第20話 熱さでできた傷と母の鬱憤
「これで、あとは、地獄谷 正真がしっかりと仕事をこなしてもらえればってことでしょうかね……」
ボソッと独り言をつぶやくと横で巻物に記録する小鬼が何かを察した。洞察力もあって、頭脳明晰である小鬼の鬼童丸が声をかけた。他の小鬼よりもずば抜けて筋肉があった。
「何かあるんですか? 阿鼻地獄から這い上がってきた地獄谷 正真のことですよね?」
「……え? あぁ。いや、なんでもない。いいからそのまま記録を続けろ。油売ってるとすぐに夕方になってしまうんだからなぁ」
「はッ、大変、失礼いたしました」
何かあるのだろうと察する鬼童丸は、司命の言われた通りに行動する。今は何も逆らうことはしない方がよいだろうと考えた。
―――新築の香りが漂うとある住宅の中で、その家の住人の母と五歳の長男がお風呂場にいた。服を着たまま、長男である遥大の体を熱湯に近い温度のシャワーで洗っていた。
「なんで、そんなに汚れなくちゃいけないのよ。このくらいの温度で洗えば、ばい菌も殺菌できるから!!」
「お母さん、お母さん! 熱いよ、そこまでしなくても大丈夫だよ。熱いよ、熱いよ。やめてよ!!」
いつも泥だらけ遊んで帰ってくる。どうして汚して帰ってくるか理由も聞かない。母は、専業主婦で遥大の幼稚園の送迎により、満足に仕事をできないストレスを抱えていた。楽しんで幼稚園をすごして来ているなら、遥大も何も言わない。不機嫌な母の顔を見ながら、じっと耐える。毎日のことで怒られ慣れていた。熱湯シャワーを浴びた体は、強い痛みとともに水ぶくれができ始めていた。知識のわからない者が見ても明らかに異常な状態の肌だった。
「あなたは、そのくらいの罰が無いとやめないでしょ。汚したらダメって何度も言ってるのに言うこと聞かないんだから!」
事情を知らない母は、すべて長男の遥大の行為で汚れて帰ってくると思っていた。それを否定したら、さらに怒られると感じていた遥大は、何も言わずにただただ、熱いことだけ訴えるが聞く耳を持たない。そこへインターフォンが鳴った。初めて使うインターフォンに戸惑ったが、遥大は慌てて助けを呼ぶ。モニターの向こうには、父方の祖母が映っていた。
「あ、おばあちゃん! おばあちゃん」
「どうしたのー?」
お風呂場から走って玄関に移動した遥大は、おばあちゃんにしがみつく。びしょ濡れの半そでシャツと半ズボンのままくっついたため、一体何があったのかと不思議で仕方ない。祖母が遥大の母がいるお風呂場へ近づいた。エプロンをつけた遥大の母の真紀は、鬼の形相で睨んでいた。鬼そのもに変身してしまったかのようだった。
「真紀さん、何があったの? 教えてちょうだい。ほら、遥大が。遥大の体が真っ赤になって、水ぶくれで……」
姑が来たと知った真紀はさっきまでの顔が嘘のように、にこやかな恵比須顔へと変貌した。
「あれぇ、お義母さま。お久しぶりですね。何かご用事ありましたか? これから、遥大と習い事に行く予定なんですよぉ。着替えなくちゃいけないと思ってお風呂に入ろうとしたら、嫌がるんですよね。本当、いつになってもいやいや期で……ほら、遥大、こっちおいで」
笑顔になったと思った真紀のは遥大に声をかけた瞬間にまた鬼の顔になる。祖母もその変化を見逃さなかった。
「……ダメ。遥大、こっちにおいで。真紀さん、どんなに間違ったことを起こしたとしても、こんな皮膚をはがすような行為は虐待になりますよ。今すぐ、警察へいきましょう。遥大は小児科に連れて行きます」
祖母の良子は、遥大を体の後ろにガードして、ショルダーバックからスマホを取り出す。明らかに問題行動だと判断した。
「な、なんですって。毎日、毎日、仕事をしたくてもできない主婦で、こき使われて、洗濯は増える、ご飯食べるのもあれいや、これいや、旦那は帰りが遅くていつ帰ってくるか分からない。給料もまともに入れたことのない生活でどうやって生きていくおつもりですか! 私を遥大から引き離したら、誰が面倒みるんですか!」
日頃の鬱憤を晴らす相手もいなかった。良子も半年に一回で思い出した頃に来る。七十歳でもまだまだ現役で働くハンドメイド作家。都合のいい時しか孫の顔を見ることはない。今日もアポなしの突然の訪問。子供の世話の大変さは息子の時代で終わりと思って生活をしているため、嫁の辛さを知るという気持ちはなかった。フルタイムで仕事をするには保育園に入れないと働けないが、抽選で応募した保育園の申請も見事に落選。何もかも絶望だと感じたが、目の前のミッションをこなすしかないと仕事をするのを諦めて、三年間過ごしてきたが、ここ最近の遥大は以前よりもまして活発に動くようで服を汚すのも毎日で食べムラがあり、用意したものすべて残すこともある。遥大のことを考えてないわけじゃない。
誰にも発散できる環境がないだけ。
やってはいけないとわかっていてもストレスのはけ口の対象は子供にしてしまっている暴力。助けなくちゃいけないのは両親や夫のはずだった




