お姉様は妹を愛している
「…悪役令嬢?」
ある日の昼下がり、久しぶりに家に帰ってきたら初めて聞く単語に首を捻った。
思わず飲んでいたティーカップをテーブルに置いて、自分のメイドであるカリンに聞き返す。
「どうやら平民の間で流行っている本に出てくるようなのです」
「本?」
「はい、ある平民の少女が特例で学園に通うことになり王太子と恋に落ちる物語だそうで…」
そこで障害となるのが王太子の婚約者、数々の嫌がらせや虐めを受けながらも少女は結ばれる。その婚約者こそが『悪役令嬢』
色々言いたいことはあるが納得した。
「…大体は分かったわ。でも妹の近況を聞いて何故その言葉が出てくるのかしら」
「その…どうやら学園でフローラお嬢様が悪役令嬢だと噂が出回っているようなのです」
「はい?」
貴族令嬢らしくない声が出てしまった。
ティーカップを持っていなくて良かった、カリンの入れてくれた紅茶ごと叩き割っていたところである。
私はリチア・リブランド。
フリージア王国で二つある公爵家、リブランド公爵家の長女だ。
私は学園を卒業したら隣国タンザナイトへ嫁ぐことになっている。先日まで婚約者であるテオドール様の通う学園へ留学しながら、花嫁教育に行っていたのだ。
本当はテオドール様と一緒にタンザナイトの学園で卒業しても良かったけれど、私はどうしてもフローラと一緒に少しでも学園で過ごしたかったのだ。隣国に嫁いでしまったらなかなか会えなくなるから。
それも無事終わりこうして戻ってきた、本当はフローラの入学に合わせて戻りたかったのだけど卒業まで数ヶ月程は一緒に学園へ通えそうだ。
そうそう、私なんかよりフローラよ。フローラ。それはもう目に入れても痛くないとっても可愛い妹。
私は父に似たくせっ毛だけど、フローラは母に似た真っ直ぐで艶々とした髪。
リアお姉様、と駆け寄ってくる姿はまさしく天使である。もう何でも買ってあげたくなってしまう。
そうそう、目も夜に光る蛍のように綺麗な翠色で吸い込まれそうなの、似た色のブローチを探すのに苦労したわ。入学祝いとして渡すつもり。
早く一緒にお気に入りのテラスでランチもしたい、でもお友達と約束されてるかもしれないわね。まずフローラに紹介してもらいましょう、それから一緒にランチを過ごせばいいわ。
ああ…!そういえばまだフローラの制服姿を見ていないわ。ああもう楽しみで仕方ない。
「私の可愛い妹が悪役令嬢ですって?」
どこの誰よそんな戯言をほざいているのは。
「…聞いてしまったのね、リチア」
久しぶりに通う学園のテラス、一番の友人であり侯爵令嬢であるマリエンヌ。マリンと一緒にお昼を取っていた。ちなみにフローラはいない、本当は一緒に馬車に乗り学園に向かうつもりだったのに勉強したいので、と断られてしまったのだ。
入学したばかりだと言うのになんて真面目で勤勉なんだろうか私の妹は。
でも長年姉として過ごしてきた私には分かる、あの顔は何かを隠している。
「マリン、何度も手紙のやり取りをしていたでしょう?その時にどうして教えてくれなかったの?」
「…教えたら花嫁教育を放り出して戻ってきたでしょう」
「当たり前でしょう、あの子は私の天使よ」
項垂れるようにマリンはため息をついた。
「……それが理由よ、フローラ様が何も言わないのも隣国へ嫁ぐ貴女に負担をかけたくないからよ」
「フローラッ…なんて優しい子なの…!」
「貴女は本当に変わらないのね、だから妹狂いの公爵令嬢なんて言われるのよ」
「テオドール様は結構気に入ってらしたわよ」
「…それは呆れているのよ、本当に御心が広いのね」
そう、私は社交界で妹狂いの姉の方なんて裏で呼ばれている。私自身隠す気もないので何とも思っていない。婚約者であるテオドール様に話した時は大層笑われたものだ。
「それで、悪役令嬢と言われているところまではメイドに聞いたのよね。そう呼ばれている理由はまだ知らない?」
「…知らないわ」
どうして悪役令嬢なんて言われているのか、そもそも入学して三ヶ月も経っていないのに何故そんな噂が流れたのか。
リチアの真剣な態度に、意を決したようにマリンは口を開いた。
「落ち着いて聞いてちょうだい。あくまで噂だけれど…フローラ様がボルドー男爵令嬢を虐めているらしいの」
何を言っているのかさっぱり分からない。
フローラが誰かを虐めている…?想像出来なさ過ぎて思考が停止してしまった。
「平民上がりの男爵令嬢だと罵声を浴びせたり、平手打ちをしたり…私物を池に落としたこともあったらしいの」
「?…??」
「入学パーティーでは、ボルドー男爵令嬢のドレスを品がないと嘲笑って、わざとグラスを零したと」
信じられない。あの子は庭の花を手折ることさえ悲しむのに、そもそもフローラは大声なんて上げたことがない。屋敷の使用人やメイドがミスをしても、むしろ心配する心優しい妹なのに。
「その悪劣非道で傲慢な態度がまるで小説に出てくる悪役令嬢だと、言われるようになったらしいの」
むしろあの子、フローラはあまり宝石や服を欲しがらない。プレゼントしてもそんなに着れません、とやんわり断るのだ。だから私も着飾らせたいのを我慢して、特別な日にだけプレゼントしている。
貴族なのに貴族らしくない、宝石や服より鉢植えや本を喜ぶような子だ。小さな頃からワガママも言わない、領地の小さな診療所に寄付をする、それはもう心優しい子なのだ。屋敷の人間は勿論、領地の民達からも好かれていてる。それが私の自慢の妹、フローラ。
そんな私の最愛を、悪劣非道、傲慢な悪役令嬢ですって?
「リチア、勿論私もフローラ様がそんな事をするご令嬢ではないと分かっているわ」
「…えぇ」
そう、そんな事する筈が無い。妹は確実に濡れ衣を着せられている。怒りがふつふつと湧き上がる。ああいけない、冷静になれない自分を落ち着かせる為に紅茶を少し口に含んだ。ふぅ、とひと息つく。
「殿下は…レオフォルト王子殿下は?」
レオフォルト王子殿下はフローラと同い年である、その為幼い頃から王命で婚約していた。第三王子であるレオフォルト殿下は我がリブランド公爵家に降下し、リブランド公爵位を継ぐことが決まっている。つまり私からすれば殿下は義理の弟になるのだ。
「同じAクラスだもの、婚約者であるフローラが悪意に晒されている事を知っているはず…何か対策は取っているの?」
「…その婚約者である、レオフォルト王子殿下がボルドー男爵令嬢に入れ込んでしまっているのが原因なのよ」
「ーーなんですって?」
今度こそ、持っていたティーカップを床に落としてしまった。
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