中国
北京郊外。
国家量子研究所。
メイリンは白衣の胸元を握りしめ、研究棟の暗い廊下を歩いていた。
青い波形……あれを見てから、胸の奥のざわつきが止まらない。
研究室の扉を開けると、すでに軍幹部と政府要人が集まっていた。
「説明してもらおう、艾博士。
あの[青い脈]は……何の暗号だ?」
軍人の声は低いが、恐怖が隠しきれない。
メイリンは深呼吸し、震える指で映像を再生した。
地球規模で同期する、謎の波形。
ローワンとイツキの配信でも流れた[青い脈動]。
「……自然現象とは思えません」
「では人工か?」
「そう断言できる根拠はありません。でも……」
メイリンは、言うか迷った。
この国は(弱さ)や(わからない)を許さない。
「……意思に近いものを感じます」
室内の空気が一瞬で凍った。
「意思だと?」
「地球の、か?」
「いや、他国の高度AIの可能性もある」
幹部たちの視線が鋭くなる。
ここで[地球の意思]などと軽々しく言えば、彼女は危険だ。
だが――軍部は違う方向に誤解した。
「つまり……アメリカが開発した干渉兵器かもしれんということだな」
メイリンの言葉を完全に捻じ曲げ、
“外敵の新兵器” 説がその場で確定した。
「まだ私はそんなこと――」
「博士、あなたの言葉の意味は理解している。
アメリカは地球の振動を操作し、
我々に“戦争を仕掛けている”可能性があるのだ」
メイリンの否定は最後まで聞かれなかった。
幹部の一人が言った。
「ならば、出遅れるわけにはいかん」
対米宇宙監視網の強化、
偵察衛星の臨戦態勢移行、
不明信号をすべて“敵性”と判定するAIモードへの変更。
数日のうちに、中国は
“戦争準備段階”へ踏み出した。
―――
それは市民生活にも波及した。
都市部の電光掲示板には
《外的脅威に備えよ》
《国家に協力せよ》
という文字が踊り、
SNSでは匿名の「愛国者」たちが煽り続ける。
《アメリカが地球に干渉しているらしい》
《宇宙戦争が始まる》
《備蓄を急げ、国家のために》
やがて国民は一斉に買い占めを始め、
軍への協力志願者が急増した。
「疑問」より「従う」ほうが安心だから。
メイリンはその光景に胸が痛んだ。
「……違う……違うのに……」
彼女の声は、誰にも届かない。
―――
ある日の深夜。
研究所の屋上で、メイリンはひとり空を見上げていた。
北京の空は灰色の霧に覆われ、星は見えない。
ただ、地球の奥に脈動する青い気配だけが、
かすかに、かすかに響く。
その時、ポケットのスマホが震えた。
―――通知―――
《国家安全部より》
《研究資料の全データ提出命令》
《今後の外部連絡は禁止》
《あなたの研究は国家最高機密に指定されました》
メイリンは息を飲んだ。
「……始まった。
これは……“戦争の準備”じゃない……
“誤解の固定化”だ……」
青い脈は、静かに、物言わず震えている。
だが中国はそれを
“自分たちを狙う敵の警告” として受け取ってしまった。
メイリンは柵に手を置き、暗闇に呟いた。
「お願い……誰か……止めて」
だが返事は、どこからも返ってこなかった。




