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AIGジャパンOP(試合編)

グランドスラム4大大会のシングル出場は128ドロー。世界のテニスプレーヤーはたったの128人しか憧れの大会に出場出来ない。


大会本部はATPランキング1〜128の選手をそのままバチッと選び出して大会の出場権を与えているわけではない。


本選出場(ATP約100位以内)

予選出場(ATP約300位以内)

ワイルドカード(数名)


近藤は名古屋の高校を卒業する際にグランドスラムについて夢を語っている。


「僕はプロテニスプレーヤーになるわけだから将来はウィンブルドンに出場を果たしたい」


しっかり実力を蓄えて芝のコートで世界を相手にプレーしたいと公言している。


高校生近藤のコメントは子細なATPランキングにまで及ぶ。

「ATP300位以内にランキングならば予選のキップをゲットだ。後は実力で予選を勝ち本選(128ドロー)に入りたい」


近藤がコメントを出すまでATP300位という数字がカットオフ(予選)まったく知らなかった。


近藤はプロに転じるとひたすらATPランキングをかけのぼる。


こちらは星野の練習の最中である。

「今日の練習はこのくらいにしておくか。近藤はクールダウンしてくれ」

星野コーチが珍しく練習をストップさせた。近藤はもう少しストローク練習がやりたいかと思う。

「えっどうかしたんですか。時間ありますよ」


もう少しと頼む近藤。星野はさっと手を振りクラブラウンジに帰ってしまう。

「近藤。まだ打ちたければ他のコーチに頼めや」


※コーチはクラブにいくらでもいる。だが世界の近藤の相手をする技術は持ち合わせてはいなかった。


近藤はしぶしぶ練習をやめることにする。他のコーチなんかに打ち込んだらこちらが嫌われてしまう。


渋々練習を切り上げラウンジに行く。あみがにっこり待っていた。

「お兄ちゃんご苦労様でした。お飲み物は何がいいかしら。あのねお話があるの。座ってくださいね」

あみはラウンジからドリンクを運ぶ。近藤と御揃いのオレンジジュースを出してくる。


あみがヒソヒソと耳打ちしながら言う。

「お父さん電話待ってますの。今日の夕方までに日本テニス協会からかかってくるの。電話はね」


来月開催される予定のジャパンオープンテニス。星野が待つは近藤にワイルドカードが出るかもしれない。協会役員からそれとなく言われていたのだ。


日本の主催だから毎年2〜3人を推薦出場している。


「ジャパンオープンだって。僕にワイルドカードがくるのか」

近藤は夢ではないかと疑う。ジャパンオープンは夢のような大会である。


オレンジジュースを飲んでいると女子事務員があみを呼んだ。

「あみちゃんあみちゃん」

フロントの女の子が手招き。星野に電話があったらしい。


あみは近藤を手で制止させて一目散事務所に父親を探す。


「たぶんっ!たぶんね決まったわ」


あみが盗み見た父親星野は盛んに電話口で頭を下げていた。


「はっそうですか。ありがとうございます。もちろん喜んでお受け致します。はい本人もやりたいと申しております」


星野は電話を切る。満面笑みの中年が事務所の職員やコーチたちに声を挙げた。

「みんな喜んでくれ。決まった。近藤は決まった。ジャパンオープン出場だ。応援ありがとう」

事務所内に拍手が沸き起こる。


あみは万歳をしながら頷く。クルリっと後ろを向いて早速近藤に報せたい。

「早くお兄ちゃんに知らせなくちゃ」


後ろを見たあみ。


「ジャパンオープンか」


近藤はあみの真後ろにピタッとついていた。


いやーん


それからの近藤は目の色を変えて練習に打ち込む。

「ジャパンオープンというと世界テニス大会の頂点にあるんだ」

近藤は武者震いをした。


ATP世界テニスのカテゴリを紹介しよう。

・フューチャーズ(初級)

・チャレンジャー(中級)

・グランプリ(1&2)(上級)

・世界テニス4大オープン(豪英仏米)


あみはATP世界テニスの大会カテゴリを近藤から知る。

「へぇ〜」

よくはわからないがジャパンオープンはとにかく世界の一流プレーヤーが集まる大会と理解した。


「世界の一流はねウィンブルドンの常連が出場するらしい」

近藤の頭にはテニス雑誌のグラビアが浮かぶ。ATPランキングトップクラスがつらつら。

「名前がわからないようなATPボトムな選手は参加しない」


近藤気合いを入れ変えて練習に打ち込むことにならざるを得ない。世界一流と対戦が待つ身分。


「よしやるぞ」


グイッとあみの手を握る。


「あーんイヤーンお兄ちゃんってば。ギュって痛い痛いモン」

ダンロップラケットとあみの手を間違えた。グリップと同じ細い腕だった。

「いかんなあ。出場できると思ったら。変に興奮してしまった」


あみはいきなりギュっと手を握りしめられて赤く腫れてしまった。

「あみビックリしちゃった。お兄ちゃんに何かされるのかと思ってしまいました」

フゥ〜フゥ〜と赤くなった手を吹いた。


近藤のジャパンオープン出場は嬉しいことである。だがその反面星野はコーチとして悩む。


いかなる練習を近藤にしてやればよいか。世界テニスに互角に立ち向かえる近藤として送り出してやりたい。そのための練習をいかに取り入れるかである。

「ジャパンオープン出場はラッキーなことだ。だが近藤にひとつぐらい勝たせてやりたい。それがささやかな親心というやつだ」


ATPインターナショナル・ゴールド・カテゴリ。出場するからには勝ち負けがある。参加するだけでは意味がない。単に顔見せ程度の話ではつまらない。

「近藤と二人で世界を相手に戦いたい。だからこれを機会に近藤に飛躍をしてもらう」

星野はインターネットに飛びつく。世界の名コーチのサイトを片っ端から参照してみた。


クラブの事務所に日本テニス協会からジャパンオープン参加予定選手のリストをもらう。リストには世界トップランキング(100位以内)がズラリと並んでいた。


ATP600位クラスの近藤にはいずれの対戦も重荷になるハイレベルな選手ばかりである。


ATPのランキング100位の選手と日本のトップと対戦させる。有明コロシアムにいる観衆は日本頑張ってくれと声援を送る。しかし勝つことは万に一もない。日本と世界には目には見えぬ大差がある。


星野は頭がガンガン痛くなってくる。近藤に勝たせたいと思えば思うほど星野はいたたまれなくなる。

「うーんコーチの俺まで悩んでいては仕方がない。気楽にいくか」


近藤の勝利のために作戦を練る。緒戦の対戦相手が決まった段階で綿密な作戦を練り直す。


「世界との差をどうして埋めるか。愛知のテニスで勝つことは不可能さ。かなりのハードな練習を課してテニス技術を高めさせるか」

星野は腕組みをして悩む。近藤ののびのびとしたテニスを最大に活かし世界に通用させるために星野はいかなコーチをするのか。


近藤のサービスはどう改良していくか。


身長178からのサービスは角度が欲しいところである。スピードは練習で増してやる。少なくとも二割は増してやりたい。


近藤のストロークはどんな課題が残るか。


バッグハンドは近藤の最大な武器であった。ダウンザラインに鋭く突き刺さるバッグは星野が徹底して教え込んだ。ラケットを振り切りインパクトの一瞬は近藤絶対な自信であった。バッグハンドは裏切らない。


星野はニンマリとする。

「近藤は自信を持ってバックを素直に振り抜いてくれたら」

まず世界に通用して行くのではないか。


ならば近藤のフォアハンドはどうか。フォアは基本中の基本である。


試合のストロークの大半はフォアである。星野は腕組みのまま天井を仰ぐ。

「フォアかっフォアなあ」

きれいなスイングからの近藤のフォアハンドストローク。

「きれいなストロークは対戦相手から見たらやっぱりきれいなんだ。球道が明確に見られてしまいきれいに打ち込めるフォアハンドなんだ。だから武器としての機能を備えてはいない。困った困った」

近藤の流れるようなストロークは敵にも見やすく打ちやすかった。


星野はこの基本的なストロークに工夫をもたせた。あらゆるタイミングをはかりショットやスイングを試してみる。

「競技者としてのテニスを身につけなくては勝てない。素直なスイングはいらない。だから悩むんだ」


そこで星野の全日本プレーヤーとしての貴重な経験が物を言う。

「近藤には直接言えない。あのフォアは世界には恐らく通じないだろうとは。40を越えた俺でも合わせるだけで打ち返すんだ」


ならばどうするかっ


星野は頭を抱えた。


「フォアが効かないならネットでボレーでいけないこともないが」


フォアか弱点だと見破られたら。

「まず徹底してフォアを攻めてくるだろうな。ネットにはつかせないであろうし」

近藤の得意なボレーに展開させないようにして勝負を決めにかかるであろう。

「素直なスイングが仇になるのか」


星野は近藤の小学生時代にスイングのきれいさを褒めたことを思い出す。


テイクバックを充分に取り狙い澄ましてスイングをする。Jr.コーチとして教えた自慢のスイングだった。

「あれが(対戦相手に)打ちやすくていけないとはな。言わば俺の作りあげたスイングだ。それが仇になるとは皮肉なもんだよ」


ならばスイングスピードを増してやるか。打点をより前にして倒れ込むようにして打つ。グリップはウエスタン(厚み)にさせる。星野は机上の空論を展開させる。

「今からスイング修正してジャパンオープンに間に合うか。馬鹿馬鹿しいな」

星野は考えがまとまらない。


理想は理想としてそこにはある。実践には勇気がいった。


近藤が星野の指導で負けたとなると責任重大である。頭を抱えたまま星野は動けない。どうしたらよいかわからなくなった。


娘のあみはいたって元気である。親の心、子知らず。


近藤が大きな国際大会に出場をすると決まってはしゃいでいる。

「お兄ちゃんがジャパンオープンに勝つためにあみも頑張っていかなくてはなりませぬわ。あみちゃんも忙しいわ」

近藤の女房気取りのチビッコあみ。


「女房気取りじゃあないもん。あみは奥さんですわ」


ぷぃ〜


近藤の練習には必ず付き添うあみ。何かと世話をやくことにする。


コートで近藤が手をあげればドリンクをサッと差し出す。あみ特製のスペシャルドリンクらしい。


近藤が首を回せばタオルを出す。ダンロップ製のスポーツタオル。あみが洗濯をしてほんわかと温かい感触がする。


近藤がベンチに腰掛けたら背後からあみは。

「肩をお揉み致しましょうか」

おさげ髪をなびかせてヨイショッとマッサージを始める。近藤の手足を人前で触ろうかとする。

「あみダメだぞ。恥ずかしいじゃあないか。みんなが見ている」

近藤があみの細い手を振りほどく。


あみは近藤に嫌われたと思ってしまう。


涙がジワッ〜。目からポトンポトン


「わかったわかった」

近藤も仕方なくあみに肩だけ叩かせる。


あみは満面の笑顔に戻っていく。涙は渇いてしまう。単純な女だなあ。


近藤の肩に手を乗せたあみをみた星野。

「おいあみ。お父さんもマッサージしてくれ。お父さんは朝から球出し練習のやりっぱなしで体がカチコチだ。あみ頼む」

父親の星野が肩をほれっとあみに見せた。日焼けした筋肉がニョキ。冗談めかして娘に言う。


いや〜ん


なんとあみは拒否をしてしまう。近藤の後ろに隠れてこそこそ逃げてしまった。


父親の星野の目から涙がひとつ溢れた。


近藤は大笑いをした。


ジャパンオープンのための特訓が始まる。星野はクラブの誰にも見せない秘密を作る。近藤と二人でジャパンオープンのために練習を行う。


「近藤のよさを引き出すために。近藤のノビヤかなテニスをジャパンオープンで発揮するために」


星野は弱点克服は目をつぶる。

「今ある長所を最大に伸ばして試合に向かわせたい。どんな対戦相手が来てもいずれも600番台の近藤より格上ばかり。予断は許されない。ヘタするとテニスの試合にはならないかもしれない」

星野は全ての迷いを振り払い近藤のためにコートに入った。


二人だけの短期特訓は繰り返された。近藤の集中力を増すために。


娘のあみも特訓のコートにいた。

「あみちゃん球拾いします。お邪魔しませんわ」


強烈な弾道の飛び交う中、あみは近藤のダンロップ(お古)を持って頑張ってちょこまかと球を集めては走り回る。

「早く走りませんとお兄ちゃんの強烈なボールがお尻に当たりますもん。あみちゃんの小さなお尻に当てられてはいやだわ」


あみの小さなお尻に当てるくらい近藤はコントロールがいいと言いたかった。


小さければね。


星野はスピードを重視した特訓を始める。

「世界のスピードを近藤は体験していない。フューチャーズクラスしか試合していない近藤には経験が不足している。球の速さは一般道路から高速道路の違い。だからスピードに馴れてもらわないとな」

素早い打点ライジングに馴れてもらいたいと思った。


近藤の唯一の武器バックハンドはなんとかスピード対応できた。自分でも自慢するくらいのショットが繰り出され星野の思うようにコートに突き刺さる。


「問題はこれからだ。近藤のフォアをどうするか」

テイクバックに時間がかかる近藤のフォアハンド。当てるだけのショットは世界テニスには通用しない。

「振り切るのにあれだけ時間がかかると使い物にならない」


ライジングならばチョコンっと当てただけでリターンできる。


だが当の近藤は拒否をする。

「そんなっ。しっかり打たないリターンなんて怖くてできない。試合でなんか使えない」

星野と近藤の迷走は続く。


ジャパンオープンが数日に迫る。


近藤と星野は猛練習に明け暮れた。その練習に音をあげたのは近藤ではなく40歳の星野だった。

「いつまでも若いと思っていてはいけない」

近藤のヒッティングパートナーとして高速ストロークをガンガン打つ。元全日本プレーヤーのプライドである。


その激しい練習の最中に星野は打ち損じてしまう。打ち損じのボールは近藤のバックサイドを大きく逸れた。逸れたボールは取る意思はなかった。


が。あっ!


そのボール到達先にあみが"でっかいお尻"を向けボール拾いをしていた。


あみのシリに当たる!


咄嗟(とっさ)に近藤はバッグサイドに走りボールを狙う。


間に合わない。


ダンロップを右手から左手に持ち変えた。


「スイッチング」


辛うじてチョコンと当てた。


ボール拾いに夢中なあみは何もなかったかのごとくお尻をプリプリしていた。


何も考えずにスイッチング(右→左)した近藤だった。ワイドなボールもリターンしてしまった。


それを見た星野はアッと思う。今までのテニスでは見たこともない光景だった。


近藤はその場でスイングしサウスポーになった。左手を見ながら感触を確かめた。


ストロークの練習が突然に中断をした。あみはアレッ何かなっとクルリと振り向いた。

「あみのお尻が凹まなくて良かった良かった」

近藤にあみのお尻っと言われ照れた。嫌だなあじろじろ見られちゃったと撫で撫でした。


ジャパンオープンの開催である。あらかじめドロー(対戦相手)は発表されていた。

「お兄ちゃんの1回戦は誰とかな。えっと日本の選手と対戦だわ。外国人じゃあないのかあ」


あみが朝のホテルで気がつく。ドロー表の発表は1週間も前からわかっていた。


星野はひとり静かにホテルのモーニングを食べている。穏やかな朝を満喫して朝刊を読みコーヒーを楽しむ。


あみが近藤のドローに驚きの声をあげたのでジロリ。

「緒戦の相手は日本人なんだけど強敵だよ。全日本ではベスト4に入ったこともある。近藤はこのトーナメントね、ひとつとして楽な相手はないさ」

あみはエヘッと舌を出して照れた。世界のテニスプレーヤーが大挙して参加するジャパンオープン。息抜きできる相手など本選にはいない。


ジャパンオープン会場有明コロシアム。近藤には星野コーチとあみが付き添う。


世話女房のあみは近藤のツアーバックに試合に必要なものをすべてチェックしていた。

「ダンロップラケットからグリップテープ。ドリンクはあみが試合経過を見て手渡すの。お兄ちゃん冷たいドリンク欲しいって言うから。しっかり見張らないとお腹イタイタになりますわ」

世話女房あみは一人前にしたり顔をする。


近藤はホテルの個室で試合前の精神統一をする。座禅を組み瞑想状態。


全ての邪念を払い自分のテニスをプレーすることに願をかける。


近藤の瞑想に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が現れた。


「しっかりやれや。近藤の背後から応援してやる」

ごっつい顔のヤマトタケルノミコト。手には熱田の(つるぎ)が燦然と光り輝いていた。


近藤は部屋を出てツアーバックをあみから受け取る。

「ハイッお兄ちゃん」


お下げ髪をかきあげながらあみは近藤に手渡す。

「お兄ちゃん頑張ってよ」


近藤はあみの顔をジッと眺めた。


ツアーバックを受け取る。戦いのコートに近藤は否応なく押し出されていくのだ。


「あみっ勝ってくるよ」


近藤はあみのオデコにキスをした。


あみちゃん幸せ。


いゃ〜ん


近藤は満員のテニスコートに姿を現した。観客からは、


近藤く〜ん!


女子高生たちから黄色声援が飛ぶ。


近藤は軽く右手をあげた。女子高生の声援に応える。観客の貴賓席中には星野とあみがいた。

「近藤くんだなんて馴れ馴れしく言わないでくださいなプリンプリン」

あみは面白くない。


フーンだ!プイップイッ


近藤の緒戦は日本人選手である。ジャパンオープンのワイルドカードをもらえるかっと待っていた選手だった。

「予選を勝ち上がり本選入りをされたんだな」

近藤より年長の相手はワイルドカードの出場が面白くなかった。


ゆえに近藤を是が非でも倒して2回戦に進みたいと闘志剥き出しであった。


コートに入ったばかりの近藤にさも不愉快だと態度で示していた。

「ケッ全日本もろくに勝てないガキがワイルドカードだとはな」

近藤の年齢では大学テニスで勝ち負けを楽しんでいたと回顧もした。


一方の近藤。フューチャーズの転戦ではありとあらゆる選手と対戦をしてきている。

「直接に(選手から)悪態をつかれて困ったことはないが」

この程度のラフな態度(アティチュード)は日常的に見ているよっとあまり気になることはなかった。

「同じ日本人だしね。民族の対立なんかは関係ないから」

中東の民族対立や宗教の違いなど。世界を相手のテニスでは避けては通れぬものもある。


観客席にあみは陣取る。近藤のプレーヤーズベンチに最も近い席を日本テニス協会からもらっていた。

「あみちゃんだけ特別なんですよ。お兄ちゃんにもしものことがあればサって行けますから」

自称近藤の奥さんは頑張って座っていた。


試合前の練習&ウォーミングアップが五分程行われた。ボールを追いかけながら近藤は、

「調子はまずまずってとこかな。肩の具合がどうかなってちょっと心配だけど」


肩の具合が良ければ近藤のカミソリサービスが炸裂しそうである。


ジャパンオープンの場内アナウンスが響きわたる。試合開始が間近である。

「皆様本日の第1試合はアンパイア向かって右手の近藤(日本)と…」


場内に近藤の名がこだまする。

「しっかり〜近藤く〜ん」

全中時代から近藤の名がテニス界には轟き幾多かの優勝をものとしてきた。

「ジャパンオープンというATPグランプリ大会まで僕は駒を進めることができたのだ」


場内アナウンスに自分の名が呼ばれてなおいっそう気がひきしまる。


近藤はツアーバックの中に手を入れた。小物入れサイドバックをゴソゴソっと探る。


熱田神宮の御守りがあった。あみが新しい御守りを入れていたのだ。

「試合の前に御守りを見ると気が落ち着く。テニスに集中できるんだ」


あみが授けた御守り。ジッと見ていたらなにやら語りかけてきそうな雰囲気であった。


近藤の頭には熱田の森が見え本殿がぼんやり浮かぶ。

「本殿の中にご神体がいらっしゃるんだ」


近藤は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が鎮座していることはわからない。


ただわかることは。


「近藤の後ろにはタケルのワシがついているということさ」

御守りなる小さな神。ヤマトタケルノミコトがエヘンっと咳払いをした。


近藤の脳裏にタケルがチラッと浮かぶ。

「熱田の神さまと戦うよ」


近藤は身支度を整える。ダンロップをグイッと握りしめ勝負師の顔になる。


プレーヤーズベンチを立ちコートに入った。観衆からは割れんばかりの拍手が巻きあがる。


近藤がアンパイアをチラッと見たらその先にテレビカメラが乱立していた。

「そうか(試合は)テレビ中継されるんだった」


近藤はテレビを誰が見てくれるのだろうかと思う。

「高校の同級生かな。テニスクラブのみんなかな。親戚のおじちゃんぐらいテニスを録画して見てくれるか」


ならばしっかりしたテニスを披露してやりたい。

「僕程度のアマチャンがテレビに映るんだ。なんとしても勝たなければならない。1回戦どころかそれ以上だ」


近藤はグッと拳を握りしめる。

「世界の近藤はこのジャパンオープンから羽ばたくんだ」


主審アンパイアが試合開始をコールする。


「コイントスの結果サーバー近藤」


全身ダンロップで身を固めた近藤はゆっくりプレーヤーズベンチからサービスラインに歩いていく。


観客席で見つめる女子高生あみ。ハンカチをギュっと握り近藤の挙動を見守る。あみは近藤の試合は大抵観戦はしていた。だがジャパンオープンのような世界的規模の試合は初めてである。

「お兄ちゃん緊張しないで。お父さんの言う通りのテニスをしてね。お兄ちゃんは強いんだから」

トートバックから出されたハンカチはすでにクシャクシャになってしまう。


「お兄ちゃんはちょっとした癖があるの」

あみが言うには、

「サービスの前に空を見上げたら絶好調なの。いつもお空を眺めたらバァーンって凄いサーブが出るの」


近藤はサービスラインに辿りつく。観客からの拍手が鳴りやまない。ゆっくりゆっくりボールを2〜3回つき静寂の時を待つ。


近藤っ青空をふっと眺めた。太陽が眩しく輝いていた。


試合が開始された。


それは近藤の強烈なサーブで始まった。


バシッ


200キロを遥かに越えるサービスが相手コートに突き刺さる。近藤独自のリストの柔らかさがボールに回転を与える。


近藤15-0


場内の観客は拍手を繰り返した。

「速いぜ近藤くん。世界と戦うからにはサーブが命だぜ」

立て続けにサーブを打ち込む。近藤のサービスゲームはあっけなく終わった。

「サーブはまずまずだな」


近藤のレシーブである。テニスプレーヤーとしてはレシーブでブレイク(サーブ破り)をしたい。


近藤は自然体で相手のサーブに構えた。サーバーは近藤が子供の頃テニス雑誌でいつも見た選手だった。


バシッ


矢のようなサーブ。近藤はダンロップを差し出したがなんと弾かれてしまう。


サーバーは勝ち誇る。

「近藤っ。きさまが俺の弾丸サーブを受けるなんざ10年早いんだ。お前なんかに負けることはプライドが許さない」


近藤はなんとかレシーブをするがネットを越えるが精一杯である。サーブはすべて近藤の体の右半分。どうやら近藤を研究しているようだ。

「バックハンドは要注意だからな。お前がネットに来たらロブ上げてやるさ」


試合は拮抗して進む。近藤の得意なネットプレーには展開させないとボールコントロールは抜群だった。

「ちくしょうネットに出たいが」

近藤の苦手なコースを的確に狙い打ち。思うようにならなかった。プロとして近藤より長いキャリアはダテではない。

「このままタイブレークに突入か。それだけは避けたい」

タイブレークはより一層緊張する。一か八かの勝負。若い近藤。経験のないグランプリ大会はかなりの重荷となり無理があった。

「なんとかこのセットをブレイクで取りたい。少しのミスも命取りのタイブレは避けたい」


近藤はレシーブに集中をする。相手は精密機械ではない。そのうちにミスショットをする。見逃してはならない。


近藤の目がキラリと光る。

「ミスショットは来る。相手だって苦しいんだ」


近藤の考えが正しかったかファーストサーブの確率が段々落ちてくる。

「セカンドは強烈に叩いてやる」


ジャパンオープンというメジャーな大会。普段試合をしていない選手にはジワジワと余計なプレッシャーが降りかかるようだ。


近藤に安全策を絵に描いたセカンドサーブがきた。


しめた!


近藤はバシッとダンロップでセカンドを力いっぱい叩いた。


近藤のリターンは矢のごとくコートに突き刺さる。


この一撃は精神的に相手を追い詰めた。それ以後ファーストサーブに精彩を欠くことになりブレイクを許す。


第1セットは近藤だった。


「甘い球は容赦しない。世界と戦う資格ということからも見逃しはしない」


第2セット。


対戦相手は精彩のないサーブを繰り返して自滅をしたかと思う。


だが近藤に異常なまでに敵対心を持つベテラン28歳は違っていた。


テニスで負けてくると様々に策を出してくる。


近藤のサーブではトラブルを多発した。

「審判!今の近藤はフットフォルト(足がラインを踏む)だろう。白いラインが踏まれたぜ」

プレーに文句をつけてくる。


際どいライン上のボールには、

「審判どこ見てんだ!俺のボールがアウトだと。そんなバカな。ちゃんとインしてるぜ。コレクション(訂正)してインにしろ。全くイライラしやがる」


クレームのたびに試合が中断していく。会場の観客たちはうんざりしていく。

「勝ちたいのはわかるがありゃあやり方がフェアじゃあない。近藤のリズムを狂わせる作戦だろうよ。全く情けないことだ」


近藤がサーブの動作に入ったか入らないかで、

「おい(観客)ウロウロ歩くなっ」

応援をしてくれるはずの会場の観客にまでイライラを募らせてしまう。


第2セットはあっけなく終わった。近藤の勝ち上がりである。


試合後に星野は日本テニス協会を通じ対戦相手に厳重注意と制裁金を課すことを伝える。

「いくらワイルドカードがもらえないからと言って近藤に八つ当たりされちゃあな」


ホテルに近藤が戻るとあみが待っていた。

「お帰りなさいお兄ちゃん」

あみは喜びの笑顔で近藤を迎え入れたかったが。


「キャアー近藤く〜ん」


なんとホテルに近藤ファンの女子高生たちが待ち構えていた。

「あのぅサインください。握手してください。携帯写メいいですか」


近藤としても堪らない。


「あみっ、早く」


ツアーバックをよいこらっしょと持ち上げすたこらルームに逃げた。あみはどうしたことかドンクサイ。追い掛ける女子高生に交ざってしまう。あみも女子高生だけど。

「あらんやだぁ近藤くんに逃げられちゃった」


ファンの女子高生たちはロビーでホテルマンに制止させられた。

「他のお客様に迷惑になります。お辞めください」

追い掛けられず残念がる。あみも訳わからないままその集団の中にいた。

「あれっ私ってなにしてんのかな」

ホテルマンにあみ腕をグイッと取り押さえられてしまう。


近藤を追い掛ける必要は別にないはずだけど。


部屋に無事到着をした近藤はホッとする。ツアーバックをデンっと置くと、

「あれっあみどうしたんだ。何やってんだ」

かなり時間を置いてあみが部屋にやってくる。

「えへへっ。お兄ちゃんのファンの女子高生と間違えられてしまいました」

取り押さえられたホテルマンにあみも女子高生たちもホテルから出て行くように追い出されてしまった。

「私は泊まりのお客様ですよ。星野の娘ですって言ったんだけど」

信じてもらえなかったらしい。

「あみは間違えられたのかアッハハ」

近藤は腹を抱えて大笑いをした。あみは嬉しいのか悲しいのかよくわからない顔をしてしまう。


翌日近藤は試合がなかった。

「二回戦は世界のトップランカーが対戦相手になる。しっかり準備しておかないと勝てない。丸々1日練習できることはラッキーだ」


近藤は早くから練習コートに向かう。コートには星野とあみが待っていた。あみがおはようっと笑顔を見せた。が父親の星野は苦虫のまま腕組みである。

「二回戦はまだ未消化だから(選手は誰か)わからない。いずれが勝ち上がりでも近藤とは格の違いがある。桁ハズレのな」

星野はにこりともしないで率直な意見を言った。


練習は基礎的なことの繰り返しである。

「この後に及んであれこれマスターしろっと言われてもできっこないからさ」


練習は昼食を挟んで行われる。

「あみそろそろ二回戦の相手が決まっていそうだ。ちょっと会場に行って試合を見てくれないか」

星野は頼んだ。


あみはわかりましたっと返事をする。おさげ髪を風になびかせて田園コロシアム大会会場にスタスタっと走る。


あみが駆け足し消えて数時間であろうか。星野の携帯が鳴った。発信者はあみである。


「お父さん。今ねちょうど試合終わったの。お兄ちゃんの対戦相手はねっ。あの背の高いサウスポーの選手」


星野は大きな声で反復した。近藤に聞こえるように選手の名を言う。


「近藤っ。明日の試合はだな」


ケネスカールセンだ。デンマークの選手だ。


近藤は緊張感が全身に走る。

「ケネス…カールセン」


カールセンはデンマーク出身の選手。近藤より約10歳年上になる経験豊かなオールラウンドプレーヤーである。


デンマークのケネスカールセンは欧州テニスを中心に世界と戦う。だが30歳を間近にした頃大変な怪我に見舞われてしまう。テニスどころかATPをリタイアしてしまう。怪我の治療か引退かの瀬戸際に追い詰められた。


その怪我からの復帰に気分転換をしてみるかと考えた。


欧州テニスだけでなくアジアテニスもツアーしてみるかと。


このアジアテニス(日本・韓国・インドなど)がカールセンには幸いをする。


欧州では対戦をすることはまずないであろうのアジア人プレーヤーとの試合。カールセンはことごとく勝ちを拾いまくる。


怪我の前には50位のランキングはチャレンジャークラス(200〜300)あたりまで落ちていた。


がツアーに復帰したちまち100位近くまで回復してくる。すべてはアジアテニスのツアーでの好成績だった。


カールセンはジャパンオープンに参加をしてなんと優勝を飾ったこともある。


その優勝した決勝戦。テレビ中継の解説者は星野が担当をしていた。


解説者星野はカールセンのしなやかなストロークを褒めている。優勝するに相応しい選手である。これっとして特徴のないカールセンを褒めた。


「ジャパンオープンをかつて優勝したカールセンが近藤と対戦か。世界の壁というやつは常に高いハードルだ」

星野の脳裏にはカールセンが浮かぶ。優勝をしたあの勇姿が(よみがえ)る。解説者として見た印象が今は近藤のコーチとして敵として見なくてはならない。

「カールセンは全体的になんでもこなすテニスプレーヤーだ。サーブが速いわけでなくそつなくあれこれプレーをこなしている。うーん俺の近藤と対戦したらどうなるか」

星野は深く悩んでいく。

「カールセンをよく知る俺だからな。あの日の決勝は印象に残ってはいる。だから近藤に知恵を授けたい」


あまりデータのないところではあるが。


「近藤。今からホテルに戻ってカールセンのビデオを見るか。ジャパンオープン優勝のビデオだけど」

近藤はこっくり頷く。

「さあっ今から情報収集だ」


ホテルの一室はプレスルームになっている。選手コーチのためにも部屋は開放されていた。

「星野さんいらっしゃい。ジャパンオープンの決勝はまた我が局の解説者を頼みますよ。今日はカールセンの情報ですか」

東京のキー局ディレクターが笑顔で迎えた。


プレスはたちどころに星野が欲しいデータを集めてくれた。さすがはテレビ局である。


「近藤くんにカールセンをやっつけてもらいたいですね。ジャパンオープン優勝の男をガツンって」


頑張って勝てよっと近藤は言われた。


プレスが見せてくれたビデオは子細に録画されていた。サーブ・ストローク。

「これだけ映像が残っていたら」

カールセンを見たことのない近藤。まるで対戦しているかのように感じていた。

「オールラウンドだと聞いていたがネットはあまりうまくない。サウスポーだけど素直なボールを深く打ち込んでくる感じだ。重いボールだとは感じない。だから勝てないのかな」

近藤はビデオを見た感想を星野に次々言ってみる。


星野はひとつひとつに頷く。

「そうだ近藤。相手は世界のプレーヤーだとはいえ欠点はある。優勝したとは言えさして怖くはない選手なんだ」


二回戦カールセンに勝たないと次もないからなっ。


近藤はカールセンを見てちょっと疑問を抱く。

「カールセンのラケットって」


カールセンな左手には『D』のインシュテルマーク・ロゴが入っていた。

「ああっラケットっか」

星野は近藤がたぶん初めて見るラケットメーカーではないかと察知した。


プレスの後ろで忙しくしているテレビスタッフに声をかけた。

「おいちょっと頼みたいが」


なんですかと若いスタッフが返事した。星野はこそこそっと耳打ち。

「えっとビヨン…なんですか。ビヨンボルグっていう選手ですか」


若いスタッフはスーパースタービヨンボルグを知らない世代だった。


「近藤。ちょっとカールセンから離れてしまうが。ラケットに目が行ってしまったからには説明したくなったよ」

星野は携帯を取り出しあみを呼ぶ。

「あっあみか。お父さんだけどね。今コロシアムにいるんだね。そのスタッフ控えに福井のおじさんいないかな。いたら電話ちょうだい。お父さんが話があるって言っていたよっと」

あみはコロシアムの一室でテニス雑誌のインタビューを受けていた。

「あみは何かと有名な女子高生ですからエヘヘ」


父親からの依頼には、

「福井のおじさんねっ。解説者席にいると思ったけど。いいわ探してみるわ」


福井烈と星野は世代が同じ。高校-大学とコートで幾度か対戦したことがある。(ほとんど福井の勝ち)


福井にも娘さんがいてあみとは同じ学年。娘同士はライバルではなく仲良しさんだった。


あみはテレビ中継のブースに福井烈を見つけた。ヘッドフォンをつけストイックなまでに日本人選手のだらしなさを強調してはいた。


ジャパンオープンの試合がちょうど終わったばかりのタイミングである。


あみはテレビスタッフをかきわけて前に進む。

「福井さんこんにちは」

かわいいおさげ髪のあみが呼び掛けた。


福井もテレビスタッフも一瞬ギクッとする。


なんで40越えた福井にこんな若い愛人があるのか…


まさか。


福井はすぐにあみだとわかる。

「おっ久しぶりだね。星野の娘さんだよ。全日本で活躍された星野だ」


あみからの伝言を福井が受ける。


「星野は確かジャパンオープン決勝の解説者だったな。まあ僕も久しぶりだからちょっと話でもするか。あみちゃんお父さんどこにいるの」


福井は星野に会おうかっと気さくに答えた。

「おい星野。お前近藤のコーチで一儲けしているじゃあないか。昨日の近藤の試合は最悪だったけどな」

どうやら積もる話もありそうだ。


忙しい福井は解説者としてテレビ局との契約。テニス雑誌の記事連載があるため自由にブースから離れられなかった。

「星野の話ってなんだ。えっボルグとDonney(ドネー)が聞きたい」


※福井烈はボルグと対戦した唯一の日本人選手である。


福井は少しの時間ならば会えるぜっと星野に返事をする。

「星野お前っ。ラケットのドネーなんて懐かしいこと言うじゃあないか。まだ使ってる選手いるのか。まだって言う前にちょっと待てや」


福井はケラケラ笑い出した。


星野っお前が現役時代には『ドネーの星野』だったぜなあ。


星野の全日本はドネーを使って負けた。おとなしく他のラケットを使っていたら。3回戦くらいで負けなかったのではないかと優勝をした福井に言われたこともあった。


福井との約束は30分だった。


会場内はテニスのファンばかり。福井がチョロチョロと出歩くとあれこれファンがまとわりついてしまう。

「まあねゆっくりコーヒーを飲みながら星野と会いたいもんだけど」

日本テニス協会理事の肩書きもあり、

「こらっ福井っ!日本男子テニスだらしねーぞ。ジャパンオープンぐらい優勝するような奴出せや。ウィンブルドンに優勝しろなんて高望みしてるわけじゃあない」

福井は叱られてしまう。


星野は近藤を連れて放送ブースに行く。

「やあ星野。久しぶりだな。娘さん可愛いらしくなったじゃあないか。驚きだぜ。死んだ奥さんそっくりだ。ウチの娘と同年だったかな」


福井は気さくに星野に語りかけてくる。高校時代からの付き合いであった。

「そうそう近藤。1回戦頑張ってくれたな。グランプリの大会だと言うと緊張して固くなりがちだ。よくプレーしてくれた。解説者として気持ちがよかったよ。試合そのものは後味が悪いけどな」


後は解説者の福井である。かなり細かいことまでも近藤に指摘してくれた。

「ネットプレーが近藤の得意だろ。高校の時期に見せてもらったよ。近藤がネットを取ると大抵決まりっていうパターンだった」

近藤は身がひきしまる。こんな偉大なテニスプレーヤー福井さんが僕のテニスを見ていてくれたなんて。

「福井さん光栄に思います」

近藤は嬉しかった。その緊張感溢れて立っている近藤を福井は手で制止ながら続ける。

「となると世界のトップはネットの近藤とは勝負してはこない。ストロークとなるわけだ。日本人は弱いんだよなストローク」


サーブが甘くなると痛打を軽く喰らうのが世界のテニス。福井自身が世界と戦い実感したところであった。


「星野っ。近藤の対戦相手がカールセンだと知りなんで俺の名を思い出したか。ちょっとわかったよ」


福井はボルグとの対戦を思い出す。その対戦で福井は大学生。日本で一番強い男という称号を手に入れたあたりである。まさに若武者であった。


対してビヨンボルグは福井より1歳上。初来日はウィンブルドン5連覇を成し遂げた後であり世界1の男だった。

「ボルグはドネーだったからな」


福井はモニターを切り替えた。明日の試合のプレが映る。近藤の姿がありカールセンの笑顔が出た。その手にあるドネーラケットをしみじみ眺める福井。

「あまり思い出すこともないけどな」

近藤にボルグの話を始めた。奇しくも福井の年齢と今の近藤の年齢。同じであった。


約30年前大学生の福井が全日本初優勝を遂げたあたりから、

「日本男子待望の選手誕生。世界に期待される福井選手」

そんな雰囲気だったらしい。


日本テニス協会は日本で一番の男を世界と戦わせてみたいと考えた。日本で開催される世界大会にビヨンボルグを招聘した経緯もあり福井とならベストマッチだとした。


「僕はボルグと対戦するんですか。ウィンブルドンの5連覇の男とですか」

大会のワイルドカードをもらう福井は絶句したらしい。


大会主催者は日本で一番の福井と世界で一番のボルグ。一番同士の対戦が楽しみと気楽なイベントに考えていたフシもなきにしもあらずである。


全日本優勝をしたばかりの福井。実力はあると誰もかも認める選手に成長はしていた。


だが当の福井は、

「日本人以外と対戦した経験が全くない。ましてやボルグ。当時の僕からみたら雲の上のさらにさらに上の遥か彼方の遠い存在だった」


大会前にボルグと福井は同じ会見場に現れインタビューを受ける。福井はボルグについてどんな印象かと聞かれた。


正直に雲の上の存在だ。テニスのレベルが格段に違うとは言えず、

「ボルグと対戦できることは喜びです」

真っ青な顔で答えた。小さなネズミが百獣の王ライオンを目の前にしたような感じであろうか。


対するボルグはどうだったか。ウィンブルドンを5連覇し観光旅行の気分で日本にやってきた。


日本の福井をどう考えますか。日本で一番の選手です。


通訳を介してボルグのコメントをマスコミは待った。ボルグは通訳の顔をじろじろ見て何も言わない。いや言えずである。


「福井ってなんだろうか」


世界テニスではまったく聞いたことのない名前であり日本人だった。


隣に座りこごえていた男はボルグにはなんと見えたであろうか。


会見は最後に二人の握手でしめられた。


翌日福井とボルグの試合は始まった。カワサキラケットの福井。長い髪を束ねたボルグはトレードマークでもあるドネーラケットをギュっと握る。


ボルグはウィンブルドンの勇姿そのままだった。東京のセイコースーパーテニスにやって来た姿はウィンブルドンだった。


ボルグのウィンブルドン5連覇は1976〜1980年。最初の年はイリーナスターゼ(ルーマニア)。最後の年はジョンマッケンロー(アメリカ)。


マッケンローとのフルセットの死闘は長いウィンブルドン(1877〜)の歴史でベストマッチだとも言われている。その試合をボルグは強靭な精神力で制していた。


ボルグのウィンブルドン。ちょっとしたエピソードがある。


英国のウィンブルドン近郊に住むテニスファン。なんとボルグ少年を見ていた。ボルグ少年の頃ウィンブルドンに出場を果たしたがまったくの無名選手。話題にもあがらなかったとか。

「子供の時代のボルグ。やたらラケットを振り回し負けていたね。自滅という感じ」

そんなボルグを覚えていたのは、

「あんなにめちゃくちゃ振り回して。もう少しコントロールをつけなさい」

まあそんな印象だったらしい。

「だから初優勝ナスターゼに勝った時は他人かなって思った」


21歳ボルグはしっかりしたコントロールを身につけた鉄人になって芝のコートに立っていたのだ。


東京にいたボルグはまさに鉄人である。にこりとも笑わない。


福井との対戦。


ボルグの強烈なサーブが福井に襲いかかる。当時の映像が残っているが、

「ボルグのサーブは速くて重くて返せない」

福井のレシーブはなんとラケットを弾かれてしまっている。


様々なテニスの試合を見てはいるがラケットを弾くサーブは見たのは初めてだった。


ラケットを弾かれ福井は泣く仕草を繰り返した。


ボルグのサービスが終わったら福井のサーブ。


福井は渾身の力を振り絞るがなんとボルグのリターンが速くすぐストロークに備えなければ間に合わない。


大人と子供のテニスだった。


「星野こんなとこだぜ。俺の暗黒の試合はな」

福井は腕組みをして話をし終える。

「福井さんありがとう。なんかあまり思い出したくない話をさせてしまった。近藤さっ福井さんは忙しいからそろそろおいとましようか」

星野は年長にあたる福井にお礼をした。

「まあなっ。ところで近藤」

福井は熱心に聞く近藤に尋ねた。


「勝てそうか」


お前もドネーのラケットを持つカールセンと対戦するんだぞ。


星野と近藤が福井と会っている頃。娘のあみはどうしていたか。


あみは福井のテレビ中継ブースに顔を出した。


「うん?福井さんに女子高生がなんだろう」

テレビディレクターが気にかける。これがすべての始まりになるのかもしれない。


ディレクターは福井におさげ髪のあみを聞いた。

「へぇ〜星野さんの娘さんなのか。確かウチのテレビで(決勝戦の)解説を頼んでいるはずだ。星野コーチだな。こんなかわいい娘さんがいらっしゃったのか。あの仏頂顔(ぶっちょうづら)からは到底想像できないぞ。トンビが鷹を生んだってやつだ」


ディレクターはジャパンオープンの話題作りにかわいい娘さんを利用できないかと知恵を搾る。


女子高生だから…星野の娘だから…


あみと福井の話を盗み聞きをした。あみは父親からの伝言を伝える。福井に携帯をかけさせた。その電話に近藤の名が出てくる。


伝言を伝えただけのあみは近藤の話をするたびにウキウキした仕草を繰り返した。

「お兄ちゃんはね」

躍動感溢れ小躍りであった。


「うん?この娘って近藤と親しいのか。いやっ近藤の恋人になるのか」

長くテレビの世界にいるからそれとなくわかる男女の仲であった。


あみの商品価値はかなり高いと踏んだディレクター。すぐさま2〜3の関連ディレクターに連絡を取る。

「ああっ女子高生なんだ。カワイコチャンだぜ。どのくらい?うーん絵的なことはなんとも言えずだが」

テニス用品関連にコマーシャルであみは使えないかと尋ねた。


「ああっ星野だ、星野コーチなっ。知ってるかい。今売り出し中の近藤を育てた。ああっその星野の娘さんだけどさ。女子高生なんだ。使えないか」

大会本部であった。優勝セレモニーや選手紹介で女子高生あみをプレゼンテーターにと推薦した。


ディレクターは心当たりを電話したらじかにあみに尋ねる。テレビマンは積極的なアプローチである。


「こんにちわ。星野あみちゃんですね。私はこのジャパンオープン中継局のディレクターです」


声を掛けられたあみは一瞬なんだろうかっと驚く。話をしていた福井が助け舟を出した。

「ディレクターまた悪いこと企んでいませんか。ほらっ顔にしっかり書いてあるよ」

福井はディレクターの癖、何でもかんでもテレビ番組の話題にしたがることをお見通しだった。

「あみちゃんは星野の娘さんですからね。手荒なことしたら大変だよ。モデルにして番組出したりしたら星野は怒るよ」

ディレクターは図星を衝かれ、

「いっいやあ。福井さんには勝てないやあ。そんなぁ〜。いやあっ参ったなあ」


あみは大きな瞳をバチンバチンしているだけだった。

「あみちゃん。あのねちょっと頼んでいいかな」


ディレクターはあみの性格や適正が見たくなる。

「あのね。ちょっと頼みたいのはさ」


喫茶に連れて行きゆっくりあみの品定めがしたくなる。タレントかモデルか。単なるカワイコチャンだけの薄っぺらな女子高生か。


コロシアムのラウンジでアイスクリーム食べてみませんか。


あみ一声でディレクターなついて行く。コロシアムのアイスクリームはあみの大好物だ。

「だってあのアイスクリームだからね。お父さんに見つかると食べ過ぎてはいけませんって叱られちゃうんダモン。朝ひとつ隠れて食べちゃったんだけどねエヘヘ」

おしゃまな女子高生あみである。お腹は大丈夫ですか。


ディレクターはあみをラウンジに案内する。話を聞き出そうとしたら、


プルプル〜


携帯が鳴る。ディレクターが問い合わせした相手から立て続けにである。

「大会本部で(あみを)プレゼンテーターとして使いたい。了解。これは話題になります」


プルプル〜


「テニスグッズのコマーシャルにも。えっ制服はいけない。ああ大丈夫です今は私服だ」


近藤と二人してダンロップのプレゼンテーターにしてはどうかもあった。

「近藤とかっ。それは近藤の成績しだいだけどな。大物を一人でも倒したら考えるよ」


ディレクターの携帯を横で聞きながらあみは薄々感じた。

「あらっあみちゃんって」

ラウンジのアイスクリームがあみの目の前にきた。

「テレビにあみは出演なのかな。このデブおじさんはテレビ番組作っている人だからたぶんね」

スプーンを持つ。あみの頭の中にはアイスクリームだけしかなくなった。


「いやーん冷たくて美味しい。ほっぺた落ちちゃう」


星野がテニス解説者をする場合にデブのディレクターは入念にアドバイスをしていた。


あみはあれこれしつこく(テレビ出演を)言って来たら父親に救いを求めよう。父親の名前を出せばいいやっと自分に言い聞かせひたすらアイスクリームを食べた。

「やっぱり美味しいわ。特大ダブルを注文してくれてあみちゃんは幸せでございます。イチゴの風味がたまンないなあ」


ペロン


アイスクリームを食べ終えたあみ。ディレクターは話を切り出した。

「あみちゃん美味しそうだね。さておじさんの話を聞いてくださいね」


ディレクターがあみにあれこれ話を進める頃携帯が鳴る。

「ああっ私だが。そうか準備できるか。(コスチュームは)3サイズがわかれば用意できるのか」

携帯の主はあみにテニスウェアのデコレーション(装飾)を着せてプレゼンテーターに仕上げる算段だった。

「あみちゃん頼みたい。ただ表彰の楯や賞品を選手に手渡すだけの役目やってくれないかな」

ディレクターはあみに追加のアイスクリームはどれがいいかとも付け加えた。


ふぅ〜


星野と近藤はコロシアムからホテルに戻って来る。

「明日のカールセンは全力でぶつかるだけだ。30を越え体力勝負になれば勝ち目があるかもしれないが」

星野はまさか近藤が勝てる相手ではないと思ってしまう。カールセンのランキングは100以内。


近藤はランキング100の選手と対戦がなかった。最高にハイなランキングで300以内である。しかも日本人ランカー。


「近藤っ。ジャパンオープンではいい経験を積み次に生かそうな」


カールセンが優勝したジャパンオープンのビデオが虚しくテレビ画面に流れていた。


「そういえばあみはどこに消えたんだ。さっきからいないな」

星野は心配になり携帯を鳴らした。

「あれっ。圏外の通知だぞ」


どこに雲隠れなのかとあっちこっちに電話をしてみる。

「ディレクターがあみを連れて行った。ラウンジで話をしていたのか。ディレクターってあのデブちゃんか」


星野はディレクターに連絡を取る。

「あっ星野さん。すいませんね今あみちゃんをお借りしております。まもなく自由になると思いますけど。ハッ恐縮しております」


あみはテレビ局の衣裳置き場の中に埋もれていた。

「まあカワイコチャンなデコレーション(装飾衣裳)があるのね。あみ気に入りましたわあ」

派手なコスチュームは女剣士や宇宙飛行士などを想定させるものだった。

「おじさん。このコスチューム着ればいいのね。出場する選手に楯や賞品を渡せばいいのね。あみはこの真っ赤なコスチュームが気に入りましたわ。ねぇこれ着たいなあ」

赤いコスチュームの背中には『ダンロップ』のデッかいロゴが入っていた。

「あみちゃん。その赤ね明日近藤くんが勝つと使われるヤツだよ。勝ってくれたら最高だけどさ」

女子高生あみがタレントの卵に成り変わる瞬間であった。


星野はディレクターからあみに電話を代わってもらう。

「あちゃあ。お父さん怒ったかな。謝らないといけないかな」

あみは赤いコスチュームのまま代わる。

「あみっなにやってんだ。早くホテルに戻りなさい。もう少しで近藤と夕食いくぞ。ボサボサしていたら置いていっちゃうぞ。あみが来ないとお前はハンバーガーだぞ」


あみは明日の試合には赤や青のコスチュームを着ることを約束してホテルに戻った。


ふぅ〜


走ってホテルに戻ったあみ。夕食だと言ってもあまりお腹は減ってはいない。

「アイスクリームが効いてますから」

父親には内緒にしていく。


ホテルのレストランでは星野がサーロインステーキを頼む。

「近藤には精をつけてもらわないと困るからな」


あみは食べたいが食べきれない夕食となった。

「あれっあみが食べ残しかい。珍しいな。ひょっとして明日の試合はひょっとするかな近藤っアッハハ」


あみはサーロインを残したがデザートのアイスクリームはペロンっと食べた。父親の星野は甘いものは食べないからそれもチャッカリと。

「ああっこれで間違いなくお腹はダメだろうなあ」


夕食が済むと近藤があみを誘ってきた。

「あみちょっと付き合ってくれるかい」


ホテルから外出したい近藤だった。

「うんいいよ。お兄ちゃんについて行くわ」


近藤は帽子とサングラスを着用した。

「ファンの子がいると厄介だろう」


ホテルからタクシーで東京のネオン街に繰り出す。

「運転手さんこの地図の店に行きたいんだ。わかりますか」

テニス雑誌を見せた。表紙は近藤だった。


秋葉原の近くでタクシーを降りた。

「小さなテニスショップ店らしいが」

あみと二人で探し求めてた。

「お兄ちゃんあの二階だわ。看板が出てるモン」


近藤はそのままテニスショップに行くことを躊躇(ためら)う。

「あみ済まないがひとりでショップに行って来てもらえないか。携帯から注文のラケットは仕上がっていると聞いているから受け取りだけでいいんだ。料金は明日コロシアムで決済するから」

ショップに近藤のファンがいたら店に迷惑だからと近藤は行かなかった。


あみは二階のショップにあがる。

「ごめんください。近藤ですけどもラケットは仕上がってますでしょうか」

あみは女房気取りでラケットを受領した。

「近藤さんですね。ご注文はドネーのラケットです。現行モデルがあいにく輸入されていませんので申し訳ございません。旧モデルとなります。近藤プロにかようにお伝えください」


店主が断りの一件をあみに伝えた。

「旧モデルですのね。わかりました。伝えておきますわ」


レジカウンターで店主とあみがヒソヒソとドネーラケットのやり取りをしていたはずだが。


店に集まったお客様に近藤という名が聞かれてしまう。


「エッ聞いた。今近藤って言わなかったかしら。近藤プロって聞いたわよねぇ」

女子高生か女子大生たちの地獄耳はすごいもの。


チラッチラッとあみは近藤の代理ではないかと勘繰りを受ける。あみと店主にもヒソヒソが聞かれていく。


「あちゃあまずいぞ」


あみは早目にラケットを受け渡してもらい帰りたくなる。

「そうですね。今渡します。おーいダンロップ持ってこいや」


うん?ダンロップ。


店主の声にストリンガーが奥からたった今張り上がったダンロップラケットを二本持ってきた。あみの目の前に置かれたダンロップラケットは近藤がアドバイザリー契約をしている現行モデルだった。

「あのぅこれって(間違いではないかな)」

あみはダンロップではなくてドネーだけどと聞き直したくなる。


「説明しましょうかお嬢さん。お渡しますのは紛れもなくドネーラケットでございます」


店主の言うには…。


近藤はケネスカールセンの仕様モデルラケット・ドネーが欲しくなりテニスショップ各店をインターネットで検索をした。

「我がショップに二本だけドネーがございました」


1999年。ドネーインターナショナルからのラケット輸入総代理店伊藤忠リブエル。なんと業績不振を理由に日本へのドネーラケット輸入をやめてしまう。この輸入中止から日本国内からドネーは瞬く間に姿を消す。

「元々売れないラケットでございます。輸入中止だろうがなかろうがテニスシーンには影響ありませんでした。我がショップも大したこともなくでございます。嬉しいのか悲しいのかでございますが」


あみは近藤がインターネット注文した旧モデルのドネーを受け渡される。

「近藤プロはダンロップ契約でございますね。契約なので試合を含むあらゆるプロテニス活動は全てダンロップラケットとダンロップ用品を使わなくてはなりません。だから」


試合でちょっとドネーが使いたいと手にしたら一大事となる。

「ご注文通りにドネーをダンロップに仕上げておきました」


店主はラケットを塗り上げ偽ダンロップを作ったわけである。


「グリップのロゴはドネーのままでございます。近藤プロがドネーかダンロップか区別つかないなんてことになりますと大変でございます」


あみは偽ダンロップのドネーを受領し足早にショップから近藤の待つ喫茶に行く。


近藤はあみを見るやいなや席を立つ。


一刻も早くドネーの打球感覚を確かめたくなったのだ。

「あみありがとう。タクシーを拾いコロシアムに戻る。急ごう今から練習がしたいんだ」


早い早い近藤である。


近藤はタクシーの中ずっとドネーを偽ダンロップを触っていた。

「初めて見るラケットなんだ。インターネットだと反発が強いらしい。どんな打球が弾かれるのか楽しみだ」

ミッドサイズのガッドを叩いてみたり弾いてみたりしている。近藤は嬉しい顔をしてまるで子供のようである。


コロシアムでは大学生のヒッティングパートナーを頼む。コート予約とボールと共に。

「あみ。予約コートは2番だ。カートにボールを詰めて先に行ってくれ。僕はナイター点灯の手続きをしてから向かう」


近藤は行動が素早く的確にする。


あみがボールをビニールから出そうかとしたら、

「ご苦労様ですなあ」

近藤が後ろに立つ。

「後は自分でやるから。あみは危なくない隣のコートで見ていてくれ」


あみは近藤に隣のコートっと邪険に言われて少しムッとする。


だが練習が始まりすぐにわかる。


「アラァ〜お兄ちゃんハードヒットばかりだわ。あれでは危ないわ。新幹線が走ってますから。ヒェ〜名古屋には止まりません」


大学生が球出ししてくれる練習ボール。近藤は気持ちよくドネーでガンガンひっぱたいた。

「なんだろうこの打球感覚は。面白いように打球がラインドライブを描くぞ」

ダウンザラインを片っ端から狙う。近藤の得意なバックのダウンザラインを連発した。


鋭いドロー系の回転がかかり面白いくらいインをする。近藤のバックは僅かにネットを越え鋭くアウトラインの僅か手前を掃く。


近藤は目の前で我がバックストロークを見たが自分で自分ではない錯覚をする。ダンロップがソフトな打球感覚ならばドネーはハードそのものであった。


練習を始めて半時間。照明灯が点灯する。近藤の打ち出すボールは力強くコートに弾き出されていく。


大学生にストロークを頼む。近藤と互角に打ち合えストレートとクロス。近藤としては基礎的な練習を軽々と頼む。


近藤のストロークが五分も続くであろうか。大学生は顔を真っ赤にした。

「すいません、近藤プロ。球がきつくてリターンが思うように返せません。今違うヒットパートナーを呼びますので勘弁してください」

ベソをかいてしまう。大学生はJOPの50以内ランカーであり秋の全日本には出場が濃厚であった。


次にやって来たヒットパートナーは同じ大学の学生。こちらはレシーブに自慢の男だった。

「すいません。しっかりしたヒットパートナーが務められずに。僕ならこなせると思います。頑張って受けさせてもらいます」


ラケットを短めに持ちハードヒットに備えた。近藤はそのレシーブ専門の姿を見た。が容赦なくガンガン打ち込む。


籠に盛られたボール。照明灯の下で全てなくなりストロークは中断をする。


「すいません。すいません。もうきつくてたまりません」

今度の学生も音をあげた。


あみは驚きである。いつも近藤の練習や試合を見てはいるが。

「パートナーがやめて〜なんて始めてだわ」


近藤はドネーをしげしげと見つめた。


これは武器になる


ナイター照明の下近藤はニヤリっとした。

「あみ練習やめるよ。済まないがこのラケットとこれ。ガット張り替え頼むかな」

明日一番でオフィシャルストリンガーに張り替えてもらうのだ。

「うんわかりました」

あみはダンロップを3本と替えガットを受け取る。


近藤とあみの長い一日が終わった。


翌朝の田園コロシアムは快晴となる。


ホテルのロビーを近藤はツアーバック片手に歩いていたら。

「あっケネスカールセンがいる」

今日の昼対戦する相手である。


ケネスは北欧のデンマーク(ゲルマン系デーン)。透き通るような白い肌をしていた。


同じホテルのロビーですれ違うが今から対戦する日本の近藤がそこにいるとは全く気がつかない。


ケネスカールセンは忙しく携帯メールを送信していた。メールはデンマークの友人たちだった。

「久しぶりのジャパンだから少しでも長く滞在(勝ち進み)したい。寿司や天婦羅を楽しみたい」


二回戦の近藤は世界ランキングが低いため眼下ない。主催者推薦のカテゴリは敵に数えられてはいなかった。


さらにはテニス後進国日本である。

「日本のテニスはやりやすい。日本だけでなくアジアというものがだな。だからジャパンオープンは勝ちやすい大会なんだ。このアジアテニスはなぜか僕には最高な結果が訪れている」

ケネスカールセンは日本・韓国等では優勝・準優勝を飾っていた。欧州テニスとは格段の差である。

「欧州テニスだとそれほどの結果をもたらさないというのに。日本に来て寿司や天婦羅を食べたからかもしれないアッハハ」


カールセンは冗談を交えてデンマークのプレス(デ杯代表選手)に、

「寿司食べながらジャパンに来いよ。テニスは勝てるわ日本の食事はいただけるわ。日本美人はいるわ」

先輩のカールセンに言われたプレス。

「カールセンの意味がわからない」

プレスはまだ一度も来日していない。


カールセンがロビーでメールを打ち込むのはわけがあった。

「ロビーで今から人と待ち合わせなんだ。なんでも日本の地方自治(市町村)からデンマークだから会って欲しいと要請があるんだ。デンマーク大使館からの話だ。数分会うぐらいなら大丈夫ですと返事したからな」


ロビーに現れたのは若い首長(市長)だった。

「ハローカールセン。私は愛知県安城(あんじょう)の市長神谷学と申します」


神谷市長とデンマーク大使館(兼通訳)が現れてカールセンに握手を求めた。


安城市は日本三大七夕で有名な地方都市(人口17万人)。多角農業経営が盛んで『日本のデンマーク』というキャッチコピーを安城市役所は使っている。


※安城市は近藤の出身地知立市の隣。


※※神谷市長は星野コーチと同郷の出身


神谷市長はケネスカールセンと握手を交わす。

「安城とデンマークは浅からぬ関係なんだけど」


神谷はテニスを知らなかった。同郷の星野の名だけは知ってはいたがテニスを知らない地方自治の首長は、

「テニスは卓球の大きなやつだろう」


星野がテニスコーチ。ジャパンオープンに近藤について田園コロシアムにいることはなんらコネクションもなくわかっていなかった。付き添いの市役所の市長秘書などが女子大時代にテニスしていたら話は変わったであろう。秘書は弓道部出身である。


デンマーク大使館の通訳でケネスカールセンは神谷市長の出現をわかる。

「日本にデンマークの街があるのか」

改めて安城市長と握手を交わす。

「へぇっ日本のデンマークでは僕を応援するというわけか。なんかワクワクして嬉しいね」

カールセンは陽気に笑う。


神谷市長は挨拶をし記念の写真を撮る。


市長秘書がパチリッ


「ありがとうカールセン。ジャパンオープン頑張ってください。二度目の優勝を期待しておりますから」


にっこり笑いカールセンが退座する。ものの数分の出来事だった。


カールセンがいなくなり神谷はデンマーク大使館とゆっくり雑談をする。

「日本で活躍するデンマーク人はほとんどいないですからね。カールセンはジャパンオープン優勝をしてくれ有名になりました。地元デンマークはサッカーが盛んなんですがテニスは珍しいんですね」


雑談の中で神谷市長はジャパンオープンテニス大会のパンフを見せてもらった。

「日本のテニス選手もたくさん出場しているんですか。うーん見ても誰かわからないからなあ」

神谷はチラッと眺めただけ。すぐに秘書に渡す。


弓道部出身の秘書もテニスは疎い。


だが格好いい選手ならば顔ぐらい見たいかな。


ジャパンオープンのパンフ。二面には近藤のプレーする写真がでかでかと掲載されていた。


「あれっ。近藤って」


秘書はすぐに近藤をわかる。安城の隣町の出身である近藤。小学生時代から地元では天才テニス少年として名が(とどろ)いていた。テニスコートやラケットショップは安城を利用してもいた。


「市長さん。あのっ」


秘書から近藤について説明を受ける。大変な選手ですよっと。

「なんだって。隣町の出身かっ。近藤?うん悪いなわからないけど。あらっコーチは星野だ。星野ってあの星野か」

市長は近藤をよく知らなかったが星野は。


秘書はただちにジャパンオープン大会主催者に駆け込んだ。

「市長さん。午後の新幹線(帰省)はキャンセルしておきます」


神谷は久しぶりに星野に会うのかと胸が高まる。

「星野も懐かしい。死んだ奥さんも知り合いだからな。そう言えば娘さんがいたはずだ。ウチの娘とさほど歳は変わらないぐらいだと思ったが」


昔星野が全日本出場を決めた際、神谷は応援会場に詰めかけていた。

「お互い独身だったな。後に奥さんになる女性も袖の隅で星野を見ていた」

懐かしいことを神谷は思い出す。


秘書が戻って来る。

「市長さんわかりました。星野コーチは安城市出身のあの方ですわ。その教え子の近藤が」


今から田園コロシアムで二回戦を戦うとわかった。


「近藤とケネスカールセンでございます」


神谷市長とデンマーク大使館は互いに顔を見合わせた。


試合がまもなくとなる。


近藤は選手控えで瞑想をする。頭からスポーツタオルをすっぽりかぶり視野を遮蔽する。


「僕はテニスを」


近藤は自問を繰り返した。ジャパンオープンというグランプリで勝つために練習をしてきた。高校テニスで天才と呼ばれてそのままプロに転向。

「僕は世界と戦うこの過酷な道を選んだ」

勝つ自信があるからこそ選んだ道である。


瞑想は続く。


近藤の頭から邪念が消えた。


控えの内線が鳴る。大会関係者から近藤の試合時間が迫ったことを伝えていく。


近藤はスクッと立ち上がる。シューズの紐を結び直す。


いよいよである。


「僕の戦うギアなんだ。頼むぞ」

サーブ&ボレーに近藤のシューズはハードに耐えてくれている。


近藤は控え室のドアを開けた。いきなり大観衆の声援が響き渡る。


女性ファンが目敏く近藤を見つけた。


キャア〜近藤く〜ん


会場の声援は近藤に向けられた。


頑張って〜負けないで〜


近藤は少しイラつき下を向く。


控え室からテニスコートへの花道に向かう。


近藤の目の前にあみがいた。あみはしっかりと近藤のツアーバッグを両手で抱えて待っていた。


「ハイッお兄ちゃん」

おさげ髪のあみ。目をパチクリさせ笑顔で近藤にツアーバッグを手渡す。


近藤が試合で万全に戦えるためにあみは全て整えてくれていた。


「あみっ」


近藤は誰もいなければあみにキスしたいところである。笑顔のあみの頭を撫で撫でするにとどまる。


あみはスポーツドリンクの説明を手短かにする。


ゆっくり飲んでね。早く飲んでお腹痛いさんにならないようにね。


「あみありがとう。僕は勝つからな。僕は勝って戻ってくるからな」

あみの顔をあみのおさげ髪をジッと見た近藤である。この可愛いあみを勝利で喜びの笑顔にさせてやりたいと近藤は思った。


…勝利を約束する。あみにだけは約束したい。


あみからツアーバッグは近藤の肩に掛けられた。


「お兄ちゃん勝ってね。お兄ちゃん勝って戻って来てね。あみは祈って待っているからね」


近藤が花道で待機をする。まもなく対戦相手ケネスカールセンも控えから現れた。肩にドネーのツアーバッグがあった。


カールセンはあみと近藤のやり取りを見ていた。

「(デンマーク語で)こいつ試合前にガールフレンドとイチャイチャしやがるのか。とぼけた野郎だぜ」

すでに心は戦闘状態であった。


花道を近藤とカールセンは歩き田園コロシアムセンターコートに入場した。近藤はメラメラっ闘争心が沸き上がる。

「世界ランカーに勝ちたい。このカールセンに勝ちたい」

満員の観客は選手の姿を見た。ダンロップ近藤とドネーのカールセン。


田園コロシアムの中は一様に、


近藤〜近藤〜


今日一番の大声援になった。


コイントスがあり今から練習である。


近藤はツアーバッグを開けた。

「ラケットはどうするか」

ダンロップか偽ダンロップか。少し迷うがダンロップを握る。


お互いショットの調子を確認していく。サーブ・ストローク・ボレー。


近藤はまずまずの調子であった。


試合開始がまもなくの頃。コートサイドでは様々にドラマがあった。


星野は大会主催者から携帯が鳴る。

「神谷市長が来ている?神谷ってあの神谷かっ。こちらに来るのか」


娘のあみ。テレビディレクターの頼みから赤いコスチュームを着ることになる。

「お兄ちゃんの試合。勝った選手に盾と賞金を渡すプレゼンテーターをやるの」(ダンロップ後援)

あみは近藤に賞金を渡すつもりでスタンバイをしていく。


テレビ中継は解説の福井。近藤の二回戦は中継録画になり最新日に総集編としてお茶の間に流れる。だから福井は気楽に好きなことをしゃべる。

「いくらでも中継録画だから修正が効くからな」


試合は始まった。田園コロシアムに太陽があがり選手を眩しく照らしていた。


試合は近藤の強烈なサーブから始まった。


近藤はポンボンとボールをつきフッと青空を見上げた。近藤の癖である。調子がよいと青空を眺め心が穏やかになっている。


この試合俺は必ず勝つ!


近藤の強烈なサーブはカールセンのコートに激しく叩きつけられた。


バシッ


がカールセンはいとも簡単にリターンしてしまう。世界のランカーは違っていた。


近藤がレシーブ態勢に入ろうかという時すでにネットにカールセンはいたのだ。

「ヒェ早っ」

近藤はバッシングをカールセンのバックに放つ。

これはカールセンのボレーの餌食になる。


全ては一瞬のプレーだった。観客はあっけに取られた。


近藤0-15カールセン


「なんだって」


カールセンには絶対的な自信があった。

「アジア(日本)のテニスは一度覚えてしまうと戦いやすいんだ。パターンが決まっているからさ」


1997年ATP-ストックホルムでは生まれ初めて日本の鈴木貴男と対戦したカールセン。

「ATPで日本人いやアジアを初めて見たかな。どんなテニスをするのかっとミステリーだった」

ミステリーなジャパン鈴木と対戦をしてカールセンは負けていた。

「思うにあの敗戦からアジアを意識したんだ」


カールセンはレシーブのためにアドコートにつく。


「近藤のサーブは速いが重くはない。レシーブさえ間違えなければ簡単にブレークできる。日本人はサーブが入らなくなると自滅してくれる。だからサーブに自信を失うようにリターンを強烈にしてやるさ」

カールセンは近藤をなめてかかる。


近藤はサーブを様々に試す。

「ビデオを見る限りバックサイドは苦手にしている」

サウスポーのカールセン。確かにバックに決められたら苦しい態勢でリターンをしている。


だが…


カールセンはリターンをミスはしない。近藤のサーブは右左確実に読み切っていた。近藤の素直なサービス。世界ランカーのカールセンにはヒヨコである。


さらに近藤を苦しめたのは。

「カールセンが早くてネットにつけない」


ネットプレーが得意な近藤。カールセンのストロークが巧み。前に全く出られないのだ。

「ちくしょう。ネット前どころか段々と後退させられていく」


試合は始まったばかりだがカールセンか主導権を握った。好きなようにボールを打ちわけ近藤を翻弄していた。


近藤は右左と走らされ息があがってしまう。

「ハァハァ悔しいぞ。球を拾うだけに走らされていく。ストロークもサーブも強いと思わないがハァハァ」


0-1、0-2。近藤はポイントを加点できない。


第1セット。近藤は0-6で落とす。観客はざわめいた。

「レベルの差が歴然だぜ。近藤は若いから今は勉強だと思っていかないとな」


プレーヤーズベンチに近藤は休む。あみが用意したドリンクを一口飲む。

「あみは早く飲むなっと言ったな」

あみが言った忠告が甦る。


そのあみはどこかっ。近藤はクルッ後ろ席を見た。大抵はあみの指定席である。

「いるはずだが」

真後ろにはあみの姿はなかった。その代わり女子高生たちが喜んで手を近藤に振る。


近藤はあみを探すのをあきらめる。足許に置いたツアーバックをゴソゴソやり始めた。


小物ポーチポケット。あみが入れた熱田神宮御守りが見つかる。熱田の御守りは試合のたびにあみがお詣りをしていつも新しいやつを授けていた。


近藤は御守りを手に取り眺めた。熱田神宮の文字を眺めると心がスゥーと静かになるのだ。


「勝ちたい。この試合どうしても勝ちたい」


近藤はバックに御守りをしまい込みダンロップラケットをグイッと握る。


うん!


近藤は再びツアーバックを開けた。ラケットを物色してみた。


第2ゲーム開始のコールがある。開始まで1分である。


熱田神宮。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は暑いからっと昼寝をしていた。

「暑いなあ。あかんがや暑いと。ワシゃあ暑さが苦手なんじゃ。かき氷食べて昼寝しちゃう」

イチゴの氷を侍従に運ばせていただいた。

「イチゴはウミャア〜でいかんがや」

ベチャベチャ食べてゴロン。熱田本殿でいびきをかいてヤマトタケルノミコトは寝てしまう。


グゥーグゥーしていたが寝返りをして足を神殿の柱にガッツーン。


痛っ


目が覚めた。その時に近藤からの祈りが熱田神殿に届く。

「なんや近藤は勝ちたいがゃあ」

ヤマトタケルノミコト寝惚け(マナコ)で受けてしまう。


侍従を呼びつけ近藤の試合に急げとした。

「近藤はどこで試合してんだ。早く調べよ。おさげ髪のあみちゃんが泣いちゃうぞ」

侍従たち慌てて走り回る。アタフタした。


第2試合は始まった。


近藤はネットプレーを封印した。


「カールセン勝負だぜ」


近藤がカールセンとのストローク対決を自ら挑む決意を示す。


「おい近藤はカールセンと打ち合うつもりだぞ」

観客は全くネットに出る気配を見せない近藤を改めて見る。


ストロークで勝てるのか近藤っ。


観衆はざわめいた。

「サーブ&ボレーを近藤は使わなくなったぞ」

テレビ解説の福井は腕組みをした。近藤のストロークが強いとも思えないからだ。


コートの近藤は強気になる。

「来いカールセン。お前の持つドネーと対抗してやる」

近藤の右手にはしっかりとダンロップが握られていた。いや違う。偽ダンロップだった。ドネーラケットにダンロップの装飾を施しただけの偽ダンロップが近藤を強気に駆り立てる。


「おいお坊っちゃま。貴様が俺に喧嘩売るつもりなんか。世界のテニスを渡り歩くこの俺にか。フューチャーズクラスの若造のくせに歯向かいやがって」

カールセンはカッカしてくる。


カールセンのサーブがネットにかかりセカンドサーブとなる。


しめた


近藤は腰を低めにしてセカンドを待つ。

「来いカールセン。弱気なセカンドならば叩き込んでやる。一発で打ちのめしてやる」

近藤は右手に力を入れる。グリップはウエスタンからイースタンに切り替えていく。フォアに来ると読む近藤である。

「低い弾道で決めてやる」


カールセンはセカンドを放つ。セカンドは近藤の注文通りに緩く入った。


来た


近藤は瞳をキラッと輝かせた。偽ダンロップはイースタングリップで振り抜かれた。


バシッ


渾身の力を偽ダンロップに込めた。打ち返されたリターン。矢のようなリターンがカールセンのコートを突き刺す。カールセンは走りに走る。だが間に合わない。

「ちくしょう」

ラケットに当てるが精一杯だった。ボールは弾かれネットを遥かに離れてアウトした。カールセン悔しい素振りをする。

「セカンドは狙ってくる。あの構えはリターンエース狙いだ」

カールセンはサーブを確実に入れないと危ないと察知する。

「ならば」

サーブのスピードを殺して入れに来る。サーブのコントロールには自信があった。


近藤は我が手にあるラケットを見上げた。

「(ドネーは)高反発だな。まだ手に打球の余韻が残るぞ」

近藤の右手は(しび)れが走ったまま。ジーンジンして直らなかった。


カールセンはサービスコートで屈伸運動を繰り返した。次に打つ手を考えていく。

「やけに鋭いリターンだ。あのガキにしてはとんでもないマグレ当たりだ」


近藤の体僅かバッグに打ち込めば苦しいリターンだ!


カールセンは狙いを定めて、


バシッ


見事なコントロール。近藤はとっさに体を入れ替えれずチョンと当てただけ。


リターンは力なくカールセンのコートにポトリ。

「しめたチャンスだ。ネットに詰めてボレーで決めてやる」

カールセンは打ち返しネットに向かう。素早い素早い。


それを見た近藤。

「ネットかっ。一か八かパッシングショットだ」

近藤は腰を屈め全体重をドネーに込めた。


スボーン


近藤の放ったストローク。高反発の勢いでグングン加速された。


カールセンの立つネットでは最高速度となる。


アッ


なっなんとカールセンのドネーをかいくぐりパッシング(通過)された。


観客はどよめいた。あのボレーの名手カールセンがパッシングをされたのだ。


テレビ中継の福井は口を開けたまま絶句している。


観客席に埋もれた星野と神谷市長。

「星野っ今のって空振りなんか。テニスは野球みたいな空振りがよくあるのか」

神谷はテニスに疎くあれこれ聞く。が、星野は答えられなかった。

「空振りかっ。ああっカールセンは空振りだったな。近藤のストロークがあんなに強烈なものだとは(コーチの俺も)知らないぞ」


その頃あみは。

「さあさあもう一度練習をしましょうね」

試合後のプレゼンテーターのアシスタントのリハーサルをしていた。当然に近藤の試合は見てはいなかった。リハーサルの先生はタレント養成学校の女校長。テニスはまったくわからない。

「コートが騒がしいなあ。お兄ちゃん大丈夫なのかな。リードしているかなあ」

あみは近藤のことを考えたら、

「ちょっとあなた。しっかりやってくださいな。セレモニーは格式が大切なんですから。さあさあもう一度最初からやります」

あみは赤いコスチュームを脱ぎ捨てて近藤のプレーするコートに行きたくなった。


「もう嫌っ!プレゼンテーターなんてどうでもいいわ。お兄ちゃん応援したい。あみが応援しないと負けちゃう。私がいないからお兄ちゃんは試合に集中できない」

あみはコスチュームを脱ぐしぐさをした。女校長はすぐさま咎めた。

「あなたはやる気があるのでございますか。ディレクターさんからタレントの資質を見て欲しいと言われてますのよ」


バチン


あみは我が儘だと言われ女校長から平手打ちを喰らった。泣きたくなる。


サーバーのカールセン。サーブを打つ度に顔色が悪くなった。

「ちくしょう。なんでサーブが決まらないのだ。ファーストが決まらないと苦しい。世界ランカーの俺がこんなフューチャーズクラスの若造に」

サーブの確率が落ちてしまい50%近い。逆に近藤のサーブが高まり決まってくる。


第2セット。近藤が息を吹き替えし6-2。

「よし1-1にしたぞ。ファイナルもストロークだ。うんガットを張り替えなくては。オフィシャルに頼まなくては」

近藤はプレーヤーズベンチから後ろを振り返る。いつもそこにあみが笑顔でいる。


だが。


「あれっあみがいない」

近藤は初めてあみが観客席にいないことを知った。


アンパイアにタイムを要請しオフィシャルを頼む。

「なんかガット張り替えだけで面倒だぞ」

オフィシャルはコートに呼ばれて近藤からガットの張りの仕方を聞く。テンションをガットを尋ねる。

「あみがいたらすぐに終わりだけど」

近藤はイライラしてくる。オフィシャルはなかなか近藤の注文を呑み込めずに聞き返す。


あみならばすぐにわかったわっとおさげ髪をなびかせてオフィシャルに走る。

「あのねお兄ちゃんは今疲れているからガットはこれを使って。テンションは縦が…横は…。振動吸収はダンロップね」


あみがオフィシャルに頼むラケット。近藤はいつも快適に使いこなす。

「あみは僕の試合経過を観察してガットやテンションを考えてくれていた。いないといけない存在だ」


タイム。(試合開始)


アンパイアが試合再開を宣言した。


近藤は張り替えたいドネーラケットを使えずにいた。オフィシャルからまだ仕上がっていなかった。

「オフィシャルから戻ってくるまで時間がかかるのか」


田園コロシアムは沸きに沸く。日本の若武者が世界のトップランカーに互角の戦いを挑んでいたからだ。


会場はやんやの騒ぎに変わった。近藤のプレーのひとつひとつが観客を熱狂させていた。


「福井さん。近藤は勝てるかもしれませんね」

テレビ中継のブース。アナウンサーが尋ねた。


解説の福井はにこりともせずコートを近藤を見つめた。アナウンサーに返事を言わないまま福井はジッとして動かなかった。


「ドネーのチャンプか」


福井の目に世界のケネスカールセン。彼の左手ドネーラケットはキラリっと光る。


「ドネーのチャンプというと」

福井にはビヨンボルグがフラッシュバックされていく。ウィンブルドンの覇者ビヨンボルグ。

「昨日星野に聞かれたボルグだな」


当時の福井は勢いがあり全日本の覇者になったばかりの若武者であった。

「ボルグとの対戦。あの話は突然来た。セイコーワールドテニス。僕は出場するつもりなどはさらさらなかった。まさか世界と戦うなんて」


ビヨンボルグはウィンブルドンの中のスーパースターだった。当時テレビ中継をされたウィンブルドンという憧れの大会の話であり現実味に欠けていた。


近藤はツアーバックからダンロップを選び出す。


「ガット張り替えが済むまでこれで」


田園コロシアムの大歓声は近藤を包み込む。


第3セット。近藤はカールセンとのストローク戦を再度受ける。


試合時間は二時間を越えようかとしていた。試合巧者カールセンと近藤の体力スタミナがそろそろ心配をされる。


両者ともサーブにスピードはなくひたすらストロークの打ち合いとなった。


「これだけ試合が長引くと30歳越えたカールセンがリタイア(体力低下)の可能性もあるぞ」


カールセンは辛そうに肩で呼吸をし始めた。

「あれだけ走り回れば足に痙攣(けいれん)がきそうだ」

観客はざわめく。試合が長引けば長引くほど若い近藤に有利な材料になっていくと踏む。


「なんだって。俺が年寄りだからスタミナ切れになるだと。冗談じゃあないぜ。世界4大の5セットマッチを体験している俺を見ていないな」

カールセンから苦情が来そうであった。


試合は互いにサービスキープのまま進む。


試合時間が二時間半を越えようかの時。カールセンのボールが僅かだがアウトをしたように見えた。かなり微妙な判定にはなる。

「なんだっあれがアウトなのか」

アウトの宣告をしたラインジャッジにクレームをつけた。カールセンは自信があった。


インだからインだ。


白い髪をかきむしりながらネット近くに歩み寄る。主審に、

「あれはインだ。コレクション(訂正)してくれ」

かなりきつい口調で詰め寄る。

「ビデオがあるだろ。録画を見てくれよ」


主審はラインジャッジに再度アウトかインか確認をした。

「カールセン。アウトだ。審判の判定に従いたまえ。試合を続行する。プレーに戻ってもらう」


カールセンは納得しない。主審のプレーに戻ってくれの厳命を無視し抗議を続ける。


カールセンは両手を広げたり腰に当てたり。盛んにジャッジのミスを強調した。


観客はカールセンの不穏な抗議にうんざりである。

「珍しいな。温厚で紳士なカールセンというイメージだが。よほどアウトが悔しいんだろ。だが観客席からでは遠くてよくわからない。ラインジャッジが一番近くで判定したんだから間違いないじゃあないか」


カールセンが猛抗議になったため近藤は一旦プレーヤーズベンチに引き揚げる。この中断は近藤に有利になる。

「中断は思いも寄らない休息になるさ」

近藤は腰を据えドリンクを飲む。その近藤の後方からオフィシャルが、

「近藤さん。ラケット仕上がりました」

若いストリンガーから偽ダンロップが届く。近藤の注文したガットで希望のテンションの仕上がりである。


近藤はビニルの袋から張り替えられたダンロップ(ドネー)を取り出した。


しみじみと眺める。今から近藤と戦うギアである。


ドネーを見た瞬間に近藤はふと気がつく。


「このドネーは手に振動が来るな。ダンロップではなんともない」


僅かだが右肩に鈍いしこり痛みが感じられていた。これが激痛ならばテニス選手独自の『テニスエルボー』(肘痛)『腱鞘炎(けんしょうえん)』(手首痛)そして近藤の感じた違和感『右肩痛』とわかる。


「ドネーは高反発だから。ダンロップが拳銃ならばドネーはマシンガンか」

近藤軽く腕をクルクル回して違和感のあるしこりを取る。ツアーバックにあるアイシングのスプレーを吹き付けた。

「痛みという程度でないから」


もし近藤のプレーヤーズベンチの後方にあみがいたら。

「あれっお兄ちゃん肩が変っ」

ちゃんとチェックを入れ試合後に入念なマッサージを施すところである。


試合は進んでいく。時間は3時間を回り近藤には疲労が見える。ベンチに腰掛け全身が脱力を感じていく。


「ちくしょう足が…」

対戦相手のカールセンも同様であった。炎天下と長時間の試合。ケネスカールセンの足が悲鳴をあげた。軸になる足が痙攣を起こした。

「審判。タイムだトレーナーを呼んでくれ」

カールセンは痛みに堪えきれなかった。


カールセンがインジュアリー(緊急)タイムを取る。近藤は期せずして休息となった。


近藤はプレーヤーズベンチで足を触ってみる。太股はかなり熱を持ちパンパンに腫れていた。

「僕も痙攣しそうだ。アイシングで冷やすか」

ツアーバックからスプレーを取り出した。これを一吹きしたら腫れは引くだろう。


その時にふとあみの顔を思い出す。

「あみが後ろ席にいたら。もしあみがいたら」

近藤はスプレーをゴソゴソと仕舞う。

「あみはいけないって言うな。火照る足の筋肉に急激な冷却(アイシング)はいけないって言う」

タオルを取り出した。ドリンクの水氷を浸し足に巻く。両足がヒンヤリとして気持ちがよかった。


近藤は後ろを振り向く。観客席にあみがいないか確かめた。


いつも座る近藤の後方にあみはいる。だが今は女子高生が座る。


「うんっあみかっ」


近藤はグッと女子高生を見た。だがおさげ髪やあみの可愛らしい笑顔がそこにはなかった。


近藤は落胆をした。


あみは赤いコスチュームを着てプレゼンターの特訓をまだ受ける。近藤の試合しているコロシアムから離れたテレビ局の控えにいた。


タレント養成学校の女校長はどうにもあみの立ち居振る舞いが気に入らないらしい。

「あみさん。背中が曲がっています。正面をしっかり見据えて歩きなさい。あ〜んダメダメ。何度言ったら理解してくれますの」

女校長はそろそろあみの出番が近いと知り余計に焦る。

「こんなアマチュアを使うなんて。バカバカしいわ。タレント養成学校にはゴマンと女子高生なんかいらっしゃるのに」


あみは時間が来たとしてスタジオから田園コロシアムに移動する。

「やっとお兄ちゃんに会える」

赤いコスチュームは眩しく輝いた。


近藤は観客席にあみがいないのはなぜかと思った。

「ただ僕のわからないところで観ているのかもしれない。別に後ろの席だけとは限らない」


改めて後方の女子高生と視線が合う。


目の合った女子高生は喜びである。

「キャア〜近藤くんっと近藤くんと。キャア〜」

女子高生は周りにいた友達と大騒ぎになる。


近藤はしまったなあ。


タイム(試合開始)


対戦相手カールセンは足の膝に大きなサポーターをつけていた。見るからに痛々しい。

「カールセンって30歳越えているんだろ。長引く試合はスタミナが問題じゃあないか」


若い近藤の体力(スタミナ)に期待がかかってくる。


あみはコロシアムの控えに入った。主催者から要請された赤いコスチュームを着ているため観客席にはいけない。あみのようなプレゼンターは観客には秘密のお楽しみとなっていた。

「観客席にいけないの。だからモニター画面でしかお兄ちゃんを応援できない」

あみはつまらないと不貞腐れ顔をする。


プイッ


そのあみを見た女社長。またひとつお小言を言いつける。


「もうあみはこんなチンドン屋さんやめたい」


赤いコスチュームなんか脱ぎ脱ぎして近藤の側に駆け寄りたかった。


試合は3時間からさらに経過をする。


カールセンは足を引き摺りながら打ちまくる。近藤は息があがりそうになる。体力勝負の死闘と化していく。


カウントは互角。4-4〜6-6。


タイブレークに突入する。


あみはモニターを見てタイブレークを知る。

「お兄ちゃんを応援したい」

控え室のドアを勢いよくドンっと開けた。


後ろから女校長がけたたましく叫びまくるのが聞こえた。


戻りなさい!そのコスチュームで(観客に)出てはなりません。


あみは駆け足でコロシアムの中を急ぐ。控えからセンターコートはどっちだった?


みんなが観ているんだから騒がしい方かな。


あみは赤いコスチュームの袖を掴み走る。

「この姿は12時がやってきたシンデレラみたい。時間を守らないといけない」


早く近藤に会いたい。近藤がタイブレークに勝つようにあみが加勢したい。


センターコートの屋根がわかった。あみは入場門で躊躇(ためら)う。

「このチンドン屋のままではみっともない」

センターコート周辺を見渡した。幸いにダンロップの宣伝小屋を見つけることができた。ダンロップの(のぼり)には近藤が優しく微笑みかけていた。

「ダンロップでテニスウェアを借りて行くわ」


あみは小屋に飛び込んだ。ダンロップのスタッフは全員驚いた。

「星野さんの娘さんが何しているんですか」


あみ急げ。近藤は待っている。


主審が時計を眺めた。タイブレークから再開だとマイクに向かう。


タイム(試合再開)


カールセンはヨイショッとプレーヤーズベンチから重い腰をあげた。左手にはしっかりとドネーが握られていく。

「俺としたことが。そんなフューチャーズクラスの若造にタイブレークだとはな。簡単に2-0でケリでなくてはいけない試合だ」

サービスラインでゆっくりと屈伸運動をした。痙攣した足は直ってはいなかった。


近藤も立ち上がる。プレーヤーズベンチで軽くドリンクを一口含む。

「このドリンクはあみが入れてくれた」

第3セットになり近藤が疲れてくるとあみが心の支えになって現れていく。


「よしっタイブレークだ。このポイントさえ勝ち取れば僕は勝利を得られるんだ」

ツアーバックをゴソゴソとした。熱田の御守りを取り出した。


勝ちたい


近藤は熱田神宮に向かい囁いた。


その時である。ベンチに座る近藤の背後から聞き慣れた声がした。


お兄ちゃ〜ん


はっ


近藤は振り返った。そこにはおさげ髪の娘。笑顔のあみがいた。


両手を口にあてて盛んに近藤に声援を送っている。


近藤はあみににっこりした。

「あみ居たのか。どこに隠れていやがった。うん頑張っていくぞ。この試合勝つさ。このタイブレークはモノにしたいさ」


近藤に声援が届くとあみは涙が溢れてしまう。


「私のお兄ちゃんだモン。勝つわ勝つの。だって私が応援に来たんだモン。頑張ってちょうだいね」

泣けるあみは目の前が見えなくなる。観客はどうか泣かないでお嬢さんっと慰めていた。


近藤はあみがいるとわかり元気が出てきた。

「あみ見ていろっ。僕の最高のテニスを見せてやる。テニスとはかくも華麗で素晴らしいものだと見せてやる」


サービスはカールセンである。サウスポーにドネーを持ち近藤を睨みつけた。近藤は低い姿勢でレシーブの姿勢。

「よしこい。強烈なリターンをかましてやる」

手元のグリップはウエスタンからイースタンに切り替えた。低い弾道で強烈なリターンを狙うつもりだ。近藤はかなりの自信があった。


観客は近藤の構えに反応をした。

「近藤はリターンエースを狙うのか。やけに低く構えてやがる。いっぱつを狙うらしいぜ」


田園コロシアムはカールセンのサービスを待つ。


満員の会場は静寂で被われた。


バシッ


カールセンはサーブを近藤の左に入れた。スピードはなくコントロールだけのサーブだった。


近藤は逆をつかれ慌ててラケットを出す。


しまった。


リターンはかろうじて当てただけ。


バシッ


カールセンの鋭いスイング。決められてしまった。


近藤は下を向きアドコートに移動する。自らの失敗を後悔する。

「カールセンは世界のプレーヤーだ。ちゃんとこちらの動きを読んでいる。僕の狙いを外してショットを打ちまくる。どうしたものか(格が違う)」

近藤に恐怖心が生まれた。

「僕のテニスでは対抗できないかもしれない」


弱気の男はチラッと観客席を見る。そこにあみがいた。ハンカチで目を押さえ泣いていた。近藤の劣勢を嘆き悲しむ女子高生。可愛らしいあみのおさげ髪がシュンっとなり淋しく見える。

「あみを泣かせてしまうのか」


あの快活で明るい天真爛漫なあみが泣いてしまうのか。


「僕は愚かな男だ」


近藤は心の整理のつかぬままサーブを打つ。タイブレークでは一本のミスでさえ許されない。


フォルト〜


近藤のサーブはかなり外れてコートに落ちた。


観客はどよめいた。

「近藤はスタミナがなくなった。長い試合で疲れてしまったぜ。若武者がロートルに負けてしまうなんて。しっかりせんかい」


あみは観客の近藤に対する罵声(ばせい)を痛いほど耳にする。あみには聞くに堪えない野次が続く。

「お兄ちゃんは悪くないモン。お兄ちゃんは頑張ってくれているモン。負けたりしない負けはしないの」


あみ。ハンカチが濡れてコートがまったく見えなくなる。


あみは熱田の御守りをポケットからゴソゴソと取り出した。

「神さまがいたらお兄ちゃんを助けてください」


神さまがいたら…


熱田神宮のヤマトタケルノミコトはカッと目を見開く。

「あみがワシを呼んだのか」

周りを取り囲む侍従はひれ伏した。かようでございますっと神に同意した。


ヤマトタケルノミコトは武具を身につけた。恭しく頭をさげてから草薙の劍を脇に差した。


いざ参るぞ。(いくさ)でござる。


侍従を2人つき従えスゥ〜と消えた。


現れたのはあみが手に持つ熱田の御守りからだった。

「これがテニスか。けったいなモンで球をひっぱたくやつじゃな」

ヤマトタケルノミコトは田園コロシアムの会場をグルリと見渡した。侍従は言う。

「お主さま。かようでございます。テニスでございます。あの右手にいるのが近藤さまでございます。今は最大のピンチでござ…うん。天さま。近藤さまはもう失点できませんぞ。次に失点したら負けでございます」


ヤマトタケルノミコトが見た近藤は肩で息をし見るからに苦しい姿である。


ヤマトタケルノミコト大きく深呼吸を繰り返した。


しからば参るぞ


ヒューと田園コロシアムに突然なる風が吹く。会場で立ち見していた女子高生のスカートがヒラヒラとめくれそうになる。


風に顔を撫でられた近藤。フッと目眩(めまい)を感じる。

「いかん。負けてしまうと思って僕は動揺している。冷静にならなくてはいけない。冷静にならないと」


このあたりから近藤は記憶が途絶えてしまう。まったく覚えていない。


近藤が気づいたのはバシッとサーブを打った直後である。対戦相手カールセンがリターンを失敗し悔しさからラケットをコートに叩きつけるシーンを見たところからである。


観客はワアワアっと近藤の勝ちを讃えた。

「僕は勝ったのか。タイブレークをモノにしたのか。世界のランキングプレーヤーを破ったのか」


ワアワア騒ぐ観客は万歳万歳近藤っに変わる。


その大歓声の中にいるおさげ髪のあみ。


あみはコートの近藤の顔を見て満面の笑みを湛えている。あみが何か言っている。近藤に伝えたいと盛んに口を動かす。観客がやかましくて聞き取れやしない。


あみは近藤に手を振ると席を立った。

「お兄ちゃんに賞金と楯を渡さなくちゃいけないから」

ダンロップの小屋に戻り赤いコスチュームをつかむ。再びコロシアムの控えに戻って行った。


「アッアー疲れたあ」


雲の上のヤマトタケルノミコトは肩をグルグル回す。侍従たちにマッサージをしろっと命令していた。

「体のあっちこっちが痛いぞ。テニスとはこんなにも疲れるもんかいな」

ヤマトタケルノミコト横にゴロゴロ寝る。

「あかんわ。全身が痛いぞ。マッサージ程度でよくならぬ。女官(にょかん)を呼べ。あいつらの献身的なもてなしで余の痛みはなくなっていくであろう」


神話ならば草薙の劍で征伐(せいばつ)を繰り返したヤマトタケルノミコト。今回はテニスの近藤になり代わりラケットをビュンビュンと振ることになる。

「いかん腰が痛い痛い。もうラケットなんざ振らない。早く熱田に戻りたいぞ」

本殿にあるサウナに入って疲労をとりたくなる。侍従たちは宥めすかして熱田に帰る。


近藤がコートの上で待たされていた。大会主催者から勝利者の賞金を授与したいからと申し出があったからだ。


「賞金が貰えるのか。さすがはジャパンオープン。インターナショナルのゴールドだけはある。賞金が出るのは知らなかった」

近藤はウインドブレーカーを着込み表彰に備えた。


しばらく待たされ場内にアナウンスがある。


「勝利者の近藤選手に楯と賞金が(主催者から)授与されます。皆さん拍手でお願い致します」


主催者の役員が現れた。紳士な男である。その後方に真っ赤なコスチュームの女の子が従っていた。近藤はそれがあみだとはまったく気がつかない。


小さな表彰台が設営をされていた。役員から近藤は楯を受け取る。楯はあみが礼儀作法にのっとり役員に手渡した。


続いては賞金の授与である。

「お兄ちゃんおめでとう」

赤いコスチュームのあみは近藤に話かけた。


近藤は驚く。


「なぜあみがいるんだ」


ジャパンオープンの二回戦を勝ちあがった。だが三回戦は世界トップランカーである。近藤はまったく歯が立たない。あっけなく負けてしまった。


「ジャパンオープンはいい経験になった。世界のランキングの強さを身を持って実感できた」

近藤は翌日のATPランキングの発表が楽しみになる。

「実力を蓄えて来年はもっと強い近藤になっていたい」


東京からの新幹線。近藤・星野・娘あみと仲良く三人座っていた。


おっと。


同じ新幹線には神谷市長と秘書も同乗をしていた。市長は帰省の日程を一日延ばし近藤の試合にお付き合いをしたのだ。

「テニスは初めて見たが感激したよ。こんなに面白いとは思わなかった」

神谷市長は同郷の星野に盛んによかったと強調した。


星野と神谷市長はあれこれと積もる話に華が咲く。


一方近藤は。


連戦に次ぐ連戦から疲れてしまう。あみと仲良くシートに座りうたた寝を始めた。


あみも様々な出来事が重なり疲れてしまったようだ。


二人は仲良く肩を寄せて居眠りをしていく。新幹線の揺れが心地好く眠気に微睡んでいく。


近藤は口を大きく開けた。あみは近藤に寄り掛かり小さく頭を下げた。


幸せな恋人たちである。

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