3個目 "強化"のオーパーツ
≪長男≫
「ルールをひとつだけ決めさせてもらう。オーパーツの使用は無しだ」
そう言ってドイヒは両手のグローブを外し、乾いた地面に放り投げた。
「貴様のオーパーツもそこに置け。そう、それだ、そのマスクだ」
「は? なんで? やだよ」
「おとなしく言うことを聞けーッ! この変態アホ面マスクがーッ!」
「こわ……なに急に……? 俺変態じゃねーんだけど。まあいいや……盗るなよ?」
「ふざけるな、下級民から盗るものなどないッ!」
青年は大人しく鼻までを覆う金属製の黒焦げたようなマスクを地面に置いた。
オーパーツを感知する能力に長けているわけでもないドイヒとしては当てずっぽうだったが、マスクの下の顔が酷い不細工というわけでもなく、むしろ端正な顔立ちをしていた以上、外すのを嫌がった理由はオーパーツであるから、というのが明らかだ。
どんな能力を秘めているかは使ってみるまでわからないが、それがこの青年の底知れぬ自信を裏付ける力の秘密に違いない。
負けてはならない。この僕が万にひとつでも負ける可能性があってはならない。
フリードリヒ・ドイヒは、一代で財を築き上げて貴族階級となったフリードリヒ・ゴイスを父に持つ。貴族という立場は単に金を積めばなれるというものではなく、国家にその社会貢献を認められたものだけが爵位を与えられる。中でもフリードリヒ・ゴイスが賜った皇爵という身分にもなれば、王家の血筋とみなされる。実際には王家の血を引いていないにもかかわらず、王家と同等の権力が与えられることになる。
ゴイスの功績は至ってシンプルなものだった。トレジャーギルド『ホルブゼン』所属のハンターだったゴイスは"水源"のオーパーツを発見して使いこなし、国に平和をもたらしたのである。清らかな水を全国に送り届けることで、それまでの汚染された水を飲んでしまったことによる病気は一切なくなり、まさしく救世主とでもいうべき活躍をした。
こと人類の生活基盤に影響を与えるという意味では、世界で初めて発見されたオーパーツである原初のオーパーツとも云われる"発火"のオーパーツと同等かそれ以上の価値があり、フリードリヒ・ゴイスこそ王家に並ぶに相応しいと判断されたのだった。
ドイヒは偉大な父の偉大なる冒険を聞かされて育った。物心がついた頃からその物語に憧れていたし、僕にもできると思っていた。事実としてドイヒは剣を振るっても徒手空拳でも負けはなく、勉学においても誰よりできた。なんでもできる秀才といえただろう。偉大な父から褒めてもらえるのは当然のことで、ドイヒもそれを嬉しく思っていた。
あるとき妹のシースが生まれた。八歳も年下の女の子は、ドイヒが言葉を喋った時期よりも早く「おにーさま」と口にした。パパやママではなかったことに両親は落胆していた。ドイヒはこんなにも出来た妹を導くのは自分なのだと誇らしく思った。
シースは歩けるようになるのも早かった。初めは助けが必要だったが、しっかり手を繋いでやるとおぼつかない足取りでドイヒに追いつこうとした。妹はドイヒのことが大好きだったし、ドイヒもこの娘の世話をしてあげなければならないと考えていた。
ドイヒには打算があった。幼い妹に対し献身的に尽くしてやれば、父はさらに僕を愛するに違いない。全てが完璧であればこそ、僕は僕であり続けられる。
そんな兄を、成長した妹はゆうに超えてしまった。勉学でも、作法でも、戦闘技術においても、ドイヒはシースに勝てる部分がまるでなかった。それでもドイヒが優秀であることは誰にも否定できなかったし、両親も貶したことはなかった。最初に褒められるのはシースで、その次がドイヒになった。それだけのことだが、ドイヒにはそれが許せなかった。
シースが悪いのではない。僕の力が足りないだけだ。
ドイヒは決してシースを貶めるようなことはしなかった。僕に足りないのは功績だ。父に負けないような、大きな事を成し遂げる。父にも見つけられなかったマーテリアル――神の玩具を生む秘宝石――の発見。それを手に入れるまでは、敗北など許されない。
たとえオーパーツを持った者が相手であろうと、ドイヒが負けるはずはない。ドイヒにはその自信とそれを裏付ける確かな実力があった。だが、あり得ないことを起こしてしまえるのがオーパーツの力というもの。だからこそ、ドイヒはオーパーツを隠し持った。
ドイヒの所有する"強化"のオーパーツは、先ほど投げ捨てたグローブには仕込まれてなどいない。ドイヒが常に身につけているネックレスに加工されている。
これによりドイヒはあらゆるものを強化することができる。戦闘においては主に筋力を強化することが主体となるが、細かい部分では食べ物の味を良くしたり、湯の温度を高めたりと、何かしらの効果を高めるという汎用性の高い強力なオーパーツといえた。
どんな手を使っても、こんな小汚い男に侮辱を受けて負けるわけにはいかない。
「では、やるか」
「いいぞ、始めの合図はどうする?」
「そうだな。それじゃあ――今でいいよなーッ⁉︎」
ドイヒは有無を言わさず、自分勝手なタイミングで殴りかかった。オーパーツを持たない青年に対して情け容赦のない一撃――が入るはずだった拳は、虚しく空を斬る。
なぜ、だ? 一瞬、ドイヒの時間が止まった。オーパーツによって強化されたドイヒのパンチ力は、どれほど厳つい拳闘士よりも強烈なダメージを与えるはずだ。それがどういうわけか目の前には誰もいなくなっている。どこだ、どこへ消えた?
一撃で仕留められるはず――その絶対的な信頼が反撃の二文字を思いつかせることを鈍らせた。その瞬間、ドイヒは腹に激痛を感じた。衝撃で体が海老のように反った。
宙に浮いている。
地に足がつかないという言葉を体現していた。「お兄様〜っ!」というシースの悲痛な声が遥か遠くから聞こえてきたのをぼんやり耳にした。
超高速でしゃがんで消えたように見えた青年に、天高く体を打ち上げられたという事実に気がついたのは、覚めた目にシースの涙ぐんだ顔が映った後だった。