第10話 影から操る者
「俺は、あいつに憑依するから違う名前だもんなぁ。まぁ、いいかぁ。やってやろうじゃん」
正真は会議室の後ろの方で爆睡する小茄子川岳虎の後ろに霊体で近づき、すーーと体の中に憑依した。地獄谷正真の肉体は警察署の木の横にそのまま放置した。死んでいる男性がいると出入り口にいた門番が気が付いて連れ出されていた。そんなこと気にもせず、正真は、岳虎の中に入り込んでしまった。ちょうど寝ていたため、動きやすかった。息をするのにいびきをしていたため、むせてしまう。そこへ、ごまかすように鴇 甚録と名乗った司録が、警察署受付に申し出て、会議室の後ろの入り口から入った。誰も岳虎の変な動きを気にもしなかった。
「お疲れ様です。この度、この事件に協力していただける警視庁から推薦された鴇 甚録さんですね。よろしくお願いします」
閻魔大王の力により、すべて事実のように鴇 甚録が刑事だと洗脳した。会議室のデスクの前に立たせられた。捜査一課の小栗 浩輔と扱いでインテリのポジションだ。岳虎に憑依した正真は、鴇 甚録の扱いに不機嫌になった。油性ペンで描かれた目を必死で除菌シートで取ろうとするが、目がかゆくなる。
「ちくしょ……」
小声で言うが、横に座っていた新人刑事の河野 芽依が岳虎にバックからメイク落としシートパックを静かに手渡した。会議中に邪魔してはだめだと感じたため、何も言わずに眼鏡をかけ直している。
「あ、どうも。助かる」
岳虎は素直に受け取って、すぐに油性で描いた部分をメイク落としシートで消した。除菌シートでは取り切れなかった部分が一瞬で消えた。化粧と変わりないのかと納得する。
「―――会議は以上となります。お疲れさまでした」
小栗 浩輔は、会議を終えると持っていたバックにノートパソコンを入れた。横に座っていた同じ空気を感じる鴇 甚録に声をかけた。
「鴇さん、的確なアドバイスをありがとうございます。今後もよろしくお願いします」
会議中にこうした方がいい、ああした方がいいと適当に話していたが、それが返って良かったらしい。ドキッとした気持ちが胸をなでおろす。
「いえ、こんな稚拙なアドバイスでよければいくらでも協力しますよ」
「そんな、謙遜なさらずに。では、私はそろそろ……」
小栗 浩輔は、鴇 甚録の横を通り過ぎた。会議室の後ろの方で、岳虎に入った正真は、両手をあげて手招きする。周りに気づかれたら、どうするつもりだと内心落ち着きがなかったが、冷静に判断する。署長が鴇 甚録のそばに駆け寄った。
「お世話様です。この度は、ご協力いただきまして、本当にありがとうございます。ともに行動するの者の希望を仰せつかっておりましたが、本当によろしいのですか? あのサボり癖のある小茄子川 岳虎ですけど、大丈夫です?」
手をこすりながら、話す署長に鴇 甚録は笑顔で対応する。
「ええ、大丈夫です。優秀な刑事と聞いております。多少、会議には出席しても話を聞いていないことがあるという話ですよね。現場での洞察力には感心するところですので、お気にならず。小茄子川くんをお借りしますね、署長」
「は、いえいえ、どうぞどうぞ。こんな者でよろしければ、連れてってください。のし付けてお渡しします」
まるで嫁として渡すように署長は、小茄子川の背中をぐいぐいっと押す。
「署長、押すんじゃないよ。痛いだろ」
「……小茄子川くん。鴇さんに失礼のないようにな!」
耳打ちで念を押す署長に岳虎は舌打ちをした。わかりやすい態度にイラッとする署長がいたが、気にせずに鴇 甚録の横に移動する。小声で岳虎が
「俺はあんたについていけばいいんだよなぁ? 楽勝じゃん」
「……なに?」
額に筋を作って怒りを見せるが、署長には笑顔で対応する鴇 甚録だった。そこへ、署内の放送が入った。海岸近郊で事件が発生したという情報だ。詳細は追って、連絡があるらしい。
「小茄子川、事件だ。行くぞ」
「へいへい、分かりましたよ」
鴇 甚録は、横にいた口角を上げて笑う小茄子川 岳虎に声をかけて、スーツを整えた。ほどけた靴紐を結び直して、岳虎は立ち上がった。
「署長、殺人事件の捜査も同時進行でやりますから、署に戻るのは遅くなりますよ!」
「はいはい。お仕事してくれれば、全然構いませんよ。しっかり働いて!」
綾瀬警察署の署長として任命されて、四年目の 重松 則夫やっとこそ、署内全体の人間関係が落ち着いてきたかなと腰に手をつけてため息をつく。目の上のたんこぶで、手をやいているのは小茄子川 岳虎だった。集団の中に入るのが苦手で、入ろうとすると逃げ出すし、とどめておくとトラブルを起こす。事件の捜査になると、集中力が増し、事件解決が早い。メリットデメリットが激しい刑事だ。バディを組むのが警察のルールだったが、なかなか定着しない。一人で行動することが多い。何か事件に巻き込まれてしまったら、助けを呼べない。それが心配で署長はずっと見守ってきた。今回、警視庁の推薦で優秀な刑事の鴇 甚録が何とかしてくれるんじゃないかと期待を寄せていた。
「へいへい、仕事しますよ」
その言葉に重松署長は、何だか違和感を感じた。いつもの小茄子川ではないんじゃないかと疑問を感じる。顎に手を付けて、首をかしげる。これはまずいと思った岳虎に入った正真は、やばいっと冷や汗をかいて、先に署を出る鴇 甚録を走って追いかけた。
「やべぇ、危なく、ばれそうになったわ」
「何を言っているんだ。すぐにバレるわけないだろう。憑依しているがわかるわけない」
鴇 甚録は、小茄子川 岳虎に言いきかせる。変な行動をするだけでむしろ怪しまれるだろうと思っていた。
案の定、霊感の強い新人刑事の河野 芽依が、目を細めて、じっと見つめてきた。小茄子川 岳虎の背中に若い男性がぼんやりと見える。
地獄谷 正真の姿が河野 芽依の目には映っていた。さすがの鴇 甚録もハッと気づかされる。じりじりと二人は蟹歩きになって変な動きになった。何も言わずにじーっといつまでも見てくる河野 芽依の見える位置からフェードアウトした。逃げているうちに正真の姿はすっと消えた。
地獄谷 正真は、完全に見えなくなるように小茄子川 岳虎の体の奥の奥にすーっと入り込んで、彼の意識まで入り込んだ。もうこれで、ごく一般人には正真の姿は見えない。警察署の外に駐車していたセダンの乗用車に乗り込んだ。運転は鴇 甚録だ。シートベルトをしめてハンドルを握る。
小茄子川 岳虎は、辺りを見渡しながら、助手席に乗り込む。




