笑顔の裏に、壊せない命令
「こっちよ。あと少しで村が見えるわ」
ルナは微笑みながら、森の小道を歩いていた。
その笑顔は自然で、暖かくて、柔らかい。
まるで、俺をずっと前から知っていたような顔。
──でも、違う。
この笑顔は“書き換えられた”ものだ。
俺の命令で生まれた、強制された信頼。
それを思い出すたび、胸の奥が鈍く痛む。
村は、のどかだった。
石造りの小さな家々。薪の香り。笑い声。
子どもたちが走り回り、誰かがパンを焼いている。
こんな温かい場所に、俺のような人間が来ていいのか。
この手で、誰かの心をねじ曲げたくせに──
「うち、こっちよ」
ルナの家は、村の外れにあった。
花の咲く小さな庭に、清潔な木の家。
玄関の扉を開けると、柔らかい声が聞こえた。
「おかえり、ルナ。……あら、お客様?」
中から出てきたのは、優しそうな女性と、穏やかな雰囲気の男性。
彼女の両親だ。
「この人、森で会ったの。ちょっと道に迷ってたみたいで……ね、泊めていいでしょ?」
母親は微笑み、父親は頷いた。
「もちろん。君がルナと一緒なら、安心だよ」
食卓につき、温かいスープが出された。
パンの香り。人の温度。穏やかな時間。
すべてがあまりにも……優しすぎた。
そしてルナは、ずっと俺の隣で、さりげなく気を配ってくれていた。
水を注いでくれる。
スプーンを落としたら拾ってくれる。
親に俺のことを、さりげなく良く見せてくれる。
「……優しすぎるだろ」
思わず、小さく呟いた。
ルナがこちらを見る。
「ん? 何か言った?」
「いや……なんでもない」
彼女の行動に不自然なところは一切なかった。
それが、かえって恐ろしい。
あの命令──
target("Luna").setEmotion("trust", 1.0)
──は、もしかして今も機能し続けている?
その夜。
俺は、ルナの部屋の隣の客間に通された。
布団がふかふかで、木の香りが落ち着く。
でも──眠れなかった。
彼女が笑うたび、心が痛む。
彼女が優しくしてくれるたび、喉が詰まる。
(本当のルナは、こんなに俺に親切だったのか?)
(もし、命令を解除したら──もう、俺のそばにいなくなるのか?)
考えるだけで、恐ろしくなった。
あの笑顔を、
あの声を、
もう一度見られなくなるかもしれないと思うと──
布団の中、俺はコンソールを開いた。
指が震える。
target("Luna").resetEmotion("trust")
──打てなかった。
画面を睨みながら、ただ、何もできずにいた。
(このままじゃだめだと分かってる)
(でも、今のルナを……失いたくない)
命令一行で得た、偽りの信頼。
だけど、それが今、俺の支えになってしまっている。
この村の温かさも、ルナの優しさも、すべて──
“もし戻したら、失われてしまうかもしれない”。
その恐怖に、俺は勝てなかった。
朝が来た。
ルナが部屋をノックして、笑顔で言った。
「おはよう、ハルト。朝ごはん、一緒に食べよ?」
その笑顔に、俺は……また、逃げた。
「……うん、今行く」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
主人公ハルトが初めて「戻すべきか、戻さないか」という葛藤に苦しむ回でした。
皆さんなら、どうしますか?「本当の彼女」を取り戻すか、それとも……?
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