第3話 路地裏にて
ミィレセスの空間を繋ぐゲートが出るほんのちょっと前。
「う、うそ……!?」
目の前に立ちはだかる無機質な壁を見上げ、桃色の髪の少女が短く声を上げた。
「残念~。ここの路地はここで終わりなんだよな~!」
怯える少女を嗤うのはガラの悪い三人組の男達。退路を塞がれ、怯える様子の少女にじりじりと距離を詰めていく。
「悪いけどこういう日陰の場所は俺たちの方がよく理解してんだわ。お偉い貴族様には縁のない場所だろうけどな」
「誘導されてるっても知らずに馬鹿なお嬢様だこと!」
「せっかくだからここで、社会の厳しさってのを教えてやろうか!」
下卑た笑みを浮かべる男たち。少女の顔により濃い恐怖の色が浮かぶ。そのまま体の震えが伝わった声で少女は叫ぶ。
「だ、誰か……! 助けて……っ」
「ハハハッ、無駄無駄。こんなところで助けを呼んだって誰も来やしないって。っていうか誰かに助けを求めるくらいなら自分でどうにかしてみろよ?」
「そうそう。魔法とか使ってもいいんだぜ? ほらほら、このままじゃ大変な目にあっちゃうぞ?」
「おやおや~もしかして魔法が使えないのか? うっそだー、『魔女』の妹じゃねえのかよ!」
「…………ッ」
ケタケタと嗤う男達に少女は何もできない悔しさで唇を噛む。
「――んじゃまあそろそろやるか」
真ん中の男が一歩前に出る。少女は後ろに退こうとするも壁に阻まれ進めない。
「さて、『魔女』の妹はどれくらいの値になってくれるのか。楽しみだな」
少女の体は震えている。どこにも逃げようがなかった少女は最後の抵抗として強く両目を閉じた。
――お願い……! 誰か……!
するとその決死の祈りが通じたのか、少女と男たちの間に不思議な光が現れた。
全身鏡のような大きさのその揺らめく光、捉えようによっては空間の歪みのようにも見える。
すると――。
「うわ、とっ、とっとっ……!」
一人の少年がそこから突然現れた。
* * *
現在に戻る。
「……えっと……」
これはどういう状況だろうか。
ゲートから出たと思えば目の前に現れたのは見知らぬガラの悪い三人組の男、そして反対側には壁に背を付け、体を震わせる桃色の髪の少女が一人。
状況から見てこの少女がこの三人組の男に追われているというものだろう。その現場に偶然出てしまったのだと予想がつく。
「……おいお前、何モンだ? どっから出てきやがった?」
真ん中の男が憤りをその中に宿した声を、俺へと向けて放つ。それが当然の反応だ。向こうからしたらいきなり何もない空間から見知らぬ他人が出て来たのだから。だが、それはまた俺も同じである。
「いやあ、実は俺もよくわかってなくて……むしろ知りたいっていうか――」
「聞いてんのはアニキの方だ! アニキの質問にさっさと答えろ!」
側の男が声を張り上げた。隣にいた男は真ん中の男に比べれば背も体格もあまり大きくはない。その口ぶりからしてきっと真ん中の男に従う子分みたいな立ち位置なのだろう。
だがそれはそれとして、こうも敵意をむき出しに怒鳴られるのは意外と俺の中に響いてくる。普通に怖い。
「ちょ、ストップストップ! 人間何よりも冷静さが肝心だって! だから一旦クールダウン! はい、深呼吸――」
「うるせえよ。ナメた口しか利けねえってんなら別にいい。体に直接聞いてやる!」
体に直接聞くとかそっちの趣味は俺にはないぞという軽口が口元から出そうになったが、リーダー格の男が握った拳を鳴らしながら進みだすのを見てそんな冗談を言ってる状況ではないと悟る。
このままだと本当に殴られかねない。異世界に来て僅か数十秒で殴られるなんて一体誰が望むだろうか。……いや、そういえばもうデコピンを喰らわされたような気がする。
じりじりと緊張感が増していく。その時、別の男の声がその空気に割って入った。
「ま、待てアニキ! 早まるのはマズい!」
「あ?」
「……え?」
男の行動を制止させたのはもう一人の子分らしき男。彼らの言う「アニキ」とはおそらく単なる立場的な呼称だろうが、面倒なためこいつをアニキという名前にさせてもらおう。
「よ、よく見てみてくれ、そいつの腰を!」
「腰? 何言って……――ッ!?」
子分の言葉を受けてアニキが視線をその声の示す通りに俺の腰へと向ける。その瞬間、アニキの顔が途端に引きつった。
「……? 腰って――」
焦りながら俺の腰を指さす子分の男の表情と、様子を変えたアニキの表情に釣られ、俺も自身の腰に視線を落とす。
そこにあったのは……
「剣……だと!? テメエ、まさか騎士団の人間か!?」
「は? き、騎士団?」
焦るアニキの言葉に理解が追い付いていなかったが、男たちはそんな俺を気に留めることなく声を続けた。
「さっきも変なとこから出てきたし、あれ、魔法じゃないか……? あいつ、油断を誘って俺たちの隙を突くつもりだったんだ!」
「魔法……?」
「くそ……油断を誘うとか、騎士のやることじゃねえな!」
「いや、油断も何も……」
「下劣な奴め! お前の思い通りになると思うなよ!」
「下劣は違うだろ!? お前らが言うな!!」
心外な物言いについ反射的に声が出た。
何が起こったかはわからないが、話がおかしな方向に進んでいるということだけはわかる。
この様子を見る限り、まさかこいつら、俺の腰にある剣を見て俺をその騎士団とやらの一員だと勘違いしているのか。
「ちっ、なんでこんなところにいるんだよ……」
騎士団が何だかは知らないが、こいつらの焦り具合からしておそらくこの世界での警察みたいなものなのだろう。なるほど……さてどうするか。
……何だか怯えているようだし、ここはその流れに乗るとしよう。
「――はっ! よくわかったな! その通り俺は騎士団……いやこの場合は騎士……? まあ、とにかく! このまま尻尾を巻いて逃げるのなら見逃してやってもいいぜ? んん? 」
持てる限りの演技力を振り絞る。何を隠そう俺の演技力は文化祭のクラス企画レベルだ。
お願いだからこのままどっか行って欲しい。それが一番楽なんだから。
「ど、どうするアニキ? あの魔法の感じ……こいつそれなりに強いんじゃ?」
よしいいぞ。もっと進言してやれ下っ端A。そして早くここから立ち去ってくれ! 魔法ってのは正直気になっちゃうけど、とにかく今はどこかに行ってくれ!
「い、いやでもアニキ、こいつ見た目は弱そうだし、さっきのも見せかけってだけかも……」
うるさいぞ下っ端B。ちょっと静かにしてろ。あと見た目が弱そうはやかましいぞ。
二人の言葉を受けながらアニキは思考する。そして辿り着いた結論を口にした。
「……せっかくのこの機会を逃すのはナシだ。むしろ相手が騎士団一人ならまだまだ安いもんだろうが。後ろにいんのはあの『魔女』の妹だぜ」
アニキは背後の腰に手を回す。そして勢いよく一本の短剣を引き抜いた。
「騎士団だろうがなんだろうが相手は一人。三人がかりで潰すぞ。いけるな?」
自らのアニキの力強い言葉に下っ端Aは戦意を取り戻し、下っ端Bは彼の決断に同調するように意思を固めた。そして二人とも腰の鞘から自らの短剣を引き抜いた。
しゃりん、という音と共に光る銀色の刀身。紛れもなく本物だ。
今からごめんなさいで謝るか? いやでもあんな啖呵切っといてそれは難しいよな。それに……
ちらりと目線を後ろへ向ける。
なんか後ろの子、期待した眼差しでこっちを見てる。……そうだよなあ、どう考えてもこの状況、奇跡的に助けが来たって思うよなあ。俺も同じ立場ならそう思う自信しかない。
もう腹をくくるしか無いようだ。……ええい、ままよ!
決意を胸に剣の柄に手を伸ばす。
しゃりん、と気持ちのいい音を立てながら剣が腰の鞘から引き抜かれた。
真直に伸びた深い青みを帯びた刀身を持つ、刃渡り約八十センチの片手剣。初めて手に取った時には確かな重みを感じたが、こうして剣を抜いてみると意外にも手の中にしっくりと来る。
剣を目の前の男に向けて構える。真剣を人に向けたのは初めての事だったが、それ以上に実物の剣を手に取ったということに対する感動の方が大きかった。
だが現実はそんな悠長ではないため、すぐに意識を目の前の現状に戻す。
お互いに剣を向けてしまえばもう戦闘は避けられない。問題は戦闘経験のない自分がこの男たちと戦うことができるのかということだ。
『ちょうどいい機会じゃない』
「!? ミィレセス!?」
どこからともなく少女の声が聞こえてきた。反射的に天を仰ぎ見るが当然そこに彼女の顔が浮かんでいるわけではなかった。内心でほっとする。
『この声はあなたにしか聞こえてないわよ。なんだか面倒くさそうなことに巻き込まれそうだったから、ちょっと様子見ってわけ』
一向に姿が見えないと思ったらまだあの空間に閉じこもっていたのか。面倒ごとに対する嗅覚は高いのかもしれない。迷惑なこった。
『というか、そんな呆けてて大丈夫?』
ミィレセスは呆れたように声を出した。その時――
「危ない!!」
背後からの少女の切羽詰まった声に、俺はそこでようやく意識をミィレセスの声から離した。
空に向けていた顔を正面に戻す。その視界の中で、短剣を手に距離を詰めていた男の姿がありありと映った。
「早速よそ見かよ! いいご身分だなあ!!」
――あ、終わった。
何てあっけのない幕引きなのだろう。意気揚々と剣を抜いて、ちょっとカッコつけて構えてみて、いざ戦闘となったときには相手から目を逸らす。我ながら馬鹿らしい。
男の短剣がギラリと光り、無防備な腹部へと空間を切り裂きながら進む。
紛れもない殺意のこもった攻撃。相手が高校生だろうと関係ない、慈悲の無い刺突。
しかしその短剣は俺の腹部を――貫けなかった。