8個目 強さとは!前に進めることだッ!
≪医者≫
「はッ、そりゃどうだかね」
不愉快な顔になり、なおも挑戦的な態度を取るアクタを咎めようすると、「アクタさーん! ピオ先生ーっ!」と、廊下の向こうで叫ぶコマリが手を振った。ピオはシスター・レアに軽く頭を下げてからコマリの方へ向かう。アクタも素直にその後をついてきた。
コマリがいたのはダイニングだった。こじんまりとした簡素な空間ながらに長方形のテーブルと椅子六脚が三セットずらりと並んでいる。その奥にあるキッチンのそばにコマリは車椅子に座っていて、その手には黄色い布で覆われた包みを持っていた。コマリはそれをアクタに差し出す。
「はい、アクタさん!」
「お? なんだこりゃ?」
「お弁当だよ! お礼に、と思って作ったの。わたしみたいな子供にできることってあんまりないけど、これくらいならって。だめだったかな……?」
「オベントーってなんだ? 食えるのか?」
「え? ええと、うん、アクタさんたちの出発までもうあんまり時間なかったから時短料理したんだけど、一応食べられるようには作れてる、と思う……かな?」
「本当か! いいやつにもほどがあるだろ! 俺おまえ好きだなーっ!」
「そ、そう? えへへ……」コマリは顔を赤くしてうつむくと、「お役に立てて嬉しいです」とつぶやくように言った。アクタの真っ直ぐな好意には一欠片もいやらしさがなく、それがかえって他人からの好意に慣れていないコマリを戸惑わせたのだろう。
おれの分の弁当はないのかな、となんとなく期待したピオだったが、コマリは他に何も持ってはいないようだった。しかしこれはあくまでもアクタへのお礼だ。何もしていない人間が期待するものではない。と、しょげていたのが顔に出ていたのか、コマリが下からピオの顔を覗き込んだ。コマリには珍しく、意地の悪い笑顔を浮かべていた。
「ピオ先生、いま『おれのはないのか〜』ってがっかりしてた?」
「いやぁ、別に? そんなことはないけど?」
「えっ、いらないの……?」
あからさまにしゅんとするものだから、ピオは思わず「え、あるの?」と口をついて出た。
「一応ね? 一応だけど、ついでにピオ先生の分もあるんだよね」
コマリは車椅子の下のポケットに隠すようにして置いてあった青い包みを取り出し、顔を背けながらおずおずと差し出した。
「そっか、うん、ありがとう。嬉しいよ」
「べっ、別にピオ先生のために作ったんじゃないからね! アクタさんのついでだから!」
「わかってるって!」
ぷいとそっぽを向いたが、彼女は耳まで真っ赤にしていた。
施設のキッチンは子供たちと一緒に使う用に設置してあるために、比較的低い位置にある。とはいえ車椅子生活をしながら弁当を作ること自体が難しい作業で、コマリが扱うには大変な苦労を伴うだろう。それを思うと、ピオは彼女の気持ちが嬉しくて胸がいっぱいになった。
「そうだ、ピオ先生! ちょっとお外に出てもらっていい?」
ピオは腕時計を見て、もうしばらく時間があることを確認して頷いた。それから三人は外の広場に移動する。他の子たちは室内に戻っていて、ここには三人だけだった。
砂場があり、小さめの滑り台があり、鉄棒もある。脇の方にはボールなんかも置いてあり、ちょっとした公園のようだが、十代前半といったコマリくらいの思春期の子が遊ぶには少し狭い。それもそのはずで、そもそもが学校にも行けないような、行き場のない小さな子供を預かっておくための施設だからだ。引き取り手のいないコマリは、一人そのような場所にいるのだ。
「ここで何をするんだ?」
「リハビリ! 見てて!」
ピオの返事を待たずに鉄棒のそばへと行くと、コマリはしっかりと鉄棒を掴みながら車椅子を降りた。恐る恐るといった様子で、少しずつ手の力を抜いていく。それからおもむろに鉄棒から手を離し、まだまだ腰は引けているが、コマリは間違いなく二本の足で地面に立った。
「ほら、ピオ先生、見て! ひとりで練習してたんだよ!」
かろうじて立ってはいるが、脚がぶるぶると震えている。苦痛に顔を歪めながら、それでも笑顔を作る。ピオ指導の元で毎日のストレッチを続けてはいても、事故からの三ヶ月間ずっと車椅子生活をしていたせいで筋肉が衰えているせいだ。その顔には汗が滲み出ている。
「もう一人で……⁉︎ すごい、すごい回復力だ! でも、無理しちゃだめだぞ!」
「ううん、無理してないよ。わたし、頑張れる。ピオ先生がずっとついててくれたから頑張れてるの。お父さんとお母さんがいなくても……わたし、頑張れるよ」
「コマリちゃん……」
コマリは一生懸命に歩く。たどたどしく、しかし力強く、二本の足で一歩一歩を踏み締めて歩を進める。震えを隠さず、臆さず、前を目指して歩む姿に、ピオは見惚れていた。