エアメール
「父さんは?」
「ゴルフよ。正月恒例のコンペですって。帰ってきたら、あっちが痛い、こっちが痛いって言うのにね」
和美の言葉に、苦笑いを浮かべて母が答えた。
「良いんじゃないの。元気で」
和美は久しぶりに帰省して、実家でのんびりと正月を過ごしていた。昼食も済んだ昼下がり。母は、のんびりと紅茶を飲んでいる。和美もダイニングテーブルの母の向かいに座った。
「紅茶飲むなら、自分で入れてね」
「はいはい」
ダイニングには、母がいつも聞いているラジオ番組から、リクエストされた曲が流れていた。
「エアメールかあ。いまどき、そんなの書く人いるのかな」
昭和歌謡の歌詞を聞いていて、ふと、和美がそんなことを口にした。
「いるんじゃないの? スマフォとかで顔が見られる世の中でも、手紙を書く人はいるでしょ。郵便事業はまだやってるんだし」
当然とばかりに母が言う。和美もそれには返答しなかった。
「そういえば、昔、エアメール用の封筒とかあったわよね? あれ、誰が使ってたの?」
「赤と青の縁取りがあるもの? そんなのあった?」
「私が戸棚から見つけて、便箋も一緒に、要らないなら貰っていい? て、貰った記憶があるんだけど」
和美は、それを、ラブレターを書く練習というか、真似事をするために使っていた。少女の頃の、人には言えない秘密。
「ああ。そう言えば、あったわね」
「誰のだったの?」
「誰のっていうか。母さんが使ってたのよ」
「母さんが?」
「代筆してたのよ。お祖父さんにたのまれて」
「代筆?」
母の話では、祖父の姉は、服飾業界で働いていて、フランスに渡ったのだという。そこで出会ったフランス人と結婚して、生涯をフランスで過ごしたということだった。和美の祖父にとっては、美人で自慢の姉だったらしい。
その祖父の姉は、和美が生まれる前に亡くなっていた。
「パリの伯母様、なんて言ってたわよ。お父さんとか。お祖父さんが目が悪くなっちゃったんで、私に代筆してくれって頼まれて、私が書いてたの」
「へえ、どんなこと書いてたの?」
「大体は近況とか、そんなことかな。あと、仕送りのこととか」
「仕送り?」
「パリの伯母様、旦那さんに先立たれて、生活は厳しかったみたい。時々、お祖父さんが仕送りしてたみたいなの。今でも、海外で生活するってたいへんでしょ? あの時代だから、余計大変だったんだと思うわよ。
返信もちょっと読んだことがあるけど、愚痴ばっかりだったし。子供や夫の家族とか、国の事とか色々と。海外生活なんでするもんじゃないなぁ、て思ったものよ」
遠い目をして母が言う。
「お父さんとか、パリにいる伯母様なんて、ちょっと自慢の種だったみたいね。お父さん宛の絵ハガキとか貰ったことがあったみたいで、見せてもらったこともあるわよ」
和美には、生活に苦しんでも、帰ることはしなかったその、大伯母のことは良く分からなかった。
「そういえば、和美ちゃん、海外に行くんじゃなかったっけ?」
「え? ああ、来月ね。出張で一週間くらい行くだけよ」
急に話を振られて和美は戸惑った。
「どこ?」
「ドイツ。デュッセルドルフ」
IT企業に勤めている和美は、視察ということで、部長のお付きとして同行することになっていた。
「ふーん。あなたもそんな身分になったのね」
「身分て……」
大学でドイツ語を専攻していた、というだけのことだった。プログラムなど書かない事務系の仕事ではあったが、情報処理などという畑違いの企業に就職して、それが役に立つようになるとは思ってもいなかった。
「千尋ちゃんとか、あなたが自慢の叔母様みたいよ? 東京の一流企業に勤めて頑張ってるって」
千尋というのは、和美の姉の娘で、中学生だった。
「ええ。一流って、上場してるってだけで、有名じゃないわよ」
「そうだ、ドイツに行ったら、そこから千尋ちゃんにエアメールでも送ってあげれば? 手紙なんて書くことないでしょうから、たまにはいいでしょ」
「どうしてそうなるのよ」
妙な成り行きに和美は困惑した。
「いいじゃない。ドイツから自慢の叔母様のエアメールが届いたりしたら、千尋ちゃん、飛び上がって喜ぶわよ」
「いやいや、なんでそんなこと」
「エアメールの便箋でラブレターの真似事するよりいいじゃない」
「は?」
母の言葉に、和美は固まってしまった。
「な、なんでそれを……」
「お姉ちゃんから聞いたことがあったのよ。和美ちゃんも可愛い時があったわねぇ」
ニコニコと笑顔の母。
「千尋ちゃんには言わないでよ?」
エアメールなんて、迂闊に口にするんじゃなかった、そう思った和美だった。




