一話
「国家特殊機関生命維持局A級指令本部第一ラボ二班へ、ようこそ」
そこそこ長い名を言い終えて、彼女が手を差し伸べたので僕もそれに倣い、握手をした。
「私は二班班長の佐々木透子、よろしくね」
「はい。僕は佐伯侑祁と言います。こちらこそよろしくお願いします」
僕は今日から国家特殊機関生命維持局A級指令本部第一ラボ二班で働くことになった。
生命維持局は国家の特殊機関としてその他の官省と並ぶ地位に約百年前設立されたもので、個人経営もネットワーク内に収めた各病院の細部にまでわたる把握、統率や、医療開発などを行っている。
設立理由として、現在僕ら人間が空――成層圏で主に暮らしていることにある。地球の大地は度重なる地殻変動や異常気象、止まらない環境の悪化などによって、最早人間が生きていくのは困難な状態となっていった。
宇宙へと進出し、各星に移住したり開拓を進めたりしたが、その所領を巡って国同士が対立し戦争が勃発した。落ち着いてきてはいるものの未だに決着は着いていない。
そのため軍事関係者以外の一般市民は地球へと退去させられ、人々は宇宙への進出と同時に進められていた自国の空中都市での生活を余儀なくされた。その空中都市というものが成層圏に浮いているのだ。
大地へ降りることも宇宙へ飛ぶこともできず、板挟みの閉じ込められた空間で数を増やさず、かといって滅亡しないように政府は一人一人の長寿をもって人口調整を行う方針に定めた。
それで話を戻すと、僕は三ヶ月前、その生命維持局員にスカウトされたのだ。まだ大学生だった。
局員とは言っても、かっちりとしたスーツに黒ずくめの服装で妙に物々しく、わざわざ僕の所に直接訪ねて来て、「人類の命を救うため、そして人類の未来の為に働かないか」と言ってきた。試験を受けなくても良い、とも。
――こっちの扉か。
そう思った。と同時にとても好都合だった。そもそも僕はスカウトされなくとも生命維持局へ就職しようと思っていた。ある女性の影を追って。
「今日は班員との顔合わせと建物内の案内、それから各ラボ各班の研究内容も紹介しておくわ。ついてらっしゃい」
ヒールを鳴らしながら歩く佐々木さんについて見て回る。どこもかしこも真っ白で清潔感が漂っているが、無機的で簡素ともいえる。
廊下は横並びの大人三人分しかないけれど、一つ一つの部屋が広大で、その部屋の中に小さな部屋がいくつも入っている。そのためか廊下の人の往来は少ない。
第一ラボと書かれたプレートのあるドアの前で立ち止まると、風を切る音と共にドアが開いた。
「ここが私達二班の研究室よ。他にも一班と三班が入っているけれど」
室内を歩き回りながら班員の人に声をかけ、挨拶と紹介を済ましていく。
前頭部が後退し始めてはいるが人の良さそうな中年の男性、背が低く天真爛漫そうな女性、理知的で整った顔の男性、そしてひょろりとやせ細った男性。――二班は佐々木さんと僕を入れて全部で六人のようだ。
「あなたの席はここね」
言って佐々木さんが示してくれたデスクは大量の書類やら本やらが積まれ、バランスを崩したそれらの塔は雪崩を起こしていた。
空いていたからみんな勝手に置いちゃったのね、と佐々木さんはくすりと微笑した。どうやらデスクの上を片すのが僕の最初の仕事になりそうだ。
「さ、次に行きましょうか」
佐々木さんに促されてラボを後にする。その時、入れ替わりで入室しようとしていた少女と目が合った。
「――ショウ?」
「え?」
少女は僕を見つめている。
「あら、檜山さん。彼ね、うちの班に新しく入った佐伯侑祁くんって言うの」
佐々木さんがそう紹介すると、少女は目を伏せて小さく僕の名を呟いた。
「彼、まったくの新人だから檜山さんも良かったら色々と教えてやってくださいね」
少女は次に顔を上げたときには、しゃんとしていて先程の動揺したようなさまは見られなかった。
「そう。新入りなんて久々ね。異動は時々あるけど」
せいぜい頑張りなさい、と最後に僕にも声をかけて少女が室内に入るとすぐさまドアが閉じ、その少女の後ろ姿は一瞬にして消えた。
「……あんな子供まで働いているんですね。天才ってやつですか」
少女はどう見てもまだ十代で、周りの大人と同じく白衣を着ていた。サイズもあっていて借りたものでもなさそうだった。
「それ、彼女に言ったら冷たァ~い目で睨まれちゃうわよ」
佐々木さんは色っぽい口元を上げて、くすっと笑う。
「嫌味を含んだつもりはないですよ」
「天才、の方じゃなくて、子供の方よ」
ああ、と合点して頷く。
「子供って言われるのが嫌いな子なんですね」
「自分より年下の人に言われるのが特に」
「僕も童顔なんでたいがい若く見られますけど、そこまでじゃないですよ。成人してますし」
佐々木さんは含みのある笑みを湛える。
「彼女、確か今年で七十一歳になるわ。外見はあの通り子供――十四歳の女の子だけど」
「へえ……それはまた、面白そうなお話じゃないですか。よかったら聞かせてもらえませんか?」
「あら、信じるのね。素直な子。――それじゃあ、時間的にも丁度いいみたいだしお昼にしましょうか。そこでゆっくりしながら、ご要望どおり聞かせてあげるわ」
* *
食堂というよりもレストランの容相に近かった。テーブルには染み一つ無いテーブルクロスが掛けられ、椅子はクッションが利いていて最早ソファだ。耳心地の良い音楽が流れ、大きな窓ガラスには緑の自然の映像が映し出されている。
わあ、贅沢。さっすが特殊機関、なんてね。
席についてお昼をとりながら、佐々木さんは約束通り先程出会った少女についての話を切り出してくれた。
「彼女の名前は檜山惺。同じ第一ラボの一班班長で、A級指令本部の第一人者よ」
……檜山、惺? あの子が?
「あの、佐々木さん。ここに檜山惺という名前の人は他にもいますか?」
「私の知る限りでは、いないわね」
見つけた――。意外と早かったな。
「もしかして佐伯くん、檜山さんのこと知ってるの?」
「ええ。高等学校の頃に彼女の論文や学会の映像を見たことがあって、それ以来ファンというか、憧れなんですよ。それで僕なりに彼女の事を調べて追い駆けていたんですけど……まさか子供の姿になっていたなんて思いもしませんでした。そんな話、毛ほども聞いた事がない」
「当然よ。一般への情報はごく限られたものだけだもの」
「だからかァ、直接会ってみたくて局の方へ問い合わせた事があるんですけど、いつも断られてばかりで。挙句は退職したと言われましたよ」
あらあら、と佐々木さんは笑う。
「ま、仕方がない事ね。だってここは特殊機関、秘密は沢山あるわ。それこそ、ここA級指令本部ともなると内部の情報は清掃員に至るまで、そう簡単には教えちゃくれないわよ」
なんだか隠し事ばかりで悪い組織にいるみたいだなァ。
「――話を戻してもいいかしら?」
「ああ、すみません。どうぞ」
「佐伯くんも知っての通り、彼女は最初から子供だった訳じゃないの。というのも語弊があるかもしれないけれど。彼女はね、年々若返っているの。これは立派な延命とされて、彼女はその唯一の生きる成功者よ」
佐々木さんはお茶をすすった。
「あの、たびたびすみません。それはちょっと可笑しくないですか? 檜山さんは研究員ですよね? 被験者ではなく」
「自らを実験台にして自殺を図ったのよ。今から二十八年前、彼女が四十三歳の時だったかしら」
「原因は?」
「ストレスとプレッシャーだと聞いているわ」
「ありきたりな答えですね」
つまらなさそうにそう言うと、そんなものよと佐々木さんは返事をして続ける。
「入った当初からずば抜けた頭脳を発揮して、彼女への期待はずいぶんと膨れ上がっていったわ。研究の方もそれに応えるかのようにとんとん拍子に進んで、シー・エレガンス、マウス、家畜、猿などの実験も次々に成功。平均寿命を大きく上回る結果が出たの。でも、どうしても人体実験だけは上手くいかなかった。それから研究は低迷状態に陥って……それで、ってところかしらね」
佐々木さんはそこで深く息をついた。
「自殺を図ってからすぐに発見されたけど、十分後に死亡を確認――した、はずなのに、その四分後脳波に微弱の反応。心臓も活動を再開し始め、治療の末回復。そして今に至るってわけ」
「今に至る、ねぇ……。なんだか随分と変わった効き方ですね。仮に彼女が蘇生したのが服用による若返りだとすると、直後の身体への反応、効果は速いのに、彼女が生きている年数を聞く限りでは、その後はとても緩やかで」
「そう、未だにわからないことだらけよ。彼女が服用したと思われる量で他の者に試してみても一つも成功しなかったし」
僕はゆっくりと息を吐きながら椅子の背に身体を預けた。いつの間にか身を乗り出していたようだ。
「驚いた? 憧れのあの人のこんな話」
「ええ、まぁ」
でも、気味が悪いとは思っていない。むしろ気分が高揚してくる。
すごい、と僕は呟いた。陳腐だがこれが一番の率直な感想だ。
「やっぱりすごいです、檜山さん。尊敬し直しました」
「あら、そんな台詞が出てきてくれて良かったわ。ショックを受けて辞めちゃうのかと思ってたけど。時々いるのよね、人体実験が行われていると知ってとやかく言ったり心が病んじゃう人がね。その点、意外とすんなり聞き流したわね、佐伯くんは。なかなか将来有望だけど、ちょっと面白くなかったわ」
すみません、と僕は苦笑する。
「佐々木さんは賛成派なんですか、人体実験」
「大手を振って賛成って程でもないけど、大義の為に私はやるわ。今の社会倫理では人を生かすために人体実験をして人を殺してはいけない事になっているけれど、人が死ななければ人を生かすことも出来ないのよ」
佐々木さんは突然くすっと笑った。
「こんなことをね、檜山さんにも話した事があって、大義親を滅す、って言われたの。たったその一言だけ」
「どういうつもりで言ったんでしょう?」
「さあ、私も知らないわ」
ああ、そうそう、と佐々木さんは思い出したかのように言った。
「ついでに教えてあげる。檜山惺は偽名なんですって。公の仕事のたびに変えているらしいわ。まあ、もっとも、佐伯くんが知った時からそれもないようね。檜山のままよ」
ご馳走さま、と言って佐々木さんは口元をナプキンでふいた。