7個目 耳触りのいい言葉には気をつけろ
≪医者≫
買い物が一通り済むと、コマリが養護施設『スメルトサ』に連れてきてくれた。
外観は高い塀で囲まれていて、少し物々しい雰囲気だが、扉を開けて中に入ってしまえば子供たちの賑やかな声が耳を通り抜ける。部屋のひとつひとつが外から繋がっていて、ガラス張りの壁のような窓で常に全体が見えるような作りになっている。
施設を外から見たときの、監獄のような見た目のイメージを払拭するような、少しの閉塞感をも感じさせないための配慮といえるが、プライバシーが確保できない作りともいえる。しかし防犯のためにはその方がいいのだろう。実際、不審者が現れたことはないそうだ。
コマリは現在ここに住まわせてもらっており、施設長とは別のシスター・レアと呼ばれる職員のもとで暮らしている。コマリの手で室内に案内されたピオとアクタに気づいたシスター・レアは、子供たちから離れて三人のそばに来ると、丁寧に一礼をした。
「おはようございます、アスクレス先生。リハビリですか?」
シスター・レアは微笑みを絶やさない。年齢は四十代後半ほどだと聞いているが、黒々とした長いストレートの髪には艶があり、肌はきめ細かで若々しい。派手すぎず、地味すぎず、肅然と咲く一輪の花のような美しい容姿も相まって、どこかの貴婦人の様相だ。それでも素の表情が笑顔だと誤認してしまうほどに、目尻や口元の皺が刻まれて元には戻らないようだった。それほどまでに迷える子供たちを愛し、笑顔の絶えない女性なのだと窺える。
「今日はコマリちゃんに連れてこられちゃったんですよ」
「あら、ふふふ。この子はアスクレス先生のことが大好きですからね」
「ちょっ、うそです! そんなことないです!」コマリが慌てて否定する。
「あら? お嫌いでしたか?」
「えっ、ううん、それは、その、違います、けど……」
「それじゃあ大好きなんじゃあないですか?」
「んうぅ〜……!」
シスター・レアにからかわれて顔を熟れたりんごのように真っ赤にしたコマリは「アクタさん! あと、ピオ先生も……ちょっと待っててッ!」と、罵声でもぶつけるかのように言い放つと、車椅子を一生懸命に押してピオたちから離れていく。
「ちょっとからかいすぎなんじゃないですか?」
「かわいくってついつい……あの子ったら、本当にかわいらしい子ですよね」
小さくなっていくコマリの背中を見つめるシスター・レアの目は慈愛に満ちていた。彼女は子供を宿せる体ではなく、自分の子供を持てないのだという。だからなのか、引き取った子供たちを笑顔にすることに至上の喜びを感じているのだろう。
「あんなにもいい子なのに、なのにどうして……」シスター・レアは大きなため息をついた。「神様はどうしてこれほどの試練を与えなさったのでしょうか?」
神は神話の時代からこの世を統べ、七十二柱だけ存在し続けていると云われる。ギガントマキナの住人はここユーミル地方を治める国王が神の一柱だと信じているし、国の決定事項としてそういうことになっている。しかし国王が表舞台に姿を見せることはなく、一部の者にしかその名が知らされることはない。
各国の首脳が集まって世界の行くべき方向を定めるための会談、全世界首脳会談というシステムも存在するが、どこの国が参加するのか、どこで開催されるのか、やはり一部以外の誰にも知らされない。よって、全ての人間が神を信じているとは言えない。他の神々もどこにいるのかは公表されておらず、今ではシスター・レアのような信奉者の方が珍しくなっている。
「コマリちゃんには、まだ何も?」
「私からは……今はまだとても言えません」
「そうですよねぇ……」
「なあ、何の話?」
ふたりだけの間で話が進んでいるのに首を傾げたアクタが問う。
「アクタには何も言ってなかったな。まあ、あんまり人に言うことじゃないんだけど……」ピオはシスター・レアに一瞬目配せをして、小さく頷いた。
「コマリちゃんが車椅子に乗ってるのは、落盤事故にあって酷い怪我を負ったからなんだけどさ、そのときに……まあ、ご両親が亡くなっちゃってるんだよ」
「そっか。だからここに住んでるんだな」
「そういうこと。問題なのはコマリちゃんがそのことを知らないってことだ」
「教えてやらねえの?」
「バカ、むやみにそんなこと教えて自暴自棄になっちゃったらどうするんだよ? 医者としてそんな無責任に伝えられないよ」
「ふうん、そうなのか」あまり納得できていないようだったが、アクタはさらに続けた。「カミサマとか、試練とか言ってたのはなんだ? ソイツが悪いんじゃないのか?」
「とんでもありません」シスター・レアはかぶりを振った。「神様はこの世をお作りになったお方です。試練というのは、そうですね。神様は人に試練を与えなさるのです。各人が乗り越えるべき困難を乗り越え、その先にある幸せを掴むために……」
「うーん、俺あんま頭よくないからわかんねンだけどさあ」アクタは眉を顰める。「それってやっぱカミサマが悪くねえ? 誰もそんな試練受けたいとか思わねえじゃん」
「いえ、ですから」
「アイツ、親に死んでほしいと思ってたのか?」
アクタの言葉にシスター・レアは少し考え込むように沈黙した。
シスター・レアのように神を信奉する者が身内の不幸でさえも『試練』として受け止めるのは、あくまで己の心を壊さないようにするためだ。本人がどう受け止めるのかわからない以上は、本人以外がそれを試練だと言うべきではない。
アクタがどのような考えで物申したのかは不明だったが、ピオは目から鱗が落ちたような気分になった。ピオがコマリに両親の死を告げられずにいたのは、あれこれ言い訳はしてみたものの、結局のところは臆しているだけのことだ。コマリ自身がどう感じ、どう考えるのか……それを見て、何かあった時に支えてやろうという覚悟がない。
「だいたい」と、アクタは続ける。「アイツはそんな弱くは見えねえ」
「おまえ、おれたちとは会ったばかりじゃないか。なんでそんなことが言えるんだよ」
「子供ってよ、大人が思うよりモノをよく見てんだよ」
「コマリちゃんが……本当はご両親のことを気づいてるっていうのか?」
「多分な。なんかわかんねえけど、そういうのわかるんだよ、俺。ヒトが本当はどう考えてるのか、みたいな。あ〜いや、実際に考えてることがわかるわけじゃねえよ? ただ、なんつーのかな。なんとなく……こう……本当の気持ちっていうか……なんて言うんだ?」
「本質、か……?」
「そうそう、多分それ」
この男には人の本質が見えているというのか。おそらくは金属製のマスクに仕込まれたオーパーツによって得ている力なのだろう。ひどく地味だが、オーパーツの中には音を出すだけのものだったり、マッチ棒一本程度の火を出すくらいの効果しかないオーパーツも数多く存在する。そんな中で、どれほど言葉巧みに言い寄ろうとする人間がいたとしても、一発で見抜くことができる力と考えれば、強力なオーパーツを持っているといえる。
この国の治安は決していい方ではない。今でこそ国の中心とは言われなくなったギガントマキナの街もそれは例外ではなかった。王家に並ぶ立場であるはずの皇爵家があの有り様なのだから無理もない。詐欺や暴力事件等々、毎日のように横行している。悪の栄えた試しなし、という言葉もあるが、表に出てこない悪は常に世の中を支配している。
「だからまあ、ちょっと話せばなんとなくわかるんだけどよ」アクタはそう言って流れるようにシスター・レアを睨みつけた。「スーパーレア、おまえも何か隠してんな」
「おい、さすがに失礼だぞ。その妙な呼び方も」
シスター・レアは私財を投げ打ってこの養護施設『スメルトサ』に投資しており、施設長であるメヌー・ニカエを手伝う唯一の職員として、よく気がつきよく働く女性だ。働くといっても、メヌー施設長は国からの助成によってどうにか最低限の運営をしているに過ぎず、職員に対して出すための余分な金額は寄付によって賄われている。
そしてその寄付は決して多くなく、給料として出ている金額は微々たるものだろう。シスター・レアがこの施設に来る前にも職員は数名いたが、そのせいもあってか今では彼女一人となった。つまりシスター・レアはほとんどボランティアでここにいるようなものだ。
彼女は施設で働き出してからたったの三ヶ月ほどでしかないにもかかわらず、子供たちにもずいぶんと懐かれている。一週間程度しか在籍していなかった子供たちがこの施設を卒業していった後にも、シスター・レア宛に手紙が届くほどの人気があるという。
「構いませんよ、アスクレス先生」シスター・レアは困ったような笑顔を浮かべて続ける。「このようなボランティア活動をしていると、謂れのない誹りを受けることはよくあることです。欺瞞に満ちた世の中ですから、人が善意で動いていることを信じられない人がいるのは無理もありません。それに、私がそのような人間ではないことは子供たちに証明していただけますよ」
「子供ねえ……」
「はい。私、子供が大好きなのです。それは子供たちにもきっと伝わっているはずですから」
シスター・レアは寸分の狂いもなく同じ笑顔を浮かべた。