ふたつのしろ ふたつのうた
とある小さな王国。森に囲まれ、緑が美しい小さな山や、憩いを生み出す小さな湖も周りにありました。そして、優しい王様が納めるこの国は民の笑顔があふれ、いつも活気で満ちています。町で働く人も、城で働く人も不満らしい不満などほとんどありません。
いや、城で働く人には一つだけ不満というほどではありませんが、苦労していることがありました。
「姫様~!姫様~!どこにいらっしゃるんですか!?」
「お勉強の時間ですよ~?」
メイドや兵隊の声が聞こえます。どうやら主を探しているようですが見つかる気配がありません。もういろんなところを探して見つからないのです。流石に城壁や見張りの兵隊もいますので城の外に出ているということはないのでしょうが、探す場所はほとんど探しつくしてしまいました。
「困ったお姫様ですね。また、あの場所にいったのでしょうか?」
「あの場所って……」
彼女たちが頭に浮かんだ場所。それは、王族しか入れない特別な場所です。
白い壁に囲まれた空間。しかし、その中は対照的に緑と青色でいっぱいでした。窓から流れてくる風で木々が揺れ、湖の水面に細波がたちます。その空間の中央の芝生が植えられた場所に、一人の小さな、しかし美しい少女がいました。そしてさらにその美しさを増すようなとても優しい歌声があたりに広まっています。放し飼いにされている小さな鳥たちもまるでその歌声に喜んでいるかのように少女の周りを飛び回っています。風で揺れる植物や水面も、まるで小さな拍手をしているかのようでした。
しかし、少女が歌い終わると、その表情はどこか浮かない顔でした。
「お父様も、お母様も、周りの人たちも私の声は美しい、美しいと言うけれど、それ以外何も言ってくれないのよね。姫という立場がなくても、本当に私の歌は美しいのかしら……?」
何不自由なく育てられた少女。しかし、その聡明さのあまり、自分にどこか自信が持てなかったのです。
少女は大木に自分の背中を預けました。この大木は千年樹とも呼ばれ、何年もの長い間を生きた樹です。その大きさはもともと天井のない開放的な空間であるこの庭園の中でもひときわ目立っており、その樹だけは城の外からも見れるほどでした。
「誰か、本当の私の歌を聞いてくれないかしら……」
そして再び歌を歌い始めました。しかし、何かいつも歌っている歌に変な声が混ざりました。しばらく気のせいかと思って聞いていましたが、やはり何かが混ざります。もしかして、誰かが入ってきたのでしょうか?
「誰!?」
少女は声を出しました。
「む!?大木が喋った!?」
そんな声が返ってきました。少女は驚きました。本当は悲鳴をあげたかったのに、驚きすぎて逆に声が出なくなってしまうほどでした。
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多くの兵隊が森の中を通ります。赤くなった頭を布で巻いている物、足をひきずるもの、痛々しい有様ながらも、重い鎧と兜に身を包み、止まることなく行進しています。戦が毎日のように行われている中、このような光景は珍しくありません。いまや、この国ではどこへ行っても誰かが戦い、そしてたくさんの人が命を落としていました。
その様子を丘の上から一人の少年が眺めていました。あまり上等のものではない、着物にその身を包んだ少年は行列から目を離し、今度は向かいの方にある城を眺めていました。いつか、強くなって、あれほどの城を持ちたい。それがこの国の武士と呼ばれる兵である子供である少年の願いでした。その願いを忘れたくないために、少年は毎日鍛錬の合間にこの丘に登り、城を眺めていました。
やがて、空腹を少し感じ、地面に座り込み、持ってきた包から、握り飯を取り出しました。丘の上にポツンと立っている大木を背にそれにパクつきます。パクつきながら少年は言葉を発し始めました。母親がうたを詠むのが趣味だったので、少年も自然とうたを覚えました。そして自分の無力感、城の大きさそして今食べている白米の味などを込めながらうたを詠みました。
その時です。
「誰!?」
そんな声が聞こえたのは。
「む!?大木が喋った!?」
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すぐ後ろから聞こえたので、彼は樹が口をきいたと思ったようです。
「わ、私は人間よ!?樹じゃないわよ?」
そんな声が返ってきました。
「む、それは失礼した。しかし、拙者にはどうもこの木から人の言葉が聞こえるのだが」
ためらいながらも冷静に物事を判断する少年。一方で少女の方はまだ困惑しているようです。
「あ、あなたこそこの木じゃないの?私はこの木から声が聞こえているのだけど」
「拙者は人の子、ゆえに人でござる。これはもののけか、妖怪の仕業か」
もののけ。ようかい。少女には意味の分からない言葉でした。仮にこの木が喋っているのだとしてもおかしい言葉です。少年も少女も困惑するばかり。
「ふむ、とりあえず、おぬし、名前はなんと申す?」
「わ、私は」
少女は自分の名前を口に出しました。しかし、少年には伝わってないようです。
「むぅ?名前は教えられないということか?いや、その前に、人に名前を尋ねる前は自分から名前を名乗るべきでござったな」
そして少年も自分の名をかたりました。しかし、少女もやはりわかりません。何度も自分の名前を言いましたが、彼には伝わっていないようです。彼女と同じように。その後も、自分たちの国の名前、町の名前などを聞いてみましたがやはり伝わりません。どうやら、自分たちが何者かということに関してはこの木は通してくれないみたいです。
「おかしな話ねー」
「うむ。面妖でござるな」
少女はこの不思議な状況にためらいを覚えながらも徐々にどこか不思議な感覚を覚え始めました。そう、どこかわくわくするような。
「ねえ、どこかの誰かさん。私の歌を聞いてくれない?」
「うたでござるか。これも何かのご縁。よろしく頼む」
そして少女は歌を歌い始めました。最近、町ではやっているとても明るく優しい歌でした。少年も黙って聞き入っていました。もっともうたと聞いたからには少年には別のものが浮かんでいたのですが。
この時代の少年の国にも、音楽という風習はないこともなかったそうですが、それでも彼は聞くことはなく、その歌という不思議な音にすっかり心を奪われました。
やがて、少女は歌い終えます。
「どうだった?」
少年は答えました。
「不思議な言葉の列でござったな。どこか、心洗われるような気がしたでござる」
「それってつまり?」
「聞き惚れてしまった。そういうことでござる」
少女はその言葉にうれしそうに答えました。自分を姫だとも知らない、どこかの誰かに褒められたのは初めてだったからです。
「しかし、どこか自信がないようにも思えたな。せっかくここまでのことをできるのならば、ならばもっと胸を張っていいと思うぞ」
一方で自分に自信がないと言うことを指摘されて、少し、気分が沈んでしまいました。そして、この少年に、いつか、自分に自信が持てたときの本当の歌を聞かせたい。そう思いました。
その時、少女の耳に不思議な言葉が聞こえました。どうやら少年が何かを話しているみたいです。
「それは?」
「これは、拙者の国のうたでござるよ」
少女の知らないうたでした。そもそもそれは少女の知っている歌とはかけ離れている物でした。
家来の声が聞こえます。そろそろ戻らなくてはいけません。
「私、もうこの木から離れないといけないの」
「お、そうか、不思議なご縁でござったな」
少年の言葉には淡泊ながらもどこか残念そうな響きが聞こえました。変わった言葉に変わった調子は声だけでわかりつつもこの少年ともっと会いたいと姫である少女は思いました。
「私はこの木のそばにいつも来るから。また会いましょう」
「ふむ。拙者もこの木のそばには多くの時を過ごす。また後程」
そして、少女は家来たちに怒られながらも庭園を後にしました。少年も少女の言葉聞こえなくなってからその場を立ち去り鍛錬に戻ります。
これが二人の出会いでした。
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ある日の事、少年が狩りで得たものを木のそばで焼いて食べてました。今日は少女と会えるだろうか。そんな思いを胸に木に背中を預けます。明るい声が聞こえてきました。
「こんにちは。どこかの誰かさん」
「こんにちは?それはなんという意味でござるか?」
焼けた獲物の肉を少しずつ棒でつつきます。まだ火は通っていません。
「挨拶の言葉よ。この言葉もわからないの?」
「どうやらそちらとはこの国の言葉が違うみたいでござるな」
おいしそうな匂いがしてきました。そろそろ食べられるみたいです。
「不思議ね。私は大体のあなたの言葉がわかるのに、ところどころわからないところがあるわ」
「拙者も同じでござる。いったいこれはどのようなものなのであろうか?」
二人とも勉強の合間や訓練の合間にたびたび考えましたが答えは出ません。そもそもこの状況そのものがどうしてなのかということ自体わからないのです。
「とくに“うた”がよくわからないわ。リズムもないし言葉も少ないのに」
「ふむ、りずむが何かわからないが少なき言葉で多くを表すのが拙者の国のうたでござる」
「ふーん」
そんな口調を聞いているとどこか咀嚼音が聞こえてきました。庭園は食べ物を持ちこんだりしないのでどうやら目の前の少年から聞こえてくるみたいです。
「何か食べているの?女性との会話に食べ物を持ちこむなんて礼儀がなってないわね」
「いや、失礼した。これはさきほど矢で射ぬいた鳥と鹿を……」
「矢で射ぬいた!?どうしてそんなひどいことをするの!?」
少女の突然の怒り声に少年は珍しくためらいを覚えました。
「む、ひどいことといえばひどいが、拙者も人の身なれば、肉を食わねばいきていけないわけで」
「肉……どういうこと?」
少年は不思議に思いながらも狩りと肉について話し始めました。彼女の晩餐にもたまにあがる肉。しかし、聡明ながらもどこか世間知らずな少女はそれがもともと生きていた物ということを知らずにいたのです。昨日食べた鶏肉のソテー。それが今周りにいる鳥たちと同じものだったなんて。
「そ、そんな……私……私……?」
「確かに命を奪うと言う行為は決して簡単ではない。しかし、命を奪わねば人は生きていけぬ。それを咎められたら拙者は死ぬしかないでござるよ。動物だけじゃない。野菜や果物だって生きている。それから力をもらうことにより拙者たちは生きているのでござる。」
穏やかながらも現実的な言葉。少女は大いに驚きながらも自分が今まで食べていた物が命を奪うことで作られていた。そのことにショックを隠せませんでした。
「ごめんなさい……私……私……」
そのままもう少女の声は聞こえなくなってしまいました。少々、言いすぎたかなと思いながら少年は考え事をしていました。彼の国ではどんなに立場の強いものでも、狩りや食べ物のことは大概わかっている。では、なぜ、この少女はそのことを知らなかったのだろうと。
一方で少女は、その日の夕食は何も食べられず、国王や家来を大いに心配させたとか。
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少年の国で戦が起きました。彼の父親も出陣しています。少年も鍛錬を欠かしませんでしたが、ふと、少女のことが気になり、また会いに行くことにしました。丘の上の巨大な樹に手のひらを合わせます。どうやら体の一部がつながっていれば少女と会話ができるようです。
「いるでござるか?」
「ええ……」
どうやらこの間のショックからはだいぶ立ち直っているようです。少年はとりあえずほっと安心しました。
「この間はすまなかったでござるな」
「いいえ、私のほうこそ……」
そのまま二人ともしばらく口を開きませんでした。やがて少女が話します。
「あなた?肉屋さんなの?」
「肉屋?肉を売っていると言うことでござるか?拙者は肉は自分で食べるだけでござる」
「じゃあ、あなたは一体何をしているの?」
少女は尋ねます。そういえば身の上話をしたことはありませんでした。
「拙者は武士でござる」
「ブシ?」
少女には聞いたことのない言葉でした。しかし、聞き返したということは名前のように伝わってないわけではないということが少年にはわかりました。
「国を守るもの。それが武士でござる。もっとも拙者はまだ認められたわけじゃないでござるが」
「兵隊みたいなものかしら?」
「兵……といっても間違いではござらぬな」
少女も兵隊は知っていました。しかし、自分たちの王国を守るというよりは自分を見張るためのものという認識しかありませんでしたが。それぐらい少女の国は兵隊がいらないくらい平和だったのです。
「じゃあ、兵隊さんなら暇でしょう?もっともお話ししましょうよ?」
その言葉に少年は内心で驚愕を隠せませんでした。色々と勉学にも励んでいる少年には自分の国もよその国も人の多さが勝敗を分けることも多く、それゆえに武士が暇などということはこの時代のこの国にはありえないことでした。常にどこかに戦いに出ているか、強くなるために訓練するか。武士はその毎日でした。それを口にしようかとも思いましたが、どこかはばかられます。獣を殺すだけでもあれほど心を痛める少女が、果たして人を斬る武士である自分を知って今迄通り接してくれるだろうかと。
代わりに少女にわからないようにうたにして詠みました。短い言葉で、戦いの激しさ、少女の不思議さ、そして二つの国の違いを。
少女は黙って聞いていました。少年のいうこの“うた”を詠むのはいつものことだったからです。もっとも彼女には意味が分かりませんでしたが。そしてそれが終わった後少女は今日の歌を歌い始めるのでした。
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少年にとってはその日は衝撃でした。涙を見せてはならぬ、涙を見せてはならぬ、と常に自分に言い続けていました。足取りもどこか重く、鍛錬にもまるで身が入りません。気が付くといつもの木の前に立っていました。手を当てる力もないとばかりに乱暴に腰を下ろします。
「あ、聞こえた聞こえた。今日聞いてほしいことがあるの」
「む……なんでござろうか?」
少女の声が聞こえます。苦しさや息苦しさを覚える状況の中、少女の声は少年にとってやはりどこか明るく、音だけなのに眩しさを感じました。
「今日ね、弟が生まれたの!とってもかわいいのよ」
「そうでござるか……めでたいな」
自分の苦しみを、悲しみを悟られてはいけない。男は涙を流してはいけない。そう自分に言い続けました。そのまま少女は喜びの歌を歌います。彼も黙って聞いていました。
明るくて、暖かなだな、と。
「ふふふ……元気な子に育つといいな。お父様もお爺様もすごく喜んで」
「お爺様……?祖父のことか……」
少年は黙って聞いてました。自分は祖父など父親から聞いた名前しか知りません。そしてその父も……今日……。
少年は黙っています。彼女の世界は少年の想像がつかないほどの幸福に満ち溢れている。なのにどうして自分の国はここまで悲しみや苦しみが多くあるのだろうと。
自分はかつて、名誉と誇りの象徴である、あの城に憧れていました。ですが、今見ているその城がほんの少し、ほんの少しだけ霞んで見えました。さっきから目に浮かびそうなものを拭いながら。
少年は黙ってうたを詠みました。少女の幸せそうな声と、自分の状況、そして城のことを。そして黙って少女に別れを告げました。
その日の晩、少女の弟で、王子になる男の子の誕生に城は大いににぎわっていましたが、姉である少女は部屋にこもっています。国王は王子に構いすぎたのかと思い、明日からは優しく接してあげようと思いました。
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「拙者は今日から正式に武士になってござる。改めてよろしく奉りまする」
「ええ、こちらこそ、よろしくお願いします」
さらに時がたち、二人とも立派に成長してました。少年は十五歳になり、少女は十六歳になりました。もう二人とも大人と認められる年です。
「ふふ、やはりこんな話し方は似合わないかしら?」
「拙者はそう思わないでござる。まるで姫君のようでござるな」
その言葉に彼女ははっとしました。今まで彼と長い間会話だけをしているとはいえ、自分が姫であると言うことをとうとう今日まで明かさずにいました。今、言ったほうが良いのかもしれないとも。だけど、歌が好きな少女というだけでも今まで接してくれた彼に今までと違う態度をとられることを恐れて何も言えずにいました。
「最初に出会ったころと比べてずいぶんも自信もついたでござるな。あなたのような方ならさぞ貰い手も多かろう」
「だったらあなたがもらってくれない?なーんて」
その言葉に彼は思わず背中を浮かして大いに驚きました。思わず木から離れ少女の声が聞こえなくなります。動悸が激しく、顔が熱くなるのを感じました。一通りおちついてから、また座りなおしました。
「そのような冗談は控えるべきござるよ。少々驚いたでござる」
「あはは、ごめんなさい。じゃあ今日も歌を聞いてね」
今日も歌い始めました。声の美しさも年を取るにつれてますます増していき、さらに自信を持ち始めたその歌はどこか気品も感じさせました。毎日を過酷な日々を過ごしている少年……いやもう青年というべきでしょう。彼にとってはその歌は唯一の癒しでした。
「会えない日が続くわね。武士なのにそんなに忙しいの?」
「鍛錬は欠かせないでござる。成長をするにして量も増えるのが当然であるよ」
青年もまたある隠し事をしていました。武士という者が本当はなんなのかを。少し前にもこの手を大いに血に染めたことを。
「あっと、お父様が呼んでいるみたい。じゃあまたね」
「うむ」
青年は立ち上がりました。そして城を眺めます。かつてあれほど立派に見えたその城はもう立っているのがやっとという状況に近いです。むしろよく先の戦いでまだ無事ということが奇跡といったところでした。
青年はうたを詠みます。樹から立ち上がると同時に。彼女と会うのがいつ最後になるのかを。戦いの日々に置かれている自分を。そして……彼女への思いを。そして立ち上がり、刀を持った状態でその場を離れ始めました。
父親に呼ばれたはずの少女はまだ庭園にのこっていましたが。
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「私今度結婚するの」
あれから数年また成長した彼女の第一声がその言葉でした。しかし、少女を少なからず想っているはずの少年はあまりショックをうけませんでした。いずれ来るべきものが来た。そうとしか思っていません。
「そうであるか。それはめでたいでござるな」
そのまま思いのままの言葉を発しました。顔も名前もわからない女性。しかし、彼女に対して徐々に特別な思いを抱いていた青年はその言葉に自分自身で少し驚きを感じていました。さきほどの少女の言葉には驚きはしなかったのに。
「お父様が相手と結婚すれば私も幸せになれるからって……。そうすれば自分の国はもっと豊かになるからって。相手の人もすごくいい人なんだけどね。会った限りだと」
愛のない結婚。青年の国では決して珍しくありませんでした。しかし、彼女の国でもその存在があることにやや驚きを隠せませんでした。平和で優しく何も悩みを持つことのなさそうないい国だと思っていたのに。
「ふむ。ならばよかったでござろう。父親の勧めであれば、相手の人間も信用できる方であろうし」
心から少女の幸せを願いたい。そう思いながら青年は言いました。
「本当にそう思っているの?」
突然、彼女の声色が変わりました。その声は今まで聞いたことのない様な鋭さを持っていました。どんな時でも優しくて暖かで柔らかな声を彼女は発していたのに。
「本当で……ござるよ」
青年は静かに、少しだけためらいながらも答えます。
「嘘つき」
やっとの思いで発したその言葉を彼女は、否定しました。まるで一刀両断に斬り伏せるみたいに。
「嘘つき……嘘つき……嘘つき!!!」
その声は徐々に彼女の姿が見えない青年でも涙をこぼしながら発しているとわかりました。戸惑い、何も口にできません。そして思いのたけを一時に吐き出すかのように少女が口を開きます。
「知っているんだから!あなたが私のことを好きだってこと!私だってあなたが好きなのよ!本当は結婚なんてしたくない!あなたのもとへいきたい!あなたがわたしのもとへ来てほしい!もうこれが最後の機会だってこともわかっているのよ!知っているんだから!あなたのいう武士が……武士が。いろんな人を殺す人の事だって!」
青年は少女の言葉に驚きを隠せませんでした。武士がどういう者なのかなんて彼女に話したことはありません。ましてや自分の少女への思いなど彼女に伝えたこともありません。そう、“うた”以外は。しかし、“うた”は彼女にはわからないはずでした。
「わかったのよ!あなたの“うた”が少しずつ。最初は全然わからなかった。でも、あなたのお父様が亡くなったころから少しずつ分かっていた。もう最後に会ったころにはもう完全にわかっていた。あなたが武士として、常に戦い、いつ命を落とすかわからないって」
自分の告白同然と歌を彼女に読まれていたということ。もはや照れや恥ずかしさよりもどこか諦めと……そして少しのうれしさを感じてしまいます。それが彼女に悲しみを与えるのにもかかわらず。
「私はあなたが優しい人だって知っている。私を悲しませたくないから武士の意味を教えなかったのよね。いいえ、お父様がなくなったときだって……。私は武士だってことであなたを否定したりなんかしない!」
青年はだまって聞いていました。彼女は本当に聡明な人だと思いながら。そして自分のうかつさをどこかで自嘲しながら。
「お願い!戦いなんて行かないで!一緒に旅をしましょう!そうしたら、いつか会える!会えたら二人でもっといろいろなところを旅をしましょうよ!二人とも知らないもっと……もっといろんなことを……」
「それはできないでござる」
今度は青年の言葉が彼女の言葉を切り捨てました。彼女の声に涙とともに絶望が宿ります。
「どうして……どうしてよ!武士の誇り!?それとも名誉のため!?あなたは何度も詠ってたから知っているわ!だけど!命を捨ててでも、それは守らなきゃいけないことなの!?」
「それはもう、拙者にとって何も価値のないものでござる」
そう、少女と出会い、少女と話しているうちに、彼はいつしか、名誉や栄光を欲しなくなっていました。今はもう城を見ても、ただの石が積み立てられただけの何かにしか見えません。
「じゃあなんのためよ!」
「そなたの世界に憧れたからでござる」
その言葉に少女は驚きます。
「争いのない、平和で、誰もが明るくて、優しい世界。そんな世界を作るための架け橋となりたい。そう思う。もちろん拙者一人で戦ったところでどれほどその思いに、その望みをかなえられるかなんてわからぬ。でも、それでも、拙者は自分の国が好きで、自分の国をそなたの国と同じようにしたい。そう思うのでござる」
少女は心の中で叫びます。違う、自分の国は、もうそんなにいいものじゃない。だけど、どうしてもできません。それは彼の夢を穢すことになるからです。
それが彼自身を失うことになっても。
「そなたを、これほど拙者の心に多くの優しさと温かさを生み出してくれた。そなたのような人間が生まれる国を拙者は作りたい。だから拙者は戦うのでござる。たとえ、そなたが悲しんだとしても」
青年は涙はこぼしませんでした。それでも耐えるのは……父親が死んだ時より辛かったのです。
一方で少女は涙が止まりませんでした。言葉を発するのも苦しい。息をするのも苦しい。それでも泣くことを止めることができませんでした。
「最後に、歌を歌ってくれぬか?そなたの歌があれば、拙者は迷わず行けるでござる」
「嫌よ。死にに行く人に歌う歌なんて知らないわ」
本当は知っていました。それを少し前に歌ったのですから。身近な人を死を悼む歌。それを彼女の母親に対して。死ぬほどの悲しみと辛さ。その時を話した時も、目の前の青年は優しかったです。そんな彼にその歌は歌いたくありませんでした。
「帰ってきて」
「え?」
やっとの思いで発したその言葉に青年は聞き返します。
「またここに帰ってくるって約束したら歌ってあげる」
「……わかった。約束するでござる」
そして少女は歌い始めました。殺伐とした雰囲気をお互いの場所で感じる中、この時間だけがいつまでも流れてほしい。二人ともそんなことを思っていました。
青年は城を眺めます。もう彼にとっては何の意味もない城ですが。彼女の住む城は、どんなものなのだろう。そんな考えが浮かびました。青年もまた前から知っていたのです。彼女が姫と呼ばれる存在であることを。
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青年は必死で体を引きずります。歓声があがる戦場を。視界が霞み、意識がどこか朦朧としながらも。約束の丘まで約束の木まで、必死で体を動かします。
何度も斬られました。何度も突かれました。それでも戦い続け、戦いには勝利したものの、もう自分の体は限界に近いと言うことだけがわかってました。
そして、ようやく丘にたどり着いたところでもう体が崩れ落ちます。それでも体を引きずり、どうにか樹までたどり着きました。
そして倒れふせながらも樹に手を当てます。
何も聞こえません。彼女はいないのでしょうか?声を出そうとします。しかし、口がパクパクと開くだけで、何も音は出ませんでした。そういえば、さっきから聞こえていた歓声ももう聞こえなくなっていました。
ここまで来れたのに。
約束したのに。
もう彼女に会うことも声を聞くことも、そして想いを伝えることもできないのでしょうか?
その時、青年は短刀を握りしめ、木に突き立てました。そして刻みます。
自分の最期を。平和な世界への憧れを。そして彼女への思いを。
三十一の言葉にまとめきり、そして最後の文字を刻んだ後、短刀が手から離れ、地面に突き刺さります。そして青年だった彼はその樹に寄りかかりました。
その顔はどこまでも安らかでした。
数日後、彼は白装束を来て、運ばれました。
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「ふふふ、お父様ったら、あんなに慌てちゃって。もう娘なんて政治の道具としか見てないくせに」
とある部屋の一室で姫は、いや、姫だった少女は笑いながら旅支度を整えます。優しかった父親は母親の死とともに豹変し、まるで代わりの何かを求めるかのように色々なもの求め始めました。金、地位、権力等です。そして娘を他国の王に嫁がせることで自分の力をより強めようとしたのです。
見た目も麗しく、歌も美しい彼女を白いドレスに着せて。
「昨日の結婚式、楽しかったわね。お父様や、相手の方の呆然とした表情……」
結婚式が盛り上がったころ、彼女の歌を聞かせてもらおうと言うことになり、その時彼女は、彼の帰りを待つために作った二つあるうちの歌の一つを歌いました。
戦場に行った恋人を想う歌。
おめでたい席で、ましてや、伴侶となる人物がいるときに歌う歌では決してありませんでした。当然、相手は憤慨し、結婚はそのまま破断。王は大いに怒り、娘に国外退去を命じました。これはこの国では前代未聞の事でした。
退去は明日、いや十二時を回ったので今日でしょうか?彼女は最後にまた自分の部屋を出て、庭園まで来ていました。
あれから今日までずっと。結婚式の日も欠かさず。この木の前に立ち手を当てていましたが、彼の声はもう聞こえません。もう、二度とこの木に触れる機会はないと言うのに。少女はため息をつきます。
すると、その時、手を当てている木の表面がいつもと違うことに気が付きました。手を樹から離し、その表面を見つめます。
彼女の視界には、恐ろしく力強くて、荒々しくて、けど自分を想ってくれる待ち人の“うた”が入りました。
「約束……守ってくれたんだ」
誰も見ていない中、少女は短剣を手荷物から取り出し、木に刻み始めました。もう一つの歌。
戦場に行った恋人へ送る歌を。
そして刻み終わった後。
色々な感情がないまぜとなった彼女の目からは次から次へと雫がこぼれ始め、やがて大いに泣き始めました。
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それから十年がたち、二十年がたち、百年がたち……。
さらにさらに長い時が流れました。
栄華を誇った国にはもう誰もいません。
かつて家があった場所の壁には苔が生い茂り、木々はまるで建物を利用するかのように巻き付いてました。
もう何年も誰も訪れることのなかった場所。そこに一人の人間が訪れました。
メガネをかけ、白衣を身にまとい、カバンを背負い、難しそうな本を片手に持っています。学者でしょうか。
草木をかきわけ、服についた虫を払い、どんどん奥に進んでいきます。
そして、かつて城があった場所にたどり着きました。今では、もう栄光の残骸という形でしか残っていません。
「いずれは……どんな国でもこうなる運命なのだろうか……」
そんな独り言をつぶやく学者の目に、一本の巨大な樹が見えました。その樹の周りは深く植物が生い茂り、湖も見えます。
少し、休憩しようとその樹に近づくと、樹に何か文字が刻まれているのが分かりました。
「これは?」
それは一つは力強く、荒々しく書かれた短い文字。
もう一つは、繊細で流れるように書かれた文。
しかし、それはどちらも違う言語で書かれていました。
「どこの言葉だろう?」
そう首をひねる学者でしたが、ふと気が付きハッとしました。
習ったことも見たこともない二種類の文字。驚くべきことに、彼にはその文字が読むことができたのです。
本来なら古すぎて、読むことのできない言葉なのに。
そして、彼は知りました。遠い国にいる二人の人間。身分も立場も何もかも違う二人のことを。何故、本来交わるはずのない二人がこうして言葉を交わしているのか。それはわかりませんでした。
しかし、間違いなく、この二人は互いを想い合い、それぞれの”うた”をここに残していたのです。
学者はそれを手帳に書き取り、写真を撮った後その場を立ち去ろうとしました。
その時です。なにかがきしむ音がしました。
思わず振り返ります。
「な、なんだ!?」
きしむ音はどんどん大きくなっていきます。その音は大樹の根元から聞こえてくるようでした。
いえ、もうはっきりとわかります。木が傾き、徐々に横たわっていくのを。まるで、目的を果たしたと満足して眠りにつくひとのように。
学者はその光景に驚き、後ずさりしながらも目を離せずにいました。
地面に倒れるその最期、大きな音をたてたはずなのに、どこか柔らかく、そしてまるで早回しの映像を見ているかのように木は枯れていました。
「もしかして……誰かに伝えたかったのか?」
偶然にしてはあまりにも唐突すぎるその最期に学者は悟りました。
そして、その思いを無駄にするわけにはいかない。これを世界に伝えよう、そう決意し、贈り主に背を向け、その場を後にしました。
やがて、このふたつのうたは重大な発見となり、そして、伝説の一つとなり、多くの人に知られ、やがて二人の愛を知った民により、当時、起こりかけていた二国の戦争を止めるまでになりました。
かつて少年が夢見た平和な世界、少女が望んだ愛する人と暮らせる未来、ふたつのうたはそれを叶えるための大きな架け橋となったのです。
とある方に、お城、歌、巨大な樹というお題を頂き、書いてみました。
童話にしては少し長すぎると思いましたが、このままで投稿します。
ちなみに最後だけ少し変えました。結末は同じですけど。
ちなみに一つだけお願いですが、フィクションですので、姫の国がどこに国?とかいった無粋なコメントだけはお控えくださるようお願いします。
(感想はお待ちしております)
では、ご閲覧ありがとうございました。