第4話 暗黙の了解の世界
―――渕田 圭介渕田 圭介という男は、とあるお菓子会社勤務の非常勤職員だった。
「渕田さん、それ取ってもらえる?」
工場係長を務める天野 陽葵は、部下に優しく仕事も丁寧にこなしていた。人当たりよくて、いつも人が集まるそんな人だった。
「これでいいですか?」
計量カップで小麦粉の量を測ろうとしていた天野は、大きなボールを用意してほしいと指をさしてお願いした。
「あらあら、新人さんにやらせるのー。天野さん、私たちいますよぉ」
定年間近のおばちゃん職員たちがトイレから戻ってきた。いわゆるお局さんと言われる人たちの集まりだ。パート勤務で長く働いているが、上司の方が若いため、いじめが生じている。
「斎藤さん、お気遣いありがとうございます。ここは大丈夫ですよ。渕田さんにも仕事覚えて
もらわないといけないので……」
「えーあら、そう。私も余計なこと言ったわねぇ。失礼しました。んじゃ、行きましょう、私たちのする仕事はまだないらしいわぁ」
斎藤 恵津子は、お局グループのリーダーだった。
「恵津子さん、休憩していいの? 休憩時間の延長なの。やったぁ」
きゃははと笑って喜ぶのは、木村 美弥子。斎藤恵津子のお供だ。さらにその隣で物静かに二人の言うことをうんうんと聞いてる自分の希望を言わない坂本恭子が後ろからついて歩いている。
「あのー、斎藤さん。休憩時間は十三時までですよ。もう時間は過ぎているので、すぐに仕事にとりかかってください」
年上に指示するのはとても気を遣う。神経をすり減らしながら、天野 陽葵は時計を指さしながら、三人に声をかけた。嫌な顔をして、睨まれる。
「はぁ? 私たちが助けようとしたら、断ったじゃない。さっきのも仕事のひとつよねぇ。ねぇ、美弥子さん」
「あ、そうそう。そうよ。もう仕事の開始の合図を断るってことは休憩時間よねぇ。ねーー、ね。恭子ちゃん」
坂本恭子は、小さく微笑んで静かにうなずいた。三人の態度に、天野陽葵は、いい顔をしない。
「あの……」
言葉が続かない。午後の本格的な仕事は今からのはずだ。
「恭子さん、一服行きましょう。仕事しようと思ったのにモチベさがったから、仕切り直しだわ」
物静かで本当は意志が固く、正論を言う恭子の発言をとめようと、あえて強引に誘う。タバコは吸わない恭子を3人の仲間だと主張したい。恵津子は、美弥子と恭子を連れて、休憩室の隣にある喫煙所に行ってしまった。小声で渕田 圭介が
「止めなくていいんですか」
「渕田くん、大丈夫。放っておいて。私たちへの嫌がらせだから。いいの、持ち場に戻りましょう」
天野 陽葵は声をかけるのを諦めて、渕田 圭介とともに持ち場であるキッチンの方へ向かった。3人に聞こえないだろうと確認した場所で渕田は少し大きな声を出した。怒りが止められない。
「いいんですか。あのままで。仕事を怠けていたら減給とか……あるんじゃないんですか?」
「渕田くんは真面目だね。もちろん、労働基準というか社内規定で違反行為をしたら減給や雇用継続を短くするとかあるけど……あの3人は正社員の私たちよりもパート勤務年数長い。誰よりもこの職場のことをわかっている人たちなの。社長ももちろん知っているの。いくら、こっちが騒いだところで解雇までさせられないのよ。暗黙の了解ってところね」
「そ、そんな……真っ当に仕事してる僕たちの方が不利な扱いってひどくないじゃないですか」
「うん、そう。でも、現実はそんなものよ。私も一度は訴えたことあったけど、社長の耳は右から左よ。私のただの愚痴こぼしで終わったわ」
天野 陽葵は、戸棚の中から大きなボールを取り出し、冷蔵庫の扉を開けた。渕田は、その現実を聞いてこぶしを強く握りしめた。下唇をぎゅっと噛みしめる。




