(2)
その時スマフォのLINKが鳴った。
「?」
女性が俺の顔を見た。
「ああ、会社からの連絡なんだ……」
俺はスマフォを取り出して画面を見た。
『戻れるか? 障害を放置すると、致命的なことになるから、とりあえずメンテ画面に切り替える』
「どうしたんですか?」
「うんとソシャゲって知ってる?」
「スマフォのゲームのことでしょ」
正確にはそうじゃないが、だいたいはそうなので、俺はうなずいた。
「俺それの開発やってて」
「すごいじゃないですか! それ、見せてください」
その瞬間、車内にいる眼鏡の学生が俺を睨む。何故かその学生が睨む瞬間を俺はタイミングよく見てしまうようだ。
俺はスマフォを操作して、アプリを立ち上げる。
「これなんだけど」
メンテ画面。ゲームのキャラが、ごめんなさい、って頭を下げているアニメ。
「メンテ?」
「あっ、あ、ちょっとバグが…… いや、不具合、故障? 故障があって、修正中なんだよ。俺これを修正する為に会社にもどらなきゃならないんだ」
「へぇ…… 大変ですね」
そうだ、これから会社に戻って…… はあ。課金関係とジェムの配布あたりは、俺、あんまりかかわってないんだけどなぁ…… 憂鬱だ。
「あれ?」
女性が何か気づいたようだった。その視線の先を追うと、そこには車掌がいた。
よくわからないが、スマフォで通話しながら、車内を歩いている。
「確認します。いまから確認しますから待ってください」
そう言って車掌が先頭方向へ進んでいく。
周りの乗客の不安げな表情。となりの女性も同じだった。
「何があったんでしょう……」
「まあ、大丈夫だよ。今車掌さんが確認してくれているよ」
「私も遅れちゃうと困るんです」
「君は…… 名前聞いてもいいかな。俺、佐古田。佐古田昭雄」
「……水沢静香」
また眼鏡の学生がこっちを睨んだ。どうやら水沢さんが発言するタイミングで睨んでくるような気がする。
「!」
突然、車内の照明が消えた。
真っ暗な車内で各人のスマフォ画面が顔を照らしていて、人面だけがボウ…… と列をなして浮かび上がった。
乗客が小声で『おおっ』とか『えっ』とかをバラバラと話し始めて、静かだった車内が急に騒がしくなった。
「何があったんですか?」
水沢さんが大きな声で俺にしがみついてきた。俺の二の腕あたりにやわらかい胸があたる。ハッとして眼鏡の学生の方を見ると、スマフォで照らされた顔がこっちの方を向いて睨んでいた。俺はスマフォをつけていなかったが周りのスマフォの明かりで、ぼんやりと俺のことが確認できるのだろうか。
「なんだろうね。俺もよくわからない。車掌さんの放送を待つしかないんじゃない?」
「けど、車掌さん、先頭方向に移動したままですよ」
「きっと運転席の方に行ったんでしょう。そっちからでも車内放送はできるんじゃないかな」
「……」
薄暗くて表情はよくわからなかったが、水沢さんは顔を寄せて言った。
「前の車両に行って、何が起こってるか確認しませんか……」
「えっ? 前の車両に?」
水沢さんがうなずく。
なんだろう。俺は先頭車両に確認に行かなければならないような気がしてきた。水沢さんにいいところを見せよう、そういう気持ちが働いているのだろうか。
問題はさほど難しくない。立ち上がって、先頭車両へ行って車掌を見つけ、『何があったんですか』と聞けばいいだけの話だ。
俺は立ち上がった。
「行きましょう」
足がブルッと震えた。
車内の暗闇に恐怖したのだろうか。それとも停電で暗くなってから、急に車内が冷え込んできたせいだろうか。
「これをつければ」
俺はスマフォのライトをオンにした。
前方が明るく照らされる。
眩しい、とばかりに腕で顔を覆う人が見えた。
俺は慌ててスマフォを真下に向けた。
「すみません」
顔を照らしてしまった人にそう言って、腰より低い位置から下を狙って明かりを照らし、車両を進んでいく。
車両の端まで付くと、前の車両の様子をみた。
同じように座席に座って各自がスマフォを見ているせいで、ボウ…… と人の顔が見える。
両脇の低い位置に並ぶのは座席に座っている客、ポツリ、ポツリと、扉に立っている人も何人か見える。
おとなしい乗客だな、と俺は思う。この国の人間は、トラブルにあった時、静かに真面目に復旧を待つタイプが多いのだな、と実感した。
向こうの端までは見えないが、まだ先頭車両ではなさそうだ。
連結器の上の板を越えると、また震えがきた。
「寒い……」
後ろにいた水沢さんがそうつぶやく。
確かに寒い、寒いのか…… 寒さの始まりが車両の停電と関係しているとしか思えない。季節的にも外気がこんなに冷たい訳がない。車両が冷えているとしか思えないのだ。
「水沢さんは待ってていいですよ。俺が行ってきます」
振り返ってそういうと、水沢さんは首をふる。
「私も確かめたいんです」
俺はなぜそうまでして確かめたいのかは聞かずに、前を向いた。
その車両に入って数歩歩いた時、顔に違和感があった。
「ん?」
糸、蜘蛛の糸。細い、取れたのか取れなかったのか、切れたのか切れてないのかわからないような。絡みつく細い糸。
電車の中、で?
俺はめちゃくちゃに腕を振った。
「どうしたの?」
「いや、蜘蛛の糸が」
「スマフォの光を消せ!」
前方の車両から声を掛けられる。
俺に言っているのか? と思いながら、俺はスマフォの明かりをけした。
「いいからスマフォの明かりを消せ」
と、直後に言っていた男の姿が急に見えなくなった。
なんだろう、と俺は前の車両の方をじっと見る。
「ミシュミシュミシュ……」
「えっ?」
俺たちのゲームで、蜘蛛系モンスターが迫ってくる時の音だ。
「ミシュミシュミシュ……」
音が近い、というかどこかのスマフォから漏れている音じゃない。
「な、なんだよ、これ」
前方から、座席でスマフォを見ていた人が一人、また一人とスマフォを消していく。
さすがに停電が長期化したら、電池がもったいない、と思ったのだろうか。
前方から、スピーカーを使って通話をしているのか、大きな声が聞こえてくる。
『停電なんだって』
とスピーカーからの声。
「そうなんだよ。電車の中で、真っ暗」




