第2話 阿鼻地獄の使者 東京に降り立つ
虹色に丸く光る人間界の入り口に、地獄谷 正真は口笛を吹いて心臓の高鳴りを感じた。かなりの高さに怖気づきそうだ。
「ここでビビってたら、意味がねぇ……もう二度と阿鼻地獄には行かねぇぞ!」
「……今なんと言った? チッ。もういなくなったのか。全く、誰だ。あいつをここに上がらせたのは!」
閻魔大王は、額に筋を作って地団駄を踏んだ。周りにいたたくさんの小鬼たちは顔を見合わせて確認する。
「お前か?」
「違う。俺がするわけねぇだろ。お前じゃないのか」
「俺は違う。絶対、そんな危険なことするわけねぇ!」
小鬼たちは、ギャーギャーワーワーと罪の擦り付け合いをしていた。罪人を指示もなく、上にあがらせることは死刑となる。小鬼たちは額に汗を流して、犯人捜しが始まった。中には、お互いの頭髪をむしり取る仕草をしていた。閻魔大王は収拾がつかない事態に怒りをあらわにした。
「もう良いわ!」
閻魔大王は、持っていたガベルを何度もたたいた。乱闘騒ぎになっていた審判の間は、一瞬で静まり返る。司命は、空気を読んでそろそろ仕事していいだろうと巻物の罪状を読み上げようとした。
「……司命、わしを過労死させる気か」
「閻魔様、ここは地獄を決める審判の間です。すでに死んでいますよ……ふふふ」
「あ? ガハハハ………」
高々に笑う閻魔様を見た司令は、一緒になって笑う。何となくこの後の空気を読めた司録はすっとその場から立ち去ろうとした。
「司令、お前。よう、その口で言えたなぁ?」
閻魔大王は、司命の両頬をぎゅっとつかんで萎ませる。急接近していた。閻魔大王の目が赤くギラギラしていた。
「た、大変、も、申し訳ございませんでした」
ブンッと力いっぱい込めて、吹っ飛ばした。緑色の小鬼は、赤い壁にぶつかり、破片が飛び散った。体にも破片がついたが、すぐに起き上がって元の位置に戻っていた。
「地獄の様子を調査してくるか。その間にあいつを阿鼻地獄から上にあげた犯人を見つけておけ。わかったな!」
「「「御意!」」」
司録と司命は、小鬼たちとともに敬礼をし、声を張り上げた。怒りに満ちた閻魔大王の気持ちを落ち着かせるには、返事をすればいいだろうという考えだった。閻魔大王は、舌打ちをしながら、大きな体を起こし、等活地獄に通じる門に向かった。歩くたびに地響きがなった。
―――地獄谷正真は、地獄の審判の間から虹色の人間界の入り口を抜けて、現代の東京に降り立った。時刻は、夜8時。イルミネーション輝く街中で、たくさんの人が行き交っていた。黒いスラックスに白いワイシャツ、黒いネクタイをつけた地獄谷正真は、黒い革靴の音を響かせて石畳が続く商店街を抜けた。信号が青になった瞬間、横断歩道を歩いた。繁華街に向かって人をよけながら、歩いていると、突然、後ろから悲鳴が聞こえた。
「きゃー!」
「血が出てる!」
「犯人はあっちだ。捕まえろ!」
あちらこちらで悲鳴が響く。逃げ去る犯人が人をかき分けて逃げている。正真は、ポケットから人間界に降りてきてすぐに買った紙たばこを取り出し、火をつけた。
「……せっかくこっちに降りて来たばかりで、のんびりできると思ったのになぁー」
足元でたばこの火を消して、携帯吸い殻ケースにしまった。路地裏の街灯がぼんやり光っている。革靴の音が石畳の通路でカツカツと鳴った。地獄谷正真の体に体当たりした犯人は、驚いて腰が抜けた。体が震えている。
「だ、誰だ。お前!」
路地裏で真っ黒なスラックスパンツに白いワイシャツ、黒のネクタイ、黒のベストに肩には黒いジャケットをかけていた。今から葬式にでも出るような格好に男は不気味に思った。地獄谷正真は、たむろするヤンキーのようにしゃがんで、腰を抜かす男を見つめる。
「誰ってか?」
「お前、キモイんだよ」
「ビビってる方がキモイって……。さぁさぁ、お兄さん。さっきまで何をしてきたのかな?」
口角をあげて、不気味な笑みで質問する。犯人の男は、地獄谷正真に胸ぐらをつかまれた。
「え……」
冷や汗が止まらない。体の震えも止められなくなった。
「もう知ってるんだよ。俺は。隠さなくてもいいよ? 嘘ついてもすぐわかるから。さぁ、自分の口で言ってみな」
頬をぎゅっとつかまれた男は痛みに耐えられず、首をぶんぶん振る。
「す、すいません。鳩に攻撃しました。あまりにもうるさくて、フン被害も強烈だったんですぅ。許して下さい」
男が手に持っていた包丁を地面に高音を鳴らして落とした。地獄谷正真はさらに男を追い詰める。ボロボロになった緑のトレーナーにダメージジーンズを履いていた。男は、このままでは負けてしまうと感じて、上半身を起こして抵抗をする。
「許して下さいだ? ……お前、知らないだろ。動物を殺したやつの地獄はどんなところか」
「え? 地獄? そ、そんなの知らない。俺には関係ない。地獄なんてただの幻想
だ。嘘だ。ただの作り話だろ。俺は地獄に行くわけない!」
地獄谷正真は、『作り話』というワードが耳に響いた。頭の中がごちゃごちゃしてくる。ガラスが割れたように頭痛がする。頭の中に突然、過去の記憶が映し出す。チラチラと、映画のワンシーンのように映り、またすぐに消える。ラジオのような雑音が聞こえてくる。自分の手で罪を犯した過去が見え隠れする。頭を抱えて、首を振る。
「やめろ!」
「???」
独り言を言う地獄谷正真を男は不思議な顔で覗く。気が狂ったのか、頭をおさえて、ブンブンと振り回している。正真は、犯人の男の額を右手のひらでガシッとおさえた。長い爪があたり血が流れ出ている。左手では自分の目をおさえる。男は、正
真に恐怖を感じた。
「お前に見せてやる。地獄の恐ろしさを!」――――