第4話「守護天使と戦乙女(ヴァルキリー)」その④
1
ラナサウスは目的地へと走っていた。どんなに息が切れても立ち止まることはなかった。いや、目的を達するまで彼女の足はどんな事があっても止まることはないだろう。
なぜそこまでしてでも彼女はその病気の子に会いたいのか?ラナには、どうしても会わなければならない理由があったからだ。
その訳を知るには、彼女の過去を語らねばならない。
ラナは、能力者になる前はカナダに住む普通の人間であった。家族や友人などにも恵まれ、何不自由なく育っていった。しかし彼女の人生はあるキッカケにより停滞を余儀なくされた。能力者であると判明したのである。 しかし最初はその自覚は全く無く、入浴中にいつの間にか二の腕の裏側に能力者の刻印が付いていたことに気づいたという。しかし、能力者ではあるものの、結局その能力を出すことも出来なかったため、普通の人間として生活出来ていたのである。
彼女は医療を学ぶためにドイツに渡っていたが、その間に世界大戦が勃発してしまった。しかし彼女は戦争にも屈せず看護学生を続けていたが、戦争の激化とともに動員の対象となってしまったのだった。そんな彼女の運命を変えたのはドイツの激戦地に居た頃のことである。
世界大戦時の能力者という存在はかなりの負傷者や死者を生み出す兵器であり、病院はいくらあっても足りないといった状況で深刻であった。そのため最前線の10km後方に位置する野戦病院(※1)は、負傷患者の対応により医師も看護師も疲弊していた。当然ラナも少しも休んでいる暇などなく、度重なる負傷兵の続出や負傷した民間人の看護、さらには人員不足のために遺体の運搬などの手伝いもすることもあった。そんな激務にラナはもはや限界を迎え、疲労のピークに達していた。
正午、徐々にテントの蒸し暑い熱気と負傷者のうめき声から嫌気がさしてきて、その空間から逃れるために、外へ出て休むことにした。顔をタオルで拭き、この惨事を見て思わず俯く。そして汗をハンカチで拭いていると、少年が顔を急に覗き込んできたためラナはギョッとした。彼は二日前に運ばれてきた少年だった。顔の左半分に火傷を受け、さらに左目を負傷していたが、緊急性が低いと判断されたため、対応を後に回された末に、結局ラナが彼の治療を施したのである。
ひょうきんな少年は、ラナに心配したのか、応援するためにダンスをし始める。それはペンギンのようなポーズを取り、手を上げ下げする奇妙なダンスだった。ラナにはその珍妙なダンスがおかしくてたまらなく、思わず声を上げて笑ってしまった。少年もそれを見て笑いながらダンスを続ける。すると突如として少年はダンスをやめ、不思議そうな顔で空を見上げた。ラナはその事を尋ねると、彼はあるものに向けて指を差した。
「あれ、なに?」
少年が指を指した先には、光の球があった。その球は急激に膨張し、そして、衝撃波を伴って光速に近い速さで拡散した。ラナはそれを見ると同時に無意識に手をかざした。
辺りは光に包まれ、轟音が鳴り響く。少年は恐ろしさのあまりラナに抱きつくが、ラナは無我夢中で手をかざす。爆発は十数秒間続いたのち、そのまま終息へと向かっていった。野戦病院は静寂に包まれていた。その数秒後、爆撃を喰らったのかと慌てふためくドクターや看護師、一部の負傷者が這い出るようにテントや建物からゾロゾロと現れた。そして彼らは周囲を見て驚いた。野戦病院周辺は何故か全くの無傷であったが、ある一線を超えると、そこは灰と瓦礫の山になっていたのだ。
周囲の人々は彼女が能力者であると知り、そしてこの爆発から救ってくれたのだと知る。そして彼らが彼女を『守護天使』と呼んだことを、ラナが知る前に、彼女は気を失った。能力の過剰使用が原因で、そのまま倒れ伏してしまったのである。彼女の病状は免疫系統の暴走による高熱であった。そして目を覚ましたのは翌日の昼のことである。
看護をしてくれた女性医師に倒れていた間の事を色々と聞くと、どうやら眠っている時も能力は使用したままだったようで、まさに聖女のようだったと語った。しかしラナは周囲の人と接するうちにある違和感に気づく。皆昨日とは打って変わって暗い面持ちとなっていたのだ。ラナは「どうしたの?」と周囲に聞くものの、誰も答えてくれなかった。あのひょうきんだった少年すら恐怖と悲しみが混じった表情をしていた。彼に何があったのか聞くと、ラナをある場所へと誘導してくれた。その場所は、彼らが答えなかった理由そのものだった。
そこには人が居た。大勢の人々が、この病院の施しを受けるために皆助けを待っているのだ。見えない壁の向こう側にいた人は、2人を見つけた途端、鬼の形相で叫び始めたようだった。すると大勢がそれに連鎖するように見えない壁を叩き始めた。彼らは皆、ひどい火傷を負っているようだった。ひどいものだと全身が焼けただれ、肌は青くなっており、腕に垂れ下がった布のようなものは、よく見てみると人の皮だった。ここにいる犠牲者たちは野戦病院があると知っていてここまで来たのである。片手で子どもを抱きかかえた母親はもう片方の手で透明なバリアを強く叩く。母親は懸命に何かを訴えていたが、その声はバリアの内側には届かなかった。ラナはその光景に耐えきれずそのまま逃げてしまった。
涙と嗚咽しか出なかった。まさか外はそんな惨状になっているとは夢にも思わなかったのだ。しかし我に帰ったラナは、周囲の人々に能力を一時的に解除し、彼らを助けようと訴えた。しかしほぼ全ての人々はそれに猛反対したのだ。その訳は、実は彼女が病に伏していた間にこの爆発は核攻撃だったことがラジオで明らかになり、さらに放射能汚染が極めて深刻化していた事が判明したのだ。しかし、このエリアはラナの能力により放射線を遮っており、安全な空間となっていた。一時的にでも解除したら、放射能と放射線がこの病院を襲うことは誰の目にも明らかだった。ラナは彼らに説得をいくら試みようとしても、結局無駄に終わった。黒い雨は無情にも降り続ける(※2)。バリアの外側にいる負傷した人々に思いを馳せ、唇を噛んだ。
その翌日、何十人かの人々は野戦病院の対応に失望してその場から去っていったが、動けない人々やこの病院に縋ろうとする人々はその場から離れなかった。しかし、どんな事をしてもバリアは解除することはなかった。いずれ、彼らは嘔吐し、吐血して…。そんな過程を経てどんどん息絶えていった。野戦病院に居た人々は黙ってそれを見ているしかなかった。皆が口を揃えて言った、「あれは手遅れだった。」と。その十日後、放射能汚染がだいぶ緩和したのを期に、医師たちはバリアを解除する決断を下して、脱出した。その頃にはもう外で待っていた人々は全員立ち去ったか、死んでしまっていた。
野戦病院を救った”守護天使”ラナサウスという能力者のニュースは、世界各地へと広まった。しかし、被爆した患者を見捨てたというニュースも広まったために、彼女は毀誉褒貶の激しい人物となった。
しかし彼女は、最終的にはその批判から逃れることが出来た。彼女はバリアを解除しようとしていたという野戦病院の人々からの証言が次々と出てきたためである。ただし、野戦病院の医師たちはその悪評に一生苦しむこととなった。
戦後、ラナはWFUより名誉勲章を授与されたが、彼女は受け取りを断固拒否した。何故ならば野戦病院での出来事を思うたび、あの犠牲者たちの顔が思い浮かび、彼らに申し訳が立たなかったためであった。彼らに対する後悔は、いつしか彼女の心に住まう悪霊と化していった。
見捨てた。見捨てざるを得なかった。手遅れだった。仕方がない…。ラナはいくら納得しようとしても、彼女には深い後悔と自己嫌悪に飲み込まれてしまう。この能力は許可を得ずとも解除出来たのだ。解除すれば救えるはずだったかもしれない。彼女はその”もしも”を考え続ける。自由の身だったときでも、鳥かごの中でも…。
彼女の心にはそうした深い傷が残っているのだった。生きてる限り、決して消えることのない傷を。
そうした経験は、ラナを後悔の無い人生へと駆り立てた。つまり、この脱走劇の原動力となったのである。
2
リアは、WFUから臨時で派遣されてきた能力者捜索部隊の隊員と口論をしていた。
「その例の能力者はあっち側で目撃証言があったんだよ!」
「いや、それとは逆方面に居たんだよ!でもバリアを張りやがって、追えなくしちまったんだ畜生!」
「てめぇの見間違えだろうが…!まさか、功を得るために、適当な事言ってるだけじゃないだろうな?」
「はぁ?」
「君たち、何を言い争いをしている!」
サマラス隊長は、喧嘩の仲裁に入ってきた。彼に事情を説明すると、うんと頷いてその論争の裁定を下した。
「私はリアを支持するね。」
「え!?何をガキの言ってることですよ隊長!?」
「ガキだぁ…?」
ガキという単語にリアは反応しワトソンを睨む。
「そう熱くなるな。この子の仕事ぶりには疑いはないだろう。現にラナに取り付けた発信機はリアが言った方向の裏路地を通っていた。逆に、ワトソン軍曹の見間違えじゃないのかね?」
「くっ…。お、俺はそもそも実際に会ってないですし…。」
リアは得意げにワトソンの方を見る。ワトソンはそれに顔を赤くしていたが、ラナを見失う危険性があったためにそんな事をしている場合ではなかった。
彼女の発信機を追いかけていたが、突然、その発信機の通信がビル群に差し掛かるところで切れてしまった。
「もしかしてバレたか…?」
リア達が困っていると通行人の少女が、ラナが走り去ったと思われる道からのそのそとやってくる。リアはすかさず彼女に話しかける。
「おい!オマエ、英語喋れるか?今女が走り去っていっただろ?」
「へ?」
負傷した腕を気にしながら、その少女にリアは事情を教えた。すると心当たりがあるようで、彼女は身振り手振りを含めてラナの向かった先を伝えようとする。
「えっと…。さっきその人とすれ違ったけど、このまま直進していって…、突き当りから右の路地の方へと走っていった…と思う。」
「どうも!」
リアが軽快に感謝の意を伝えると、そのまま施設職員とWFU隊員を連れ、ラナを追っていった。
しかし、新たなる障害が彼らに襲いかかる。その路地は複雑であり、更にはビル群というのもあって目星がつかなくなってしまった。ようやく彼女を捜索するためのヘリコプターが到着したものの、既に見失っている状態だったため、ただ待機するのみであった。
「迂回路を探してくる!」
この状況を打開すべく、リアは別ルートを見つけるために別の経路へと向かっていった。
「おい、上からはどうなっている。」
『あー、こちらヘリ。その路地は上空からは確認できない。その上ビルが乱立していてヘリでは低空では入れない。これでは上空からは探すのは無理だ。』
「しらみ潰しで見ていくしか無いのかよ、クソッ…!」
その場所はビル群の間の路地であり、隠れるにせよ逃げるにせよ選択肢が豊富であり、数十人の探索隊だけではそのエリアを網羅するのはいくら時間があっても足りなかった。サマラス隊長はどう探索するか考えるだけでなく、ラナと直接会っているリアすら居なくなってしまったため、あてがなくなり困り果ててしまった。
「リアはどこ行ったんだ…。」
その場所へと案内をした少女…モモコはポツリと呟く。
「アイツ、いいとこあんじゃん。」
実はモモコはこころから事情を聞かされ、リア達に協力していたのであった。ラナが向かった先とは違う場所へと誘導し、彼女が逃げるのをアシストしたのである。
3
時は数時間前へと遡る。
…リアは無情にも再び彼女に向けて銃を構える。ただし、ラナはまだ諦めてはいなかった。リアが油断した隙を狙って脱出しようと考えていた。しかし、次のリアの発言にその考えは無用である事が明らかとなった。
「3時間だけ猶予を与えてやる。それまでに目的を達せられないなら、アンタをWFUに引き渡してやる。それで良いか?」
そう言いリアは銃を下ろした。
「リア…!」
「でもどうやって、追手を撒くの?ラナを見つけた後、WFUに知らせちゃったし…。このままだと他の人達がここに駆け込んでくるよ?」
「私がバリアで閉じ込められたためにラナを逃がしたことにする。ただし発信機は取り付けたと言って。」
「発信機?それはどういうこと?」
こころは疑問をぶつける。発信機があると逆に見つかるだろうと単純に不思議がっていた。
「…ラナの代わりにこころが逃げるんだよ、発信機を取り付けて。本当はラナに取り付けようと思ってたんだがな。」
「えぇっ!?」
こころは驚愕する。まさか自分がラナの代わりになるとは思っていなかったからである。
「こころはパット見だと足が速くて持久力のある人間だと思わないからな。まず疑われないだろ。背格好も似ているからフード付きの服さえ来ていれば、監視カメラに映っても目撃されても誤魔化せる。」
「うぅ。わ、分かったよ…。」
「後はアイツ…。モモコにも協力してもらえるなら何も言うこと無いな。アイツがまったく関係のない一般人を装って道案内してくれれば、追手を別の場所に誘導する手筈が整えられる。」
「どうして、そこまで…。」
先程までは敵対していたはずであったのだが、ここまでのリアの献身的に支援する姿勢に、ラナは困惑していた。
「別に、アンタが探しているものが真実かどうか、知りたくなっただけだ。情が生まれたとかじゃない。」
「ふぅん。」
「…なんだよ。」
リアとこころがそのようなやり取りをしていると、ラナは笑顔で二人に眼差しを向ける。
「リア、こころ。」
一呼吸を置いて、大声で二人に伝えた。
「ありがとう!」
彼女は礼を告げ、扉を開けて、風を切るように走り出した。今度は、絶対に立ち止まりはしないと決意して――。
※1 野戦病院…戦場の後方に設けた、負傷者を治療する病院のこと。
※2 黒い雨…爆煙の煤塵や強い放射性物質を含んで降った粘り気のある雨のこと。広島、長崎の原爆投下直後やソ連やフランスの核実験後に確認されている。




