(10)
「だから!」
俺がいらっとして大声を上げると、ガタっ、と奥で音がした。
佐東は俺の方を向く。
「……」
俺は慌てて立ち上がる。この音が、俺でも佐東でもないとしたら……
「課長!」
姿が見えない。
「助け……」
「課長?」
引き出されたコンソールの周辺に、課長の姿が見えない。
ゆっくりとラックの列から顔をだす。
ズルっ、と足が消えていくのが見えた。
倒れた課長が、ラックの影に引きづられた、ということだ。
「もうダメかも……」
「佐古田、お前何を言い出すんだよ、何のことだよ」
何か武器、武器になるものが必要だ。俺はサーバー室の角に積み上げてある部材から使えそうなものを探す。予備のサーバーラック用のレール。俺はそれを手にとった。重いが、当てればあの蜘蛛も潰れてしまうだろう。
「佐古田、だからなんなんだよ」
「佐東、お前も何か持てよ」
「だから、なんなんだよ」
「蜘蛛だ」
「クモ???」
「こんなでかい。毒で殺し、人の脳を食って操る」
手で大きさを示すが、サーバーラックのレールを持っているため、うまく広げられない。
「は?」
「マジだって、さっき……」
佐東は俺の言うことなど気にせず、ラックの端を回っていく。
「あっ、課長。どうしたんですか、その髪型」
「佐東、課長に近づくな! それ、髪の毛じゃない、蜘蛛だ!」
急いで佐東の後を追う。
課長、佐東、俺と順番にサーバーラックの狭い通路に並んでいる。
「おい、課長の頭に蜘蛛が……」
「な、わかったろ、俺の言うこと信じたか?」
「信じるよ」
佐東が俺の横をすり抜けて後ろに回った。
課長の視線はうつろで、どこを見ているのかわからない。前髪のように蜘蛛の足がかかっている。歩くのに手と足のバランスが合わないのか、たどたどしい歩き方になっている。課長の肉体を蜘蛛がコントロールするのだが、蜘蛛の意思がうまく伝達できないか、そもそもの制御方法が間違っているようにも思える。
その課長の足が止まり、口が開く。
体液が流れ出た後、痙攣するように動いたかと思うと、声が出た。
「バグ取りしてよ、バグ取り」
なんの虫を取れというのか。蜘蛛に殺されてまでゲームのジェム流出の心配をしているのか? それとも頭の上の蜘蛛をなんとかしろ、という意味なのか。
俺は手に持ったレールで、課長の頭上の蜘蛛を突いた。
「えっ?」
なんの手応えもなく、蜘蛛が飛び去った。
「バグ取りしてよ、バグ取り」
課長が壊れたように同じことを言う。
「どこに消えた?」
「俺にも見えなかった」
佐東が俺の前に出て、課長に近づいていく。
「やめろ、佐東」
「なんかへんじゃないか? 課長の足の様子をみていると、とてもじゃないが立ってられない感じがする」
興味あり気に、どんどん近づいていく。
「佐東!」
俺は佐東の腕を引いた。
課長が、口を開け、がっ、と食いつくような格好をするが、佐東には届かない。
「うわっ」
「もう課長は助からない」
「自律していると思えないけど…… 動いた。ちょっとそれ貸してくれ」
レールを手渡す。
課長の肩の上にレールを伸ばし、左右に振った。
「なにしてるんだ?」
「ほら、これを見ろ」
レールの先端に、絡みついた糸があった。
「蜘蛛の糸?」
「つまり、上から糸で吊ってるんだよ」
ミシュミシュミシュ……
音の方を見た。そうか、天井に糸があるのか。
音がする方向の、天井を見た。
赤い複数の目が見えた。
「いたっ!」
俺は部屋の天井を指さした。
課長の口が開いて、また溜まっていた体液が床に落ちていく。
粘り気のある液体が溢れるいやな音。
「バグ取りしてよ、バグ取り」
課長の頭に……
「また蜘蛛が乗ったぞ」
「佐東、レールで叩け!」
大きく振りかぶるが、振り下ろせない。
「蜘蛛の糸か」
「今度こそ」
佐東がレールを降り出すと、ガチャン、と音がして、天井の設備を壊してしまった。そして頭上の明かりが消える。佐東は近付てくる課長に、もう一度、振りかぶって、振り下ろす。
鈍い音がして、課長が倒れてくる。
「やったか?」
足元に、課長の体がうつ伏せになった。痙攣したように手足は動いている。
頭から流れる体液が床に広がっていく。
「うぇっ、暗くてよく見えねぇ」
「お前が明かりを壊しちまうから」
「しかたないだろ…… えっ?」
「どうした、佐東」
俺は佐東の足元に目がいった。課長が…… 課長が噛み付いている。
「いてぇ…… 死ぬほどいてぇんだけど」
佐東が逆足で、課長の頭を蹴り飛ばす。
俺たちは慌てて、明るい列に移動する。
佐東は床に座って、サーバーラックに背中を預けた。俺は佐東の足首の様子をみる。
「がっつり噛まれてるな……」
これはもうダメだ、という言葉を飲み込む。毒が回ったら、もう蜘蛛の餌食だ。
「寒い。なんとかしてれ、助けてくれよ。病院! 救急車呼んでくれ」
俺は佐東と少し距離をとった。
「なんだよ、おい、寒いよ。違う、病院、痛いんだ。めちゃくちゃ痛い。早く救急車呼んでくれ!」
「すまん」
みるみる顔が青く、毒々しくなっていくのを見て、俺は佐東を見捨てた。
早く、ここを出なくては…… 天井に張られた糸を伝って蜘蛛が来ないか警戒しながら移動する。
「佐古田…… どこいくんだよ…… 寒い、痛い、暗い…… 助けて…… 助けてくれ」
俺が声に反応して振り返ると、佐東は口から赤い体液を吐いた。
咳き込むように体をうねらせ、また口から大量の液体が出てくる。
苦しそうな表情……
「すまん」
サーバーラック用のレールを探していた。今の所、武器のようなものはあれしかない。まだ多分あるはずだ。
俺が佐東に渡したやつは、あいつが課長に噛まれた時に放り投げてしまった。あれを回収するには課長を飛び越えなければならない。危険を犯すわけにはいかない。
ミシュミシュミシュ…… まずい。もう蜘蛛がこっちを狙ってきた。
「あった!」
「何があったんだよ」
目から、口から、赤い体液を流している佐東が現れた。
頭にはしっかりと蜘蛛を乗せている。
「バグ取りしてよ、バグ取り」
声のする方を振り向くと、課長が腕をだらり、とたらし、うつむきながらそこに立っている。本当にただ吊り下げられているようにしか見えない。
「挟み撃ちだ。絶対絶命ってやつだぜ…… 俺を見殺しにした罰だ」
「違う、救急車を呼ぶつもりだったんだ」
「何言ってやがる、薄情なやつだ」
マズイ…… 本当に挟まれた。逃げ道が…… ない。
しかし、いったいいつの間に、俺の後ろに回り込んだんだ。
課長は二つ先のラックの方で倒れてたはず。こっち側に回るには…… どう考えても俺の方が早いはずだ。レールを探していたが、そんなに時間は経ってない。