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台詞のない台本

十時四分。

気づけば、蝉の声が鳴き止まなくなっていた。

日差しは容赦なく、地面の熱が窓を越えて入り込んでくる。

空気が焼けていた。

けれど、僕の中には、何ひとつ燃えているものがなかった。


机の端に積んでいた原稿が、一枚、静かに滑り落ちた。

音はしなかった。

湿った空気に包まれて、文字の面を伏せたまま、床に着いた。


拾い上げた台本は、思っていたよりも軽かった。

頁を捲っても、何も残っていない気がした。

書いたはずの台詞が、自分の言葉じゃなかった。


⎯⎯たぶん、最初からずっとそうだった。


誰かに言わされたわけじゃない。

演出に従っていたわけでもない。

ただ、自分の本音を使うには、恐ろしすぎただけだった。


だから僕は、他人の言葉を借りた。

借り物の感情、借り物の台詞。

それを“演技”と呼ばれることに、どこか安心していた。


本当は⎯⎯

届くように見せかけた声だった。

感情があるふりをした台詞だった。


それでも、

“自然にできてるね”と褒められたとき、

僕は笑ってうなずいた。

努力を仮面にして、才能のふりをしていた。


演じている方が楽だった。

正直に話すことよりも、

正しく話すことの方が、

ずっと慣れていた。



「伝えたいことがある」と言いながら、

 本当に伝えたかった言葉は、

 いつも声になる前に、

 心の奥で、立ち止まっていた。



僕が書く台詞には、正解があった。

相手の感情も、落とし所も、計算されていた。


でも⎯⎯

そのどれにも、自分はいなかった。


ほんとうに言いたいことは、

いつだって、台詞にならなかった。

書けなかったんじゃない。

書かなかったんだ。



頁を捲る。

何も書かれていない空白の中に、

僕の名前だけが、ひとりぼっちで残っている。


言わないままにしていた言葉たち。

誰にも読まれないままの感情。


あれは全部、僕の声だった。

声にすらならなかった、

僕のほんとうだった。



“言えなかった言葉のほうが、

 長く、深く、残ることがある。

 台詞のない台本に、

 本当の声が宿る。”


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