第1話 召喚と小さな神様
『たくさんの人と出逢え。たくさんの人と出逢って、たくさんの事を知るんだ。それはきっと自分のためになる』
父の言葉が脳裏によぎる。小さい頃から何度も聞かされたことだった。
病で命を落とす間際にも言っていたくらいだから本当に大切な想いだったのだろう。
何度も聞かされたからこそ忘れたことは一度も無いし、自分もその気持ちを大事にしようと思っていた。
思っていたのだが……、
「私の名前はミィレセス。あなたをこの場に召喚した――この世界の神よ」
どうやら人よりももっと凄い存在と俺は出逢ってしまったようだった。
* * *
「本当にできるとはね。……はあ、できなかった方が諦めも着いたんだけど」
白く薄いベールを頭に被った黒髪ロングの少女が俺の姿を興味深そうに眺めながら、驚き半分、呆れ半分といった様子でそう口にした。
「見た目は……普通ね。人間ってのは大体どこも同じようなものなのかしら。変なのが来るよりは到底いいけど」
「普通って……平均値の顔って実は割と美形なんだぜ。 って――」
品定めをするようにこちらを見る少女の姿に小言が漏れると同時に至極当然の疑問が俺の中に浮上した。
「ここは……何だ?」
入り口も出口も見当たらない空間。洞窟の広場のような岩の足場と天高く聳える周囲を取り囲む岩の壁。
山の最上部は開かれており、その先には紫がかった空が見えていた。
そしてこの広場の中央にある小さな岩の上には、白く華奢な脚を組んで腰掛ける一人の少女がいたのだった。
幼顔ながらもどこか達観した面持ちの少女の雰囲気には、見た目にそぐわぬ神秘さが漂っている。事態を呑み込めていない俺を小馬鹿にするように微笑を浮かべる少女の顔は、悔しいが美形と称するのに申し分のないものだった。
「混乱するのも無理はないわ。ここはあなたが知らない世界。私があなたをこの世界に召喚したのよ」
「へえ、召喚……」
どうやら俺は目の前の少女によってこの場所に召喚されたらしい。そしてここは俺が知っているものとは別の世界、つまりは俗にいう異世界というものになると。
確かにこんな場所は人生で目にしたことがないし、紫色の空なんてのはいうまでもない。つまりここは異世界で、俺は今まさに目の前の小さな少女の手によって召喚されたと。
そう、俺はなんと異世界召喚というものに巻き込まれてしまったのだ!
「――そんなわけあるかぁ!」
俺の突然のツッコミに小さな岩の上に腰掛けていた少女の肩がピクリと跳ねる。
「いいい一旦冷静になれよ、俺。……異世界召喚……本当に? いやいやまさか。どうせただの夢に違いないって。変に期待をして覚醒後に猛烈な虚無感に襲われるってオチになるはずだって。自分の事を想い返してみればわかるはずだぜ……」
俺は一度乱れかけた思考を落ち着け、自分についての記憶を辿る。
俺の名前は永瀬逢人。何の変哲もない至って普通の高校二年生だ。休日の退屈な時間を潰すため、とりあえず散歩に行こうかと家を出たところで、突然の光に包まれた。そして気がついたらここにいた、というこれまでのストーリー。
うん。ちゃんと憶えてる。俺の記憶と思考の空は雲一つない快晴だ。しっかりと光に包まれたところまで完璧に――うん?
「理解できないのも仕方ないだろうけど、これは現実よ。……まあいいわ、ちょっとそこに立ってなさい」
少女が岩からふわりと飛び降りた。黒と白を基調とした優美なドレスが、彼女の繊細な動きに合わせてひらりと舞った。
そのまま小鳥の羽が落ちるように静かにその白い艶やかな足を地に着けると、彼女はこちらへと歩み寄って来る。
すぐ正面にまで近寄った彼女の整った顔立ち。さらりとした黒髪と金色の瞳のコントラストが実に目を惹く美しさであった。
少女は足を止めると白く華奢な腕を緩やかに俺へと向けて伸ばし、そして――
バチンッッッ!
華奢な指から放たれた強力なデコピンが俺の額に襲い掛かった。
「いったああああっ!?」
電撃を受けたかのような痛みに反射的に額に手を当てる。あらゆる疑念がその一瞬だけは消えて無くなるほどだった。
「どう? 必要ならもう一回ならやってあげるけど?」
冗談じゃなくめっちゃ痛い。これが夢ならベッドから数メートル飛び起きるレベルに痛い。
「……いや……わかった……わかったからその腕を下げて……ください……」
どうやらここは夢じゃないらしい。つまり……
「本当に異世界に召喚されたのか、俺……?」
「そう言ったでしょ。あなたはこの私の手によって召喚されたのよ。光栄に思いなさい」
胸に手を置き、少女は誇らしげなポーズを取る。一言で表すなら、偉そうだ。
「光栄に思えって言われてもな……君、何者?」
異世界召喚っていうとどこかの国の王様とか、ザ・宮廷魔法使いみたいな人たちが儀式でやるイメージが強いけれど、どう見てもこの少女にそういう風格はない。
となると考えられることは限られてくる。
そしてその予想は正しかった。
俺の疑問に少女は待ってましたと言うように笑みを浮かべた。親に自慢したい子供みたいだった。
「私の名前はミィレセス。あなたをこの場に召喚した――この世界の神よ」
異世界召喚や異世界転生モノでほぼ必ずと言っていいほど登場するのが『神』と呼ばれる存在だ。
それで今目の前にいるこの小さくて偉そうな少女こそ、その『神』だと。
「……うっそだあ」
「……ムカつく反応ね。何が不満なのよ?」
ついつい溢れた疑心暗鬼の言葉に少女が口を尖らせ反抗する。
「だってこういうのって……魔王を討伐してくれとか、災厄を防いでくれとか、世界の平和のために勇者として戦ってくれみたいなやつだろ? そういうのを頼むタイプには見えないなーなんて……」
「よくわかってるじゃない。魔王なんて知らないし、人類の救済みたいなことにも興味ないもの、私は」
「あ、本当に違うんだ……」
勇者になって、チート能力授かって、魔王を討伐する。異世界召喚ってそういうものなのでは……?
なんだかんだでちゃんとそういう流れに合流するのだろうと思っていたけれど彼女の口ぶりからしてどうやら本当に違っているらしい。ということは、
「異世界で……スローライフ……?」
その可能性も無くはない。スローライフという気ままでゆったりとした生活ってのは悪くないけれど……高校生に? 早くない? そういう機会は俺じゃなくてもっと本当に欲している人たちに与えてあげた方がいいんじゃないかな……?
「うーん……社会を知らない子供ですみません」
「勝手に自分の解釈で話を進めないでくれる? スローライフ、が何かは知らないけど私があなたを召喚した理由じゃないから」
これも違ったらしい。
「じゃあ何だ、まさか人類の滅亡に力を貸せとか? いやあ、そういうのはちょっと考え直した方がいいと思うぜ? やっぱり世の中、平和なのが一番だろ。そう思わない?」
「だから勝手な解釈で進めないでよ。救済だろうが滅亡だろうが、この世界の人間がどうなろうと、別に私に興味ないから」
それはそれで中々に思い切った発言が飛んできた。
「神様なのに人間の平和がどうでもいいって……不用意な発言はSNSで即炎上だぞ? 今の時代怖いんだから」
「神は神、人は人よ。あと私の知らない言葉使わないで」
うちはうち、よそはよそ。小学生の母親みたいだな。
「……見た目は子供なのに」
「何か言ったかしら?
「いえっ、何もっ」
少女が指に力を込めたように見えた。まだ俺の額には痛みが残っていた。
「……なら結局、ミィレセス……は俺に何をしてほしいんだ?」
少女の名前を確かめながら疑問を口にする
魔王の討伐でも、人類の救済でも、人類の滅亡でも、スローライフでもないとなれば悔しいが俺の偏狭な知見だともう他に見当が付かない。
一体この神は俺に何をさせようとしているんだ?
「……まあこうなったら私も大人しく参加するしかないか。フェプトの思い通りに進んでるみたいなのは癪でしかないけど」
どこか渋々と言葉を吐き捨てるミィレセス。これからのことを億劫に感じてそうな表情をしていたが、そこに一瞬映ったのは紛れもない闘志の光。
そして彼女はただ一言、短くその目的を口にした。
「私以外の神を――倒しなさい」