序 紅葉狩
初小説、初投稿です。
大体、3から4つほどで終わりの予定です。
なお仕事の気分転換に書いているので、趣味全開です。
それでも、という人はどうぞ。
一応、あとがきに補足入れときます。
※作者は能楽師ではありません。
[ 序 ]
狂った女は美しい。そう思うようになったのはいつからだったろうか。
死にかけの母が子の為に深更、食事を作っているのを見た時だろうか。上村松園の描いた『花筐』の照日之前が、帝を慕って着崩れて現れた時だろうか。否、その前から漠然とした想いはあり、日々刻々と募って下地はあったのだ。
それが形象を成したのは、父の演じる能『砧』を目にしたときだった。歴史浅い家ながらも、我が家に伝わる曲見の面を掛け、橋掛りに立つ横顔を幕間より見た時、その枯れていく花の爛々たる狂気に私は当てられた。
男に、夫に、或いは子に、または忠義に、恩愛に、生死に狂う人間の様というのは、かほどまでに活き活きとして心を掴むものなのだということを、その時知ったのだ。
だから、心惹かれたのも無理はない。彼女もまた、狂っていたのだから。
[ 紅葉狩 ]
その女が来たのは、時雨降る秋の昼下がりだった。紅葉色めきたち、 蝉の声は途絶えて虫の音にはまだ早い、そんな中を歩いて稽古場に入ってきた。連れてきたのは母親で、母親の方は見るからに気品ある育ちのいい、古い言い方ではあるが、女性としての教育を受けた人だった。
だが、そんなことはどうでもいい。どうでもいいくらい連れてこられた彼女は変わっていた。まず服装は良家の淑女たるべくといった、古典的で品の良い薄い空色のワンピースである。長い黒髪をカチューシャで後ろになびかし、顔をはっきり出しているのだが、問題はそこにある。年相応に肌には艶があり、化粧気のない顔立ちは好む者にとっては心臓を射抜かれる如き容貌でありながら、希望というものを感じさせない目つきの奥に、暗闇たる光が虚空を照らしているかの如くである。
明らかに今を生きている人のそれではない。
電話を受けて自分が担当することになったときは、若い女の子が習いに来る、と心内で喜んだものだが、蓋を開けてみればこれである。
わかっていたことだが、能を習おう、という殊勝な心掛けの人間は大体、世間一般に見て普通ではない。もっとも、師弟ゴッコという仮初の関係で結ばれるが故に見えてしまう部分が多いだけなのかもしれないが。人間はみな普通ではないのだ。
ともかくも、その場で母親から挨拶と事情を聴いているときですら、その女はこちらを見ようとしなかった。ただ稽古舞台前にある応接用の腰掛に無駄に姿勢よく座って、外を見つめている。まるでこちらに興味がないらしい。
これは駄目だな、そう思っていた。
「もしもし。聞いておられますか」
それが自分への問いかけだったと気づくのに三秒かかった。いつのまにか女の視線を追っていたらしい。目の前の母親は怪訝そうな顔をしている。
「すみません。お嬢さんが何を見ているのか気になったもので」
内心慌てているのを外面は抑えて、平然と言い繕う。勿論、その場をごまかすこと以外に他意はなかった。
「ああ! またこの子は。申し訳ございません、ほんとうに」
気立ての良い母親が頭を下げるのを見て良心の呵責が起こる。
そんなつもりで言ったのではないのだが、そう言葉を発する前に声がした。
「木の葉を眺めていました」
このような声は初めてだった。
風吹けば散りそうな佇まいにそぐわない、はっきりとした声。
意志の強さを感じる声だが、その対象がどこに向かっているかわからない、足元のおぼつかない声だ。その空虚にして明朗たる声に呆気にとられていたのも束の間、諌める母親を無視して思わず尋ねた。
「木の葉に何が?」
やはり、こちらを見ることもなく女は答える。
「紅葉の中に青葉が。・・・・・なぜ夏の葉が秋の紅葉に色づかなければならないの?」
後半は独り言であるらしい。またか、といった様子の母親が小声で咎める。それよりも小さな声であったのに、よく通る声の為に、彼女の不満ははっきりと私の耳に届いた。
季節が巡る。それは当たり前のことだ。当たり前のことなのに、この女は始めからそれがすごく嫌そうだった。他の事は何一つ読めないが、それだけはぼんやりとわかった。そういう印象だった。
「時雨が葉を染めるからです」
気づけば口が勝手に動いていた。自分でも何故答えたのかはわからない。
いつの間にやら、女がこちらに目を向けている。その瞳の奥の光影が妙に気になった。視線に促される気がして言葉を続ける。
「秋の始めと冬との境目に時雨は降ります。秋の色に染め、やがて秋を洗い流すのが時雨の役目です」
女は黙ってこちらを見ている。どこを見つめているかわからない目のくせ、今、私に向いていることだけは無駄に意識される。
自ずから顔が紅潮するのを感じる。
「――――『紅葉狩』の様だ」
つい呟いてしまった言葉に母娘が困惑を添えた沈黙を放つ。
説明を求める空気に気圧されて、私はまたも慌てて言葉を並べる。
「あ、いえ『紅葉狩』というのは、そのですね。男が紅葉狩に来ていた女性に誑かされるのですが、実は女は鬼女だったという能で・・・・し、て」
言いながら、すーっと顔面の血の気が引いていく。女は言葉を出す様子を見せず、母親に至っては、ぽかん、と呆けている。自分は何を言っているのか、初対面の女性に大変失礼なことを申し上げているのではないのか、思考は巡るようで巡らず、口を開けど言葉が出ない。金魚も実は叫びたいのかもしれない。餌が欲しいのは誤解なのだ、自分の話を聞いてくれ、と。
そんなことを考えていた時だった。
くすっ。
沈黙を破る思いがけない音の主へ目が向かう。女が、あの無表情な女が笑っているのだ。しかも笑いを抑えようとするも収まらず、口元に右手をやっているが、左手はお腹に当てている。相当おかしいらしい。
母親は何が何だかわからない様子だ。話の推移についていけないようで、それでも娘の無礼を止めさせようと試みている。
「だってお母様、なんで今ので笑わないの」
肩を震わし俯いていた女が、母親へ打ち解けた口調と一緒に顔を上げる。俯いていた為、カチューシャで後ろへ纏めた髪が乱れて少し横顔へかかる、その笑顔にこの世の者とは思えない何かを感じる。
横顔から流し目でこちらを見た女の口元が動く。
「青くなったり赤くなったり、まるで紅葉みたい・・・」
屋根から滴る雨粒がしとりしとりとテラスを濡らす。いつの間にか日は傾き、万物を朱に染めていた。
補足
花筐:能の演目。6世紀、大跡部皇子(後の継体帝)に仕える照日之前という女性が、帝位即位の為上都した皇子を恋い慕って狂人となり、形見に残された花筐(花篭のようなもの)を持って会いに行く。上村松園による絵「花筐」が有名。
砧:能の演目。砧とは、織りたての固い衣を柔らかくする為に打つ道具である。冬に衣が身に添うようにするのが目的の為、秋に打つものである。
昔、中国にて戦で敵国に囚われた蘇武というものがいた。その妻が夫を想って砧を打つと、遥か彼方の地で蘇武にその音が聞こえた、という。時代変わって、日本の九州、芦屋の里に、訴訟の為に上京して三年になる夫を待つ妻がいる。今年こそは帰ってくる、という言葉にすがり、夫を想う妻は、蘇武の故事にならって夫に届けと砧を打つ。しかし、その後、今年も帰れぬという言伝を聞き、夫の心変わりかと悲しさのあまり亡くなってしまう。訃報を聞きつけ、夫が帰郷し、霊を呼び出す梓の弓で亡き妻に会う。妻は地獄の辛さを嘆き、自分を放っておいた夫への恨みを叫び、やがて法華経の功力で成仏する。
曲見:能面の一種。中年女性の役に用いられる。同じ中年女性の面「深井」と同じく、物思いに沈むような顔をしている。
紅葉狩:能の演目。平安時代、平維茂が鹿狩りの途中に、山の中で紅葉狩に訪れている高貴な女性の一行に出会う。女たちに引き止められるまま、もてなされ、女性たちに囲まれた酒宴の中、眠ってしまう。その夢の中で維茂は神から女性たちの正体を告げられ、神剣を授けられる。起きてみれば、景色はおどろおどろしいものとなり、女性たちは皆、鬼であった為、戦いの末、鬼を討伐する。