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二話

 次の日。ふらふらする頭と、乾いて痛い目と、凝りに凝った身体を励ましながら僕はやっと食堂に辿り着いた。

 現在の時刻は午後五時三十八分。こんな時間に昼食をとろうとは、爽やかな気分で出勤した朝の僕には思いもよらなかっただろう。

 朝の挨拶もよろしく、佐々木さんは大量のカードを僕に渡して無慈悲に告げた。

「今までのうちの班の研究資料よ。今日中に全部目を通してしっかりと頭に入れておいてね」

 それからお昼も取らずにひたすら電子画面と睨み合いになる羽目になり、こんなぼろぼろの状態で。夜も営業している食堂に感謝するのであった。

 食堂内を見回してみると、半端な時間帯のため席はガラガラで、ちらほらお茶をしている人の姿があるだけだった。

 奥の席で一人、頬杖をついてカルテを無表情で見つめるあの人がいた。

「こんにちは。席ご一緒していいですか?」

 近づいて僕がそう尋ねると、彼女は上目遣いで少し睨むように僕を見る。

「……興味本位ならどっか行って頂戴。邪魔よ」

「興味はありますけど、たぶん檜山さんが思ってるのとは違う興味だと思います」

 了承はもらっていないが構わず席について箸をとる。お腹が空き過ぎて空腹があまり感じられないが。

「僕、あなたに憧れていたんです。この仕事をうけたのもそれが理由で」

 檜山さんはちらりとも目を合わせてはくれず、うつむき加減でティーカップにゆっくりと口をつける。

「でもなんだかんだ言って、ただ一目惚れしただけなんですけどね。とても美人で格好良かったですよ、二十五歳の檜山さん」

 言って僕が微笑むと、目の前の十四歳の檜山さんは胡散臭そうに顔を顰める。

「あなたを探して、あなたを追って、僕はここまで来ました。檜山さんは、……僕の想いに応えてくれますか?」

 びくっと身体を震わせて檜山さんはぎこちなく顔を上げた。

「どういう、意味……?」

 遠まわしすぎたかもしれない。うわっ、恥ずかしい。

「好きだ、って告白したつもりだったんですけど」

 深く震えるように息を吐き、檜山さんは目頭を押さえて頭を振る。

「何を言い出すかと思えば……。憧れと恋は違うんじゃなくて?」

「一目惚れだって言ったじゃないですか。それに、憧れも恋に変わる事だってあるんですよ」

「――やめて」

 眉間に皺を寄せて檜山さんは下を向く。

「そういう事を、私に言わないで」

 檜山さんは乱暴に立ち上がると去って行ってしまった。その実年齢と合わない若い少女の背をずっと、見えなくなっても僕は見つめていた。

 ああ、駄目だな……。知りたい。すごく。

 もっと、彼女の事が知りたい――。


   *   *


「――おい。ぼうっとしてないで仕事しろ」

「あ……すみません」

 ついつい檜山さんの方を見ていたら班員の、理知的で整った顔の山崎さんにカルテで軽く頭を叩かれてしまった。

 入局してから早くも一ヶ月になろうとしていた。仕事も大体わかってきたし、班の先輩にも慣れてきた。もちろん檜山さんへのアプローチも欠かさない。彼女に声を掛けるほどの時間が無い時には、ちらりと目で探して盗み見る。が、いつもちらりのつもりが目が放せなくて、大抵さっきのように先輩方に叱られてしまう。

「お前ってさ、気がつくとぼうっとしてるけど、いつもどこ見てんの?」

「檜山さんですよ。可愛いですよね、彼女」

 そう答えると、山崎さんは僕の首元に腕を回して声を落として言う。

「まあ、なんだ……彼女に関してはどうなんだか分からんが、念のため言っておく、手は出すなよ。もし出してしまったのなら、俺が通報してやる。それが俺のしてやれる唯一の事だ」

「あのぉ……山崎さん、何の話ですか?」

「何ってお前、彼女はいちおう未成年だからさぁ、見た目が」

「ちょ、ちょっとぉ! 別に僕ロリコンじゃないですからね! 変な勘違いしないでください」

「いや、いいんだ。そう無理に隠さなくても。好き好みは人の自由だよ、うん。一線を越えなければ、ね……」

 遥か遠くを見つめる山崎さん。

「どうしてそう僕をロリコンにしたがるんですか! ちょっと、聞いてますか山崎さん――山崎さん! 目を合わせてください、山崎さーん!」

 冗談だよ、と山崎さんは手を口にあててくつくつと笑う。

「まあ、見た目はともかく俺は正直気味が悪いね。人が老けていかないのがこんなに違和感のあることだなんて初めて知ったよ」

 山崎さん達は近くで檜山さんが若返っていく様子を見ているからそう思うのだろうが、まだ日が浅い僕には実感がわかない。大人からぱっと子供になった印象しかない。

 自然に逆らっている、身体……。

 すると突然、デスクに座っていた檜山さんが腕を大きく横に振って机の上の物を思いきり薙ぎ払った。積み上げられた資料やらカードやらが崩れ去って音を立てて床に落ちる。それから彼女は荒々しい歩きでラボを出て行った。

 周りにいた人たちは顔を上げて目をくれるだけで特に彼女に構うことなく、何事も無かったかのように仕事を続ける。

「檜山さん、どうしたんでしょうね」

 訊ねると、答える山崎さんはうんざりとした口調だ。

「時々あるんだよ。あの日じゃねぇの? ――てのは冗談で、たぶん検査結果でも出たんだろうよ、身体のな。研究の方も芳しくないらしいし、どうせ進まない研究と死への恐怖で苛立ってんのさ」

「死、ねぇ……」

 僕は呟いた。

「そうなのかな?」

 彼女は文字通り、人生を折り返した。命は残り十四年。彼女は己の寿命を知っている。

「あっ、山崎さん、僕ちょっと休憩の時間なんで。失礼しまーす」

 一時間前にとっただろ、と言う山崎さんの制止は聞こえない振りをした。


   *   *


 探し回ってやっと屋上のベンチで一人ぽつんと座っていた彼女を見つけた。風ひとつ吹かない屋上で彼女は脚の上に置いた組んだ手に目を落としていた。

「惺さん、大丈夫ですか?」

「……いつ、私が名前で呼んでいいなんて言ったかしら」

 彼女は顔も上げずににべの無い返事をする。とりあえず無視されなかっただけ良しとして、僕は彼女の隣に腰を下ろす。

「本当は、惺って呼びたいんですけど。その方がなんか近しい気がしません?」

「あなたいったい何のつもり、いつもわざわざ話しかけてきて。ふざけてるの? 私がこんな子供の姿だからって」

 胸の前で腕を組み横目で僕を睨みつけ、刺々しい態度をとる惺さん。そんな彼女が何故だか可笑しくて僕は必死で笑みそうになるのを堪える。きっと大人の時の惺さんを見たことがあるだけに、今の少女姿とのギャップを感じてしまうせいだろう。

「やだなァ、ふざけてないですよ。これでも大真面目なんです、恋愛にもその身体にも。ああ、別に変態な意味でじゃなくて、一研究員としてですからね。面白いじゃないですか、若返るなんて。……でも、そういえば記憶ってどうなるんです? 消えちゃうんですか?」

 惺さんは眉根を寄せたまま視線を僕から地面に移し、軽く息を吐く。

「いいえ……時間が巻戻っている訳じゃないから。記憶が消えていくなら私は今こうして研究を続けてはいないでしょうね。もっとも、それもいつまで出来るかしら。……いったい、いつまで」

 自嘲気味に惺さんは笑う。

「後はただ、被験者として観察されるだけ」

「人体での唯一の延命成功例ですからね」

 そう言うと、彼女は苦々しく吐き捨てた。

「これのどこが成功よ。まったく、他の連中はどうかしてるわ。当初の目的とも、他の動物の結果とも異なったイレギュラーの産物にすぎないじゃないの。延命? 若返り? ――ただの退化よ」

 四十三歳の時に一度死んで生き返り、何事もなければ四十三年生きられることが保証された彼女が、この延命方法を延命だと認めず退化だと言う。じゃあ、時の流れに沿って寿命を延ばし老いが長く続くのを人は望み、理想としているのだろうか。

 僕は言葉を探した。彼女にかけるのは、賛同? 反論? 慰め?

 どれも適さないような気がして、結局僕は黙っている事にした。

 ……天気は晴れ。成層圏で暮らすぼくはそれ以外の天候を知識としてしか知らない。雨も降らず雪も降らず、雷も鳴らない。この空は偽物。空中都市はドームだから。いわば、ただの屋根。

 白い鳥が空を飛んでいる。たぶんあれは家庭用孵化キットで生まれたんだろう。首にピンクの小さなネームプレートをつけている。値段は確か二万五千円。

「――時間がないのに……」

 沈黙を破って惺さんが小さく唸る。

「私にはあと何年かしか残されていないのに、どうして成果がでないの。マウスの成功率さえ下降してくるなんて……どうなっているのよ」

 惺さんは力無く薄汚れた白い地面を見つめる。

 不憫な惺さん。

「幾星霜もの間、人類は多くの事を分明にしてきたというのに、未だ生物には未知が残っているなんて。そのおかげで研究も進まないのかしら」

 独り言のように言う彼女に、僕は口を挟む。

「進まないようにしているんですよ、神様が」

 自分で言っておきながら僕は思わず苦笑を漏らす。

「時々そう考えちゃうんですよ。もちろん、多くの人がいう実体の無い神様の方がね。自分を超えないように邪魔しているんです。近づかせてたまるかって、神の座を奪われてたまるかって」

 惺さんは解せないといった目で僕を見遣る。

 アホな想像だって事は自分でもわかっているんですけどね。

「僕には、ここで働く皆さんがルシファーかバベルの塔の人々に見えますよ。神の領域に挑み、超えようとしている」

 神の座を奪おうと天に戦いを挑んだルシファーは、長き戦いのすえ敗れ地獄に堕ちた。

 ノアの洪水後、人々は天にも届く塔――バベルの塔の建設を試みるが、それが高慢だと神の怒りに触れた。

 でも、神様は彼ら以上に負けず嫌いで驕慢だと僕は思う。

「まるで傍観者のような言い草ね。あなたもこんな所に来といて」

 惺さんが皮肉る。

「そうですね。でも、傍観者でありたいとは思ってますよ。それも卑怯な傍観者に。惺さんもそう思いませんか? 利を見たら参加するか、横からさらってしまえばいいんですから」

 僕の言葉を考え込んでいるのか、僕の顔を見つめたまま惺さんは小首を傾げている。

「それじゃあ、僕はそろそろ戻ろうかな。ちょっとサボっただけでも佐々木さん恐いんで」

「知ってるわ。二班も大変ね。透子は厳しいから」

 一班もですね、と間髪入れずにつっこんだら、案の定鋭い目がこちらを向いた。

「そういえば、惺さんと佐々木さんって仲が良いんですか? この前親しげに話してたの見かけて。それにほら、今も呼び捨てにしてましたよね」

「他の人よりは、そうかもしれないわね。彼女、明るい髪だし高いヒール履いたり派手な格好してるけど、真面目で実力もあるのよね。決して仕事の手を抜かないところもかってるわ」

 佐々木さんのスパルタ新人教育を僕は身をもって知っている。

「ふふ……立派よね、彼女は本当に人類の為を思って仕事をしているもの。正義感が強いのかしら」

 惺さんは乾いた笑いを零す。

「惺さんは違うんですか?」

 僕はもちろん違う。惺さんへの憧れ半分と何となく半分でこの道を選んだ。人類の事なんて全く念頭に無い。

「そうね、私は単に面白そうだと思ったから。不老長寿だの不老不死だの、遥か昔からの夢物語を現実に出来たら、と思うとゾクゾクしない?」

 あはっ。確かにその理由の方が惺さんらしい。

 彼女の表情がちょっと明るくなった。目がキラキラしている。――彼女も挑戦者だ。

「私は差し詰め、徐福じょふくのポジションかしらね」

 徐福? と僕は首を傾げる。

「秦の始皇帝の命を受けて不老不死の仙薬を探しに行った人よ。ずーっと昔の、他国の話」

「歴史……ですか?」

 惺さんが歴史を学んでいたなんて意外だ。なんの役にも立たないと言って一蹴しそうなイメージだったのに。僕も授業で選択しておけば良かったな。

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