最終章 またどこかで
気がつくと、私は立っていた。
暗い場所だった。
空も、地面も、境界が分からない。
ただ、黒い空間がどこまでも続いている。
音はない。
風もない。
私はゆっくり足元を見る。
地面はある。
でも感触が薄い。
まるで夢の中にいるみたいだった。
その時。
視界の奥に、影が見えた。
ひとつじゃない。
いくつも。
人の形をした影。
誰も動かない。
ただ、静かに立っている。
私は一歩、前に進む。
その瞬間、胸の奥がざわついた。
ここを、知っている気がする。
どこかで見た。
夢の中で。
子供が言っていた。
「暗いところ」
私はゆっくり周りを見回す。
影。
影。
影。
その中に、ひとつだけ動く影があった。
誰かが歩いてくる。
ゆっくり。
静かに。
私は息を止める。
その姿が、少しずつ近づく。
スーツ姿。
少し猫背の背中。
疲れたような歩き方。
私は震える声で呟いた。
「……あなた」
男は止まる。
そして、ゆっくり顔を上げた。
その顔を見た瞬間。
胸の奥が崩れた。
「……思い出した」
男は小さく笑った。
どこか寂しそうな笑いだった。
「遅かったな」
私は何も言えない。
ただ、その顔を見つめる。
この人を。
私は忘れていた。
全部。
存在ごと。
私は震える声で言う。
「ごめん」
男は首を振った。
「いいよ」
その声は、静かだった。
責めるような声じゃない。
むしろ、どこか安心したようだった。
男は周りを見た。
無数の影。
静かな世界。
そして言った。
「ここに来るやつは、だいたい同じだ」
私は聞いた。
「……どういうこと?」
男は少し考える。
それから言った。
「人間はさ」
ゆっくり続ける。
「孤独を嫌うくせに」
影を見渡す。
「孤独を作る」
私は黙った。
男は私を見る。
「でも」
少しだけ笑う。
「本当に孤独になると、やっと気づく」
私はその言葉を聞きながら、胸が締めつけられる。
男は手を差し出した。
「来るか」
私はその手を見る。
少し迷う。
でも。
もう分かっていた。
ここからは、戻れない。
私はゆっくり手を伸ばす。
その手を握る。
冷たい。
でも、不思議と安心する温度だった。
その瞬間。
私の体が、ゆっくり影に変わり始める。
指。
腕。
体。
すべてが黒く溶けていく。
男の隣に、私は並んだ。
二つの影。
同じ形。
同じ場所。
男は静かに言う。
「またどこかで」
その言葉が、暗い空間に溶けていく。
周りの影は、動かない。
ただ、立っている。
そしてこの世界は、今日も静かに続いている。
どこかで。
誰かが。
孤独を望む、その瞬間まで。




