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桜咲  作者: 夢雲まり
嵐夏の章
12/23

10 田園の稲、濃緑に輝く頃・・・・・・・

城の周りの田園は、すでに青々とした稲が光輝いていた。


ジリジリと照りつける太陽。

季節はすでに夏を迎えている。


暑い日差しの中で、櫻姫は遠ざかる景之の後姿をいつまでも見ていた。

足軽を率いて、馬上に座る甲冑の景之は威風堂々たる姿であり、平常であれば心をときめかせていたであろう。

しかし、その後ろ姿を見ている櫻姫は不安で顔を曇らせるばかりであった。


織田家から戦の知らせが届いたのは春も終わる夕刻の事であった。それ以来、佐久良家では連日連夜話し合いが持たれていた。

といっても、織田家に下っている佐久良家に拒否の選択は元から無いようなものである。戦いに参加する事はすでに決定事項であり、話し合いは、主に戦略についてであったらしい。


会議と平行して、櫻姫は城の侍女達や家臣達とともに戦準備を手伝っていた。新妻とはいえ、戦国の世である。国は違えど、戦準備は手馴れたものであった。

今回の戦は織田家の加勢という形のため、城内での戦の準備は殆どされていない。といっても、いつ何が起こるか分からないのが戦の世である。

不利になれば、領地に戻り篭城戦になる事もありえる。そのため、櫻姫は一応、すぐにでも準備ができるようにはしていた。


日々は刻々と過ぎていき、ついに景之の出発の日。

甲冑に着替える景之を手伝っている時から、櫻姫はずっと沈んだ顔をしていた。

生まれた頃から戦いに囲まれて育ち何度も戦に行く父を母とともに見送り、帰るまでの日々を仏に父の身を祈りながら過ごして待っていた。

しかし、こうして夫を送り出すというのは、また違った心もとなさがあった。


もし、戦から帰ってこなかったら

もし、これが今生の別れだったら

もし、お命を落としたら


最悪の状況が頭の中を駆け巡る。考えたくないのに、甲冑姿の景之を見るとどうしても想像し、今まで感じた事のない、どうしようもない不安に襲われてならなかった。


そんな櫻姫を見かねてか、景之は出発の僅かな合間に人払いして二人きりの時間を作ってくれた。

静かになった室内で、何も言わずに景之はそっと櫻姫の体を抱き寄せてくれた。

頬にあたる甲冑は冷たくて固い感触であったが、景之の温かな心がじんわりと感じられ、櫻姫は言い知れぬ嬉しさがこみ上げた。


『すぐに帰る。だから、心安らかに笑って待っていてくれ。それに、櫻がそんな顔をしておったら、気になって戦なんぞに集中できぬ』


ぼそりと、そう恥ずかしそうに呟いた景之の顔はほのかに紅色に染まっていた。

それを見て、櫻姫も思わず頬を緩めた。

そのまま、櫻姫は極力不安な顔を見せないよう笑顔で最後まで景之を見送った。

だが、離れていく景之の後ろ姿を見ているうちに、寂しさと不安を無視する事はできずにいた。

姿が遠のくにつれて、まるで半身を引き剥がされるような気持ちであった。



それから、数日の後・・・・・・



「お方様、お顔が優れませぬが大丈夫ですか?」


声をかけられて、はっと櫻姫は顔を上げた。

さっきまで話をしていた目の前の2人は、心配そうに櫻姫の顔を覗き込んでいる。


「だ、大丈夫じゃ。すみませぬ」


そう言いつつも、櫻姫はこみ上げる欠伸をかみ殺した。


景之達が城を出て数十日が過ぎようとしていた。

時折来る便りから、道中は今のところ順調に進んでいるらしい。昨日届いた文にはあと10日ほどで、織田軍と合流する事になると書かれていた。

だが、届けられる文を読むたびにこのまま、何事も無く、できれば戦などもせずにと心の中で密かに考えてしまう。


そんな事ばかり毎日考えているせいなのか、櫻姫は景之が出発してからというもの妙な眠気に襲われていた。夜遅くまで、御仏の前でご祈祷をしているせいもあるのだろうが、日が中天に上る頃が一番眠い。

夫が戦場にいるのに、妻たる自分が情けないと思いつつも体のだるさは抜けなかった。時折、昼でも気がついたら眠っている事があるほどだ。

特に、人の話を聞いている時はいつの間にか目を閉じてしまっている事がままある。


「いいえ。でも、ご無理は禁物ですよ。毎夜、ご祈祷されているのでしょう?お疲れなのですよ。今宵は休まれたほうがよろしいですよ」


欠伸を噛み殺したのがわかったのか、2人のうちの一人、お澄が心配そうに眉を顰めた。


「そうですわぁ。寝る前に生姜湯をお作りいたしましょう。よく眠れますよぉ」


横にいたお彩もにっこりと気遣うように微笑んで言う。

2人とも、体調を本気で心配してくれている。その事が嬉しくて櫻姫は2人に笑った。


「お気遣い感謝します」


そう言うと、目の前の2人はどこか気はずかしそうに笑った。


この2人は西角と東條の奥方である。

お彩が西角の妻であり、お澄が東條の妻だ。2人とも婚儀の日からお世話になっており、それ以来当主の妻と家臣の妻という垣根を越えて仲良くしている。

それでも、本来は城にめったに来る事はない。だが、景之たちが城を離れるにあたり、嫁いだばかりの櫻姫が心細くならないようにと異例ではあったが、今回、戦の間だけ2人を城に滞在してもらっていた。

そこまでしてくれなくても大丈夫だと当初は思った櫻姫であったが、いざ、城から人がいなくなってみるとやはり寂しさはぬぐえず、いてくれて良かったと今では思っている。


と、恥ずかしさに耐えられなくなったのか、お澄は急に笑い出した。


「ははははは、もう。やめてくださいませお方様。そう、改めていわれると恥ずかしいです。だけど、本当に無理はしない事ですよ!遠慮は無用というものです。殿の事が心配なのは分かりますが、殿はお強い方、それに私の夫もついております。普段は戦いなど嫌だ嫌だと言っておりますが、その分頭は回るはずです。きっと大丈夫ですよ」


そう言って、ぽいっと手元にあった菓子を口へと運んだ。

もの静かな東條とは違い、お澄は明るく朗らかな大人の女性で、しかも母であるのに天真爛漫という言葉を体言したような女性であった。背は男のようにすらっと高く、肌も小麦色に焼けている。

弓術や馬術に精通し、噂では少女の頃に西角と弓の対決をして勝利した事があるという密かな噂が流れているほどの腕前であった。


そんな、男勝りのお澄の横では袖を持ってしとやかにお彩が笑っていた。


「ほほほほほ、でも、お澄の言うとおりですわぁ。今回残っている私の夫ならともかく、東條殿がついているのです。大船に乗ったつもりで待っていましょう。それでも、ご不安な気持ちが消えぬのなら、いくらでも私達に相談してくださいな。いう事で少しは心も軽くなりましょう。遠慮は無用ですわぁ」


お彩の西角に対する多少毒のある言い方に少し苦笑いしつつ、櫻姫は優しげに微笑むその顔をまるで人形のように可愛らしいと思った。


こちらは、血気盛んな西角とは逆で、物静かでおっとりとした女性であった。

黒々とした髪、肌は雪の様に白く、目は切れ長で、体は少女のように小柄。一見、櫻姫と同い年に見え、西角と並ぶとまるで親子のように見なくもない。

だが、実をいうと西角よりも年上であり五人もの子供がいるので櫻姫は当初相当驚いた。ちなみに、現在彼女のお腹にはもう一人、新しい命が宿っている。


と、櫻姫に微笑んでいたお彩は急に、その笑顔のまま横にいたお澄にすっと体ごと振り返った。


「なので、お澄。今日も触らせてくださいなぁ」

「どうぞ、いくらでも触って」


お澄がそう言って体をお彩の方へと向ける。と、お彩はそそくさと近寄って、徐にお澄のお腹を撫で始めた。

お彩はお澄の腹を摩った手で、そのまま自分のお腹を摩り始める。それを何回も繰り返していた。傍からみたら、いったい何をしているのかと怪訝に思う光景であったがやっている本人はいたって真剣な眼差しである。

触られているお澄も慣れたもので普通に菓子を口に運んでいる。

今でこそ見慣れた光景であったが、当初は櫻姫も何が始まったのかと動揺したものだ。

余りに真剣なその姿に、櫻姫は思わず呟いた。


「・・・・・・お彩。そんなに女子がほしいのですか?」

「えぇ、欲しいですわぁ。五人も男子を生んだら、もう十分だと思いません?それならば、1人くらい女子がほしいものです」

「そ、そうですね」


余りにも真剣な声に櫻姫は苦笑いするしかなかった。

ほんわかとした声と瞳であるのに、何故か獲物を捕らえる興奮した鷹のように見える。

さすがのお澄も苦笑していた。


「私は反対に、男子が欲しいよ。いい加減、跡取りを生まないとね。今度、私に子供が出来たら触らせて頂戴よ」

「ええ、もちろんですわぁ」

「あ、お方様もお子ができましたら、お彩のお腹を触らせてもらいましょう!きっと、すぐに若が生まれましょう!」

「えっ!お、お子!?」


いきなり子の話をふられ、櫻姫は少し頬を赤らめ、両手で顔を包んだ。

婚儀以来、景之との仲ばかり気にしていたが、妻の務めは跡取りを生み育てる事である。あまり、意識をしていなかったがこれからは考えなくてはならないだろう。


そんな事を考えている間も、お彩は女子が生まれるために一生懸命だ。

西角とお彩の子は5人とも立派な男子で、他家から見たら羨ましい限りであるのだが、当のお彩は面白くないらしく、一人くらい姫がほしいと数年前から躍起になっているらしい。

逆に、東條とお澄には3人の娘がいる。そのため、お彩はお澄にあやかろうと、子ができたのを分かってから事あるごとにお腹に触っていた。

あまりの普段とは違う妻の様子に、さすがの西角も何も言わないという。


ちなみに、城には2人の子供たちも着ており、普段は聞こえない子供たちの楽しそうな声が響き渡って、櫻姫を和ませていた。


「お澄。あまり、男子、男子言わないでくださいましぃ。お腹の子が男子になってしまいますわぁ」

「ああ、はいはい」


必死なお彩の様子に、お澄と櫻姫も、もはや半笑いである。

だが、ふと気がつくと心のどこかにあった言い知れぬ不安はどこかへと消えていた。


「失礼致します」


2人のやり取りを微笑ましく見ていた櫻姫は、その声に顔を上げて入室を促した。そうして、入ってきた西角は、妻の姿にぎょっとした顔をした。


「彩!お前はまた奥方様の前で!」

「まあ、あなた様。どうされましたぁ?」


入ってきた夫の顔を見ても、彩はまったく悪ぶれた様子もなくずっとお腹を触っている。

その様子に、西角は頭を抱ええて溜息をついた。


「はあ、お澄殿。すまぬな」

「いいや、可愛い姫が生まれるよう私も願っておりまする」

「ああ」


妻とお澄の様子に再びため息を付きつつも、答えたその顔に呆れた様子は見られない。

今回の戦で、西角は居留守役であった。

当初は、西角が戦に行き、東條が居留守役であったのだが、織田家からの使者が来て数日後に子が出来たことがわかり、景之の計らいで交換する事となったのである。一度戦に出れば、いつ帰れるか分からない。戦に行っている間に子が生まれる西角に配慮しての事であった。

初めは少し不満そうにしていた西角であったが、今では生まれてくる子を楽しみに待っているようである。

と、突然お彩がふと手を止めて西角の方を振り向いた。


「それは、そうとあなた様。お方様に御用があったのでは?」

「あ、おお! そうじゃそうじゃ、奥方様」


西角は、はっと気がついたように慌てて櫻姫に向き直り座った。


「そうじゃ。どうされたのじゃ?」

「はっ、実はお客人が来ておられるのですが・・・・・・」

「お客人?」

「はっ、そのお人がですね・・・・・・」


と、西角は急に開けた口を開いたり閉じたりしだした。何かを言いたそうにしているが、珍しいことに言いよどんでいるようだ。

櫻姫はどうしたのかと首をかしげた。珍しい様子に、お澄とお彩もいつの間にかじっと様子を見守っている。

いつまでも続きを言わない西角に、櫻姫は心配になって眉を顰め言った。


「どうしたのじゃ?西角、お客人はどなたなのですか?」

「はぁ、そのお人は実は・・・・・・」


と、その時であった。

遠くから廊下を歩く足音が聞こえてきた。しかも、同時に慌てた様子の侍女たちの声も聞こえてくる。

思わず、その場にいた全員は廊下の襖に目をやった。

ずいぶん早足のその音はドンドン大きくなってくる。どうやらこの部屋に来るのではないかと櫻姫が気がついた時には、部屋の襖の前で足音が止まった。

次の瞬間、何の挨拶もなく突然襖が開いた。


「ここか!青葉の櫻姫のお部屋は!」


突然のことに、部屋にいた者は全員、目を見開いて襖を開けた人物を凝視した。

襖を開けた女性は、部屋の中にいた人を順に目で見ると最後に上座に座る櫻姫へと目を向けた。

目が合った瞬間。櫻姫は妙な寒気を覚えた。びくりと体が一瞬震える。


(目が一瞬輝いたような・・・・・・)


櫻姫を見た女性は紅を引いた唇を嬉しそうに弓なりに曲げると、許可も得ずにズカズカと部屋の中へと入ってきた。

その余りの勢いに思わず、西角も席を譲っていた。

そんな周りの様子も意に返さず、その女性は櫻姫の目の前に座るや否や声高々に名乗り始めた。


「お初にお目もじ致します。私、織田家家臣真嶋家の藤と申します。どうぞ、末永く宜しゅう」


そう言って、その女性、ばっと扇子を開くと真嶋の藤姫は嫣然に笑った。


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