一話 竜
(…暖かい…ずっと此処に居たいぐらいだ…)
森林の中にある、日だまりに1人の男が倒れていた。
(ん…待てよ…?暖かい?おかしい今は冬の筈だ。)
違和感を感じた男、赤目雄二郎は、状況を確かめる為に目を開いた。
目の中に急に入ってくる光に、目をしかめながら、重い身体を起こし上げ、周りを見渡す。
(なんだ…此処は?森か?)
雄二郎の目に入ってきたのは見渡す限りの木々だった。
(俺は…確か…。)
「うっ!」
雄二郎は思い出した、あの、旅順の事を。
(おかしい…何故、俺は生きている。)
左手に握っていた、三十八年式小銃を地面に置き、
自分の脇腹をゆっくりと触る。しかし、服こそは穴が空いておるものの、自分の肉体には傷ひとつ付いていない。
(さっきまで、旅順に居たと思ったら、今は何処ぞともわからん森の中、しかも、身体にあるはずの傷も無い…。)
それから暫く間、考えこんだ雄二郎であったが
「やめた。考えても何もわからん。」
雄二郎は答えを探すのをやめた。
どうせどれだけ考えても答えなど出ない。それに、もともと、生きているならなんとでもなると、行き当たりばったりの思考で、物事を考える男であった。
(取り敢えず、今持っている物でも確認しようか。)
雄二郎は自分が身に付けていた装備を外して、それを地面に並べ始めた。
「うーむ、これだけか…。」
地面に自分が持っていた銃や装備を並べて、見渡す。
左から三十年式小銃、銃剣、弾薬盒、僅かばかりの水が入った水筒、それに時計や方位磁石。自分が背負っていた筈の背嚢はどうやら何処かにいってしまったようである。あとは、今、着ている軍服と、軍帽ぐらいであった。
(弾薬は百発はある。いや、百発しか無い。かな。)
「何はともあれ、まずは、水と食料だな。」
このまま此処にいれば、待っているのは、「死」であることは間違いない。人間は3日も水を飲まなかったら動けなくなり、一週間もすれば死んでしまうのである。
(せっかく拾った命だ、生き残ってやるさ。)
そこからの雄二郎の行動ははやかった。
弾薬盒と革帯を腰に巻き付け、銃剣差しに銃剣を差し込む。それに、銃に弾薬を装填し、それを背負った。
それから、周りを見渡し、東の方角に、そこそこな大きさの丘を見つけた。
(取り敢えず、あの丘に向かおう。運が良ければ、日本軍の野営地が見つかるかもしれん。それに、見つからなかったとしても、地理の把握ぐらいはできるだろう。)
そういうわけで、方位磁石で今いる場所の確認をして、
軍帽を深く被り直した後、丘を目指して歩き始めた。
森に入ると、同じような針葉樹が沢山生えており、方位磁石が無ければ直ぐにでも迷ってしまいそうだった。
雄二郎は残り少ない水を大切に飲みながら、確実に丘に向かって歩き続けた。
それから暫く経った後、雄二郎は何とか丘のふもとまでたどり着いた。
「ふぅ…。」
(…運良く野犬や狼に襲われずに此処までたどり着けたな…。)
しかし、この運がいつまでも続くとは思えず、少し休憩したら、すぐに丘を登り始めた。
日も既に傾きはじめ、夜までに何とかして寝床も探さなければならない。
(キツいな…これは。)
そして、空が赤色に染まりはじめた頃、丘の頂上にたどり着いた。
(よし。ここなら森全体を見渡せる。)
丘の上から、人の気配を探し、周囲を見渡す雄二郎。
しかし、ここで雄二郎は何かの違和感を感じた。
(待てよ、東があっちだよな…?)
方位磁石を見て方角を確認する雄二郎。
「おいおい。おかしいだろ、な…何で、太陽が東に沈む!!」
自分の見ている事が信じられず、目を擦り、再び方位磁石を見る。しかし、方位磁石はピクリともせず、確かに東西南北を示している。
(わからんわからんわからんわからんわからん)
一体自分の身に何が起きているのだろうか。
雄二郎は、まったく理解できずにいた。
(そうだ、これは方位磁石の故障だ!!そうに違いない。)
そう、心の中で思うことで、何とか平静を保とうとする雄二郎。
そんなとき、雄二郎の真上を大きな影が通り過ぎた。
何事か、と思い上を見上げた瞬間、雄二郎は思わず絶句した。
その影の正体は巨大な翼を持ち、夕日を背に舞う、
巨大で赤い竜だったのだ。
「は…ははっ…何だ、これは。」
雄二郎は恐怖を感じるより先に、その異様な光景に感動すら覚えていた。
(何て綺麗なんだ。)
夕日の光を反射して、きらきらと、深紅の光を煌めかせる竜から、雄二郎は目を離せなかった。
雄二郎は、竜が何処かに飛んで行ってしまうまで、
その姿を見続けた。