第37話 記憶の迷走
―――「俺のことを洗脳したのはお前だろう?」
混沌とした雰囲気を醸し出す留置場の中、片膝を抱えて下から小茄子川 岳虎を睨みつける地獄谷 正真の姿があった。小茄子川 岳虎の背中がぶるっと身震いする。
「ど、どういうことだ」
「けっ、覚えていないってのかよ。俺はお前の視線とか息遣いとかすべて覚えているってのに……」
「な、何のことを言ってるのか……」
「しらばっくれるつもりなのか……まぁ、覚えていないって言ってしまえばなぁ、そっちはいいだろうよ。俺は絶対忘れないけどなぁ?!」
小茄子川 岳虎の額からじりじりと汗がしたたり落ちる。壁掛け時計の針が不気味に響く。カメラのシャッターを切るように次々と頭の中に入り込んでくる。地獄谷 正真の目が赤く光り出した。何か念を送っているようで、小茄子川 岳虎はこめかみが痛み出す。
「くっ…………」
何を見せたいのか。小茄子川 岳虎の幼少期、夏休みの記憶、見たくもない景色が次々と送り込んでくる。これが真実か嘘かはわからない。確かに小茄子川 岳虎が住んでいた街であることは間違いないが、それが本当に自分でしたことか記憶がない。信じられなかった。自分で自分を止めたいくらいの行動をしでかしている。
「や、やめろーーー!!」
いくら声を上げてもとめることはできない。それはなぜか。もう取り戻すことのできない過去なのだ。
床にはいずりばって、動く小茄子川 岳虎の姿を格子越しに地獄谷 正真は立ち上がって見下ろした。憎悪があふれ出ている。空気が重くなっていく。
「お、俺が何をしたって言うんだ。ただ、ただ、警察官になるために真っ当に生きてきた。俺は、本当に、辛かった。正義を貫き通して、父親の背中を見てきた。勉強もたくさんした。友達に遊びに誘われても、行きたいって思っても行かないって振ってきた。それを……それが! 何が悪いっていうんだ。お前に何がわかる! 俺の人生の何が!?」
声を張り上げて、小茄子川 岳虎は感情を取り乱しながら叫ぶ。心の底から言いたかったことが次から次へと零れ落ちる。本音は、警察官なんてこれっぽっちもなりたいと思っていない。何が楽しくて、正義を貫かなければならないのか。友達にふざけ合って、真夜中遊びに行くことがそんなにダメなことなのか。ただ、ただ、花火を公園でしただけ。ロケット花火を飛ばしただけで、父に頬を殴られた。世間体を気にして、警察という職務を全うするには、我慢しなければならないことがたくさんあるんだと説明されても学生時代は自由が全くなかった。たった1日だけ逃げ出したその日は、天国にいるみたいに幸せだったはずだった。やらならなければ良かったと後悔の念が頭の中にあふれ出る。
若いうちにしか遊べない。ふざけることができない。子供のうちにしかできないことたくさんあるんだよと母に言われて、少しははみ出してもいいかなと誘惑に導かれた。それがいけなかったのか。いや、違う。息抜きが必要だったはずだ。
夏の夜に出かけて、両足に蚊にさされて蚊を殺すのもダメだと父に叱られた。いつ、どこの歴史上の人物か。生類憐みの令が蘇ったのかと耳を疑った。その気持ちがあったからだ、小学高学年になって、カエルの解剖に興味持った瞬間はありえないくらい興奮した記憶が蘇ってくる。小茄子川 岳虎のそばには躑躅森 顯毅が目を大きくして、カエルの解剖を見ていたのを思い出す。
警察官の制服姿の小茄子川 岳虎は、手足が震えて額からは汗がしたたり落ちる。思い出したくなかった過去が鮮明に蘇った。
「お、思い出したぞ……お前……俺のせいだっていうのか―――」
地獄谷 正真は、唾をためて力を込めて床に吐いた。
「やっと、思い出したか……」




