(1)
関わっていたソシャゲーのローンチが終わり、俺は気分が良かった。
俺のいる会社は、不動産屋のシステム部門から派生したゲーム開発部門で、外にサーバーが借りれず、自社の余ったサーバールームを使って、ハードからソフトまで面倒を見なければならなかった。だから広範囲な仕事にかかわるから、覚えることも、やることも多いが、やりがいはあった。
会社側はそのやりがいを搾取している感じはあったものの、メンバーもゲームの隅から隅まで把握することを望んでいたので、お互い様だった。
帰りの電車で、俺は座れずに扉際で立っていた。停車した駅で、大学生なのか若い男子がスマフォを見つめながら乗ってきた。ふと視線がその子のスマフォ画面にいく。『おっ、このキャラは』と思い、俺はこころのなかでガッツポーズをした。『俺の作ったゲームだぜ』
ローンチしたばかりで、接続数やプレイ時間とかは把握していたものの、実態としてやっている人を見たのが初めてだった。『狙い通り、時間のある大学生にプレイしてもらっているじゃないか。』
若い男子学生は、昔はやったゲームの黄色い電気ネズミのスマフォカバーをしていた。
イヤフォンをしているが、結構、音が漏れている。
「ミシュミシュミシュ……」
地下鉄が動く音の中でもその漏れ出てくる音から、俺は画面を想像出来た。
この音は蜘蛛系、節足動物の類が、襲ってくるときの音だった。蜘蛛は実際、音もなく近づいてくるだろうが、それではゲームが盛り上がらない。ホラー映画や、他のゲーム、特撮系を見まくって、蜘蛛が出てきそうな音を探ったのだ。
「ミシュミシュミシュ……」
頑張って探しだし、作り上げた音ではあったが、俺はこの音が得意ではない。
というか、本当に蜘蛛そのものが苦手だった。
産毛の感じとか、ドクドクしい色合いとか、凶悪そうな顎や何を見ているか不明な目もゾッとする。
そう思っているうちに次の駅に止まった。
いくつか座席が空いたので、俺はそこにすべり込んだ。
大学生は扉に寄り掛かったままゲームに夢中で、距離が離れてしまって音は聞こえなくなった。
駅から大勢の乗客が入ってきて、俺の前のつり革につかまった。
女性だった。ビックリするほど短いスカートで、白くてきめの整った肌の、ふとももががっつり見えた。
俺はためらわずにそのまま視線を上げていった。
ボリューミーなヒップライン。くびれた腰、電車の振動に合わせて揺れる大きな胸。
美しい肌の首元、そして、輝くようなリップ、通った鼻筋、魅力的で大きな瞳。キュートな前髪が全体の印象とは逆に顔を幼く見せている。
完璧だった。
完全に俺好みのセクシークイーン。
一瞬、視線を合わせてしまったまさにその時、LINKが鳴った。
目線をはずすように、スマフォを取り出してメッセージを見た。
最高の癒やしの瞬間から、最悪の呼び出しへと落ちていく。
バグ。ローンチしたばかりのゲームに、致命的なバグが見つかったのだ。いや、それは正確ではない。バグは見つかって「バグ」とよばれる。だが、現状は見つかってすらない。バグのような現象が発生する事が分かった段階だ。
だが、それを放置できるかと言うとそうでもない様だった。なぜなら、
『課金部分をすっ飛ばしてジェムが配布されてしまう』
らしかった。ジェムはゲーム上金銭との取引を経ないと与えられないものなのにだ。このバグの出し方を知っている者にとってみれば、ただで金を拾っているに等しい。
課長もマネージャーも今、会社に向かっていると言う。
それはイコール、俺も戻らざるを得ない、ということだった。課長にしろ、マネージャーにしろ、会社に戻ったところでコードを直せるわけもない。
『すぐにでも降りて引き返さないと』
俺はそう思い、駅に着くのを待ちきれずに立ち上がった。
「?」
俺のイラついたような表情を見たのか、正面に立っていた女性に睨まれた。
俺は気にせず、外を見ることにした。
早く戻って手を打たないと……
駅に着くなり電車を降り、すぐに反対側のホームに向かう。幸いまだ終電には早い時間だ。
階段を登りきった頃、ホームに電車が滑り込んできた。
電車に乗り込む瞬間、後ろからぶつかってくる者がいて、コケそうになりながら電車に入った。
「ご、ごめんなさい……」
声に振り返ると、そこにいたのは、まさかの理想の女性だった。
「お怪我とか、大丈夫ですか?」
涙がこぼれそうな瞳が俺を見つめていて、正直やばかった。
「大丈夫です、転びそうになっただけで…… なぜあなたもこちらの車両に?」
「いえ、べつに」
しまった、勝手に他人の個人情報に踏み込んでいた。もっと軽い話題で……
「ギィィィー」
と大きな音がして電車が急ブレーキをかけた。
慌てて手すりにつかまる。目の前にいたその女性は、俺にしがみついてきた。
社内アナウンスが流れる。
「ただいま緊急ブレーキを使用しました。原因については情報が入り次第、放送いたします」
電車は完全に停止した。
やわらかくて、いい匂いする女性に言った。
「大丈夫ですか」
女性は、ぱっ、と俺につかまっていた手をはなす。
「こちらこそ、つかまったりしてすみません」
俺は女性のどこをみていいか分からなかった。頭の中にはエロいことしか浮かばなくなっていた。
「繰り返します。ただいま緊急ブレーキを使用しました。原因については情報が入り次第、舗装いたします」
「なんでしょうね。早く動くといいですね」
少し間があってから答えがあった。
「……そうですね」
女性と視線があって俺は顔が熱くなるのを感じた。
照れてしまって、車内に視線を向けると、眼鏡をかけた男子学生が俺を睨んでいた。
「?」
スマフォを見ているような姿勢から、目だけで睨んでくる。うるさい、とでも言いたげだ。
「車両は緊急停止しています。原因については情報が入り次第、放送いたします」
車両はまだ止まっていた。
電車内は時間帯的に方向が逆のせいか、乗客は少なく座席も空いていた。
「すわりませんか?」
横並びで空いている席を指さし、女性にそう言った。
「そうですね」
車内を歩いて行き、席に座った。
眼鏡をかけた学生が、やっぱりスマフォを見るようにして、俺を睨んだ。
睨んでいるだけなら害はない。俺はそれを無視した。
座った女性の体があたる。
「狭いかな?」
「大丈夫」
俺は体の当たっている部分にばかりに気がとられていた。