日帰り勇者 ~借金チャラのために!
男として生まれて十七年。ごくごく当たり前の日常を過ごしてきた。
普通に高校に通い、中学から続けてきた空手部で稽古し、バイトして……。
一週間のうち、部活1:バイト6という一般的とは言えないほどバイトをしなければならないが、日常の範囲内ではあるだろう。
その理由が一般的とは言うにはあんまりで、『ふざけんなよ、この野郎』と叫びたくなるようなことではあるが……。
とにかく、俺は当たり前の日常を過ごしてきた。
――今、部屋に入ってくるまでは。
「あ、お帰りなさいなのです」
一週間ぶりの部活を終え、自室の扉を開けてみれば、妙に甲高い声が俺を出迎えた。
ほら、あれだ。アニメなんかのメチャメチャ作り声っぽい女の声。
こんな声が出る奴は、我が家にはいない。
苦労性の肝っ玉母さんはもっと低い声だし、中学生の妹は生意気盛りだが声はもっとまともだ。
「ありゃ、惚けてしまってますです。無理もないのです」
また同じ声がした。部屋の中心にいる何かから。
「……虫がしゃべってやがる」
「ひどいのです! 虫じゃないのです!」
抗議する声と同じように、虫がぶんぶんと飛び回る。
やがて、俺の方に飛んできた。
「ほら、よく見るです!」
ぐぐっと俺の目の前まで迫り、小さな指で自分の顔を差している。
……そう。虫だと思っていたそれは、手のひらサイズの人間だった。
金の短髪にとがった耳、まんまるの目は青、小さすぎて近づかないとよく見えないが、まぁまぁ可愛い。もっとも、男か女か分からない容姿をしているが……。
ノースリーブで丈の短いワンピース。さらに裾がギザギザになっていて、露出度がハンパない。線は細いが、女性らしい体つきでもない。やっぱり男か女か、よく分からん。
それよりも気になるのが、背中から生えた羽だ。トンボによく似た形、だがそれとは全く違う完全に透明な羽。
総合して考えると、妖精という奴だな。ファンタジーで出てくる的な。
……なぜか、冷静にこの非現実的な事態を受け止めている自分に気づいた。
あまりに現実とかけ離れたことが起こると、かえって冷静になるようだ。人間の心理って不思議だな。
「ボクが妖精だって分かってくれたようなのです。では、本題に入るのです」
「とっとと出てってくれ」
勝手に話を進めそうな虫を手で払う。「ほわっ⁉」とマヌケな声が聞こえたが、気にしない。
学生鞄を机に置き、胴着を入れるために押し入れを開け――。
「……は?」
今度こそ、俺の思考は停止してしまった。手から胴着が滑り落ち、ぼとりと音を立てるが、すでに俺の耳には届いていない。
押し入れの中の荷物がない。布団とか、今は使わない扇風機とかをしまっていたはずだ。
というか、仕切りがない。いやむしろ壁もない、天井もない、床もない。
あるのは、暗い空間。黒から灰色のグラデーションが、ぐるぐる回っている。それこそアニメで出てくるアレだ。ワープゾーン、みたいな。
「あぁ、先に見てしまったのです。仕方ないのです。話は向こうでしますです」
いつの間にか背後に回っていた虫が、どんっと俺の背中を押す。
ちっこいくせになんて力だよ⁉
俺はなすすべもなく押し入れ……もとい、暗い空間に放り込まれた。
気がつくと、俺は見知らぬ場所に立っていた。
大広間と言うのがピッタリの、広い円形の部屋。真っ白い大理石みたいな壁や床。そこに立つのに意味があるのかどうか分からない、ヨーロッパの神殿のような白い柱。
中世の城に入ったとすれば、こんな感じなんだろう。
俺は広間の中心、これまたわざとらしい赤いカーペットの上に立っていた。
いや、カーペットだけだと思っていたが、まだ何かある。なんだ? この魔方陣みたいなのは?
……魔方陣? まさか!
「ようこそお越しくださいました! 勇者様!」
背後から、嫌な予感を見事に的中させてくれた声がかけられた。
しぶしぶ振り返ると、俺と同じくらいの少女が、満面の笑みを浮かべていた。
うねうねウェーブの輝くような金髪は、腰まで届いている。優しい薄紫の瞳が、嬉しそうに俺を見つめた。
頭には小さなティアラ、耳にはシンプルなイヤリング。そしてその衣装は『お姫様』そのもの。
うーわ、来たよ。異世界転移モノ。
ゲームや漫画小説なんかで、よくあるアレだ。そんな物買ってられない俺は、友人に借りて少し遊んだり読んだりする程度だが。
お姫様がこの異世界について説明をしていく。名前とか、成り立ちとか。特に興味もないから、右から左に流れていった。
「勇者様、この世界を救うための力をお貸しください」
「お願いしますです」
いつの間にか、俺の部屋に現れた虫が、お姫様の後ろから出てきた。
全ての元凶をはたき落としてやりたい衝動に駆られながら、それ以上に重要なことを優先する。
「断る」
「はいっ⁉」
まさか、これだけハッキリと断られるとは思っていなかったのだろうお姫様と虫が、同時にすっとんきょうな声を上げた。
……なんで引き受けると思えるんだ?
「俺にはそんな余裕がない。ウチにはすげぇ借金があるから、週六でバイトが入ってる。世界を救おうってんなら、もっと裕福でヒマな奴に言ってくれ」
「で、でも、あなたが勇者様なのです! 王女様が行った空間接続の魔法で、この世界とあなたの部屋が繋がったのですよ⁉」
なんてことをしてくれやがった? ていうか、俺自身を召喚したんじゃなくて、部屋かよ。
「繋がったのが部屋だからこそ、勇者様はいつでもご自宅に帰れるのです! 空いた時間にこちらに来ていただければ……!」
虫の説得に、わずかに気持ちが揺れた。
普通(って状況自体が普通じゃないが)はそう簡単に帰れないよな? 魔王を倒すまでとか、目的を果たすまでは、元に世界に帰れないはずだ。
いや、そもそも空いた時間つーのがないんだって。
「お金が必要なら、こちらの世界でモンスターを倒すだけで手に入るのですよ!」
ふむ、それはオイシイ。ゲームみたいに、モンスターを倒せば金に変わるって奴か。
「さらに! この世界を救っていただけたら、勇者様の望みをひとつ叶えてあげられるのです!」
「ほぅ。それは元の世界の借金チャラでもアリか?」
「ぜんぜんオッケーなのです! 望みを叶えるのは、この世界の神様ですから!」
多少不安が残るが、俺の決意は固まった。
いつでも帰れる。モンスターを倒せば金が手に入る。望みを叶えるってのはマユツバものだが、最悪、成功報酬として城からなんかもらえるだろう。金さえもらえれば、オールオッケーだ。
「いいぜ、やってやるよ」
――しばらくしてから後、俺は軽い気持ちで決断したことを後悔することになる。
俺は豪華な部屋に案内され、柔らかいソファに腰を下ろした。
お姫様(この国の王女らしい)が向かいのソファに座り、優しげな笑顔を見せている。
彼女の肩に、あの虫がちょこんと座ってる。小さすぎて表情はよく見えないが、多分笑っているのだろう。
これから、説明をしてくれるらしい。
「勇者様には、魔王を倒していただきたいのです」
……来たよ、テンプレ。
王女はまともに説明しようとしているが、虫が時々チャチャを入れるせいで、うまいこと話がまとまらない。
要約するとこうだ。
魔王を倒すというより、魔王が盗んだ物を取り戻してほしいらしい。
数ヶ月前、王城がモンスターに襲撃され、安置されていたデカイ水晶が盗まれた。
水晶は『魔力』を管理するものらしい。
魔力はこの世界に当たり前のように存在しているエネルギー。俺の世界で言う、電力みたいなものか? 話を聞くと、電力より万能なエネルギーって感じだが。
水晶が盗まれた途端、世界の魔力が急激に失われていったそうだ。
突然、電気ガス水道その他文明の利器が、世界規模でストップしたみたいな? そりゃ、大変だ。
戦う力まで魔力に頼っていたから、兵士たちも無力化し、モンスターを倒す力すらなくなってしまった。
特に都市部はその傾向が強いらしい。元々魔力に頼らない田舎は、まだ大丈夫ってことか? その辺は、俺たちの世界と同じかもな。
軽く目を伏せた王女の表情が暗くなる。
「魔力はこの世界そのもののエネルギーです。魔力が尽きてしまえば、大地の恵みも徐々に失われていき、いずれ世界は滅びてしまうでしょう」
おぉ……、思った以上に事態は深刻だった。まさか世界破滅の危機だったとは。
で、残った魔力を総動員させて、この世界――正確には魔法陣と俺の部屋にある押し入れをつなげた……ということらしい。
そんな大問題に、異世界の人間を巻き込むなよ。……と言ったら終わりか?
「……ひとつ、質問していいか?」
話が一段落した時、ぶっちゃけ召喚された瞬間からの疑問を口にする。
広間にいたのは王女と虫だけじゃない。兵士らしき若い男たちもたくさんいた。そして今も、部屋の隅に突っ立っている。王女の護衛という感じで。
それだけなら何の問題もない。
彼らはあくまで護衛のためにいるようだ。一応勇者として召喚された俺に、悪意ある目を向ける者はいない。……いないのだが……。
「俺がこの城で見た兵士たち全員、鎧もつけてないし、剣も持っていないようだけど……。元からそうなのか、魔力がなくなった影響で鎧も着けられないほど弱くなったか、武具が重くなったか、どれだ?」
「……後ろの二つです」
ばつが悪そうに顔を伏せてしまった王女が、小さな声で答えた。
……最悪のパターンかよ。どっちかひとつなら、まだマシだったのに……。
この世界はマジで魔力に頼っていた、頼りまくっていたらしい。
普段は兵士たちも魔力で身体強化していたようだ。さらに、武具にも魔力が使われていた。
武具の重さも、強度も、すべて魔力で強化されていたってわけだ。
頼みの綱の魔力が極端に薄れた今、程度の低い武具は『重い、柔い、脆い』の三拍子だそうだ……。
いくら魔法に特化した国で、よい金属が手に入らないって言っても、限度ってもんがあるだろうが! 少しは工夫しろ! 鍛冶屋の職人魂はどこへ行った⁉
と、怒っていても仕方ない。
試しに剣や鎧を持たせてもらったが、とにかく重くて使い物になりゃしなかった。
――結論として、俺は武器も防具ももらえず、着の身着のまま(高校の制服)で魔王討伐の旅に放り出されることになったのだ。
……なんなんだ、このクソゲー。
町の外は、見渡す限りの草原だった。
武器なし、防具なし、金もなし。……しまった、旅の資金くらい要求すりゃよかった。
かろうじて飲み水を入れる袋と保存食。それらをまとめて入れておく、冒険者らしい革袋をもらった程度だ。……長い旅に出るってのに、あんまりな待遇だな。
「元気ないのですよ、勇者様! 旅は始まったばかりなのです!」
テンションだだ下がりの俺とは正反対に、かんに障るくらい元気な虫が、唯一の連れだ。俺が元の世界と行き来するための転移魔方陣を、コイツが扱えるらしい。……ホントかよ?
異世界で旅をする上での、ナビ代わりも勤めてくれるそうだ。魔王城までの道のりはもちろん、この世界での一般常識や詳細なんかは、コイツに聞けと。……王女、丸投げしたな?
不安とツッコミどころ満載の旅に、頭を抱えたくなる。
目先の金銭欲に捕らわれてた一時間前の自分をぶん殴りたくなった頃、ソイツが草むらをかき分けて現れた。
子供の背丈くらい。ボロボロの服を身にまとい、手には小さな棍棒。手足はささくれた枝のように細く、腹は出っ張っている。そして何より、全身の皮膚が緑色。はげ頭から縮れた髪が数束垂れ下がり、その下にはシワだらけの醜い鬼のような顔があった。
「ゴブリンなのです!」
さっと虫のナビが入る。いや、見りゃ分かるし。
もはやコレも、ゲームや小説のテンプレだ。冒険初心者でも簡単に倒せる、モンスターのお出ましだった。
ゴブリンはぎっと俺をにらみ、棍棒を振り上げた。やる気満々だな。
仕方なく、俺はスゥと空手の構えをとる。
「キィ――ッ」
なんとも弱々しいゴブリンの雄叫びに、思わずズッコケそうになった。
普通、もうちょい鬼気迫るようなもんじゃねぇの? まるで小猿みたいだったぞ。
こっちが脱力している隙に、ゴブリンは距離を詰めてきていた。ひょっとして、あれは作戦だったのか? 弱っちそうな声で油断させるとか……。だとしたら、相当頭がいい。
今の体勢では、威力の高い正拳突きは難しい。俺は無意識に、最速の攻撃を仕掛けていた。
「ていっ」
ゴブリンの脳天に、手刀を打ち落とす。
要するにチョップだ。威力も低く、モンスター相手じゃ牽制か意表をつく程度にしかならない。……と思ったのだが。
ボンッと小規模な爆発音と同時に、マンガの爆発シーンのようなわざとらしい煙がゴブリンの姿をすっぽりと覆った。その煙が消えた時、ゴブリンの姿も消えていた。
あっけにとられていると、虫の脳天気な声が飛び込んできた。
「勇者様すごいのです! ゴブリンを倒したのです!」
「はぁっ⁉ あれでか⁉」
「う~ん……、確かに弱すぎるのです。魔力がなくなった影響が、モンスターにも出てるようなのです」
つまり、何か? 魔力に頼り切った人間と同じように、モンスターも弱体化していると?
モンスターは人間に比べて、魔力への依存度が高い。魔力=生命力と言っても過言ではないらしい。
そりゃ、弱っちくなるわけだな。
……ていうか魔力がなくなったのは、魔王が魔力を管理する水晶を盗んだせいだろ? 魔王、手下を弱くしちまっていいのか?
「勇者様! 魔石を回収するのです」
ゴブリンが消えたあたりに、炭みたいな黒い塊が落ちている。虫はそれを指さしていた。
「そう言や、モンスターを倒せば金が手に入るって言ってたな。それがそうなのか?」
「魔石は魔力の塊なのです。町に行けば、時価で買い取ってくれるのですよ」
なるほど、いかにもゲームっぽい。
今回ばかりは、俺も素直に魔石を拾い上げ、袋に放り込む。
「……ちっせぇのが一個しかないが、こういうもんか?」
「最弱のモンスターで、さらに弱体化するほど魔力を失っているですから……、普通よりずっと少ないのです」
……やっぱ、クソゲーじゃねぇか。
俺は順調に草原を進んでいった。
そう……、盛大なため息が出るほどに。
「勇者様! またゴブリンなのです!」
ツッコミを入れるように、手刀を入れる。
「スライムなのです! ゲル状のモンスターなので物理攻撃は効きづら……」
空き缶を蹴るように、青いプルプルした物体を軽く蹴り飛ばす。
「オークなのです! この辺では最強のモンスタ……」
突き出された槍を素手で掴んでぶんどり、それで豚の顔をしたモンスターの脳天をぶん殴る。
試しに、奪った槍の先端を確かめてみた。刃が薄いせいか重さは感じない。力を込めると、簡単にパキリと折れた。よく冷えたチョコレートの方が、よっぽど固い気がするぞ……。てか、モンスターの武器でも魔力なしじゃガラクタか!
「……勇者様、強すぎなのです」
「奴らが弱すぎんだよ」
次々にひょこひょこ出てくるモンスターを約一秒で一体倒す。
これはもう戦闘じゃない。単純作業だ。
魔石回収がまた面倒くさい。金になるとはわかっているが、見た目が炭だから気分は完全にごみ拾いだ。
冒険はわくわくする、って言った奴は誰だ? ぶん殴ってやるから出てきやがれ。
小さな町が見えた時、ようやく旅をしていることを実感できた。ああ、異世界なんだなぁと、やっと思える。……いや、城やらモンスターの時点で、十分そう思ったけど!
「勇者様! まずは魔石を換金するのですよ!」
肩に止まる虫の提案に、素直に従う。城からもらえなかったせいで、無一文だしな。
虫の案内で換金場に向かい、店員に差し出すと二十枚ほどの銀貨に変わった。
「おい虫、これはなんだ?」
「レンド銀貨なのです。この世界の通貨なのですよ」
だよな。そりゃそうだよな。異世界で日本円なんかが流通してるわけないわな。
「……騙したな?」
怒りのオーラが出るほどに睨みつけてやると、青ざめた虫はささーっと俺から離れた。
「騙してないのです! ちゃんとお金なのですよ⁉ 勇者様の世界では使えませんけどっ、こっちでは問題なく使えるのです! こっちで品物を買ってお持ち帰りすればいいのですよぉ‼」
そうか。いつでも帰れるという利点が、ここで生かせる。
俺の怒りが静まったのを感じたのか、虫は再び肩に乗ってきた。
「何を買うですか? 大抵のお店なら、ボクがご案内できるですよ」
まさにナビだな。
虫の案内でやって来たのは、賑やかな市場だった。
大通りの店や、裏路地のヤバい店なんてのもあるらしいが、あいにく俺はそっちの方に用はない。
一瞬ナックルなんかいいかと思ったが、二秒で諦めた。魔力なしの『重い、柔い、脆い』じゃ使えねぇ。
で、考えたのが……。
「食料品、なのですか?」
持って帰るなら、生きる上で絶対必要な食料が一番いい。食費がうけば、家計はだいぶ助かる。
俺は日持ちしそうな根菜を中心に、買えるだけの食料品を買い求めている。
異世界にしては、見たことあるような物が多い。
ジャガイモそっくりのパトという野菜とか、リンゴそっくりのシトルの実とかな。
「お兄さん、いっぱい買ってくれてありがとね。これオマケよ」
と、品物を並べたおばさんが、そのシトルの実を渡してくれる。虫にはイチゴを小さくしたような赤い木の実をくれた。
どうやらこの世界では虫……もとい、妖精は当たり前にいるものらしい。見ての通り、ファンタジー世界だしな。
「甘くてオイシイのです!」
俺の肩に座りながら、虫は早速チビイチゴをほおばっている。
そういえば、部活から帰ってきてすぐ異世界に来たんだよな。夕飯すら食べていなかったことを思い出し、俺もリンゴもどきをかじる。
シャクッとした心地よい歯ごたえ。さわやかな甘みと、適度な酸味が口いっぱいに広がった。見た目も味も、完全にリンゴだ。
「うまい……。果物なんて久しぶりだな」
「ほわ? 勇者様、見たことないくらい優しい顔してるのです」
なんか気になる言い方だが、今は捨て置こう。せっかく気分がいいのに、台無しにしたくはない。
すげぇ借金がある俺の家では、果物など贅沢品だ。
借金の原因は、俺の親父。俺が中学に上がる直前、借金だけ残して失踪しやがった。
友人の連帯保証人になったとか言うならまだ許せるが、親父の場合はギャンブルだ。
『出る気がする!』と言ってはパチンコでスり、『今度は来る!』と言っては競艇でスり、『今までの分を取り戻す!』と言っては競輪でスる。親父のせいですっかりたくましくなった肝っ玉母さんにどやされて土下座するが、次の日にはこっそり出かけて競馬でスる。
これだけ見ても最低親父ではあるが、こんなエピソードがある。
親父は当時小一の俺を連れてパチンコ屋に行った。当然のようにスり、床に落ちてるパチンコ玉を探す手伝いを俺にさせたのだ。『体小さいから、狭い隙間でも入れるだろ』とか言いながら。
……当時は分からなかったが、今なら分かる。ガキに何させてんだ、あのくそ親父!
失踪してから、親父には一度も会っていない。
万が一出会ったら、とにかくボコると決めている。
そのために、中学から空手部に入ったんだからな! 今、思わぬ形で役に立ちそうだが。
「……勇者様も苦労してるのです」
哀れんだような目で、食いかけのチビイチゴを差し出してきた。……いらねぇ。
「お、もう暗くなるな」
大量の野菜が入った紙袋を持って市場を歩いているうちに、ずいぶん時間が経ってしまったらしい。
茜色の時間が過ぎ去ろうとしている。反対側の空は、夜の気配が色濃くなっていた。
「じゃあ、この町で宿を探すのです!」
「いや、家に帰る」
虫が「へえぇっ⁉」とすっとんきょうな悲鳴に近い声を上げた。俺はそんなに変なこと言ったか?
「だってっ、まだ六時間ほどしか経ってないのです! もう帰っちゃうですか⁉」
「宿なんか泊まったら、金がかかるだろうが!」
「あ、それもそうなのです」
ついさっき我が家の悲惨な現状を話したせいか、この言葉であっさり納得したようだ。
守銭奴だと思われないか心配だが……。いや、それ以上に心配が……。
「つーか、ホントにすぐに帰れるのか?」
「大丈夫! 任せてくださいです!」
どんっと自分の胸をたたく。強すぎたらしく、げほげほとむせていた。……不安だ。
一歩足を踏み出すと、そこは薄暗い部屋。
窓から入る弱い月明かりだけでも、この部屋は見間違えようがない。俺の部屋だ。
「ホントに帰ってこれたな……」
人目につかない場所で、虫がなにやら呪文を詠唱したかと思えば、俺の足下に光輝くの魔方陣が浮かび上がった。一瞬で目の前が真っ暗になり、一歩踏み出せば自分の部屋、というわけだ。
俺は今、押し入れから出てきたことになる。押し入れは相変わらず、黒と灰のグラデーション状態になっている。……まだ、異世界と繋がってるってことだな。
つーか……、入れてあったはずの布団はどうすればいい? 今夜から俺、布団なし?
部屋の明かりをつけた時、閉めた押し入れの奥からゴンッと何かがぶつかるような音が聞こえた。次の瞬間には、ふすまがわずかに開き、泣き顔の虫が顔を出す。
「閉めないでほしいのですぅ~……。頭ぶつけてしまったのですよぉ」
「って、なんでお前までこっちに来てるんだよ?」
「ボクの仕事は勇者様のサポートなのです! つきっきりでお世話するのです」
「いらねぇから、向こう帰っててくれ」
こんなファンタジーなもんが、こっちの世界にいたら大騒ぎだ。
「……――ちゃん? いるの?」
部屋の外からの声にハッとし、振り向いた時にはもう遅かった。
勝手に扉を開けた妹が、廊下からのぞき込んでいる。俺と目が合った瞬間、ズカズカと部屋に入ってきた。
「お兄ちゃん、いつ帰ってきたの? 今まで何してたのよ? お母さんも私も心配してたんだから!」
顔をぷぅと膨らませている様子から見て、結構かなり怒ってる。……ヤバい、中三になって説教くさくなってるんだよなぁ、コイツも。
ていうか、心配するほど遅くもないだろ。と思いながら時計を見ると、十二時を過ぎていた。……マジかっ⁉
「ねぇ、お兄ちゃん……。それなにっ? 妖精⁉」
あ、早速バレてた。
どう言い訳しようかと考えているうちに、虫の奴! 何を思ったか、泣きながら妹に飛びつきやがった!
「妖精! 妖精って言ってくれたのです! 勇者様なんて『虫!』としか呼んでくれないのに! ご兄妹とは思えないくらいお優しい方なのですぅ~!」
「え⁉ ちょ、なに⁉ ……勇者って、お兄ちゃん?」
……妹よ。頼むから『こいつ厨二病か?』と言いたげな目で、俺を見んでくれ……。
その後、母さんも交えて一から十まで説明した。真実を包み隠さず!
異世界で買ってきた大量の野菜と、なにより虫の都合のいい言い訳など思いつくはずないだろ!
まぁ、証拠が目の前にあるから、二人もあっさり納得してくれたが。
「へぇ~、異世界の野菜ねぇ。ちょっと違うのもあるけど、ほとんど一緒だね。いやぁ、食費がういて助かるねぇ!」
野菜を一つ一つ手にとって満足そうに笑った母さんは、いそいそとそれらを片付け始めた。
うん、お気に召したようでなにより。
「異世界で冒険かぁ~。ホントにゲームみたいだね! ねぇねぇお兄ちゃん、どんな感じ?」
キラキラした目を向ける妹は、俺や虫からもいろんな話を聞きたがった。
まだまだ夢見がちで、ある意味安心したよ、俺は。
「お肉とか魚、卵もあるといいねぇ。あとお米とかあったら買ってきておくれ」
「あ! だったら私も異世界の珍しいお菓子とか食べてみたい!」
なんか二人とも、異世界を無料のスーパーとか思ってねぇか? 向こうで稼ぐから、元手は無料だしな。
「しっかり異世界救っておいで! おいしいご飯用意して待ってるから!」
「お兄ちゃんの家事当番も私が代わってあげる! がんばってね!」
「おう!」
家族の声援を受け、ありがたいことに、俺のやる気メーターはみるみる上がっていった。
気持ちが一つになる。俺たちは高らかに声をそろえた――。
「借金をチャラにするためにっ‼」
「……仲のよいご家族なのです」
呆れたような虫の小声が、後に続いた。
うるさい。人間、共通の目的と敵があれば、自然と団結力が強くなるものだ。
共通の目的――借金チャラ。
共通の敵――親父。
――それから、まったく新しい生活が始まった。
普通に高校に通いバイトを終えてから、汚れてもいい私服に着替えて異世界に旅立つ。……制服を汚すわけにはいかないしな。
夕方までの冒険。そのくらいに帰れば、丁度寝る時間の前くらいになる。宿など泊まってたまるか、自分の家なら無料だ!
さすがに部活はしばらく休むことを伝え、バイトも減らした。体を壊しては、元も子もない。
俺と虫の旅は順調に進んだ。草原だけでなく、森、砂漠、雪原なんかもあった。火山地帯なんてものあったが、魔力が薄れた影響で、火山活動は静まってしまったらしい。
進むごとに、いろんなモンスターを見た。
狼や熊みたいな、元の世界でもいるような奴。デカい食虫植物みたいなのが、勝手に動き回ってる奴。人間の身長の三倍はありそうな巨人などなど。
ゲームにしか出てこないような、強そうな奴らがそこら中にいた。
……結論から言う。二、三発も殴れば倒せた。弱体化にもほどがある!
さらにモンスターの攻撃力がショボい! 鎧なんかいらんわ、と言えるくらい弱い。そもそも、動きそのものが遅いから、簡単によけられる。
大量の狼もどきに囲まれても、無傷で切り抜けるとか。身長の三倍の巨人を素手でぶっ飛ばすとか。……我ながら、端から見ると、ものすごいシュールな構図だよな。
モンスターを倒して魔石を集め、町で換金して、食材を買う。
町ごとに売り物が違った。大きな牧場が近い町、漁業が盛んな町。町によっては母さんご所望の肉や魚、卵が簡単に手に入った。
米はさすがに見つからなかったが、かわりに買ったパンがよかったらしい。『明日の朝食はパンだよ!』とかなりテンションを上げていた。普段は腹にたまる米を優先して、パンはほとんど買わなかったからな。
妹ご所望の菓子類は、残念ながら見つからなかった。虫曰く、異世界で菓子は超高級品。大都市の貴族くらいしか買えないらしい。
かわりに、虫おすすめの甘い果実を買った。
菓子がないことは残念がっていたが、果実は気に入ったらしい。虫と分け合って、嬉しそうに食べていた。……虫、お前が食いたかっただけじゃねぇよな?
そんなこんなで、順調に俺の『日帰り勇者』生活は続いていき……――。
俺は、深い森の中を歩いている。
厄介な敵を目前にし、わずかに緊張していた。
「勇者様、さっきから何を真剣に読んでいるのです?」
すっかり定位置となった肩の上から虫が、俺の手元にある本をのぞき込んでくる。
「英語の教科書。明日からテストだからな」
答えてやったものの、虫には意味が分からなかったらしい。「はぁ……」と微妙な返事をして、黙り込んでしまった。
厄介な敵? テストのことに決まってんだろ。この世界に厄介な敵なんていない。
前も見ずに森を歩く。気配だけで障害物をさけ、時々飛び出てくるモンスターを足技だけで瞬殺する。おっと、魔石の回収だけは忘れない。
バイト部活三昧で机に向かって勉強するヒマなどないから、歩きながら教科書を読むのはいつものことだ。
慣れてない奴が前見ずに森なんか歩いたら、確実に転ぶぞ。
テスト範囲を何度も読み返しながら、森を歩く。……他の教科も持ってくればよかったな。
などと思っていたら、薄暗かった視界がぱっと明るくなった。
森が開いて、ちょっとした広場になっている。丈の低い草がところどころに生えている以外は、広場の中央に白い建物があるだけだった。
建物と言っても家じゃない。壁はなく、丸い台座に四本の柱が立ち、その上に丸い屋根が乗っかっている。すべて白い大理石みたいだな。
その台座の中央に、一振りの剣が突き刺さっていた。ファンタジーなロングソード? とかいうやつか。なんか、刀身が光ってるし……。太陽光の反射じゃないぞ、多分。
「勇者の剣なのです! やっと見つけたのですよ!」
あぁ、今日に限って森に引っ張ってきたと思ったら、このためか。
興奮気味の虫は、剣を指差しながら、俺と剣に向けた視線をせわしなく交互させる。
「勇者様、剣をとるのです! あの勇者様だけが引き抜ける剣でしか、魔王を倒せないのですから!」
どっから出たんだ、そんな情報。ていうか、陳腐すぎてむしろ恥ずかしい。
俺は素手で十分だという言い訳も、通用しなさそうだ。かといってスルーしたら、それはそれでうるさいだろう。
仕方なく、剣に近づく。
(……待て)
突然聞こえた爺さんのような声に、思わず足を止めた。耳に聞こえたのではなく、まるで心に直接語りかけられるような不思議な声だ……。
やがて、俺たちと剣の間に、何か大きな影が現れた。
半透明だったソイツは、徐々に実体を持ったようにハッキリと目に映る。突然、幽霊が見えるようになって、しかも幽霊が目の前で人間に戻ったみたいな状況だ。
『ここは異世界、ここは異世界。どんなにあり得ねぇって思っても、ここでは常識』と自分に言い聞かせる。ぶっちゃけ、そう言わなきゃいけない状況が何度もあったよ。ありまくりだ!
さらに、現れたソイツにも文句を言いたい。
顔だけで人の身長はありそうな、デカいライオンもどきだった。
顔はライオン、だが舌だけは蛇のように細長い。猛禽類のような翼を持ち、胴体は虎っぽいが、背中はワニの背のようにごつごつしている。前足と後ろ足は、それぞれが明らかに違う動物の足。しっぽは二本あって、頭付きの蛇とサソリのしっぽが……。
盛りすぎだ! ゲームでよくあるキメラにしたって、ほどがある‼
(汝が剣にふさわしいか、否か……。我に示せ)
肩の虫が、小声で解説を入れてきた。
心に直接語りかけるような声は『念話』と言うらしい。魔力を使って、相手の心に直接、自分の心の声を届ける。異世界版テレパシーだな、簡単に言うと。
(異世界の勇者よ……、剣に認められたくば、我を倒して見せよっ!)
「――っ⁉」
「ひゃあっ⁉」
ライオンもどきの、すさまじい咆哮が俺たちを襲う。
ただのデカい声じゃねぇ! ビリビリと周囲が震動するほどの風の塊。衝撃波とでも言うのだろうか?
とっさに足を踏ん張らなければ、吹き飛ばされていたかもしれない。
虫も、反射でガードした俺の腕と教科書がちょうど盾になったようで、なんとか肩につかまっている。
とにかく、この弱体化した世界で、まさかの強敵だ!
咆哮が止んだスキに、俺は大きく後ろに跳んで距離をとった。
「虫! 俺から離れてろ!」
「は……はいなのです!」
素直に肩から飛び立った虫を確認する間もなく、ライオンもどきが大口を開けて迫っているのに気づく。
俺は唯一の武器を強く握り、思いっきり真一文字になぎ払った。
(ぐはぁっ⁉)
バシーンッとハリセンでぶっ叩いたような痛快な音が鳴り響き、ライオンもどきの巨体が地面に倒れ込んだ。
現在唯一の武器――英語の教科書によるビンタだった。
……強敵だと思ったが、やっぱ弱体化してたみたいだな。地面に倒れたまま、ピクピク震えてやがる。
最凶と言われる技、本の角攻撃も一回やってみたかったんだがな。……ちっ。
(ほ……咆哮と念話でっ、少ない魔力を削られてしもうた……っ)
いや、無理してカッコつけるなよ……。
「さすがなのですっ勇者様! 剣の守護獣を倒したのです!」
決着がついたと思ったらしい虫も、俺の肩に戻ってきた。
(み……見事だ、勇者よ……。約束通り……、勇者の剣は汝の物だ……)
途切れ途切れの念話は、やがてその姿と共に消えていった。
だから、カッコつけるために無理して念話でしゃべるなっての。
まぁとにかく、虫にせかされながら、台座に突き刺さったままの剣を握り、引き抜いた――。
……軽い。剣というよりむしろ、自分の腕の延長のような一体感すらある。この世界の『重い、柔い、脆い』三拍子のガラクタとは全く違う。俺でも、特別な剣であることを感じ取れる。
だが……。
「おい虫、鞘は?」
「へ?」
「だから、さ・や・は? こんなもん、抜き身で持ち歩けってのか? 腰か背中に下げられるベルトとかもいるだろ」
「えっと……それは……。近くの町で買いましょうなのです……」
ぴきんっと、俺の額に青筋が立つ。
我知らず、あのライオンもどきの咆哮並の怒鳴り声が上がっていた。
「無駄な出費させやがってぇ――――――っ‼」
この剣、どっかに売ってやろうか。
無事にテストも終わり、次の休みの日。俺は、朝から異世界にやって来た。
今日ばかりは、夕方まで詰まっていたバイトを全て休んで、ここに立っている。
――魔王城の前に。
中世ヨーロッパをイメージさせる立派な城だ。ただし外壁は真っ黒で、空までどろどろとした黒い雷雲が広がっている。
さすがファンタジー異世界、雰囲気は出てるな。すっげーわざとらしいが。
「ついにここまで来たのです……」
やっぱり肩に止まる虫の声も、どこか緊張しているようだ。
俺の方はと言えば、魔王城――つまりはラストステージに行こうというのに、いつも通りの私服。結局、旅の間にいい装備なんて手に入らなかったからな。
腰には一応、以前手に入れた剣を装備している。鞘もベルトも自腹で買ったよ!
だが、今まで一回も使ってないんだよな……。むしろ邪魔だ。
俺たちの目の前には、デカイ両開きの扉がある。
てか、無駄にデカすぎる。縦に並んだキリンが通れるぞ。
力を込めて押すと、ギギギ……と古びた蝶番が悲鳴を上げる。
扉の向こうは大きな広間だ。中央の奥に広く長い階段があり、その前にひとつの影が佇んでいた。
「よくぞここまでたどり着いたな、異世界の勇者よ……。だが、ここが貴様の墓場になるのだ!」
ありがちなセリフを吐いてくれたのは、一目見て人間やただのモンスターではないと分かる奴だった。
ファンタジーの魔術師が着るようなローブと、大きな宝石がついた杖。一見成人男性のようだが、肌は深い紫。ツルンとした仮面をつけているように見えるが、素顔らしい。
ファンタジーかゲーム風に言うなら、『魔族』という奴か?
「我は四天王が一人……。勇者よ、覚悟せよ!」
魔族が杖を掲げ、なにやら呪文を詠唱し始める。
『四天王』って……、リアルで聞くと厨二病くさいな。
「地獄の業火で、消し炭になるがいい! 煉獄火炎‼」
うわっ、魔法がまさしく厨二病だ!
魔法の威力はといえば、杖の先から本当に炎が出た。……ライターくらいの火力で。
「魔力が極端に薄れてしまってるですのに、上級魔法なんか使えるわけないのです。ちょっと考えれば、分かるのです」
「うっ……!」
冷静な虫のツッコミが、魔族の心臓に突き刺さる。
「魔術師は四天王最強って聞いたことあるですけど……、魔法が使えないから、最弱になっちゃったのですね」
「くうっ……!」
図星らしい。なんか、虫の精神攻撃がすげー効いてるな。
「魔法が使えない魔術師は、ぶっちゃけ役立たずなのです」
「はうぅぅっ‼」
胸を押さえて、苦しみだした。言葉のナイフどころか、槍がぶっ刺さった気分だろうな。
「……そろそろやめてやれ。さすがに俺でも、かわいそうになってきた」
きょとんと首をかしげた虫が、「何をです?」と無邪気な瞳で見上げている。
自分が情け容赦ない精神攻撃をしていたことなど、まるで気づいていないようだ。……ある意味最強だな、コイツ。
カタンという小さな音に目をやると、うなだれた魔族が床に膝をついていた。音の原因らしい杖が、魔族から離れた場所にうち捨てられている。
「ふっ……、我を倒すとは、さすがは勇者よ……」
「いや、俺なにもしてねぇし」
客観的に見れば、虫が悪口(ある意味事実)を言っただけだし。
「一体、どうしてこうなってしまったのか。魔王様があの水晶を奪ってから、何もかもが変わってしまった……」
……人を無視して、語り出しやがった。
「魔王様はどういうおつもりなのだろう? 我はてっきり、水晶で人間どもの魔力を奪い滅ぼし、我ら魔族だけの世界を作り出してくださると思っていたのに」
今、さらっと物騒なことを言いやがったが、しばらく黙って聞くことにした。いちいち反論するのも面倒くさい。
「人間どころか、世界や我々の魔力すらほとんど奪ってしまった……。世界を滅ぼすおつもりなのか、それとも世界を犠牲に、自ら究極体になろうとなさっているのか……」
魔族はその仮面のような顔を、キッと俺に向けてきた。
「勇者よ、貴様に頼むのは筋違いだと分かっている。それでも……どうか、魔王様を止めてほしい……! 我にはその力がない。だから、どうか……」
がばっと、魔族の頭が下がる。床に押しつけんばかりに、俺に頭を下げる。
魔族が勇者に頭を下げる。屈辱以外のなにものでもないだろうに、魔族は「頼む」と頭を下げ続ける。
俺は魔族の脇を通り過ぎ、階段を上り始める。
「頼まれるまでもない。俺はそのために、ここまで来たんだからな」
すでに背中を向けているから、魔族の様子は分からない。それでも確かに「すまない」と聞こえた。
階段を駆け上がる。魔王を目指して、魔王を倒すために。
――借金チャラのためにっ!
「そこはウソでも、『この世界のために』って言ってほしかったのです‼」
「うおっ⁉ 地の文にツッコミを入れるとは、虫も成長したなっ」
長く長く伸びる階段は、そのまま魔王の間まで続いているようだ。
だがその途中、他の四天王が道をふさぐ――!
「俺は四天王最強の武闘家! 勇者よ、俺の鉄拳をくらえ‼」
突き出された拳に、同じように拳を突き出す。文字通り、拳をぶつけ合った。
「ぐぎゃあぁっ⁉」
……相手の拳だけが、粉砕骨折した。鉄拳の九割方は、魔力の底上げ強化だったらしい。
「おではしてんのおで、いちばんタフ! おまえのパンチなんかきかないぞ!」
縦は俺の二倍、それより若干長いようにすら見える横幅を持つ、ぜい肉ダルマ。なるほど、殴る蹴るの物理攻撃ではぜい肉にはじかれるだろう。
足払い一発で、あっさり転倒。球に近い体はゴロゴロ転がっていき、壁に頭をぶつけて気絶した。
頭は弱い。いろんな意味で。
「私は四天王最強の剣士、美しき青いバラ! 勇者よ、私の美しさの前にひれ伏すが……ぎゃあぁっ⁉」
なんか、やったらナルシストでプライド高そうな奴だったから、ぺらぺらの剣と共に一蹴でへし折ってやった。
てか、四天王の武器ですら『重い、柔い、脆い』のガラクタだった。
「僕はしてん……、ぐっ! げっ! がはぁっ⁉」
聞くのも面倒くさかったから、速効で練習中の空手技――三段連続回し蹴りをくらわせた。
技はキレイに決まったが、相手は口から泡を吹いて白目をむいている。
……さすがにやりすぎか? 悪い。
象でも入れそうな、またもや無駄にデカい扉の前にたどり着いた。
「この先がきっと、魔王の間なのです。ついにここまでたどり着いたのですね、勇者様!」
「……さっきの奴ら、四天王と言いつつ五人いたぞ?」
「魔王の目前なのですよ⁉ 倒したのだから、どうでもいいのです!」
ま、言われてみればそうだ。
俺は頭を切り換えて、目の前の扉を押した。
城の入り口に比べれば軽い。が、やはり耳障りな金属の軋む音が響く。
扉の向こうは、薄暗い大広間になっていた。体育館くらいはあるだろうか。
一番奥が、ステージのようになっている。その中央に黒い玉座。ゆっくり歩いて行くと、そこに一人の男が座っていることに気づいた。
――こいつが……『魔王』。
「よくぞここまでたどり着いたな、異世界の勇者よ……。だが、ここが貴様の墓場になるのだ!」
……いや、そのセリフ、たしか最初の四天王と全く同じだが、いいのか?
「ついに追い詰めたのです、魔王……! あなたの悪行もここまでなのです! 勇者様の正義の刃で成敗してやるのですっ!」
相変わらず肩に乗る虫が、勇者らしいセリフを言ってくれた。
そんな小っ恥ずかしいセリフ、言えって言われても俺は絶っ対に言わない。
歩みを進める。
ようやく、魔王の様子がハッキリ分かるようになってきた。
偉そうに頬杖をつき、玉座にふんぞり返っている。魔王っぽい黒いローブを着ているが、姿形はほぼ人間……、ていうか人間だ。
ハッキリ断言できる理由……それは……。
「親父ぃっ⁉」
思わず叫んでしまったが、玉座にふんぞり返っているのは、五年近く前に失踪した俺の親父だった!
耳元で、虫が「えぇっ⁉」と大声を上げる。
親父はと言えば、俺の顔をまじまじと見た後、「げっ!」とうなって顔を背けた。滝のような冷や汗を流しながら。
「なっななな何を言うのだっ? オレは親父などでは……」
「床にパチンコの玉が落ちてるぞ」
「なにぃっ⁉」
自らぴょんとステージを降り、俺の周りの床をきょろきょろと見回している。幻のパチンコ玉を求めて。
「どこだっ⁉ 玉はどこだ⁉ 落ちてる玉はオレのもんだぁ――っ‼」
「やっぱ親父じゃねぇかっ‼」
とりあえず、殴る。
床に倒れ込んだ親父の胸ぐらを掴み、無理矢理上半身を起こさせた。
再び、親父の顔に滝の汗が流れる。
「ひっ……ひさしぶりじゃないか、息子よ! とりあえず落ち着いてだなっ、酒でも飲みながら話でも……」
「俺はまだ未成年だ。息子の歳も忘れたのか、親父?」
ニッコリ笑いながら、胸ぐらを掴む手に力を込める。
「あぁ、酒はまずいか……。今は話をしよう、なっ? なっ? お前だって、オレがなんでこんな所にいるかとか、なんで魔王なんてやってるかとか気になるだろ?」
「話は後だ。親父に会ったら、とにかくボコるって決めてるからな」
最上の笑顔のまま、親父に見せつけるように拳を振り上げてやった。
ざぁと音がした気がするくらい、親父の顔から血の気が一気に引いていく……。
――魔王の悲痛な叫びが、城のすみずみまで響き渡ったとか、渡らなかったとか。
俺と親父は、バカデカい部屋の中央に向かい合って座っている。
俺はあぐらをかいて、虫はやっぱり俺の肩に腰掛けて。親父は正座で、肩身が狭いのか小さくなっている。顔面が腫れてるが、一応大怪我はしない程度に手加減した。
「で? なんで親父が異世界で魔王なんてやってるんだよ?」
「おうっ、聞いてくれよ! 何ヶ月くらい前かなぁ? 競馬でスっちまって、やけ酒飲んだら川に落ちちまって……、気がついたら変な場所にいたんだよ!」
……この時点で、もう一回殴りたくなった。ギャンブル狂は相変わらずか!
「城みたいな妙な建物の中だったかなぁ? 目の前にデカい水晶があってな。多分、酔ってたせいだな。高価く売れそうだなぁと思ってたら、盗んでた」
本格的にダメ親父かよっ⁉ そこは踏みとどまれよ、酔ってたとしても!
「水晶持ったまま外に出たら、変な奴らが『魔王様ー!』って寄ってきてな。それから、ずっとここに住んどるってわけだ!」
変な奴らとはモンスターのことだろう。当時、魔王の座は空位で、魔力を管理できる水晶を手にした親父が、魔族にとっての救世主――つまりは魔王に見えたのだろう。……と、これは虫の意見だ。
それだけなら、世界から魔力が奪われるのはおかしい。
親父はロクデナシだが、悪人じゃない。世界を滅ぼそうなんて大それたことを考えるわけがない。自分が究極体に、なんて想像すらしないだろう。
「あ、そうそう聞いてくれよ! あの水晶、すっげーんだよ!」
なぜか、親父が得意げな笑顔を見せている。……嫌な予感がするのは、なんでだ?
「ある日さ、ギャンブルしてぇなーって思ってたら、水晶がパーッと光ってだな。なんか炭みたいな石がゴロゴロ落ちてきたんだよ! 試しに町で売ってみたら、すっげー値段で売れてさ! それからカジノに行き放題だよ! 日本にカジノなんかねぇからなぁ~、いや~楽しいぜ~? 結局、スっちまったけどな! 元手はオレの金じゃねぇからいいか~ってな!」
がっはっはと豪快に笑っている親父は置いといて……。
肩に乗る虫に、ちらりと目を向ける。……冷めた目してるな、お互いに。
「……なぁ、まさかとは思うが、水晶から出てきた炭みたいな石って……」
「魔石なのです……。しかも多分、世界中から奪った魔力でできた強力な魔石だと思うのです」
「だよな。……ということは……」
簡単に言えば、『この世界はカジノのために滅びかけた』ということだ!
「……虫、このことは……」
「分かってるです勇者様、誰にも言わないのです。……ていうか、くだらなすぎて誰にも言えないのですよ……」
虫にしては珍しく……むしろ初めてかもしれない、辛辣な言葉が吐き捨てられた。
普段はお気楽そうな虫の目が、まるでゴミでも見るように親父を見つめている。……多分、俺も同じ目をしているだろう。
「とりあえず……虫、少し下がってろ。もう一回、親父ボコるから」
「はいなのです、勇者様」
「なんでっ⁉」
自分の胸に手ぇ当てて考えてみな、世界の敵。
――再び響き渡った魔王の悲鳴に怯え、城中の四天王やモンスターたちが、すみっこに固まってガタガタ震えていたとか、いなかったとか。
それから、奪われた水晶と周りに転がったままの魔石を回収。さらにはふん縛った親父を連れ、俺が最初に召喚された城に戻ってきた。
すぐ王女に水晶と魔石を返還し、水晶の力によって、魔石の魔力が世界に戻された。
……詳しいことはよく分からんが、とにかく、世界は滅亡の危機から救われた。
俺は世界を救った勇者として讃えられた。
ついでに一度も使われることのなかった勇者の剣は、世界を救った伝説の剣として、神殿に安置されることになった。……いいのか、それで?
さらに、俺を主役にしたパレードが企画されたが、それは丁重に断った。王女や城の関係者が「なんと奥ゆかしい!」と感激していたが、本音は「そんな恥ずかしいもんに出てたまるか!」だ。
代わりに、元の世界でも換金できそうな金塊や宝石をもらった。そっちの方が助かる。
――一方、親父はといえば……。
世界を破滅手前まで追い込んだ魔王として、半日くらい広場でさらし者にされてた。
人々から怒号や罵声を浴びたり、なぜかクスクス笑われたり、子供らに腐った卵をぶつけられたりしてた。親父にはいい薬だ。
俺は帰還。親父は追放という形で、元の世界に戻ることになった。
いつものように虫が魔方陣を出してくれたが、それからが大変だったな……。
ずっと一緒にいたせいか、虫が泣きわめいてた。それにつられて、俺もなんか気恥ずかしいセリフを吐きまくったような気がする……。
思い返しても赤面しそうだから、ここは割愛させてもらおう。
――とにかく、俺と親父は異世界から元の世界に帰ってきた。
帰ってきた時は夜。母さんと妹は台所にいた。
異世界から帰還も相まって、五年近くぶりの再会に感極まった親父が二人に抱きつこうとした。が、その前に母さんからは往復ビンタ。妹からは「お父さんなんて大っ嫌い!」という手痛い出迎えを受けていた……。
往復ビンタより、「大っ嫌い」の方が効いてたな。ナイスだ、妹!
その直後、母さんから朗報があった。なんと、マジで借金がチャラになってたらしい! 望みを叶えるなんてマユツバものだったが、生まれて初めて(異世界の)神を尊敬した。
それもあってか、親父もなんとか二人に受け入れられ、一緒に暮らすことになった。
――こうして、俺の『日帰り勇者』の生活は終わりを告げ、日常に戻った。
部活を終え、俺は自宅への道を歩いている。
借金がチャラになり、さらに異世界からもらった金塊や宝石を少し換金したため、我が家は多少の余裕ができていた。
異世界に行くために減らしたバイトはそのままに、部活に出る日を増やした。
親父をボコるために始めた空手だが、今ではそこそこに楽しんでいる。
「休んでたのに、前より強くなったな」と他の部員から驚かれた。ショボい敵ばかりだったが、一応は実戦続き旅が、俺を強くしていたらしい。
いい気分のまま、自宅に着いた。
「大変だよっ‼」
玄関に入った途端、台所から母さんが飛び出してきた。手には小さな紙切れを持っている。……すっげー嫌な予感がするが?
「母さん……? 聞きたくないけど、どうした?」
「これ! これ見ておくれ!」
差し出された紙切れを見て、頭の中でぷちっと何かが切れる音が聞こえた。
『パチンコでスっちゃった。ごめんちゃい! パパより』
内容も内容ながら、ふざけた文が余計に神経を逆なでする。あまりに強い怒りを感じると、かえって笑い声がもれるものだと、初めて知った……。
紙切れが俺の手の中でぐしゃぐしゃに握りつぶされた時――。
「勇者様――――っ‼」
二階から虫が階段を駆け下り、いや、飛んできた。てか、なんで虫がこの世界に⁉
「お前っ、なんで……?」
「大変なのです勇者様! 魔王が帰ってきたのです‼」
ぷちっと、同じ音が聞こえた。……アイツ、人の血管何本切れば気が済む?
「勇者様、もう一度ボクたちの世界へ……。世界を救ってくださいなのです!」
再び肩に乗る虫に、目だけで合図を送る。
ああ、行ってやるよ。行ってやるとも。
母さんの声援を受けながら、俺たちは階段を駆け上がる。俺の部屋、もとい異世界に向かって!
新たな決意を胸に、高らかに叫んだ――。
「首洗って待ってやがれ! あんのくそ親父ぃ――――――っっ‼」