第13話 終わりなき夜の孤独
「♪~犬のおまわりさん……困ってしまってワンワンワーン。ワンワンワワーン?」
「歌上手だねぇ。僕、幼稚園でうまいって言われるでしょう」
滉史の相手をしていたのは、巡査部長の小茄子川 岳虎だ。刑事になる前の出来事だった。歌を歌ってどうにかごまかすが、身分を示すものも携帯番号もわからない。住んでいるアパートの住所も知らないのだ。父は、弟の琉史が生まれてすぐに仕事から帰って来なくなった。ずっと母と弟と三人暮らし。時々来る祖父母に助けられて生活していた。ペラペラと生活事情を話す。そんなことを言っていても、母が戻ってくることはない。
滉史が交番で歌を歌っている頃、人生に絶望を覚えた母は、列車の高架橋の上から身を乗り出して、命を絶つただなんて、知る由もなかった。事実を知ったのは、児童養護施設の生活に慣れて、小学生になってからだった。まさか、弟の琉史も一緒に飛び込んだとは思わない。天涯孤独になった滉史の心は、モヤモヤと真っ暗闇に包まれていく。何が楽しくてこの世界で生きて行かなければならないのか。
右を向けば、里親が見つかる友達がいて、さらに左を向けば、この施設から出て独立すると宣言する中学生もいる。孤独感はどんどん増えていく。先生がいるからいいわけじゃない。寮母さんが作ってくれるご飯は美味しいからいいわけじゃない。お金のかからない愛を受けた事がない。優しくされても嬉しくない。ひねくれものになる。中学生になると思春期で満たされない心に付け込む罪が横行する。万引きしようと誘う同級生がいて、断ると殴られる。さらに次の日は、殴るどころかナイフで脅される。生きた心地がしない。離れようと施設を出ようと決心すると集団で骨が折れるほどの暴力を振るわれた。出血どころの話ではない。警察沙汰だ。
もう心も体も正常に育たない。どうしてこんな目に遭わなくてはいけないか。両親が揃ってないからか。一人っ子で兄弟がいないから。血液型が一般的に珍しい型だからか。体は健康体で比べて秀でているわけでもない。ごくごく普通のはずだ。足並み揃えて、周りに気を使い、みんな一緒と提唱する学校の言う通りにしてきた。運動だってとがるほどのことではない。そんな環境だった。
それでも、中学生の頃は罪を犯さないと決めていたはずだった。優しく接してくれた施設長の言葉に胸打たれてから、やらないと決めていたのに。定時制の高校に通い始めてから人生は狂い始める。
『いつでも誰でもオンリーワンなんだ。大事にしろよ、自分自身を』
この言葉を発してくれたのは児童養護施設の施設長だ。高校生に入る頃には、この言葉に疑問を持つ。確かに理屈ではわかる。実際そうだと思っていても、心や体が傷ついたら、もう忘れてしまう。生きていて本当にいいのだろうかとマイナスな方へ考えてしまうのだ。また中学の時のいじめと同じ。ちょっと、優しくしただけで尖ってると勘違いされる。定時制は年齢問わず、学校に通えることもあって、雰囲気が若干よろしくない大人や中学をまともに行ってないだろうと金髪でツーブロックの反り込みがある人達が多かった。
全日制が天国というならば、定時制は地獄なのかと考えてしまう。そんなつもりで学校側は提供しているわけじゃない。そんなのは分かっている。でも、中学と同じで守ってくれる教師や保護者はいなかった。警察と同じで事後でないと対応してくれない。かすり傷ひとつでは相手にしない担任の先生。それくらい平気でしょうといじめのボスである同級生がヒートアップする頃には傷だらけ。死ぬこと以外は生きられるでしょうとぎりぎりのところにいた。命があれば、息をしていれば、どんなに苦しい思いをしても軽く扱われる。嫌なことから逃げたい人ばかりで本当に嫌な思いしている人は見て見ぬふりで助けようとしない。自分の身を守ることを優先してしまう。滉史に両親はいない。
祖父母はいても、一緒に住んでいるわけじゃない。ほぼ、経済的援助だけで直接的に関わってくれなかった。中学から一人暮らしで昼間はバイト三昧。お金を稼がないと生きていけないのは十三歳の時から学んでいた。朝早く起きて、新聞配達して昼間は近所の人もよく通う生鮮食品を扱うスーパーでパートのおばちゃんとともに働いた。祖父母の知り合いの店長で無理言って働かせてくれた。高校生だと嘘を言い続けて、働いた。祖父母はどれだけ滉史と会いたくなかったのだろうと歪んだ気持ちになる。お金だけじゃない会うことも面倒がられてしまう疎外感と孤独感。常にあった、そばにいないという事実。心は氷のように冷たくて、人を信用することができない。
「お前、生意気なんだよ。ガンつけて来やがって!」
「違う。睨んでない。視力が、視力が下がって来てるから、目を細めるしかないんだ。林田くんのことを睨んでないよ」
言い訳しても、認められない発した言葉。違うと言っても、嘘だと否定される。本当のこと言ってダメだったのかと建前で言うと喜ぶかと思ったら、媚びてくるなと否定される。
どこまでもどこに行っても、深い深い海の底で真っ暗闇の世界に追いやられてしまう。




