第二章 写真
私はしばらくコップを見つめていた。
透明なガラスのコップ。
見覚えがあるような、ないような。
手を伸ばして触れてみる。
ひんやりと冷たい。
その感触が、妙に現実的だった。
「……変だよね」
小さく呟く。
誰に聞かせるでもない言葉。
私はコップを棚に戻した。
きっと前からあったものだ。
そう思うことにした。
そうでも思わないと、胸の奥の違和感が消えない気がした。
私はリビングへ戻る。
ソファの前を通ったとき、
壁の写真立てが目に入った。
何気なく足を止める。
そこには、いくつかの写真が並んでいる。
子供の誕生日。
運動会。
旅行。
どれも見慣れた写真。
そのはずだった。
私は一枚を手に取る。
海で撮った写真だった。
青い空。
砂浜。
笑っている私と子供。
でも。
その隣に――
誰かが立っている。
私は目を細めた。
最初は影だと思った。
光の加減かもしれない。
でも違う。
そこには確かに、人の形があった。
スーツのような服。
少し猫背の姿。
私のすぐ隣に立っている。
「……誰?」
思わず声が漏れる。
私は記憶を探る。
海に行った日。
砂浜。
子供の笑い声。
波の音。
全部思い出せる。
なのに。
その人の記憶だけがない。
私は写真を裏返した。
裏には日付。
三年前。
そして、小さな文字。
「家族で海」
私は眉をひそめる。
こんな文字、書いた覚えはない。
写真をテーブルに戻す。
胸の奥がざわつく。
でも理由は分からない。
私はソファに座った。
最近、少し疲れている。
仕事。
家事。
子育て。
離婚してから、生活はずっと慌ただしい。
気分転換に、スマホを手に取る。
SNSを開く。
動画のタイムラインが流れていく。
料理動画。
猫の動画。
ニュース。
何気なくスクロールしていると、
ひとつの動画で指が止まった。
タイトルが目に入る。
「人生の走馬灯を見てみませんか?」
コメント欄が妙に騒がしい。
「怖すぎる」
「夢に出た」
「やめとけ」
そんな言葉が並んでいる。
私は少しだけ眉をひそめた。
どこかで見たことがあるような気がする。
でも思い出せない。
動画の再生時間は短かった。
二分ほど。
私は少しだけ迷う。
それから。
再生ボタンを押した。
画面が暗くなる。
黒い画面。
何も映らない。
「……あれ?」
そう思った瞬間。
スマホの画面に、ぼんやりと映像が浮かんだ。
でもそれは動画じゃなかった。
スマホの黒い画面に反射した、私の顔だった。
そして。
その背後に。
もう一つの影が立っていた。
スーツ姿の男。
少し猫背の背中。
写真に写っていた男と、同じ姿。
私はゆっくり振り返る。
誰もいない。
もう一度スマホを見る。
画面の中の影は、まだそこに立っている。
そして。
男の顔が、ゆっくりとこちらを向いた。
その瞬間。
動画が再生される。
暗い画面の中で、男の口が動く。
声は聞こえない。
でも。
なぜか分かった。
その言葉だけは、はっきりと読めた。
「またどこかで」
その瞬間、スマホの画面が暗転した。
そして私は、ようやく気づいた。
その男の顔を――
知っている気がした。




