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地獄の案内人  作者: 餅月 響子


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第36話 畦道と生臭い血の匂い~正義とは何か~

 ジリジリと太陽がアスファルトを照り返す季節だった。遠くでミンミンゼミが鳴いている。近所のおばさんが、ホースを伸ばして地面に水を撒いて涼しくしてるのを目撃した。夏休みになっていることもあって、ヘルメットをかぶった小学生2人が覚えたての自転車で横を走り去って行く。100円均一で買ったビーチサンダルを履いき、白Tシャツにベージュの半ズボンを着て、棒付き飴をくわえて気だるそうに歩いていたのは、小学6年生の小茄子川 岳虎だった。隣には、買ったばかりの立派なスニーカーの靴ヒモを結び直す小学3年生の躑躅森 顯毅の姿があった。


「ねぇ、帰ったら何する?」

 靴ヒモを結び終えた躑躅森 顯毅は、額に流れる汗を拭きながら起き上がった。


「えーー? 帰ったら? 別に決めてねぇなぁ」

「何もしないの? 暇じゃん」

「あーーーーそうだなぁ」


 田んぼの脇に長く続いた歩道を歩く小茄子川 岳虎は、蚊に刺された左足太ももをガリガリかいて立ち止まった。田んぼにはたくさんのカエルたちがあちこちに飛んでいた。砂利が敷き詰められていた獣道には、所々に白サギとカラスが静かに羽根を休めている。2人は、徒歩7分にあるコンビニから帰って来たところだった。


「あーーーー、俺。面白いこと思いついたかもしんねぇなぁ」

「え、何、何?!」


 躑躅森 顯毅のいつも遊びの基準は小茄子川 岳虎から始まった。習い事に通っていなかった躑躅森 顯毅にとって、剣道クラブに通う小茄子川 岳虎が羨ましく感じていた。将来は両親から刑事になるんだぞと柔道も同時に習っていた。強くなるために多少の犠牲者は伴うものだ。いつも、闘い相手にされていたのは躑躅森 顯毅だ。初心者で竹刀の扱い方もわからない躑躅森 顯毅の相手に滅多打ちにしたり、家の中でじゃれ合って遊ぼうと言った瞬間に巴投げされたり、兄弟のように密接に関わることが多かった。今日は、コンビニに行ってお菓子を買おうと暑い中、散歩しながら田んぼ道を歩いていた。


 小茄子川 岳虎は、ふと目に入ったアマガエルを持ち上げて、躑躅森 顯毅の顔の目の前に見せた。


「げっ、わぁ!? 気持ち悪い。俺、そういうの苦手ー」

「これ、解剖したことあるかぁ? 昔、理科の授業で解剖ってやったことあるらしいぞ」

「えーーー、キモイ。無理。俺、そういうのやだ」


 まだこの頃は純粋で何かもが怖いと感じていた。小茄子川 岳虎の猟奇的な行動を見る前は平和で温厚な躑躅森 顯毅だったはずだ。


「いいから、来いよ!!」

 

 父から多少の傷は舐めていれば治る。痛みは痛くないと人に暴力ふるっても平気だぞとおかしな解釈をしていた小茄子川 岳虎は、小柄な躑躅森 顯毅の体をぐいっと無理やりに引っ張った。誰にも相手にされることが無かった躑躅森 顯毅にとって、攻撃されても何故か喜んでいた。痛いと思っても、我慢して着いて歩いていた。


 無機質な小茄子川 岳虎の部屋で手術するように父親が使っていた昔の教科書を広げて、机の上にアマガエルを固定させた。その横で躑躅森 顯毅は、じっと見ることしかできなかった。やっている姿を見ないと暴力を振るわれた。本当は見たくなかったのに、目をつぶることを許されなかった。


「よく見てろよ? 俺は手術をするんだ。敏腕ドクターの完成さ!」


 テレビかアニメか漫画なのか、何の影響からか。小茄子川 岳虎は自分が天才ドクターかというような素振りで躑躅森 顯毅の前でアマガエルの解剖をした。いくら教科書に書いてあるからって小学生が研修してきた医者のように丁寧にできるわけじゃない。持っていたはさみやナイフで乱雑に切り刻んでいた。あちこちに返り血が飛ぶ。まるで、自分が支配しているかのよう。


 正義感溢れる警察官という仕事をしている父を持つ小茄子川 岳虎の行動と姿に躑躅森 顯毅は心の奥の奥のスイッチが入った。気持ち悪いと思っていたアマガエルが、弱い者と判断し、死んでもいい生き物へと変化した。


 躑躅森 顯毅の顔にもカエルの血が斜めの線を描くように飛ぶ。


「岳虎兄ちゃん。それ、俺にもやらせてくれよ。何か面白そう……」

「……ふぅ。何とかカエルの腹は切れたな。あとは内臓がどこにあるか。ほぉ、これとこれね。写真と一緒だ。気持ちわるぅ」


 解剖している本人でさえも気持ち悪いという発言が出るとはと躑躅森 顯毅は驚いていた。そこへ、玄関の開く音がした。小茄子川 岳虎の母が台所で夕ご飯を作っていたが、エプロンで手を拭いて誰かにおかえりとあいさつしていた。部屋の2階まで響くその音と声に敏感に反応した小茄子川 岳虎は、体が小刻み震えて止まらなくなった。背中に鳥肌が立つ。持っていたナイフが机からさらに床にはねて落ちた。金属音が響く。


「……俺、何をしていたんだっけ……」


 顔についたカエルの血を手で拭いた。正気に戻ったらしい。何を持って正気かどうかなんて、この時の躑躅森 顯毅には想像もできなかった。何を察した小茄子川 岳虎の父は、静かに2階に上がってくる。履いていたスリッパの音が聞こえた。机の上には解剖途中のアマガエルと、横にはこれから解剖をしようとナイフを拾う躑躅森 顯毅の姿があった。


「やめろーーー!!」


 普段、父の前では温厚な小茄子川 岳虎が大きな声で叫んだ。部屋の中から聞こえて何事だと思った父が、駆け足で岳虎の部屋にノックもせずに入って行く。躑躅森 顯毅は、聞いたことのない小茄子川 岳虎の声にびっくりして持っていたナイフを落とした。


「何事だ?」


 恐ろしい表情をし、低い声で小茄子川 岳虎の父は小茄子川 岳虎のそばに近づいた。部屋の中を見ると想像を絶するような光景に言葉を失った。そして隣にいた躑躅森 顯毅の姿にも驚愕する。手には血のついたナイフがあったからだ。厳格で世間体を気にする小茄子川 岳虎の父 凱也ときなりは岳虎の姿を見て、顔や体に青痰が張れ上がるほどの折檻せっかんをした。正義を貫く警察官という肩書を持つ父の思いは計り知れないだろう。その様子を見ていた顯毅にとって、こんな生き物を粗末にする行為をしているのに、警察には捕まらない。少年院にもいかない。親父に殴られて終わりで良いのかと心底、世の中は理不尽だなと感じた。


 それから、躑躅森 顯毅の心はどんどん歪んでいった。小茄子川 岳虎は悪いことをしても、守ってくれる大人がいる。


 自分には守るどころか突き放す大人ばかりで、地位も名誉もお金すらも気にされたことが無い。もし自分が悪さをしたら、自分の両親はどう対応をするのかと考え始めた。普段生活していて、怒ることも注意することもない。全部肯定する。訳の分からない教育に嫌気がさしていた。ダメなことはダメと言われたいのに言われない。どこまでなら許容範囲なのか試しかった。


 躑躅森 顯毅は、テストで100点取って良いことをしても、クラスメイトをいじめて先生に注意されても、親には大丈夫だと興味を持たれない寂しさが孤独をさらに倍増させていた。


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