
男は怯えたのか、一歩、また一歩と後退する。俺は思い切って手を伸ばして、吊り下げられている男の腹を押した。
ブラーン、と天井を中心にして振り子のように男が前後に動く。
「し、死んで……」
「!」
ドッ、と音がして、体操選手が着地するかのような音がした。
首を巻いていた白い紐が落ちてくる。
倒れた体は、右腕を下にして、膝を抱えるかのように床に『乙』の字を描いている。気が付いたように、いきなり口から、どす黒い体液がこぼれ出る。
「うぇっ……」
俺は嫌悪感からそう言った。
先頭の男は、しゃがんで落ちてきた体に触れ、さすった。
「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
大丈夫なわけないだろう、と俺は思った。こんな色の肌はすでに死んでいる。俺は後ろから傍観していた。
「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
何度も体を揺すっているせいなのか、動かないはずの体に変化があった。
「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
落ちてきた男の体は、ぐらっ、と仰向けに開いた。
「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
「おい、もうやめろ、死んでる」
「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
「やめろって!」
体をさすっていた男の動きが、ピタっ、と止まった。
立ち上がって、俺を振り返る。
「あんたさっきから勝手についてきて、なんなんだよ」
ドン、と俺の胸を手のひらで突き飛ばした。
体をかわし切れず、水沢さんにぶつかってしまう。
「生きてるかもしれないだろ」
「死んでるよ。ずっと首を吊られてたんだぞ」
「ずっとか見てたのかよ?」
面倒なことになった。と俺は思った。
「ミシュミシュミシュ……」
「って、さっきからこの音、なんなんだ!」
と、男が八つ当たりするかのように俺に言う。
「!」
「キャァァァァアァァァアーーー」
「うるさい!」
「う、後ろ」
男が後ろをみる。
さっきまで倒れていた男、つまり天井から吊り下げられていた男が、そこに立っていた。
「み、見ろ、生きてたじゃないか」
「違うぞ、頭の上を見ろ」
俺は立ち上がった男、つまり天井から吊り下げられていた男の頭上に赤い光が見えた。
「蜘蛛っ!」
違う。ただの蜘蛛じゃない。馬鹿デカい蜘蛛だった。そのせいか、蜘蛛が男を釣り上げているかのように思えた。
「キャァァァァアァァァアーーー」
水沢さんも蜘蛛に気付いて、叫んだ。
ぼとっ、と蜘蛛が落ちて、さっきまで天井から吊り下げられていた男の頭に乗った。
「……」
俺は逃げなければならない、という命令が全身を駆け巡っているのに、手も足も動かないことに気付いた。
全身の肌という肌が鳥肌になっている。もしかして、これが恐怖、なのだろうか。
「キャァァァァアァァァアーーー」
水沢さんがまた叫び、俺の背中に張り付く。
俺はその刺激で、やっと動けるようになった。
「逃げろ!」
俺は水沢さんの方を向いて、後ろの車両に走り始めた。
「!」
急に体が引っ張られた。動けない。逃げれない…… 俺は慌てて車両の先頭方向を、引っ張られている方向ほ振り向いた。
「何すんだてめぇ」
さっきまで先頭をあるいていた男だった。ものすごい形相で俺を見ている。
「助けてくれ……」
男は涙を浮かべている。
「お前も逃げろ」




