第一章 知らないコップ
目が覚めたとき、外はまだ暗かった。
時計を見る。
午前五時。
少し早すぎる時間だった。
最近、眠りが浅い。
夢を見るからだ。
あの夢。
暗い場所に、たくさんの影が立っている夢。
そして、その中にいる男。
顔はよく見えないのに、
なぜか胸が締め付けられる。
私はベッドから起き上がる。
隣を見る。
子供はまだ眠っていた。
小さな寝息が聞こえる。
それだけで、少し安心する。
私は静かに部屋を出た。
キッチンへ向かう。
冷蔵庫を開ける。
牛乳を取り出す。
コップを取ろうとして――
手が止まった。
コップが二つ並んでいる。
いつもは一つしか使わない。
私と、子供。
それだけだ。
なのに。
もう一つのコップが置いてある。
少し大きい。
男用みたいなコップ。
私はそれを見つめる。
しばらく考える。
でも、思い出せない。
「……なんだっけ」
誰のコップだろう。
頭の奥に、何か引っかかる。
でも、それはすぐ消えてしまう。
私は小さく首を振った。
きっと前からあったものだ。
気にするほどのことじゃない。
牛乳を注ぐ。
テーブルにコップを置く。
そのとき。
後ろから声がした。
「ママ」
振り返る。
子供が立っていた。
まだ眠そうな顔をしている。
「おはよう」
私は笑う。
「おはよう」
子供は椅子に座る。
そして、テーブルを見て言った。
「ママ」
「なに?」
子供はコップを指さした。
二つ並んでいるコップ。
そして聞いた。
「これ、だれの?」
私は答えようとする。
でも。
言葉が出なかった。
私は、もう一度コップを見る。
そして気づく。
本当に。
思い出せない。
その瞬間。
胸の奥が、少しだけ冷たくなった。




