無自覚な最強魔法使いの少女は、今日も元気に笑っている
「――こら、ドラゴン! 弱い者いじめしちゃダメでしょ!」
「誰だお前は」
とある山の奥深くで、少女の怒声と竜の低い唸り声が響いていた。
ここはメルセル王国の南端、トウェール山脈に連なる名もなき山。麓に小さな孤児院がある以外は周囲に何もない。
こんな場所に人間が立ち入るのは稀だった。
……そう、つい五年ほど前までは。
波打つ金髪を風に靡かせる儚げな美少女と竜が対峙し、睨み合っている。
少女の方は腰に手を当て、目を吊り上げて怒っている様子だ。
と言っても激怒というほどではなく、拗ねているように見えた。
「可愛いウサギちゃんをいじめて泣かせたこと、わたし、許さないんだから! これでも喰らいなさいっ――!」
少女が手から赤と黄色の光を一気に放ち、それが竜を包み込む。
小柄な少女のおよそ百倍はあるであろう巨大な竜の体が一気に燃え出し、かと思えば感電したかのように震え、竜は高く絶叫した後動かなくなった。
「ふふん。これで思い知ったでしょう。三日は寝てなさいよね」
そう言って勝ち誇ったように微笑む少女は、先ほどまで竜に襲われていたウサギに駆け寄って、「もう大丈夫よ」と優しく撫で始めたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「まったく、ビビアンは……」
彼女から今日の出来事を聞き終えた私は、はぁとため息を漏らしていた。
私の名前はカーラ。名前を覚える必要すらないごくごく平凡な平民の娘であり、八歳の時に両親を失って以降、ずっと孤児院暮らしをしている。
そんな私には妹がいる。
妹、と言っても血のつながりはない。孤児院では皆が兄弟、あるいは姉妹のような存在なのだ。
私が一番可愛がっている妹――彼女はビビアンという。煌めく金髪に澄み渡った青の瞳の幼い少女で、その可憐さは言葉にできない。きっと貴族の娘と言っても誰もが信じてしまうだろう。
だがビビアンはただの平民のみなしごだ。その、はずだ。
確かに孤児院の前に丁寧にお包みまで着せられて捨てられたことは不自然だが、きっと何らかの理由で肉親が育てられなくなったに違いない。
『この子を頼みます』と綺麗な文字で書かれていただけで、名前などはなかった。院長様が彼女をビビアンと名づけ、今まで五年間この孤児院で育てられていた。
幼少期、彼女の世話は主に歳上の私が担ったため、ビビアンとは一番親密な仲だ。
だからこうして、毎日その日にあったことを聞かせてもらっているが……。
「今回も後始末が大変そうね」
――ビビアンは問題児である。
性格が悪いとか誰かをいじめるとかそういう問題ではない。むしろ正義感が強く、何事にも首を突っ込んでいってしまうお人好しだった。
では何が問題なのかと言えば、普通の人間は持ち得ない『力』――魔法と呼ばれるものを持っているからだ。
かつては王族貴族は皆魔法が使え、平民でもごく稀にそういう力を発揮する者がいたらしい。
だが百年ほど前、とある戦がきっかけで神の怒りを買い、人間は魔法を封じられることになってしまったはずだった。
だが、理由はわからないが、それ以降も今も奇跡的に魔法を持って生まれる者が少ないものの存在したのだ。
そしてそれらは『聖人』や『聖女』と崇められながら、国のあらゆる危機のためにこき使われ、そして死んでいく……そんな運命にある。
「ねえビビアン。その『力』は使ってはいけないって、いつも院長様に言われているでしょう」
「だってウサギさんがいじめられてたのよ! ドラゴンを懲らしめなくちゃダメだったの!」
ぷぅ、と頬を膨らませるビビアン。
これは後でわかったことだが、ビビアンの退治したドラゴンは魔獣と言われる生物の一種で、それもかなり強力でかつての『聖女』によって封印されていたものらしい。その封印が緩み、目覚めた瞬間にビビアンにぶちのめされたのだからドラゴンはたまったものではなかっただろう。
それはさておき。
「ビビアン。その『力』は、危険なものなのよ。見つかったらあなたはこの孤児院にはいられなくなるわ」
ちなみに、私たちはビビアンには魔法のことを『力』と言っている。
うっかり彼女が口を滑らせても魔法のことがすぐに公にならないためだ。
「大丈夫よカーラ姉さん。わたし、ちゃんとうまくやってるもん」
確かに今までビビアンの有する魔法が、孤児院の者以外にバレたことはない。
だが、それは私たち年長者がビビアンの魔法の秘匿のために動いているおかげだ。
ビビアンの魔法が周囲に知られれば、間もなく騎士団がやって来て、彼女は王宮に連行されてしまうだろう。
『聖女』や『聖人』の存在はそれほどまでに貴重で重要なのだ。……本当なら隠蔽するのは重罪にあたるが、それでも私たちはビビアンを守りたい。
「あの子を真っ当な女の子として成長させてあげたいのです。皆さん、手伝ってくれますね?」
院長様にお願いされ、私を筆頭として十五歳以上の孤児はビビアンがしょっちゅう起こす魔法騒動をどうにか収める役目を担っている。
……これがなかなか大変なのだが、ビビアン当人はそんなことなど知らないとばかりに笑う。
「カーラ姉さん、明日ね、街まで行ってもいい?」
「絶対の絶対に、『力』を使わないって約束できるならいいけれど……」
「もちろん、約束するわ!」
自信満々に胸を張るビビアンだが、私は彼女のことをちっとも信用してはいなかった。
ビビアンが約束を守ったことなど、ほぼないと言っていい。好奇心旺盛な彼女に我慢という言葉は存在しないからだ。
再びため息を吐いた私は、口の中だけで呟いた。
「とりあえずルゥについて来てもらわないと……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私、ビビアン、そして私と同い歳の少年ルゥは、孤児院がある山の麓から歩いて少しの場所にある街までやって来ていた。
ルゥはビビアンの監視役の一人。野山ならまだしも、人目が多い場所で魔法を使ったらとんでもないことになる。そこで、街へ出かける際は監視役を最低二人はつけるのが院長様の定めたルールだ。
「院長様が何か一つだけなら買って来ていいって言ってたぞ。ビビアン、何か買いたいものはあるか?」
「わたしね、白のワンピースがほしいの。絵本のお姫様みたいな!」
「ワンピースか……。高くつくな。そんなもんより食い物の方が良くねえか?」
「いいの! ワンピース、ワンピースっ」
呆れ顔のルゥに、頑として意志を曲げないつもりのビビアン。
私は二人の間を取り持つと、さっさと洋服屋に連れて行った。
そこで何が待ち構えているかなんて、予想できるはずもなかった――。
魔物が出た。
今代の『聖女』様が死んでしまったことにより、近年魔物が増えているという話は院長様から聞かされていたが、まさか街に魔物がいるとは思ってもみなかった。
しかもちょうど洋服屋の前で暴れているなんて。
「「「ガルルルルッ!」」」
「ひ、ひぃっ」
しかもその狼型の魔物は、店員さんたちに今にも襲い掛かろうとしていて。
だから正義感の強いビビアンは、気づけば一番前まで走って行ってしまっていた。
「あっ、ダメ――!」
叫び、ビビアンの後を追って駆け出す私。
後からついてくるルゥの足音もする。しかし間に合わなかった。
「こら、悪さをする動物たち、覚悟しなさいっ!」
ビビアンの掌から迸る、赤と黄、それから緑の光。
それが炎となり、電撃となり、風となって魔物たちを包み込む。
そして魔法の光が掻き消えた後、魔物たちはまるで最初からそこにいなかったかのように消滅していた。
これがビビアンの力。
院長様曰く、今までの『聖人』や『聖女』をも超える強大な魔法だという。
しかも今回のはいつも以上に容赦がなく、何度も彼女の魔法を目にして来た私たちですら驚いてしまうほどの威力だった。
そしてその超常現象と言っても過言ではないこれを目にした街の人たちと言えば――。
「『聖女』様だ!」
「魔物が消えた!」「『聖女』様が現れたぞ――ッ」
言うまでもなく大騒ぎを始めていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「院長様、今日までお世話になりました」
「こちらこそ、最後まで面倒を見切れず申し訳ありません。どうか、強く生きてください」
なんとか街から逃げ帰った私たちだったけれど、ビビアンが『聖女』として知らされ、騎士団が訪ねて来るまでに半日とかからないだろう。
それに、今まで育てていただいた院長様に迷惑がかかってはいけない。そこで私は、ビビアンをここから連れ出すことを決意した。
――ああ、これからどうすればいいのかしら。
私の胸の中にあるのは、不安だけだった。
これまで院長様の庇護のもと、孤児院の皆と一緒に生きて来たが、今日からは頼れる人も安心して眠れるベッドも、温かいご飯も何もない。
ルゥがついて来てくれるのは幸いだったと言えるだろう。私とビビアンだけなら、きっと三日と生きられなかったに違いないから。
でも本当にルゥには申し訳ないことをした。彼は孤児院を出た後、近くのパン屋で働くのが夢だったのに……。
「ルゥ、ごめんなさい」
「なんでカーラが謝るんだよ。悪いのは魔物と……約束を守らねえビビアンだろうが」
「ビビアンは悪くないわ。だって人助けしたのだもの。あのままじゃあ店員さんたちは殺されていたでしょう?」
ルゥは押し黙り、何も答えなかった。
チラリとビビアンの方へ視線をやれば、彼女は気楽なもので「ワンピース買えなかったわ〜」と残念がっているだけだ。約束を破ったことなど忘れてしまったのだろう。
私はそんなビビアンを呼び、孤児院を出ることを伝える。
ビビアンには、これは少しだけ長いお出かけだと言った。自分のせいで永遠にここへ戻って来られないなんて思ったら、辛くなってしまうだろうから。
「え、遠くへお出かけに行くの? やったー! 院長様ありがとう! カーラ姉さん、ルゥ兄さん、早く行きましょ!」
「……そうね。行きましょうか」
無自覚な最強魔法少女は、今日も元気に笑っている。
この先何が起こるかなんて全く考えていない能天気な顔で、まるで怖いものなんて何もないかのように。