声のない世界
十時三分。
空はまだ泣きやまない。
窓の外では、濃い雨がずっと降り続けていた。
ざあざあと世界を塞ぐような音。
それなのに、
この部屋の中だけが、ひどく静かだった。
机に置かれた台本は、
湿気を吸って、紙が少し膨らんでいた。
めくるたびに、指に張りつく感触が残る。
やめたわけじゃない。
区切りをつけたわけでもなかった。
ただ、ある日ふと気づいた。
声が、自分の中を通過している。
台詞は正確だった。
発音も、音圧も、リズムも、崩れていなかった。
むしろ綺麗に整いすぎていた。
だけど、
その音に“僕”がいなかった。
感情の深部まで音が届かない。
演じているのに、
まるで何も演じていないみたいだった。
僕は、
誰よりも練習していた。
誰よりも準備を重ねていた。
だからこそ⎯⎯
努力では越えられない壁があると、喉の奥で知ってしまった。
「演技だったね」
その一言が、何よりも静かに突き刺さった。
きっとそれは褒め言葉だった。
でも僕には、
**“仮面がよく馴染んでいるね”**と聞こえた。
才能だなんて、とうに信じていなかった。
でも、才能があるふりをすることだけは、
やめられなかった。
仮面を被っているうちは、
まだ舞台に立っていられた。
その仮面を、誰かが「演技」と呼んでくれるうちは。
⎯⎯
“音が消えた場所には、
まだ言葉にならない声が残っている。
誰にも届かなかった響きこそ、
いちばん深く、頁の奥で息をしている。”