指輪の秘密
人々の間をすり抜け、可能な限り走り続けながら、私とオズワルドは城とは反対方向へと逃げ続けた。
「どう、これで私の頭が壊れてしまったのではないと分かったでしょう」
「……はい、しかし、どうして事前に王妃が毒殺されると分かったのですか? まさかアメリア様が本当に毒を?」
「まさか。私ではないわ。なのに、犯人にされてしまっている。これは誰かに仕組まれている罠なのよ」
「誰がそんなことを」
「わからないわ」
正直、誰の仕業なのかまったく心当たりがない。
『聖女伝説』では、アメリアが犯人として投獄されると、彼女の登場シーンはまったく無くなってしまう。
そして、次の登場は、民衆の前で斬首刑に処せられる時だけだ。
そういえば、小説では、処刑されるときにアメリアはこんなことを叫んでいた。
「私は無実よ! これは誰かの陰謀よ!」
小説を読んでいたときは、アメリアの単なる悪あがきだと思っていたが、あの最後の言葉は本当だったのだ。
「今からどうされますか。とりあえずは、グランデ伯爵家の屋敷に戻りましょうか」
「駄目よ。そんなことをすればすぐに捕まってしまう」
「では、どうするおつもりで」
「しばらくの間、姿を隠します。宿を転々とするつもりよ」
「お金は持っておられるのですか」
「ないわ。だから今から道具屋へ行くの」
※ ※ ※
自分自身が転生者だと気づく前は、こんなことが起こるなどまったく予想もしていなかった。そのため、当然なのだが、持ち合わせのお金などなかった。
けれど……、私は亡くなった母の言葉を思い出しながら歩き続けた。
街はずれにある道具屋にたどり着くと、私とオズワルドはさっそく店の扉を開き、中へと入っていった。
ここは大型の道具屋で、日用品や装飾品、防具に魔法道具まで売っている。
カウンターの向こうでは、小太りの中年男性が笑顔を向けてきた。商売人らしい、ややもすると少しずる賢そうな笑顔だった。
「買い取って欲しいものがあるの」
そう言いながら、私は左手小指にはめていた指輪を抜こうとした。
子供の頃は中指にはめていた指輪だが、成長するごとに細い指に付け替え、今では小指につけているがそれでもかなりきつい。
この指輪は母から頂いたものだ。
母はこう言った。
「この指輪は簡単に外してはだめよ。いつもあなたの指につけておきなさい。何があっても外したらダメだからね」
母はその言葉を何度も繰り返した。
そのため私は、今までずっと、指輪を肌身離さず付け続けてきたのだ。
その母も、私が15歳の時に亡くなってしまった。
死の間際、母は弱々しい声を絞り出し、こう言っていたのだ。
「あなたの命に関わるようなことが起こった時は、この指輪を外しなさい。指輪を外していいのは、命に関わる時だけよ。そして、生活ができなくて、本当にお金が必要なら、この指輪を売りなさい」
もともと私の家系は聖女の末裔でもある。
なので親戚筋の者たちは魔力に長けている者が多いのだが、母は一切魔法を使うことのできない女性だった。
そのためだろう、子供の頃から魔法の天才とまで言われていた私を見る母の目は、どこか冷たいものがあった。
おそらく魔法が使える私のことを、本音では疎ましく思っていたのだろう。
そんな才に満ちた私だったが、母の遺伝が影響したのか、ある日突然魔法が使えなくなってしまったのだ。
落ち込む私を、母はこう言ってなぐさめた。
「魔法が使えなくなっても、アメリアの価値は何も変わらないのよ。魔法など使えなくなった方が、幸せな場合もあるの。アメリアの人生にとってはその方がずっといいのよ」
なぐさめているのか何なのかよくわからなかったが、とにかく母は自分と同じように魔法が使えなくなった私を、好ましく思っているようだった。
……同類の哀れみね。
当時の私はそう思っていた。
そんな母からもらった指輪を、今私は売ろうとしている。
母の遺言通り、今は私の命に関わるような時だ。このまま逃げ切らなければ、私は斬首刑になる運命なのだから。
十数年ぶりに指輪を完全に外し、道具屋のカウンターに置いたとき、不思議なことが起こった。
私の手から指輪が離れ、接触しなくなった瞬間、何かすーっと風のようなものが体の中に流れ込んできたのだ。
なんだろう。
なんとなく懐かしい感じのする風だった。
ただ、今はそんな不思議な感覚に付き合っている暇はない。
できるだけ早くお金を手に入れ、逃げ出さなければならないのだから。
「ご主人、この指輪を買っていただけませんか?」
小太りの男は、指輪をルーペで覗き込んだ。
「ほう、これは」
しばらく指輪を眺め続けると、おもむろにこう言った。
「残念ですが、これは単なるガラクタです。500ギルですね」
「ガラクタ?」
母があれほど高価な物だ言っていた指輪が、実はガラクタだったというのか。
「魔道具の偽物です。価値はありません」
「でしたら……」
ガラクタでも、母の形見に変わりはない。
500ギルなら、売らずに持っていた方が……。
「では、売るのをやめておきます」
私の言葉を聞いた瞬間、店主の顔が固まった。
「お金が必要なのですよね。人助けだと思って高く買いましょう。5000ギルでいかがですか」
すぐさま値段を10倍にしてくれるなんて。よほど私が、お金に困っている顔をしていたのだろうか。
5000ギルなら数日で使い果たしてしまいそうだが、何もないよりかはましだ。
なんだか拍子抜けするような金額だったが仕方がない。
「分かりました。では指輪を買い取ってください」
硬かった店主の表情が、急ににこやかなものに変わった。
「では5000ギルで」
店主とのやり取りの中、気のせいかもしれないが、指輪をつけていた私の左手が、一瞬白く輝いた気がした。
この光は……。
「では売買は正式に成立しましたね」
そう言って店主は、カウンターに置かれた指輪をさっと取り上げた。
その時だった。
「ちょっと待ってください」
そう口を開いたのはオズワルドだった。
「売るのはやめておく。その指輪を返してくれ」
「……もう売買は成立しています。お返しすることはできません」
「何だと!」
「どうしたのオズワルド、今はお金がいる時なのよ」
「アメリア様、この指輪はお母様の大切な形見、はした金で手放すものではありません」
そう言うとオズワルドは、腰に携えた剣を抜いた。
そして、剣先を店主に向けた。
「怪我をしないうちにその指輪を返すんだ」
私はそこまでするオズワルドに正直驚いてしまった。
「は、は、はい」
剣先が顔のすぐそばまで迫ると、店主はぶるぶると体を震わせながら、指輪をカウンターに戻した。
「オズワルド、なんてことをするの! その物騒なものを早くしまいなさい!」
オズワルドは私の言葉を聞くと、カウンターからさっと指輪を取り返し、剣を収めた。
「さあアメリア様、こんな店、さっさと出ましょう」
「どうしたのオズワルド、店主を脅すなんて、あなたらしくないわよ」
「申し訳ありませんお嬢様。少し思い当たることがございまして、どうしても指輪を取り戻しかったのです」
「思いあたることこと?」
「はい」
そういうとオズワルドは、なぜこうまでして指輪を取り返したのかを話し始めた。