読まれなかった頁
十時二分。
誰もいないはずの部屋で、紙が擦れるような音がした。
自分の気配じゃない何かが、
そっと本の頁に触れたような錯覚があった。
本棚に積まれていた数冊の中から、
迷いもなく、私はその一冊を引き抜いた。
でも開いたのは、別の頁だった。
あれほど何度も読んだはずの物語なのに、
その頁だけ、まるで見覚えがなかった。
白紙ではなかった。
だけど、言葉がどこにも届いていなかった。
読んだのか、読まなかったのか。
それさえ自信が持てないような頁。
きっとそのときの僕は、
読んでいるふりをして、
ただ目線をなぞっていただけだったのだと思う。
届くのが怖かった。
書かれた言葉に、自分の感情が暴かれるのが嫌だった。
それとも⎯⎯
“書かれているのに、何も感じなかった自分”を知るのが怖かったのかもしれない。
あの頃の僕は、
“読む”という行為に、傷つけられていた。
言葉を読むことで、
誰かの人生に触れてしまうことが、
自分の空っぽさを照らしてしまうようで、息苦しかった。
誰かの痛みが、美しくて仕方なかった。
なのにそれを、
自分のものとして抱きしめる資格がない気がした。
そんな僕は、ただ白々しくページをめくっていた。
⸻
“読まれなかった頁には、
読まなかった理由が宿る。
目が流れても、心が止まっていたなら、
そこはまだ、君にとって開かれていない。”